妹のため、自分のため
高校から帰ってきて遊びに行こうとしたツトムを玄関で引き留めたのは、中学生になる妹のアヤノだった。
「お兄ちゃん。欲しい物があるのだけれど、買ってきてくれないかな?」
朝から着続けているフードが付いた赤いパジャマ、額に貼った熱冷まし。アヤノは風邪を引いて今日の学校は欠席していた。
「おとなしく寝ていなきゃだめじゃないか、アヤノ」
「ずっと寝ていたから眠くないの。それよりお兄ちゃん、外に行くならあの雑誌を買ってきくれない?」
一度暴れると熊のように手がつけられなくなるアヤノだが、さすがに病気の時はおとなしくしている。アヤノが言った雑誌は月刊の少女漫画誌で、毎月購読しているのはツトムも知っていた。
「熱があるだろう。漫画なんか読んでいると頭が痛くなるぞ」
「読むのは後だから平気。今日発売なのだけど、今月号の付録は人気漫画のグッズがついているの。明日には売り切れてしまうかもしれないから、買ってきて欲しいなって」
普段アヤノはこうやって欲しい物を頼むことは少ない。熱で赤くなった顔で笑顔を作りながら言った。
「わかった。ぼくが買ってきてやるから、おとなしく寝ていろよ。いいな」
ありがとう、という言葉を後ろに聞きながら家を出て、ツトムは自転車にまたがる。
近所にある本屋は自転車で十分程のところにある一軒のみ。メジャーな雑誌なら大抵は揃っている。近隣に住むあの雑誌の読者は皆そこで買い求めることになる。ツトムのペダルを漕ぐスピードが自然と早くなった。
何事もなく本屋へたどり着く。自転車を駐輪所に停め、いざ店内へ入ろうというところでツトムの足は地面に縫い付けられたかのように動かなくなった。
入り口脇に置いてあるガチャガチャのマシン。ツトムの目線はその一点に集中する。景品はかわいくデフォルメされたクマのストラップだった。全五種でそれぞれクマの色とポーズが違っている。
その中の赤色のクマを見た途端ツトムは財布取り出し、雑誌を買っても幾分かの余裕があることを確認する。百円硬貨を取り出し、マシンへ投入してレバーを回す。小さい頃から何度か経験してきたその動作をなぞる。ころん、とカプセルが排出口に現れた。中を開けると青色のクマが現れた。
財布にはまだ硬貨が残っている。迷わずもう一枚取り出し、レバーを回す。今度は黄色のクマだった。さらに追加で硬貨を取りだす。レバーを回す。カプセルを取り出す。黒色だった。ツトムは一瞬目を見張る。五種類の色のどれにも該当しないからだ。出る確率の低い、いわゆるシークレット。それを手にするツトムは顔を曇らせ、ポケットにしまった。
これでポケットの中には青、黄、黒のクマが収まっている。
改めて財布を確認する。使える百円玉はあと一枚。それ以上やると雑誌が買えなくなる。ガチャガチャのマシンを側面から覗きこんだ。まだマシンの半分以上残っていた。その中に赤色のクマは確認できない。少なくとも、視認できる範囲では。
ツトムは硬貨を取りだし、投入した。深呼吸をしてレバーに手をかける。ツトムがここまでガチャガチャに対して真剣になったのは初めてのことだった。ゆっくりとレバーを回転させる。ころん、とカプセルが転がり出る。シュレディンガーの猫ならぬカプセルのクマは果たして――黒色だった。
雑誌を諦めればアヤノが悲しむだろうが、ガチャガチャを回すことができる。赤色のクマが出るかもしれない。その時はアヤノに別の形で埋め合わせすれば何の問題もない。ツトムの頭をガチャガチャと回して出した答えは。
「ありがとう、お兄ちゃん」
アヤノは雑誌を受け取ると、胸に抱えてくるくると回りだす。
「まだ熱があるだろう。静かにしてな」
うん、と素直に返事をしてピースサインを向ける。
フードをかぶって赤いパジャマに身を包み、熱で顔が火照ったアヤノは、ツトムが見た赤色のクマと同じポーズをしていた。
(了)