私のトラウマ
子育てをしている親は、心が揺らいでいては絶対にだめなのです。
配偶者がいなくて独りで子育てをしていたとしても、きちんと子供に目を向けるべきで、他の対象に情念を注ぐなどということはもっての他です。
これは当事者にとってはきついことかもしれませんが、子供の成育にとって、親の揺らぎは致命的な打撃を与えることになるのです。
幼児といえども、小学生といえども侮ってはいけません。中学高校ともなれば尚更のこと。親に対する子供の感受性は敏感です。
私が三歳の時、母の同僚の医師が家に遊びに来られたそうで、そのときその先生は奥様を亡くされ、母のことを再婚相手と考えておられたらしいとのことでした。
幼児だった私は、竹箒を持って追いかけたと、のちのち母が笑って話していました。
その後も母の恋人らしき相手が家に来ることがずっと続きました。その男の人が私を遊んでくれたとか、これこれしかじかの物を買ってくれたとか母から聞きました。
でも母の傍に居た男の人は、いわば私の敵。
幼い心でも敵に向かって闘う意思はちゃんと持ち合わせているものです。
黙って母の横に付いて歩いていても、父親なら自分を真ん中にして歩いてくれるだろうとか、結構色々と感じているのです。
私にとっては顔さえ覚えていない母の恋人達。彼らの顔を消している私のトラウマ。
顔のない人ばかりの名前が浮かんできます。そこはかとない敵意をもって。
私はその人達から優しさをもらった記憶も、笑顔をもらった記憶もありません。
だから大人になっても、他所のおじさんと思える年恰好の男の人は嫌いでした。その後も私が年上の男性を拒否する気持ちがあったのは、まさしくトラウマと言えるでしょう。
おじさんというのは自分には冷たい視線を向けるもの。自分に対して決して愛情は持ち合わせていない人間。そういう感情がインプットしたのは間違いないと思います。
私が男の人と気安く物が言えるようになったのは、自分が年をとって、自分よりかなり年下の人が大人になった頃でした。
私が結婚して子供が小さい頃、借家を幾棟か建てました。
その借り手を決めるのは私の役目でした。何故なら、私が借り手の主人の年齢にこだわっていたからです。
中年の夫婦を入れる、と夫が言い張ったときも、私は絶対に妥協しませんでした。五軒の貸し家は全部新婚さんで埋まりました。若い人ならとても気安く話ができました。
トラウマを抱えた人間を育てるのは、今子育てをしている若いママさん達なのです。なおざりの子育ては、なにがしかの、いびつな人間を育てているということを感じています。




