『 仙丹 』
そこは、自由都市フリーデン近郊の山林の中にある岩場。
周りは鬱蒼とした草木に囲まれ、大小無数の岩石が転がっており、そのぽっかりと開けた場所のほぼ中央には小さな舞台のような巨石が鎮座していて、近くの岩間からは清水がチョロチョロと流れ出ている。
「いい所だろ?」
緑が豊かであるが故に濃い空気の中、巨石の上に立ち、天然の修行場を改めて見回しながら、ムサシはちょっと自慢げに言った。
「そうですねぇ……」
そうは言うものの、自力ではついてこれないからとムサシにお姫様抱っこされているミアは、桜色に染まった頬をその胸に寄せて夢見心地。周囲の光景などまるで目に入っていない。
一方、道と呼べるものが存在しない森の中を飛ぶように駆けるムサシに続き、その足跡を正確に辿りながら遅れずについて行く事に全力を費やした双子の姉妹は、ゼーハーと荒い呼吸を繰り返していてとても返事ができる状態ではなかった。
降ろそうとすると何故か名残惜しげに見上げてくるミアを立たせてからしばしの時が流れ、ムサシは、清水を飲むなどして落ち着いた姉妹とミアに、道具鞄から取り出したアイテム――水銀に似た光沢を放つ銀色の丸薬を手放した。
「先輩、これは?」
「俺のオリジナルアイテム、――〔仙丹〕だ。不老不死の妙薬じゃなく、飲めば仙人になれるほうの、な」
えッ!? と思わず小粒の真珠ほどの大きさの丸薬を凝視する3人。
「その〔仙丹〕は、〔アンブロシア〕を主原料として膨大な霊気を物質化したものだ。経口摂取すれば体内で霊気に還元され、体内の霊力の密度が増して知覚し易くなる。はっきりと知覚できたなら、あとはそれを手に集めるイメージで収束させて掌から放出すれば良い。それができれば、たぶん知らなかったはずの事を思い出すはずだ」
質問は? と訊くと、巴が、どうすれ良いかの部分をもう一度お願いします、と言うので、分かり易く簡単に言うと、と前置きして、
「その薬を飲む。だいたい10秒くらいで効果が現れる。体内の霊気を感じる。それを臍下丹田から手に移動させて『波ッ!』だ」
ムサシが右掌を前に突き出して形だけやって見せると、3人もそれぞれ形だけ真似してやってみる。それを見て、よし、と頷き、やってみな、と促し、ムサシは3人の得物を預かって巨石の上から降りた。
ムサシに見守られながら、3人は小さな舞台のような巨石の上で横一列に並び、顔を見合わせ、頷き合い、同時に〔仙丹〕を含み、ごくんっ、と飲み込む。
緊張を隠せない3人は、真剣な表情で効果が現れるのを待ち……およそ10秒後、
『――うッ!?』
〔仙丹〕が体内で霊気に還元され、3人のオドの急激な高まりに呼応して大気が震えた。
想像していたよりもきつかったのか、教えられるまでもなく最もオドが安定し易い自然体で立つ3人は、額にじっとりと汗を滲ませ、それでも怯まず目を閉じて己の内側へ意識を向け……右掌を前へ突き出したのはほぼ同時。
ここまではムサシが予想した通りだったのだが――
『――波ッ!』
カッ、と目を見開き、裂帛の気合と共に霊的衝撃波を放った。
それは、武術スキル無手系初伝技【衝霊波】のように技として洗練されたものではなかったため飛距離が出ず、3人の間近で炸裂し――指向性を持たず自分達にまで襲い掛かった衝撃波が衣服を引き裂き吹き飛ばした。幸いな事に、【ステータス】の補正と【守護障壁】のおかげで白い柔肌には傷一つない。
ムサシは唖然とし、霊的衝撃波を放った姿勢で束の間放心していた下着姿の乙女達は、それぞれが自分以外の2人の姿を見て、まさか、といった面持ちで己の躰を見下ろし、きゃあッ!? と悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。
その様子を見て、ムサシは咄嗟にクルリと背を向け、
「――あっ! は、反射的に情けない声を出してしまいましたが、大丈夫ですッ! これは下着ではなくビキニアーマーですからッ!」
そういう事なら、とクルリと躰の向きを戻す。
それと同時に納得した。それ故に、その小さな布地は残り、アニメならどこからともなく光か影が差すような事態にならなかったのか、と。
鎧と呼べるような装甲はないが、よく見てみると、躰に張り付くようにフィットしていて柔らかそうに見えるが金属的な光沢があり、金糸や小さな宝石などで高貴な品格を感じさせる装飾が施されている。
注視した際に能力【調査】・技術【鑑定】が自動発動して、〔女傑の聖戦鎧〕という名称がAR表示された。少し気になって開いてみた説明欄には、『女傑族の戦士が聖なる戦いへ赴く際に身に纏う装具』とあった。
巴のものは青紫色を、静のものは赤紫色を、ミアのものは純白を基調としており、布地の面積も形状も大差ない。なのに、巴のものは白兵戦中に服が破けた場合の事を想定しているのか、やや多めの装飾がさりげなくビキニアーマーである事を主張しているのに対し、静とミアのものは、ビキニアーマーだが下着の代わりとして身に付ける事を前提としているようで、猛々しい印象を想起させるアイテム名とは裏腹に、控えめな装飾が慎ましさと可愛らしさを演出している。
製作者の強いこだわりを感じる作品を鑑賞していると、不意に巴が全身を紅潮させてやや内股でかすかに震えている事に気が付いた。どうやら、大丈夫だというのは強がりだったらしい。静は立ち上がったものの恥ずかしいらしくもじもじと躰を揺すり、ススス……、と巴の陰に隠れた。ミアは、俯いてぺたんと座り込んだまま耳と言わず全身を桜色に染めている。
遅まきながら配慮に欠けていた事に思い至り、改めてクルリと背を向けるムサシ。嫌なら嫌と言ってくれればいいのに、と思いつつも口には出さず、何か羽織るものをとメニューをAR表示して【アイテム】で道具鞄の中のものを検索し……ふと思いついた。
「なぁ、昔の装備、今ある?」
「は、はい。魔法鞄の中にあります」
巴はそう答え、静とミアも同様であるらしい。
「なら、この機会にそっちへ戻そう」
服が消し飛んでしまったのは、おそらく【ステータス】の補正を受けた彼女達の力に格下の装備が耐えられなかったからだ。
確認してみると、3人共なんとなくではあるが、体内霊力を制御する感覚を掴めたようなので可能だろう。少なくとも試してみる価値はある。
ムサシは3人に背を向けたまま、装備にオドを込めて覚醒させる方法を説明した。
結果から言ってしまうと、3人共オドを込めてかつての装備を覚醒させる事に成功した。
「……不思議です。なんと言うか、本来在るべき自分の姿に戻ったような……」
そう言ってご満悦な巴が身に着けているのは、正統派のメイド服に似て服であると同時に鎧でもある〔近衛侍女の戦闘衣〕。
両手には〔武士の籠手〕。
両脚には〔武士の脛当て〕。
ゲーム時代は装身具扱いだったエンジニアブーツ型の〔ヴィーザルの靴〕と〔摩利支天の護符〕。
主武装は大薙刀〔岩盤融〕。
ガンベルトで右腰に提げられている副武装は、彫刻が美しい中世の先込め式拳銃に似た魔導銃〔スタンボルト〕。
純白のエプロンや髪留め、ふわりとスカートが翻った時に覗くガーターストッキングなど、その姿は見間違えようもなくメイドなのに、ポニーテールは月代を剃らぬ若侍の髷にも見え、踝付近まである濃紺のスカートは袴のようにも見えるため、武者風の防具を着け大薙刀を携えていても不思議なほど違和感がない。
「本当に不思議……。なんて言うか、着慣れたものって感じがして安心します……」
安堵の表情を浮かべてそっと右手を胸に当てている静が身に着けているのは、清浄な白衣と二股に分かれた緋袴を合わせた〔軍神の巫女装束〕。
両腕には左右非対称の〔与一の弓籠手〕。
両脚には〔足軽の脛当て〕。
白足袋に〔仙忍の草鞋〕を履き、〔摩利支天の護符〕を帯に提げている。
主武装は、まだ弦が張られていない和弓〔禍祓いの弓箭〕。
副武装は〔懐刀・嵐馬〕
匕首とも呼ばれる鍔のない短刀を左腰の斜め前で帯に差し、左腕は肩から指先まで、右手は肘から指先までを包む弓籠手に付随し、服であり鎧でもあるいわゆる布鎧の場合のみ自動的に現れる弓道用の胸当てが装着され、歩靫を背負っている。通常、和弓は弦が張られていないと逆側に反っているものなのだが、静が左手で携えているものは透明な弦が張られているかのようにその形状を保ち続けていた。
「…………」
この力がジャッキーと命を失う前にあったらと思わずにはいられず、表情に憂いを滲ませるミアが身に着けているのは、頭部、胴部、腕部、脚部一揃いの典雅な防具〔妖精女王の勝負服〕。
装身具に分類される外套は〔神霊の光煌翼〕。
この世界では武器、装身具のどちらに分類されるのか分からない〔魔導神の指環〕が左手の薬指でキラリと光り、右手でつく〔龍を統べる者の杖〕の8つの宝珠はその輝きを取り戻した。
羽織ったケープは妖精の翅のように透き通り、清楚な麗しさとしっとりとした色香を兼ね備える白を基調としたドレスは、ボタンや金具ではなく綺麗な帯や紐が用いられているためどことなく東洋の趣があり、その麗しさは際立っているが、戦極侍、メイド侍、戦巫女と共にいても違和感はない。
『……ミアさん……綺麗……』
今の浮世離れした美しい容姿にその装備は似合い過ぎている。同性であっても問答無用で魅了された姉妹は頬を朱に染めてうっとりと見惚れ、
「先輩、その……どうですか?」
はにかむミアにそう訊かれたムサシは、
「どうって、装備している本人に分からない事が俺に分かる訳ないだろ」
至極真面目にそう返した。
もし訊かれたのが余人であれば、そのあまりの可憐さに魅了され尽くして何も考えられなくなり足腰が立たなくなっていただろう。しかし、脳が修行モードになっているムサシにとって外観など気にすべき事柄ではない。
「自分の装備について知り尽くし、その能力を完璧に把握しろ。実戦的な修行はその後だ」
【体内霊力制御】を修得した先達として真剣に稽古をつけるつもりでいるムサシ。それに対して自分は浮かれ過ぎだ、と不真面目な己を恥じたミアは、はい、と返事をしつつもしょぼんとうな垂れ、その様子を見ていた姉妹は、ムサシに対する尊敬と畏怖の念を新たにした。
――しばしの時が流れ。
〔名刀・ノサダ〕〔屠龍刀・必滅之法〕を道具鞄にしまって脇差〔妖刀・殺生丸〕だけを佩き、拾ってきた太めの枝を小刀で削って木刀を作っているムサシに3人が声を掛ける。装備を把握できたと言うので、ムサシは指南を始める事にした。
だが、その前に――
「なぁ、俺はとりあえず分かり易いかなぁ~と思って『霊気』って言葉を使ったんだけど、今この世界では『MP』の事を何て呼んでるんだ?」
あともう少しで完成する木刀を小刀で削って整えながら訊くと、巴と静が声を揃えて、
『「MP」です』
「キャラを演じるプレイヤーは、以前から『魔力』や『霊力』」
「『マナ』や『チャクラ』、『プラーナ』って呼んでいる人もいました」
「先輩は『気』とか好きそうですけど、私が読んだこの世界の物語の登場人物達は、人の躰に宿る力を『オド』、世界に満ちる力を『マナ』と呼んでいました」
ムサシは、図星を指されて動揺したが表情には出さず、認識を共有するためにこれから何と呼ぶかを話し合う。
結果、とりあえずこの4人の間では、体内霊力を『気』、体外霊気を『霊気』と呼ぶ事になった。
「〝気〟とは、全ての人間に潜在する力。けれど、大半の人間はその力に気付かず、あるいは引き出そうとしても引き出せずに一生を終える――そんな感じのものらしい」
それを修行以外の方法で引き出し使えるようにしたのが、古の賢者が作り出したと言われている〔ティンクトラ〕なのだが――それはさておき。
「まずは確認だ。今、〝気〟をどんな風に感じてる?」
3人は目を閉じて己の内側に意識を向け……
「……躰の中心にあって……ふわふわとした……温かな塊のような……」
感じたままを口にするミア。巴と静もそんな感じらしい。
ムサシは、やっぱり最初はそんなもんか、と呟いてから、
「そこからどこまで知覚の精度を上げられるかは、それぞれの努力次第。修行方法は瞑想がお勧めだ」
精神を集中し、意識を己の内側に向け、漠然と感じているそれの中心を探るようなイメージで感覚を研ぎ澄ましていくと、やがて血流の影響を受けて体内を循環している〝気〟を感じ取れるようになる。そして、大動脈や大静脈のような太い流れをはっきり感じられるようになると、血管や神経とは別の無数にある〝気〟の通り道――『経絡』の存在を認識できるようになる。
「――で、〝気〟を制御して、より早く、より多く、よりスムーズに循環させられるようになったら【体内霊力制御】を会得したと言って良い。そして、通常は使われずに閉じている経絡を開いて〝気〟を通し、全身の隅々にまで〝気〟を通わせる事ができるようになったら、【体内霊力精密制御】を会得したと言って良いぞ」
話をしながらも作業を続けていたムサシは、小刀を持つ手を止め、左手で柄頭を持つ〔名刀・ノサダ〕と同程度の長さの木刀を一振り、二振りして感触を確かめる。そして、よし、と満足げに頷くと、小刀の刀身を袴で簡単に拭ってから道具鞄にしまい、
「で、【体内霊力制御】を会得したと言える程度に〝気〟を扱えるようになれば――」
そう言いながら完成したばかりの木刀を振り上げ、そのまま振り下ろす――その何気ない動作で繰り出された霊威を帯びた衝撃波が、5メートルほど離れた場所にあった岩を木っ端微塵に粉砕した。
「――御覧の通り、スキルを使わなくても、いわゆる必殺技を繰り出す事ができる。ちなみに、今のは初伝技【旋風斬り】の応用だ」
初見の姉妹はもちろん、ラードーン戦の時はスキルを使っていたと思っていたらしいミアも愕然と目を見開いた。
ムサシは木刀を脇に挟んで、パンッ、と拍手し、3人の意識を砕け散った岩から自分に引き戻すと、それはさておき、と本題に入る。
「これから3人が身に付けるのは【練気】――すぐに放出するのではなく〝気〟を溜める技術だ」
とはいえ、実はもう3人とも一度やっていた。おそらくムサシが口にした『あとはそれを手に集めるイメージで収束させて……』という説明を受けて、直感的かつ無意識に行なったのだろう。だからこそ、掌から放出された霊気が突風のように吹き抜ける、というムサシの予想に反して、間近で炸裂した指向性を持たない霊的衝撃波に巻き込まれて服が弾け飛ぶ、というハプニングに見舞われたのだ。
あとはそれを意識的に行えるようになるだけなので、そう時間はかからないだろう。
ムサシは、木刀を道具鞄にしまい、替わりに取り出した3個の野球のボール程の大きさの乳白色の玉を、ほい、と3人に放った。受け取った乙女らはそれをしげしげと眺めてから、これは? と問う。
「俺のオリジナルアイテム、――〔光石〕だ」
1つ完璧な品を創り出せば、それは能力【書画】・技術【レシピ集作成】でレシピ集に記録される。素材は安価で、工作機械にセットしてレシピ集から指定すれば自動生産が可能なため、《エターナル・スフィア》では名を知られた職人でありながら【体内霊力制御】を会得していないが故に、能力【錬金】や【合成】を必要とするアイテムを製作できない人々に配ろうと思い、昨日、大量に作っておいたものが早速役に立った。
「これは、街灯や店で買える懐中電灯代わりの〔ランタン〕に使われている〔輝光石〕の劣化版で、霊気を蓄えて長時間光る機能がない。だから、こうやって〝気〟を込めている間しか光らない」
まず、ムサシが4個目を手にして実際にやって見せる。少量の〝気〟を流し込むと中心部にほのかな光が点り、〝気〟の量を増やすと光量も増し、やめた途端に消えた。
物は試し。3人も魔法の道具鞄に得物をしまってから挑戦してみると、簡単に光らせる事ができた。
「で、〝気〟をしっかりと溜め、溜めた分をいっきに流し込むとこうなる」
ムサシの掌の上で、〔光石〕が、チカッ、と点滅した。柔らかい光で目に刺さるようなものではないが、それでも一瞬、玉全体が眩しいほどの光を放ってすぐに消える。
早速挑戦してみた。が、3人揃って中心部に薄ぼんやりとした光が点ってしまう。
「それは〝気〟が漏れてるって事だ。しっかり溜めないとそうなる」
そう指摘されて一度〝気〟の流入を止め、光を消してから再度挑戦するが、どうしても薄ぼんやりと光ってしまう。
「溜める〝気〟の量は次第に増やしていけば良い。だから、最初はもっと躰の力を抜いて、グッ、と溜めて、パッ、って感じでやってみな」
そう言いつつ、〔光石〕を持っていないほうの手で、グッ、と拳を作ってすぐに、パッ、と開いてみせる。
『グッ、と溜めて、パッ』
まるで三つ子のように声を揃えてやってみると、一瞬だけ小さな火花のように光が瞬いた。それは辛うじて確認できる程度の弱々しい光だったが、間違いなく成功だ。
思わず顔を見合わせる3人が揃って指南役を窺うと、ムサシは笑みを浮かべて頷き、
「この修行の第一段階は、その『グッ』の間隔を長くする事だ。〝気〟を漏らす事なく完璧に溜められるようになったら合格。第二段階は、一瞬で溜められる〝気〟の量を増やす。さっき俺がやって見せたくらいに光らせられれば合格。その後、どれだけ短時間で大量の〝気〟を【練気】できるようになるかは、それぞれの努力次第だ」
そう告げた後、今の感覚を忘れない内に繰り返すよう指示すると、3人は、はいッ! といい返事をしてそれに従う。
ムサシはしばらくその様子を見守り、3人が短時間とはいえ、しっかりと溜める感覚を掴んだのを見計らって、あとは各人で行なうよう告げた。そして、
「さて、――そろそろ実戦的な修行に入ろうか」
〔光石〕をしまって替わりに取り出した木刀で肩をトントンと叩きながら、無邪気な笑みを浮かべるムサシ。
対する3人は、湧き上がる畏怖の念から、ゾクッ、と躰を震わせた。