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浜甲子園での生活

 私にとって学校はとても楽しい所でした。沢山の友達に囲まれ、先生は優しく接して下さいました。

 父の居ない私に、「自分をお父さんと思いなさい」と言って下さったのは、まだ若い杉本先生でした。

 学校から帰る時、チンチン電車を降りて、帰り道が一緒だった小林さんという友達ができました。小林さんの家は浜の堤防沿いにあり、私は毎日のように遊びに行っていました。玄関を入ってすぐの応接間には、スタンドピアノがありました。 お母様はふっくらした顔の、大柄なとても優しい方でした。私が遊びに行くと、三人の子供達と同じようにおやつを出して下さり、私は夕方まで遊んで帰る日が続きました。


 夏休みになると、母の居ない日中は独りで浜甲子園の浜に出て過ごしました。

夏の間、浜は賑やかな海水浴場となり、出店も作られました。私は小さな網の袋に入った塩豆を買うのが楽しみでした。

 夕方海水浴場が閉められると、静かになった浜で貝を拾いました。聞いていた桜貝があるかもしれないと思って探しましたが、見つけたことはありませんでした。


 家に帰っても、母が会社から帰っていないことが多くありました。そんな時はお風呂にも入らず、夕

食も食べず、そのまま寝込んでしまった記憶があります。


 そのころの母は、四十歳を少し過ぎていたと思いますが、いつも誰か男の人と付き合っていたようで、おそらく子育てよりそちらの方に心が向いていることも多かったのではなかろうかと、今になって 思います。


 小林さんのお宅で遊んで帰る時は、いつも三姉弟が帰り道の途中まで送ってくれました。

 別れて帰るとき、「さよなら」と手を振ってくれたけれど、私は振り向いてはみたものの、なぜか手も振らずプイッと前を向いてすたすたと帰った光景を今でもありありと思い出します。帰っても母がいないかもしれないという思いがそういう態度をとらせたのだと思います。


 寂しい二人きりの暮らしでも、母と一緒に暮らせることは、私にとっては幸せでした。時々神戸や大阪に買い物に連れて行ってもらったり、見たこともない宝塚歌劇や松竹歌劇にも行きました。


 一度田舎の母の実家に帰ることがありましたが、その時には洒落たオーバーを着て、赤いベレー帽を被って帰りました。

近所の子らはそういう格好はしていませんでしたし、すっかり関西弁になった私に驚いていました。




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