『 知識系スキルと火の魔神の力 』
(この世界の医療のレベルってどんなもんなんだ?)
ムサシはふと思い、考える。
ミサキさんに処方したのは抗菌薬。《エターナル・スフィア》風に言うなら、状態異常【疫病】の回復アイテムである希少級Lv・Ⅱの〔抗生物質〕だ。
《エターナル・スフィア》だとアイテム名は〔抗生物質〕で統一され、効果の違いはレベル表記だけだった。しかし、この世界では元の世界と同様に、抗菌薬、抗ウイルス薬、抗真菌薬、抗寄生虫薬など、人類の医療に革命を齎した『ペニシリン』から史上最強の抗菌薬と言われていた『カルバペネム』、それ以上のものまで様々なものが存在する。だが……
(やっぱ知識系のスキルLv次第、か……)
例えば、能力【調合】なら、熟練度が低いと【薬学】【医学】【生物学】などざっくりしたものだけだが、上昇するにつれて、【薬化学】【薬物学】【生薬学】【薬品製造学】【東洋医学】【西洋医学】【生理学】【病理学】【血清学】【動物学】【植物学】【微生物学】【生化学】【解剖学】……と修得できる数と種類が増えて行く。
ゲーム時代は、当然の事ながら、修得したからといってプレイヤーがそれらの知識を得られるという事はなく、知識系スキルを修得するごとに、【薬草採取士】【調剤師】【薬剤師】【錬丹術師】といった職種を獲得する事ができ、製作できるアイテムの種類が増えていった。
だが、この世界では、どうやらゲーム時代に修得していた知識系スキルとスキルLvに応じた知識が元プレイヤーに備わっているようなのだ。でなければ、自分にこんな知識があるはずがない。だとすると……
「――先輩」
ミアに呼ばれて、はっ、と我に返った。らしくもなく考え込んでしまったらしい。
そこは、ダイニングキッチンのような部屋。客間やリビングがないため、親子水入らずにしようと退室したムサシとミアは、この部屋で所在無さげに待っていた御前姉妹と四人掛けの四角いテーブルを囲んでいる。
「この薬を【分析】した後、考え込んでましたよね? 何を考えていたんですか?」
ムサシは、ミアに訊かれて、ん? と首を傾げ――頭の上にいる妖精竜が滑り落ちそうになって、おっと、と慌てて戻し、
「あぁ、これを渡した医者の胸にあったのは、悪意と良心、どっちなんだろうな、って」
『悪意と良心?』
「それってどういう事ですか?」
御前姉妹とミアに問われたムサシは、まだ姉弟がこちらへ来そうにない事を気配で確認してから、もう必要ないからと預かり今はテーブルの中央に置かれている複数の包み――ミサキさんが飲んでいた薬包紙で小分けにされた粉薬を指差して、
「それな、ただの小麦粉なんだ」
えぇッ!? と声を揃えた三人は、ムサシが人差し指を口の前に立てたのを見て慌てて口を押さえた。
奥の部屋のほうを窺う。聞き逃したのか、空耳だと思ってくれたのか、特に反応はない。それで三人は、ほっ、と胸を撫で下ろし、
『悪意は分かります』
「騙して儲けようって事ですよね」
「でも、良心っていうのは?」
巴と静の問いに、ムサシは、悪徳医師か詐欺師の可能性のほうが高いとは思いつつも、滑り落ちそうになった後で頭の上から肩へ移動したフィーの喉を指で撫でながら、
「抗菌薬を作る知識も、設備も、手に入れる伝手もない。でも、何かできる事はないかと考え抜いた末の苦肉の策。事実、今日までミサキさんの命を存えさせたのは、間違いなくその小麦粉だからな」
『プラシーボ効果ですね』
声を揃える巴と静。
ミアは複雑そうな表情で小麦粉を見詰め、
「もしそうなら、そのお医者さんが高いお金を取ったのは、お母様の前に、ナナミさんとカイトくんに本当の薬だと信じ込ませるためだったんでしょうね。母親は簡単に子供の嘘を見抜いてしまいますから……」
隣で椅子に座っているミアが、そう言って俯いた。自分の母親の事を思い出しているのだろう。ムサシはミアの頭を、ぽんぽんっ、と撫でた。
まぁ、そのせいでナナミさんは苦境に立たされ、性質の悪い連中に金を借りる破目に陥り、挙句の果てには借金の形に連れて行かれるところだったのだが……
――それはさておき。
ミアの言う通りなら、ミサキさんは、自分の病気は治らないと承知の上で子供達を安心させるために小麦粉を呑み続けていたのかもしれない――ムサシは束の間そんな事を考えたが、まぁいいか、と胸中で呟き、
「いくら考えたって答えは出ないし、どうしても知りたければ本人に直接訊けば良い」
そう言ってこの話を終わらせた。
「ところで、ミアに座れって言われたから座ってるけど、何で帰らないんだ?」
「助けてもらったのに感謝の言葉も伝えられないなんて……、ナナミさんの気持ちを考えたら、勝手に帰る訳にはいかないでしょう?」
「そういう事なら帰る」
「ダメです。先輩は、もっと人に感謝される事に慣れるべきです」
「俺は自分の気が済むようにしただけだ。それなのに、なんで助けてやった上に感謝されてやらなきゃならないんだ?」
「感謝されてやらなきゃならない、って……そういう事を言ってるから奇人変人扱いされるんですよ?」
「いや、だって、感謝してほしくてやってる訳じゃ――」
「――見返りを求めず無辜の民のために力を尽くす。それはとても侍らしい振る舞いだと思います。――でも、それで感謝される事を面倒がるようでは、将来、浮世の柵を断ち切って人里離れた山奥に隠れ住むようになるのは目に見えてます。侍を辞めて仙人になりたいんですか?」
「えぇ~……」
そんな訳で、ナナミさんとカイトから涙ながらに感謝された後、ムサシ達はお暇し、
「その日の内にこれか……」
ムサシは、轟々と音を立てて燃え盛る集合住宅を前に、呆れを通り越して感心するように呟いた。
宵の口に御前姉妹が万屋〈七宝〉に駆け込んできて、そのただならぬ様子に何事か尋ねてみると、下層1階、中間区画寄りの外周区画が燃えているという。それで駆けつけてみると既にこの有り様で、周囲の声に耳を傾けてみると、どうやらもの凄い勢いで燃え広がっているらしい。
「先輩、あそこ!」
まだ都市結界の中だと精霊族専用の技能である【飛翔】――光の翅を上手く使えず、自分の足で全力疾走しても到底追いつけない。そこで、顕在化して虎ほどのサイズになっているアルジェの背に乗せてもらっているミアが指差したほうへ目を向けると、
「不幸中の幸い、ってやつだな」
道の真ん中で座り込み、呆然と燃え盛る我が家を見詰める母子――ミサキさんとカイトの姿があった。その周囲には他の住人達と思しき人々と野次馬の姿もある。消防団があるかは知らないが、避難を促したり誘導したりする者の姿はない。
ちなみに、御前姉妹の姿もない。急いでいたし、ついてこられないようだったので振り切ってしてしまった。
「それにしても、何だこの火? マジックアイテムでも使ったか?」
「先輩なら消せますか?」
「消せる。ミアはまだ精霊に頼むとか、エルフっぽいそういうファンタジーなのは無理か?」
「……ごめんなさい」
「謝らなくて良い。ただ、想像しておいてくれ。この先、もし一人でこういう火事場に遭遇したらどうするかを」
そう言いつつムサシが道具鞄から取り出したのは、一本の巻物。
その封を切って広げ、そこに描かれている複雑精緻な魔法陣に霊力を込める。すると魔法陣が発光し、
「――【契約により来たれ魔神、其の名はアグニ】」
呪文を唱えると、空中に、ぽっ、と火の玉が出現し、それが次の瞬間、ゴォオォッ、といっきに大きくなり――黄金の装身具を身に付けた人型の炎が顕現した。
「先輩ッ!? どうして火の魔神を……ッ!?」
「火の神様は、脅威と恩恵、二つの顔を持っているからだ」
ムサシは巻物を巻いて筒状に戻してから、合掌してそれを両親指の付根で挟むように持ち、乞い願う。
すると火の魔神は、燃えている集合住宅のほうを向き、スッ、と片腕を一振り――その瞬間に鎮火した。
あれだけ轟々と音を立てて燃え盛っていた炎が、何かの冗談だったかのように、わずかな火の気配も残さず完全に消え去っている。
それは、到底人の力では成し得ない奇蹟。
ミアは、そして、その場に居合わせた人々は唖然呆然とし、
「――ありがとうございました」
合掌したまま深々と頭を下げたムサシの声で、はっ、と我に返った。
アグニがその場から掻き消えると、合掌している両手親指の付根で挟むように持っていた巻物が、熱を持たない超自然の炎であっと言う間に燃え尽きる。
「『火の神様は、脅威と恩恵、二つの顔を持っている』……先輩は、どうしてそんな事を知っていたんですか?」
消せると聞いた時から、てっきり水か氷の、でなければダンジョンボスを凍結させたような温度を急激に下げるアイテムを使うのだと思っていたミアがそう訊くと、
「昔、ばあちゃんに教えてもらったんだ。師匠の家にもあったけど、台所に御札が貼ってあっただろ?」
「え? ……あっ、はい、覚えてます。コンロの近くに貼ってあった御札ですよね?」
「そう。で、あれは台所を火事から守ってくれる竈の神様の御札で、竈の神様は火の神様だ」
それを聞いて、ミアは納得すると同時に惚れ直した。
――それはさておき。
「ひぃいいいいいぃッ!?」
「きゃあああああぁッ!?」
おおよその見当はついているが、この場にナナミさんの姿がない理由を母子に尋ねようとそちらへ歩を進めると、人々が悲鳴を上げて逃げて行く。ムサシは、何か怯えられるような事をしただろうかと首を傾げ……考えても分からず、ふと後ろに何かあるのではと思って振り返ると、
「なんですか?」
エルフを背に乗せた巨大な銀狼と、その背に乗っているミアと、ミアの肩に乗っている妖精竜が、揃ってきょとんと小首を傾げた。
「可愛いなぁ~」
「んなっ!? ななな、な、何ですか急に……~ッ!?」
「ん? 別に、思った事を言っただけだ。他意はない」
大きなアルジェも、小さなフィーも、顔を真っ赤にして長耳をぴこぴこ上下させているミアも、すごく可愛い。
結局、ムサシには人々が何を見て逃げ出したのか分からなかった。
――何はともあれ。
話を聞いてみると案の定、ナナミさんは昼間のチンピラ共にさらわれたらしい。カイトは姉を護ろうと立ち向かったが、一番ガタイが良いのに突き飛ばされた際に足を挫いてしまい、そのせいで追いかける事ができなかったそうだ。
「お金はないけど俺にできることならなんでもするよッ!! だから姉ちゃんを助けてッ!!」
ムサシは、そう言って縋りついてくるカイトの肩を、ガシッ、と掴み、
「そのつもりだ。けどな、――姉ちゃんが無事に帰ってくるなんて期待するな」
「~~~~ッ!? そ、それって…どういう……?」
「無理やり連れ去って家に火をつけるような奴らが、姉ちゃんを大切に扱ってくれると思うのか?」
ならず者に連れ去られた女性がどのような扱いを受けるか、ムサシは知っている。――マンガやアニメ、ドラマや映画での話しだが。
ムサシは、言葉を失っているカイトの目を真っ直ぐに見詰め、
「ナナミさんは取り戻す。生きてさえいれば、躰がどんな状態でも元通りに治してみせる。けどな、心に負った傷は俺じゃどうする事もできない。時間と家族に任せるしかない」
動揺著しいカイトの肩を掴む手に力を込め、しっかりと自分に意識を向けさせて、
「幸運を祈って良い。希望を抱いても構わない。ただ、――最悪の場合にも備えておけ」
そう言い聞かせた。
酷だとは思いつつもわざわざそんな事をしたのは、知っているからだ。――全ての物語がハッピーエンドで終わる訳ではないという事を。
母子の事をご近所さんに任せ、ムサシは焼け残った集合住宅の中へ。
昼間にお暇する際、ミア、巴、静が、これで終わるとは思えないというので仕掛けておいたアイテム――〔ガーゴイルの瞳〕を回収した。
それは、一言で説明すると、使い捨てのファンタジー監視カメラ。
一見、何の変哲もない掌サイズの透明な円形のガラス板で、壁などに貼り付けると見えなくなり、仕掛けてからそれに映り込んだ光景の一部始終を記録する。
ゲーム時代はメニュー画面で操作できたが、この世界では回収後に記録映像を見るには霊力を込める必要があり、再生、早送り、早戻しなどの操作には込めた霊力を制御する必要があるため、現状ではまだムサシにしか扱えない。
ミアと共に早速確認してみると、確かにドアを破って押し込んだのは、あのチンピラ共だった。ただ、リーダー格の男の姿はなく、四人の男達は皆ひどく切羽詰った表情で……。
彼らはナナミさんだけではなく、カイトとミサキさんも表へ連れ出している。映像のみで音声はないが、口の動きを読むとしきりに、火事だ、と叫んでおり、出火が確認できたのは、ナナミさん一家を担いだ彼らが〔ガーゴイルの瞳〕に映る範囲の外へ消えた後の事。
「……先輩はどう思いますか?」
「ファンタジーだよなぁ~」
「〔ガーゴイルの瞳〕の話じゃありませんッ! ナナミさんを誘拐した人達の目的について訊いてるんですッ!」
「欲しいんだろ。ナナミさんか俺かミアの、命、力、情報、持ち物……それらのどれかか全部かは知らんけど」
何を分かり切った事をと言わんばかりのムサシに、ミアは何故それが一言目に出てこないのかとため息をついてから、
「『知りたければ本人に直接訊けば良い』ですか?」
「そういう事だ」
「アルジェがナナミさんの匂いを覚えているので追跡できます」
「じゃあ、行ってみるか」
そう言って、道具鞄から取り出した鉢金を額に装着するムサシ。
武器は〔名刀・ノサダ〕〔妖刀・殺生丸〕〔フォースナイフ〕。防具は〔戦極侍の戦装束〕一式。あとは普段から身に付けている〔仙忍の草鞋〕〔神猿の印籠〕。
最近は目立つからという理由でしまっていたが、邪魔になるものではないので、久しぶりに〔太刀持鞘〕に納まった〔屠龍刀・必滅之法〕も道具鞄から取り出した。
「……一緒に行ってもいいんですか?」
独りで行くつもりだろう思っていた。だからこそ、なんと言われようとも同行するつもりでいたミアは、肩透かしを食らって戸惑いを隠せず、
「ナナミさんは、俺の、じゃない、――〈セブンブレイド〉の仲間だからな」
ムサシはそう言って、昼間、金を受け取ったチンピラ達が走り去ったほうへ向かって歩き出す。
その背を見詰めながら、ミアは〔ミラージュマント〕を脱ぎ、
「――はい」
〔妖精女王の勝負服〕一式と〔神霊の光煌翼〕を身に纏い、薬指に〔結婚指輪〕と〔魔導神の指環〕を嵌めた左手と右手で〔龍を統べる者の杖〕を、ギュッ、と握り締め、凛とした表情で頷く。
ムサシとミアは、敬虔なる猟犬と妖精竜を伴い、ギリギリで追いついてきて同行を強く希望した御前姉妹を加え、仲間を奪還するために行動を開始した。




