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『 また一難去って新婚初夜 』

 到着したクラン〈エルミタージュ武術館〉と〈女子高〉の救援部隊が狼藉者達を制圧して一件落着――かと思いきや、


「――冒険者狩りだぁああああああぁッ!!」


 そんな野郎の野太い叫び声が上がってから、また地下鉄駅エリアは騒然となった。


「本当によくもまぁ次から次へと……」


 ムサシはほとほと呆れ果てたようにため息をつき、視線を巡らせ……地下鉄駅エリアの出入口を塞ぎ、見せ付けるように武器を手にしてジリジリと距離を詰めてくる、揃いの頭巾フードと人や獣の髑髏の仮面を身に付けた一団に目を留めた。


「あれが『冒険者狩り』、か……」


 【ステータス】を上昇させ【技能】を修得するために必要な『可能性を創造する力エリキシル』を最も簡単に労せず獲得する方法。


 それは、――手に入れた〔ティンクトラの記憶〕から継承する。


 それ故に、〔ティンクトラの記憶〕には高値が付けられて裏で売買されているらしい。


 そして、モンスターの強さが人のそれを上回るこの異世界で、より御し易い人間を、【ステータス】や【技能】が封印される都市結界内で冒険者を、襲い、殺して〔ティンクトラの記憶〕を調達し高値で売り捌いているのが、対人戦闘に特化した殺人者――『冒険者狩り』だ。


「――先輩! 猫に追われた鼠は何所どこへ逃げると思いますか?」


 救援部隊と共に駆けつけ、非戦闘員を守っていたミアが傍らに来て掛けてきた言葉。それで、懐かしい思い出が甦る。


 『窮鼠猫を噛む』という諺とは別に、追い詰められた鼠は噛み付くものだ、というのが仲間内での共通認識。


 そして、〈セブンブレイド〉でダンジョンに挑んだ際、モンスターの群れに囲まれるとあえて袋小路へ逃げ込み、背後から襲われる危険を排除すると同時に態勢を整え、正面から押し寄せるモンスターの群れを迎撃した。


 要するにミアは、逃げる振りをして自分達にとって都合のいい場所に冒険者狩りを誘き寄せ、態勢を立て直して噛み付くつもりなのだ。


「それならあっちが良いだろうな」


 ムサシはにやりと笑い、危うく乱交パーティの会場になるところだった奥のフロアを指差した。ミアはムサシに殿しんがりを頼んで走って行く。


 程なくして、ライアの、佐々木香の、もえたんの……隊長達の、逃げろッ!! という指示で、主力メンバーが仲間達の誘導を開始した。


 冒険者狩りがそれを邪魔しないのは、元から奥へ追い込むつもりだったからだろう。好都合だと髑髏の仮面の裏で嘲笑しているのが目に見えるようだ。


 狼藉者達は、真っ先に声を上げた男のように闇雲に逃げ惑っている者もいれば、状況の変化に対応できず呆然としている者もいる。上位の者に指示を仰ぐ声も聞こえる。


 ムサシは、そんな狼藉者達に向かって、お前らも逃げろ、と声を掛け――ようとしたのだが、その直前に、


「オイッ! 敵の敵は味方だッ! 奴らと協力してクソアマ共を一網打尽にするぞッ!!」


 そんな声が上がり、ムサシは唖然とした。


「そうだッ! この施設を占用しようとしている雌共を一掃するチャンスだッ!!」

「お前らだって分かってるから参加したんだろッ!?  ――俺達が生きて行くためにはもうこうするしかないんだッ!!」

「……あぁ、そうだな。計画通りに、――やるぞッ!!」


 口々に言い合い、頷き合う狼藉者達。


「……そういう考え方もあるんだな」


 自分でも感心しているのか呆れているのか分からないムサシは、まぁいいか、と呟き、


「――おぉ~いッ! 逃げるならこっちだッ!!」


 とりあえず声だけは掛け、御前姉妹やライア達と殿しんがりにつき、道具鞄から取り出した複数の同じ〝符〟を通路の左右の壁、天井や床に飛ばして仕掛けながら奥へ向かう。


 その途上、後ろから冒険者狩りと手を組もうとした冒険者ろうぜきもの達の悲鳴が聞こえてきたが気にしない。自業自得だ。




 フロアと通路の境目、最前線に立つのは、銃器を構えた〈女子高〉メンバーを除くと、【ステータス】抜きで戦えるメンバーの中でもほんの一握り。あとは前衛が余裕を持って戦えるよう大きく距離を取って護衛役の【ステータス】抜きで戦えるメンバー。残りはその後ろで窮屈な思いを我慢してもらっている。


 その布陣を見て、ムサシは、なるほど、と思った。


 どうやら、後退したのはただ単に態勢を整え、敵がくるのは正面だけという状況を作るためではなかったらしい。


 本当の目的は、――人間同士で殺し合いができる者達だけで戦うため。


 ミアが交渉を有利に進めるためにとムサシに殺生を禁じていたように、全員が狼藉者達を殺さず制圧していた。狼藉者達もあぁ言ってはいたが殺人を忌避していた。


 しかし、今度の相手は、金になる〔ティンクトラの記憶〕を得るために冒険者を狩る殺人者達。いや、ただ金のためだけではなく、人間を狩る事を、追い詰めて殺す事自体を楽しんでいるようだった。


 たとえ対抗し得る力量があったとしても、そんな者達を相手に中途半端な覚悟で挑めば命を落としかねない。


「――先輩は遊撃でお願いします」


 前衛に加わろうとしたムサシを止めるミア。


 斬り込むのは禁止、迎撃も控え、味方の危機に敵を妨害し、アイテムで回復支援――それが通常『遊撃』を任された際の役割だが、今回は自らの配置からそれらに、敵を自分達の後ろへ進ませない、を加えたものがそうだと承知し、ムサシは、応、と答えて下がった。


 戦術や戦略は専門外。ミアがそうしろと言うなら従うまで。


 そして思う。どうやらミアは、彼女達にとって仲間の死が、怒りや憎しみよりも恐怖や動揺となって士気を下げると考えているようだ、と。


「発砲準備ッ! ――構えッ!」


 真っ直ぐな通路の先の突き当たりにぞろぞろと人影が現れ、それを視認した〈女子高〉選抜隊の隊長・佐々木香の号令で、薬室に初弾が装填されている事を手馴れた操作で確認し、クランメンバーで構成された前列が膝射姿勢、わずかに横へずれて後列が立射姿勢で銃を構えた。その後ろには更に二列控えており、レナは四列目に加わっている。


 その後ろに〈エルミタージュ武術館〉メンバーで構成された前衛が控え、遊撃のムサシ、ミア、御前姉妹はその後ろ。大きく距離を開けて護衛と非戦闘員という布陣。


 フロアにいる一同に緊張が奔り――ただ一人の例外ムサシは、恐怖させ怯ませようとしているのだろうが、肩を揺らしもったいぶるようにトロトロ歩きながらの、殺す前にたっぷり楽しませてもらう、だの、エリキシルが少なそうなのは味見をしてから娼館に売る、だの、思う存分ってれ、だのという喚き声や笑い声が心底鬱陶しかったので、その最後尾が見えた瞬間、


「――【急々に律令の如く成せ】」


 刀印――人差し指と中指を揃えてピンと立て他の指を握り込んだ形――を結び、醒めた表情、つまらなそうな声音で、〝気〟を込めたその時から霊的経路で結ばれている道々撒いてきた符に、込められている術を発動するよう命じた。


 〈エルミタージュ武術館〉でトレードしたものの中に大量にあった、爆風で殺傷する手榴弾のように霊的衝撃波で周囲を薙ぎ払い吹っ飛ばす呪符――〔炸力衝符〕がほぼ同時に炸裂する。


 おそらく、製作者が違うからだろう。全てムサシ自身が作ったものなら、ほぼ、ではなく完全に同時起爆していたが、炸裂するタイミングに差異があり、結果、無駄に勢い良く攪拌した具沢山スープの中の具のように、冒険者狩り達が炎や煙を伴わない衝撃波で跳ね回る。


 施設を破壊する恐れがない上に有り余っていた符を用い、同時に全方位から押し寄せる衝撃波で圧殺しようとしたのだが……


「……まぁいいか」


 あれだけ騒々しかった冒険者狩り達が沈黙し、倒れ伏して壊れた人形のように積み重なり、誰もが絶句する事で生じたなんともいえない静寂の中、その呟きは思いの外よく響いた。前後から物問いた気な視線がムサシに殺到する。


「あれ? 言ってなかったっけ?」


 本気で言い忘れていたのだと分かるムサシの発言で、ガクッ、と場の空気が弛緩し、


「おいおい、気を抜くのはまだ早いみたいだぞ」


 次のその発言で、全員の視線が一斉に前へ向けられた。


 死屍累々と言った有り様の冒険者狩り達――その中で、まるでゾンビのように起き上がる者達の姿が。


 全員ではない。その数わずか11。だがしかし、まだ距離があっても、バキバキ、とも、ボリボリ、とも、ゴキゴキ、とも聞こえる人体から発せられるはずのない音が鳴り響き、そのシルエットが膨れ上がり……


『――ゴォオァアアアアアアアアアアァッ!!!!』


 妖魅の鬼族以外、妖魅族は種族専用スキルで人型から動物へ変身できる。しかし、真人族の外見から獣人に変身する事はない。


 つまり、怒りの咆哮を上げたのは、体長二メートル超の何とも言えない歪んだケダモノの獣頭と人身を持つモンスター。


「――ライカンスロープッ!?」

「そういやぁ、なんかのクエストだかイベントだかで出てきたな、人間に化けてNPCの中に紛れ込むやつ」


 驚きの声を上げるミアの横で平然と宣うムサシ。


 冒険者狩り達が飼っていたのか、冒険者狩り達は利用されていたのか、それとも協力関係にあったのか……


 ――何はともあれ。


「――交替スイッチッ! 発砲準備ッ! ――構えッ!」


 佐々木香の号令で、相手が人間だと思えばこそ殺さずに済めばそれに越した事はないと非殺傷弾を装填していた前二列が、ダメだった時のために殺傷力のある弾丸を弾倉に納めている後二列と交替し、慣れた手付きで初弾を薬室に装填。各人が得物を構える。そして――


「――撃てぇッ!」


 倒れている冒険者狩り達を踏みつけ、ライカンスロープ共がこちらへ向かって突進し始めたその瞬間、号令と共に一斉射撃。


「――後退ッ!」


 全員が一弾倉撃ち尽くすと、手筈通り〈女子高〉メンバーは左右に分かれて護衛のすぐ前まで駆け足で後退し、入れ替わるように前へ出た〈エルミタージュ武術館〉メンバーが得物を構える。


 発射された弾丸は、そのほとんどがはずれる事なくライカンスロープ共のどれかに直撃した――が、咄嗟に足を止め両腕で頭部をガードした人型モンスターの剛毛と分厚い皮、膨張した強靭な筋肉を貫けなかった。


 ライカンスロープ共の躰から潰れた無数の弾頭が床に落下して音を立て、その口許に人間の脆弱さを嘲弄するような笑みが浮かび――ふと気付いたその時にはもう巨体が弾丸のような速度で〈エルミタージュ武術館〉メンバーの目前に迫っていた。


 予想を遥かに超える人外の脚力で双方の間にあった距離を一瞬にして縮め、獲物に襲い掛かる獣のように、反応が遅れて対応しきれない戦乙女らに猛然と踊りかかり――


「――七支刀セブンブレイド流刀殺法」


 ライカンスロープ共と戦乙女ら、その中間に忽然と高速の踏み込みで割って入ったムサシが、走馬灯のようにゆっくりと流れる時の中でも変わらぬ洗練された所作で、


「――旋風斬り!」


 抜刀から同じ挙動モーションで前方にだけ霊威を帯びた衝撃波を放ち、跳躍していたライカンスロープ共を吹っ飛ばして押し戻した。


 更に、左手一本で〔名刀・ノサダ〕の柄頭を掌で包むように保持したムサシは、右手で素早く道具鞄から五指の間に挟んで四つの青く煌くビー玉のようなアイテムを取り出し様に投擲する。


 吹っ飛ばされて崩れた体勢を空中で整え、両手足を使い獣のように着地したライカンスロープ共――その前に、カツンッ、カツッ、カッ、と数度跳ねたあとコロコロと転がってくる四つの青く煌くビー玉。


 人型のモンスター共が怪訝そうにそれ――〔電撃の魔石〕に目を向けた瞬間、


『――グギィアァアアアアアアアアアアァッ!!!?』


 四つが同時に別々の場所で炸裂し、四方八方へ広がった【風】【火】複合法術スキル【スパークウェブ】に相当する電撃の網が全ライカンスロープを範囲に捉えた。そして――


「――今ですッ!!」

『――――〜ッ!?』


 ミアの声で背を突き飛ばされるように飛び出した〈エルミタージュ武術館〉の戦乙女達がムサシの左右を駆け抜け、軽く焦げる程度と致命傷には程遠いものの感電して著しく動きを鈍らせたライカンスロープ共に肉薄する。


 勇ましい戦乙女らの喊声に、肉を打つ音、骨を断つ音、人外の咆哮と悲鳴が混じり、しかし、ライカンスロープ共も容易く諦めてはくれない。生物として生を渇望するのは当然の事だ。


 納刀したムサシは、素早く精確に打ち込むため、だらりと脱力させた右手の人差し指から小指までの四指で三本の手裏剣フォースナイフを挟み持ち、必要に応じて選択したアイテムを即座に使えるよう左手は開けておく。


「遊撃をお願いしていたのにいきなり前へ飛び出すなんて、――やっぱり先輩は流石です」


 既に趨勢は決した。それでも油断しない、できないムサシの隣に立ち、眼前で繰り広げられている戦いから目を逸らさずに声をかけるミア。


「違う。〝遊撃〟を仰せつかっていたから、だ」


 先程のは斬り込んだのでも迎撃したのでもない。味方の危機に敵を妨害し、アイテムで支援した――つまり、ただ単に遊撃の仕事をこなしただけだ。


 前衛を任されていたら当然行動も変わっていた。あの瞬間、確実に一体を仕留め、返す刀でもう一体。上手くすればもう一体ぐらいいけたかも知れない。だが、八体のライカンスロープがあの勢いのまま前衛メンバーに突っ込んでいただろう。


 そうであれば当然、現在の状況にはならなかった。つまり、


「流石だな」


 正面に目を向けたまま、ムサシが自分を上手く運用してこの有利な状況を作り上げたミアへ賛辞を送ると、


「…………」


 ミアは緩みそうになる表情を、ぐっ、と引き締めて戦況を見詰める。喜びと照れを必死に押し隠しているつもりかも知れないが、エルフ耳が嬉しそうにピコピコ上下していた。


 〈エルミタージュ武術館〉の前衛メンバーは、ライカンスロープが感電から回復する前に倒すべく浴びせられる咆哮にも怯まず前へ出て一気呵成に攻め立て、見事な連携で確実に次々と屠って行く。


 そして、脱落者や大きな怪我をする者もなく、短時間で全てのライカンスロープをいっきに倒し切った。




 今回の事件は、冒険者狩りによって画策されたものだったらしい。


 正体を隠した冒険者狩りが狼藉者ぼうけんしゃ達と接触し、もっともらしい事を吹き込んで行動を起こすよう煽った。


 地下鉄駅エリアで作業を行なっていた者達を襲撃させたのも、助けを呼びに行く者を意図的に見逃したのも、〈エルミタージュ武術館〉や〈女子高〉など更に多くの冒険者達を誘い出すため。


 そうやって、出入口を塞げば逃げ場のない地下空間に大勢の冒険者達を誘き寄せ、狼藉者達共々一網打尽にしようとしたのだ。


 そして、そんな冒険者狩り達の計画が潰され、命運が尽きたその日の夜。


 場所は、万屋〈七宝〉、ムサシの部屋。


 そんな事件があろうとなかろうと関係なく、日課の夜の稽古と戦の備え(IC)を終えてムサシが自室へ戻ると、いつもなら自分が寝た後いつの間にか布団に潜り込んできていたミアが、今日は畳んでおいた布団を敷いて待っていた。そして――


「不束者ですが、幾久しく、よろしくお願い致します」


 綺麗に正座していたミアは、三つ指をついて深々と頭を下げ、


「えっ!? あ、いえ、こちらこそよろしくお願い致します」


 訳が分からなかったが、とりあえずその正面に正座し、姿勢を正して座礼を返す。


 二人は面を上げて見詰め合い、


「どゆこと?」

「新婚初夜です」

「あぁ~っ、確かにそういう事になるのか――って、ミア?」


 すっ、と立ち上がったミアは壁に歩み寄り、そこにあるスイッチを押して照明をOFFに。部屋が闇に覆われ――ポッ、と儚い光が灯る。その光は、ミアの掌の上からゆっくりと天井へ上がり、そこから月明かりに似た薄っすらと青みがかった白く柔らかい光で二人の姿を照らし出した。


 そして、ミアはロングワイシャツのような寝巻きのボタンを外し、するりと肩から滑らせる。その下には何も身に着けていなかった。


「――――」


 束の間、言葉を失うムサシ。


 華奢で一見弱々しそうだが、ムサシにはただ細いのではなく内側からしっかり鍛えられて引き締まっているのだという事が分かる。それでも精霊族の体質は筋肉がつき難いようで、柔らかそうな白い肌は肌理細やかで染み一つなく、小柄であるが故に胸も尻も小振りに見えるがプロポーションは抜群で、恥らい俯いた拍子に肩から滑り落ちた絹糸のように白く美しい長い髪が、程よく豊かな乳房の頂を隠した。


 ムサシが思わず見惚れてしまい、エロい気分にならなかったのは、ミアがあまりにも浮世離れして美しく麗し過ぎたからだ。このほのかな明かりと相俟ってなんとも幻想的で、とてもこの世のものとは思えなかった。


「……恥ずかしい…です……だから、先輩も…早く……」


 蚊の泣くような声で訴えるミア。


 はっ、と我に返ったムサシは、ミアの様子を窺い……


「……分かった」


 立ち上がり、歩み寄る。そして、そっとその肩に触れた――その瞬間、ミアは、ビクッ、と躰を震わせた。それはまるで怯えているかのようで……


「ち、違うんです……ッ! わ、私――は……」


 ムサシは、両腕でミアを包み込み、一糸纏わぬ躰を温めるように抱き締める。


「……先…輩……?」


 元の明かりを消したのは、明るい照明の下で裸を見られるのが恥ずかしかったからか、それとも、この暗さなら躰の震えをごまかせると思ったからなのか……。


「どうした?」

「……~~ッ」


 ムサシが優しく穏やかな声で囁きかけるように訊くと、ミアは、ピクッ、と躰を震わせて……ムサシの胸に顔を埋め、両手を背中に回してしがみ付いた。


 さめざめと泣くミアの頭を撫でながら、復調したと思った情緒がまた不安定になってしまっている理由を考えていると、


「……み、みんなっ…先輩のっ……お嫁さんにっ…なりたいってっ…積極的でっ、……こ、このままじゃっ…先輩っ…取られちゃう…ってっ…思ってっ……」


 ひっくひっくとしゃくり上げながら紡がれたその内容に、ムサシは内心で、それかぁ~、と唸り、天井を仰ぐ。


 ライカンスロープ殲滅後、安全が確保されてから、ムサシに感謝の言葉と賞賛が送られた。その中にはもちろん〈天城オリュンポス工務店〉の親方や男性の徒弟達もいた。しかし、圧倒敵に女性のほうが多く、その上、〈エルミタージュ武術館〉の拠点ホームでの一件を持ち出してハーレムがどうとかいう話になり、挙句の果てには、汗を掻いたし返り血で汚れてしまったから一緒にシャワーを浴びましょう、という話になって、結局、ムサシは単身その場から全力で逃走した。


 あの時ミアは、スーパーのタイムセールに群がるおばちゃんの圧力に弾き出された少女のように、ムサシの事しか見ていなかった女性陣に外へ押し出され、その声は騒々しさに掻き消されていた。


 取られると思ったのはそのせいだろう。一人で逃げたのもまずかったかも知れない。だが、あの時は他にどうしようもなかった。勢いに負けて断り切れずそのまま女の子達と一緒にシャワー、なんて事になっていたら、今のミアはもっと酷い事になっていたような気がする。


 ――何はともあれ。


「それで初夜、か」

「……寸止めっ…ラブコメっ…みたいっ…なのっ…はっ…やですッ! ……偽装っ…夫婦っ…でもっ…ありませんッ! ほんとっ…のっ…夫婦っ…にっ…なりたくて……ッ!」


 分かり易いマンガやアニメなどによくある例えに、なるほど、と頷き、ムサシはミアを、ぎゅっ、と抱き締めた。


 エウフェミア――『金森カナモリ 紗希サキ』は、剣道をやっているのが不思議なぐらい物静かで、人見知りする引っ込み思案な女の子だった。


 刑事の父と元弁護士の母が離婚した後、公認会計士の資格を持つ母が自宅を改装して事務所を開き、小学生の時から、将来は公認会計士の資格を取って机を並べて母を手伝うのが夢だ、と話していた。


 母親は働きながらでも寂しい思いをさせないよう、少しでも一緒に過ごせる時間を長くできればと自宅を改装して事務所にしたが、娘は母の邪魔をしないようにと近くにいても一人でいる事が多くなり、家が近かった武蔵と妹の伊織は、そんな紗希とお互いの家を行き来してよく一緒にいた。


 だからこそ、よく知っている。


 金森紗希エウフェミアは、感情を表に出すのが苦手で、嬉しい時は俯いてはにかんだ顔を前髪で隠し、苦しい時や悲しい時は淡く儚い微笑みで隠してしまう、そんな女の子だった。


 少なくとも、出会った時のように大声を上げて泣いたり、自分から告白したり、大勢の前で、私の旦那様なんですッ! などと自分の意見を主張したり、必死過ぎて見ている方が辛くなるような、こんな行動をとる女の子ではなかった。


 現状、子供の頃からの夢を叶えるのは絶望的。一人にしてしまった大好きお母さんの身を案じながら、異世界で一人きり。それも、ストーカーエルフのせいで出掛けて気晴らしをする事もできず、仲間達との思い出がたくさん詰まっている万屋〈七宝〉で過さざるを得なかった孤独な日々は、いったいどれだけミアを苛み、心を傷付け、精神的に追い詰めたのだろう。


 ムサシは想像しようとして…………できなかった。


「なぁ、ミア。誓いの口付けをする前に、俺、言ったよな。『たぶん、幸せにはしてやれないぞ?』って。覚えてる?」


 ミアは、ムサシの胸に顔を埋めたままか細い声で、…はい…、と答えた。


「それは、俺にとっての一番が武芸だからだ。ミアじゃない」

「…はい…」

「武を極めたい。そのために稽古がしたい。修行したい。練習したい。特訓したい。鍛錬したい。工夫したい。研鑽を積みたい。その他に、こんな世界だからからこそ戦に備えて、万が一に備えて、いろいろ準備しておきたい。それ以外に、やるべき事、やらなければならない事がある。――嫁さんのために使える時間は少ない」


 だからこそ、と言って、ムサシはミアを抱き締める腕の力を少し強め、


「結婚すると決めた時、その少ない時間を全部ミアのために使うと決めた」

「…………っ!?」

「ミアだけで良い。ミアだけが良い」

「……せん…ぱい……~っ!」


 ムサシは、思いっきり抱き締めてくるミアの頭を撫でながら、


「『たぶん、幸せにはしてやれないぞ?』って言った。でも、できる事なら幸せにしたいと願ってる。今は泣かせてるし、もう何度か怒らせてるし、これからだってきっと苦しい思いや辛い思いをさせる事が多々あると思う。俺には、恋や愛だけじゃなく、他人ひとの気持ちなんて分からないからな。――それでもミアを、俺の可愛い嫁さんを、少しでも幸せにできたら良いなって思ってる」


 ミアは、もう胸がいっぱいで言葉が出ず、言い尽くせないほどの思いは涙となって止めどなく溢れ……


「だから急ぐな、焦るな。武芸と同じ様に生涯をかけて、努力や修行と同じ様に、毎日毎日コツコツと着実に積み重ねて行こう。な?」


 ミアはこくこくと何度も頷き、ムサシは嫁さんの頭を、よしよし、と撫で、ぽんぽんっ、と背を叩いてあやし続けた。


 そして、ひとしきり泣いて泣き止んだ後、


「……して…くれないんですか?」


 小さく、初夜なのに……、と呟いたミアは、振り向かず後ろで自分のパジャマを持って立っている夫に問い、ムサシは、しない、とはっきり答える。


「今のミアは、頭と心と躰がバラバラな感じだからな。ミアだって初めてなんだろ? なら、そんな状態でした事を後になって悔やむと思う」

「……先輩は、人の気持ちが分かる、とっても思いやりのある人だと思います」

「違う。分からないからこそ、相手の立場になって考え、想像するんだ。それが、大先生おおせんせいが教えてくれた『五常』――常に備えるべき五つの徳、仁義礼知信の〝仁〟、思いやりの心だ。大抵は外れるか、しようとしてもできないか、当たらずとも遠からずだけど、たまには当たる事だってある」


 ムサシは嫁さんがパジャマを着るのを手伝い、ミアは、夫が持っていてくれるロングワイシャツのような寝巻きの袖に腕を通した。そして、夫婦揃って布団に入り、


「先輩、大好きです」

「知ってるよ。もう聞いた」

「むぅっ。じゃあ、先輩は私の事、どう思ってるんですか?」

「知ってるだろ? もう伝えたんだから」

「むぅ~~っ」

「…………はぁ~~っ。まったく、侍はこんな事を軽々しく口にしないってのに……」


 ムサシはミアと二人きりなのに他の誰にも聞かれないよう口に手を添えて甘えてくる嫁さんの耳元で囁き、腕枕してもらっているミアは嬉しそうに、そして幸せそうに、ふふふっ、と微笑むと夫にぴたりと寄り添い、


「おやすみなさい、あなた」

「あぁ、おやすみ」


 そうして、結婚後初めての夜は更けて行った。

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