『 天揺蕩う万魔殿 』
フリーデンの衛星都市『リベルタース』には、『港湾都市』という別名が示す通り大きな港があり、海洋貿易の拠点として発展した。そして、この都市の駅は、船から列車へ、また、列車から船へ、人、物、金、情報を速やかに積み降ろせるよう、その大きな港のすぐ近くにある。
「…………着いちゃったね」
「なに? 目的を達成できたんだから喜びなさいよ」
「嬉しいよ。嬉しいんだけど……」
「私達、慎重になり過ぎてたんじゃ……」
「確かに死んだら元も子もないけどさ……」
「この距離に2年以上かけてたあたしらって――」
「――ダメよッ!! それ以上言っちゃダメッ!! 今は素直に喜びましょうッ!」
あちこちから聞こえてくるそんな会話は気にしない事にして、ムサシは一足先にエレベーター脇の階段を使って地上を目指した。
長らく封印されていたとはいえ施設は生きており、エレベーターも動くようだがあえて階段を使う。それは、万が一にもエレベーター内に閉じ込められたくなかったからだ。ちなみに、階段脇にあるエスカレーターは止まっている。
「くぅ~――~っ、ここのところずっと地下だったから、空を見るのは久しぶり……」
現在は倉庫として使われている地上施設から外へ出たムサシは、組んだ両手を振り上げて躰を伸ばし、何気なく空を見上げて、はぁ? と間の抜けた声を漏らした。それは、
「なんだありゃ……?」
そこに、空を覆い尽くしそうなほど巨大な物体――放射状に突出させた8本の腕をパンパンに膨らませた超巨大なヒトデが浮かんでいたからだ。
ムサシが、ぽかぁ~~ん、とアホ面を晒して見上げていると、続いて駅舎から出てきたミア、巴、静、レナ、〈エルミタージュ武術館〉一同もまた同じものを見上げて愕然とし、
「あれって……まさかッ!?」
『――「天揺蕩う万魔殿」ッ!!』
ミアと同じ事に気付いたらしい御前姉妹が揃って声を上げた。それを耳にした周りの者達が騒然となり、ムサシも、あぁ~っ、と合点がいったような声を漏らす。
『天揺蕩う万魔殿』とは、MMORPGではさして珍しくもない、非定期にどこかの都市で行われたモンスターによる市街地襲撃イベントの一つ。
「って事は……今リベルタースはモンスターに襲撃されてる……いや、これからされるのか?」
そんな何気ないムサシの呟きを耳にした者達は、ピタッ、と動きを止め……束の間の静寂の後、一転してより一層騒がしくなり、
――ズガァアァンッ!!
巨大な戦鎚が地面に振り下ろされ、その轟音と振動に驚いて口を噤んだ一同の視線が、その持ち主であるライアに集まった。
「ここであーだこーだ言ってても埒が明かない。あたしらはまずはギルドのリベルタース支部へ向かうよ! レナード、あんたも自分の仲間に知らせな!」
ライアがそう指示を出している間にも、通信要員として同行しているアルディラは、言われるまでもなく既に【念話】でフリーデン側にいる通信班メンバーに報告しており、促されたレナもそれに倣って〈女子高〉の通信班メンバーに【念話】する。
「ミアさん達も同行して頂けますか?」
ムサシに、ではなく、ちゃんとパーティリーダーに承諾を求めるライア。
ミアが目を向けると、巴、静は頷き、
「先輩?」
ミアが声をかけると、ムサシはパンデモニウムを見上げたまま、任せる、と答え、続けて、
「なぁ、兄者と姉上はこれを予見してた……なんて事は流石にないか」
ムサシが言わんとしている事を理解したミアは、はっ、と息を飲んだ。それから勢いよく振り向くと、ライアも同じ事に思い至ったらしい。
ライアの指示で、自宅の窓から、または表に出て空を見上げ、茫然自失となる者、絶望に崩れ落ちる者、慌てて逃げる準備を始める者、それを尻目に着の身着のままで逃げ始める者……そんなリベルタースの人々を〈エルミタージュ武術館〉メンバーが駅へ誘導し、地下のトンネルへ避難させる。
その一方で、最精鋭パーティの8人と、ミア、静、巴、レナ、ムサシは、冒険者ギルドのリベルタース支部へ向かった。
「――なんだそれはッ!? ふざけるなッ!!」
そこは、冒険者ギルド・リベルタース支部の前。
中には入らず空に浮かんでいる巨大な化け物を、ぼぉ~~~~っ、と眺めていると、そんなライアの怒声が外にいるムサシの下にまで響いてきた。ライアだけではない。そちらに意識を向けずとも、複数の人間がギルド職員を糾弾するような気配が伝わってくる。
ムサシが、外で待ってて本当に良かった、と心底思いつつこれからの事を思案していると、程なくしてミア達が建物から出てきた。
「冒険者がいない?」
ミアが、はい、と答え、
「ここを拠点に活動している冒険者達のホームが幾つかあるらしいんですけど、フリーデンのギルド本部に強制召喚されて、今は留守を任された人達が少し残っているだけらしいんです」
「強制召喚……あぁ~、なんかあったな、そういうの。有事の際には……とかなんとかってやつ」
「ここのところずっと曇り続きで、パンデモニウムの接近に誰も気付けず」
「その強制召喚に応じてリベルタースを離れた冒険者の方々も、こんな事になるとは思っていなかっただろうって……」
「ギルド本部は『混乱を避けるため全員がこちらに揃ってから説明する』の一点張りで、支部の人達も何のための強制召喚なのか知らされていないそうです」
巴、静、レナの話を訊いて、そういえば自分にも顔を出せという書状がきたり、フリーデンから出るなという伝言があったな、となんとなく思い出しつつ、ムサシはパンデモニウムを見上げながら、ふ~ん、とどうでも良さそうに言い、で? と尋ねた。
「『で?』って、なんですか?」
「これからどうするんだ?」
ミアは答えられず、姉妹も顔を見合わせ、レナはおろおろしている。つまり、今も中から複数の人の声が聞こえてきているが、建設的な話し合いがなされている訳ではないらしい。
「あ、あのっ! ひょっとして、ムサシさんなら倒せるんじゃ……」
一縷の希望に縋るように無茶を言うレナに、ムサシは、さぁ? としか返せない。
何故なら、このイベントに参加した事はあるが、パンデモニウムを倒せた事は一度もなかったからだ。
都市襲撃イベント『天揺蕩う万魔殿』は、体内に膨大な数のモンスターを抱える生きた空中機動要塞――パンデモニウムが遥か上空より襲来し、都市を天井のように覆って市街地へモンスターを放出する、というもの。
このイベントのクリアまでの流れは、まず参加者をパンデモニウム攻撃部隊と放出されたモンスターを迎撃する部隊に分ける。そして、一定のダメージを受けるとパンデモニウムはイベントボスを投下して逃走し、ボスを含む放出されたモンスターを全滅させれば終了となる。
つまり、パンデモニウムはシステム的に不死だったのだ。
「『さぁ?』って、――不可能じゃないんですかッ!?」
当然否定されるものだと思っていたレナは驚愕を露わにし、ミアと双子の姉妹も唖然としている。
「あんな化け物をどうやって――」
「――それより、まずは中で騒いでる連中に、もう時間がないぞ、って教えてやってくれ」
ミア達は、え? と声を揃え、次いでそれはどういう事かと尋ねると、ムサシは空に浮かんでいるヒトデのお化けを見上げたまま、
「なんで攻撃してこないんだろうなぁ~、と思ってずっと観察してたんだけど、あいつ、今もゆっくり移動してるんだ。それこそ浅瀬を這うヒトデみたいな速さで。――で、もうすぐあいつの中心がリベルタースの中央上空に到達する。攻撃が始まるとすれば、たぶんその時だろうな」
それを聞いた途端、顔を真っ青にした姉妹が身を翻して駆け出し、そのままギルドの中へ飛び込んで行った。
それを見送った後、ミアは寄り添うようにムサシの隣に立ち、
「ギルドは、この都市を見捨てたんですね……」
「さぁ? 俺には他人が何考えてるかなんて分からないし、戦術や戦略は専門外だ」
そう答えている間もパンデモニウムから目を離さない。ミアは、そんなムサシの横顔を不安そうに見上げ、躊躇った末に何かを口にしかけたちょうどその時、報せに行った姉妹を含む冒険者達がライアを先頭にギルドから飛び出してきた。その中の見知らぬ冒険者達は、無所属かリベルタースに拠点を置くクランの留守番組だろう。
「ムサシさ――」
「――始まったぞ」
言葉を途中で遮られたライアを始め、一同が一斉に空を見上げる。その視線の先で、停止したパンデモニウムが薄い青の光――【水】属性のスキル発動光に包まれた。
途端に周りが騒がしくなったが、ムサシは気にしない。そのままパンデモニウムを観察していると、8本の腕の中心に位置する口がゆっくりと開き始めた――その直後、ドクンッ、という巨大な鼓動のような衝撃が天地を震撼させ、一瞬にしてその巨体を包み隠していた暗雲が綺麗さっぱり消し飛んだ。
そして、次の瞬間には、その巨体からまるでスポットライトのように降り注いだ薄い青の光がリベルタース全体を包み込み――都市結界の効果が消失する。
「これは……都市結界が別の結界に上書きされたッ!?」
「結界の上書きかフィールドの召喚かは分からない。けど、この光の柱みたいな空間の中では、水棲系モンスターが水の中を泳ぐみたいに空を飛べるらしい」
頭上を見上げたままそう言うムサシの表情は酷く苦々しげで、不安を覚えたミアがどうしたのかと訊く。すると、呻くように一言、
「人型がいる」
あまりにも巨大過ぎて距離感が狂い近そうに見えるが、パンデモニウムが滞空しているのは地上からおよそ4千~5千メートル上空。その上、まるで【守護障壁】のような濃密なマナの層があってぼやけている。それでもムサシの眼は辛うじてその姿を捉えていた。
「それがどうかしたんですか?」
ミアがすぐに思い出せるだけでも、『サハギン』『ギルマン』『マーマン』、《エターナル・スフィア》では『マーメイド』も凶悪なモンスターで、他にも『スキュラ』などなどがいたが、人型だからといってムサシが斬る事を躊躇うとは思えない。
「姉上がここにいたら、なんて言うと思う?」
「命先輩なら……」
ミアは、はっ、とムサシが言わんとしている事に気付き、顔を引きつらせた。
《エターナル・スフィア》では、設定上、人型モンスターは比較的高い知能を有している事になっている。それ故に、法術スキルを行使する事が可能なのだと。だからこそ、言祝ぐ命なら必ずこう言う、――『戦う前にまず話し合いましょう!』と。
「先輩、まさか……ッ!?」
「いや、けどさ、敵だと決め付けて攻撃したら、実は共存共栄を望む種族の使節団で、それを攻撃したせいで陸の種族と海の種族の全面戦争に発展した、なんて事になったら嫌だから先に手を出したくない」
『共存共栄を望む種族?』
「あれがですか?」
「とてもそうは思えないんですけど……」
ムサシは、御前姉妹の言葉に内心では頷きつつも、
「『相手を見た目で判断してはいけません』って、親とか学校の先生とかに教わらなかったのか?」
「じゃあ、話し合うんですか?」
ミアの問いに、ムサシは首を横に振り、
「それは俺の領分じゃない。俺がやるべき事は別にある」
それは、兄者がこの場にいたなら自分に命じたであろう役目。それ則ち、決裂した場合の備え。つまり、逃走経路の確保と反撃の準備。
前者は既に地下トンネルが利用できるようになっているので良しとして、後は相手の動きに即応し迅速に殲滅できるよう準備しなければ。
ライアは通信要員のアルディラを介して住民の避難誘導に当たっている仲間達から求められる状況の説明と指示に応え、レナも【念話】で〈女子高〉に状況を報告しており、ライアのパーティメンバー達は右往左往するギルド職員やよその冒険者達を、非戦闘員の退避を最優先に行動しろ、と叱咤したり尻を蹴飛ばしたりしている。
「――私は先輩をお手伝いします!」
そんな彼女達に目を向けてから口を開こうとしたムサシの機先を制するように、ミアがそう宣言した。すかさず姉妹も同行する意思を示す。だが、ムサシは首を横に振り、
「こっちはいいから、ライア達を手伝ってや――」
「――嫌ですッ!! 先輩が何と言おうと絶対について行きますッ!!」
ミアのその剣幕に、ムサシは眼を白黒させた。
既に大切な仲間を2人も目の前で失ってしまったミアは、何よりもムサシを失う事を恐れている。しかし、それに負けず劣らず、必ず帰ってくると信じていつ帰ってくるか分からない相手を待ち続ける孤独な時間を恐れていた。だからこそ、もう二度と離れない。例え向かう先が地獄であろうとも、待ち構えているのが強力なモンスターの大群や非現実的な化け物であろうとも。
ミアは真っ直ぐにムサシの瞳を見詰め、ムサシは目を逸らさずミアの瞳を見詰め返す。そして、そんなミアの想いと覚悟がムサシに伝わった――というような事はなく、腹立たしいほどにあっさりと、
「いいよ。ちょっと行って試してダメだったらさっさと戻ってくるから」
「一緒に行きますッ!」
「いいって」
「一緒に行くんですッ! 行くったら行くんですッ!!」
駄々っ子のようなミアの様子に困ったムサシは後頭部を掻き……
「じゃあ、好きにすれば良い。俺も好きにする」
「元よりそのつもりです!」
ミアは、妖精のように儚げで可憐な美貌に似つかわしくない気炎を吐き、ムサシはその様子に苦笑しつつ踵を返す。
巴と静は、気合を入れて前を行く2人の後に続き――あっ、と声を揃えた。
「何も告げずにこの場を離れたら、皆さんを心配させてしまうかもしれません」
「一応、レナさんとライアさんには知らせておいたほうがいいと思うのですが」
ミアは後ろを振り向いて、そうですね、と頷き、
「先輩、一声かけてくるので…ちょっと……待ってて………」
前に向き直ったミアが、ムサシの背があるべき場所へ目を向けた時にはもう、その姿は忽然と消え去っていて影も形も見当たらなかった。
「……え? 先輩? ――先輩ッ!?」
ミアがいくら呼べど返事はなく、必死に捜してもその姿を見付ける事ができず……
「……うぅ~っ、……先輩の……バぁカぁああああああああああぁ~――――~ッ!!」
目に涙を滲ませたミアの悲痛な叫びがリベルタースに響き渡った。
ムサシの全力疾走は既に飛行の域にあり、【難場走り】と【踏空】などの【気功】を複合させた超高等技術――【飛脚】によって、地面を、時には空中を蹴り、音速を超えて駆け抜ける。以前は衝撃波で大きな被害を出してしまったが、その経験を省みて対策を講じ、今では己が身を包み込む【守護障壁】に干渉して自分の周りの気流を操作しているため衝撃波は発生しない。
更に、特殊能力【強化】・技術【金剛力】を発動させれば速度は跳ね上がるが、これを使うべき時は今ではない。
ムサシは走った。〔秘伝奥義書〕で修得した〝とあるスキル〟の使用条件を満たすため、港湾都市リベルタースを飛び出して、内陸方向へ走りに走り……
「よし、ここなら良いな」
そこはとある山の頂。都合の良い事に、パンデモニウムが放った衝撃波によって雲が消し飛ばされたため、空は視界を遮るもののない快晴。ここからなら超巨大なパンデモニウムの全体を一望できる。
「さてと……」
ムサシは、額の鉢金や腰の大小二刀――〔名刀・ノサダ〕〔妖刀・殺生丸〕と背負うように浮いている〔屠龍刀・必滅之法〕など、装備を一通り点検し、〝とあるアイテム〟をすぐ取り出せるように用意してから【練気】を開始した。
それと同時に、これから行おうとしている事の開始から完了までの過程を、想定外の事態が発生する事までを想定してイメージする。
討伐対象はパンデモニウム。だが、前提として撃墜は不可。そんな事をすれば、あの巨体に押し潰されて、リベルタースの全壊とそこにいるミア達を含む人々の全滅は必至。
ではどうするか?
リベルタース支部の前で、ぼぉ~~~~っ、と眺めていて、ふと思いついた。
――パンデモニウムを地上に落下させる事なく空中で爆裂飛散させれば良い、と。
そんな事が可能なのか?
レナに倒せるのかと訊かれた時は確証がないのでごまかしたが、たぶん可能だ。
実際は、ぼぉ~~~~っとしていたのではなく極限まで高められた集中力によって思考速度が加速され、対超巨大生物の定石といえばやはり『体内へ突入して核を破壊する』だろうが、これをやったらおそらく落下してしまう。故にこの案は不採用。ゲーム時代のようにある程度ダメージを与えれば逃げてくれるかもしれないが、リベルタースを救えてもまた別の場所が襲われる可能性が高い。姉上と兄者はそれを良しとしないだろう。なので却下……という具合に極短時間で膨大な思考を経た上、自らの技量、知識、【ステータス】、【技能】、所有する武装、道具類などなどを踏まえ、研ぎ澄まされた五感をフル活用して情報を収集し、カンストした能力【瞳術】・技術【洞察眼】による補正で予知の域にまで高められた洞察力を以って可能だと判断したのだが、それらを自覚していないムサシに言わせると、ただの思いつきや勘という事になる。
――それはさておき。
パンデモニウムと地上をつなぐ薄い青の光の柱。その中を群れで降下していくモンスターの様子を例えるなら、円筒形の大水槽の中で渦巻く大量のイワシか、密集して飛び回るユスリカ。その先頭で無数の光が点り、次いで〝何か〟が流れ星のような尾を引いて地上へ降り注ぐ。
それを見た瞬間、直感的に理解した。あの光はスキルの発動光であり、〝何か〟は攻撃系法術とブレス系特殊攻撃だと。
つまり、奴らは敵だ。まぁ、十中八九そうだろうとは思っていたが、これで確定した。
「侵略しようとするのなら、当然反撃されて死ぬ事もあると覚悟してるよな?」
火蓋は切って落とされた。
さぁ戦おう、死力を尽して。
この命が花と散るか、敵方が死に絶えるまで。
「――武士道とは死ぬ事と見つけたり」
侍は死を貴ぶ。何故なら、死とは己の生き様を貫いた先にあるものだからだ。




