第九十九話 船団
クウヤの足取りは重かった。いつも以上に。魔戦士になれる確実な保証がないうえに、なれたとしても何らかの形で公爵と直接対峙しなければならない。自らの進言とはいえ、なんと言う選択肢を選んだのかと今更ながら後悔している。
暗い沈んだ気分のまま、もといた控室へ戻る。この先どう転んでも自分の行く先にあるものは苦難以外何物でもない。そのことがまるで重い荷物を背負わされたような疲労感をもたらしていた。
大きなため息をついて、控室の扉を開ける。扉は重々しい音を立て、ゆっくりと開く。部屋にはそこにはいつもの仲間が待っていた。
「よう、思ったより早かったな」
「お帰りなさい、クウヤ。帰ってきて早々何ため息ついているの?」
「クウヤくん大丈夫? 何かとっても疲れているように見えるけど……」
三者三様の出迎えに抱えていた暗い気持ちが少し楽になる。そんな自分が少し恥ずかしく、思わず虚勢をはり、答えるクウヤ。
「……ま、まぁな。陛下との話が思いの外、早くすんだんでね。だけど、陛下との謁見はいつもながら疲れるね」
いつも通りの仲間たちを抱きしめ、大声で泣きたくなる衝動を感じたが、そこはこらえた。そんなことをすると仲間たちが余計心配するだけだろう。それ以上に自分の感情をさらけ出すのが恥ずかしく思えた。
「帰ってきて早々で悪いのですが、荷物を船まで運んでくださいな。まだ部屋の隅に置いてあります」
ルーは戻ってきたばかりのクウヤに荷物運びを指示する。いつもなら、嫌味の一つでも出るところだったが、このときは違った。さりげなくクウヤを思うやり取りに心の中で感謝する。
「ん、わかった。船はもうすぐ出るのかい? みんなの荷物は積み終わったみたいだけど」
部屋の中を見渡すと、クウヤの荷物以外は部屋の備品ぐらいしかなかった。エヴァンはそんなクウヤにやたら胸を張って、荷物を運ぶよう勧める。
「ああ、俺たちはもう済んでいる。お前が帰ってきて荷物を積み終わるのを待って出港の手はずになっている。なんでサッサと荷物を積んどくれ。船長がしびれを切らしてるんでね。早くしないと航海中何させられるかわからんぞ」
エヴァンはそういうと親指を立てる。エヴァンが掛け合って、出港時間を遅らせていた。ウィンクし親指を立てるエヴァンにいつもとは違う頼もしさを感じた。
「そりゃ大変だ。急いで船に向かわないとな。行こうかみんな!」
仲間とのやり取りで、暗く沈んだ気分が晴れたクウヤは本当に仲間がいることに感謝していた。
――――☆――――☆――――
船は魔の森へ向かうクウヤたちを載せ、トゥーモの港を目指す。魔の森を踏破するための人員と合流し、必要な物資を受け取る手筈になっている。トゥーモの港まではリゾソレニア支援船団と同航することになっていたが、クウヤたちの乗る船は出港すると大急ぎで船団を追い、やや遅れて合流した。その時点で船団は一旦編成を組み直す。クウヤたちの船は船団の中心付近に移動し、改めて船団は目的地へ向け航行しはじめる。何の問題もなく、海原を滑るように航行する。
クウヤは船のデッキから、遠くなるマグナラクシアの港を見つめている。彼の脳裏には様々な思いがかけめぐる。少なくとも、彼の前途は意気揚々たるものではない。目の前に立ちふさがる障害を一つ一つ潰していかなければ、彼に未来はなかった。
そんな思いを抱えている彼にはふとしたきっかけで、沈みこんでしまう。大海原を見ていると物思いに耽ってしまい、ついつい憂鬱な気分を招き寄せてしまう。
「いよっ、大将! 何黄昏れているんだ?」
エヴァンがクウヤに声をかける。クウヤは訝しげに声の主の方を向くが、その主がエヴァンと分かるとがっくりと肩を落とす。
「……なんだ、エヴァンか」
「『なんだ、エヴァンか』とはずいぶんなご挨拶だなぁ……。今回の遠征はお前さんが主役なんだろ? 主役がそんなしけた顔してちゃぁ士気に関わるんじゃねーの? もっと堂々としていたほうがいいと思うぜ。おらおら!」
エヴァンは両手の指を魔物の触手のように怪しく動かし、クウヤににじり寄る。クウヤは身の危険を感じたが、すでに時遅し。哀れクウヤはエヴァンの魔の手の犠牲となった。エヴァンの両手がクウヤの脇を襲う。
「うわっ、ちょ、まて! おい、こら、やめろっ! エヴァン、てめぇっ!」
なんとかエヴァンの魔の手から逃れたクウヤはエヴァンを追いかける。エヴァンとクウヤはデッキをところせましと駆けずり回る。
そのお子様二人を見つめる目があった。ルーとヒルデである。ルーは半ば呆れ、ヒルデはうらやまし気に二人の追いかけっこを見ていた。
「……ホント、子供よねあの二人」
呆れ顔のルーがボヤく。傍らにいるヒルデは何か言いたそうにしているが、何も言わないで微笑むだけだった。
ヒルデにはエヴァンがただ脳天気にじゃれ合っているようには見えなかった。ハッキリとした考えとして言葉にはださないが、エヴァン自身が直感的に何かを感じた結果の行動だろうと感じていたからだ。ただそのことを口に出すのははばかられた。エヴァンは本能的に行動しているのであり、論理的に自分の行動をコントロールしていないし、そのことを指摘してもまったくの無意味だからである。それでも、ヒルデはそんなエヴァンをまぶしそうに見つめていた。
クウヤたちのバカ騒ぎとは関係なく船団は穏やかに目的地へ向けて航行していた。
突如、船団の一隻が船団から離脱し始めた。その船から銅鑼の音がけたたましく鳴り、船団全体に響き渡る。エヴァンがその異変に気づき、目を凝らす。
「……ん? クウヤ、あれを見ろ!」
「なんだ……? あ、あれは!」
離脱した船を見ると、船員が黒い影に襲われていた。空から、海中から黒い影が船を襲う。船上では船員が黒い影と戦っている様子が見える。黒い影は魔物だった。その船は船団の一番外の最後尾にいた船だった。そのため真っ先に魔物の標的になった。船上である者は海へ投げ落とされ、ある者は魔物に襲われ……喰われていた。その間も銅鑼は狂ったように鳴り響き、銅鑼の音はその船の断末魔であった。
「クソっ! こんな時に魔物の襲撃とは……!」
クウヤが悔しがっていると、襲われた船と船団の距離がどんどん離れていくことに気づく。襲われた船が舵を切って離脱する方向から、できるだけ距離を取る方向に船団が舵を切っていた。しかも速度を次第に上げている。
「……襲われた船がどんどん離れていくぞ! 助けに行かないのか?」
クウヤは舵を握る船長のところへかけよって、叫ぶ。
「なんで、助けに行かないのですかっ! あのままでは乗員がみんな魔物に……!」
クウヤは最後まで抗議の言葉を口にすることができなかった。皆まで言う途中に船長に制された。
「……行っても、もう助からん。今できることは被害を最小限に抑えることだ。向こうの船長もそれがわかっているから、銅鑼を鳴らし、舵を向こうへ切ったんだ。彼らの犠牲を無駄にしてはならん。これが最善の方法なんだ! 余計な手出しはするなよ」
襲われた船に火の手が上がる。襲った魔物が炎に巻き込まれ、逆にあわてふためいている。その船は魔物たちに襲撃の代償として、命を差し出すよう強要していた。やがて、船は大音響とともに爆発し、海底に向け航路を変更する。魔物たちもその死出の旅ならぬ、死出の航海に強制的に付き合わされた。
「……よく見ておけ。我々のそばには常に死神が手ぐすね引いていることを忘れるな。あの船の連中はそれを見せてくれたんだ。お前がするべきことは何かわかっているよな?」
船長の言葉にどう答えていいのか分からず、拳を握るクウヤ。船長はそんなクウヤの肩に手を載せ、彼を諭す。
「……お前は先へ進まねばならん。どんな犠牲を出しても……だ。お前の背負っているものは重い。だからこそ、つまらないことで死ぬなよ。生き延びるんだ、どれだけ屍を踏みしめたとしてもな。覚えておけ」
そう言われ、ふと視線を海に向けると、襲われた船が沈んだと思われる海域には燻る木片が漂うだけたった。
「……せめて、生存者の捜索を……」
「できん。現状で一番の選択はいち早くこの海域からいち早く離脱することだ。捜索している暇があるなら、いち早く離脱することだ。諦めろ」
クウヤは食いしばる。己の無力さに拳を握る以外にできることを見つけることができなかった。
「魔物だー! こっちにもきたぞー!」
船を襲った魔物の生き残りが、船団を追いかけてきた。黒い翼を生やし、鳥顔の魔物がどんどん迫ってくる。
「……くそったれがぁぁー!」
クウヤは忌々しげに魔物に向かって叫ぶ。空飛ぶ魔物数匹、どんどん船団との距離を詰めてくる。その後を海中の魔物が追ってくる。海中の魔物は鱗まみれの顔を海面に上げ、船団に迫る。
船団との距離が詰まると船団の船から魔物を迎撃すべく、弓矢での攻撃が始まる。素早い空飛ぶ魔物にはなかなか当たらない。
魔物の数がそれほど多くないので、矢を絶え間なく打ち続ければ船団から引き離すこともできたであろう。しかし、今回のリゾソレニア支援は急な話しで兵員の編成が間にあわす、物資輸送専門の船団であった。その上物資輸送を先行させたため、乗船している兵員は少なかった。そのため矢を打てる人間が足りない。やむを得ず、魔法を使える者は詠唱を始めるが実戦経験が乏しいのか詠唱は遅い。なんとか魔法を発動させても、魔物までの射程の見切りが不十分で、魔物にほとんど当たらない。
そんな姿を見て、クウヤはもうだまっていられなかった。
「みんな、やるぞ!」
見るにみかねたクウヤが仲間に声をかけ、独断で戦闘を始めた。
「ルー、ヒルデ! 魔法で落とせ! エヴァンは船に上がってきたヤツらを潰せ!」
クウヤ、ルー、ヒルデは魔法で魔物を次々と撃墜していく。エヴァンは海中から船上に飛び上がってきた魔物を次々と屠っていく。空飛ぶ魔物があらかた片付くと、エヴァンとともにクウヤは海中から船に飛び込んでくる魔物を屠る。
「こいつらが出てこなければっ!」
クウヤは渾身の力を込め、剣を振るう。クウヤの剣は魔物の身体を覆う青みがかった玉虫色の鱗を叩き割り、その肉を、骨を断つ。
「終わりだっ!」
クウヤによって斬られた魔物は跪き、その動きを止める。クウヤはその瞬間を逃さず、首を狩る。魔物の首の断面からは得体のしれない液体を間欠的に撒き散らし、魔物は甲板に崩れ落ちる。そのうち船員も魔物の掃討に加わり、程なくして船上に上がってきた魔物を全滅させた。
しかし、興奮冷めやらぬクウヤは、何を思ったのか倒れた魔物を剣で切り刻み始める。手当たりしだいに、甲板に転がる魔物を切り刻む姿は何かに憑かれたようだった。
「おいクウヤ、もう終わった! そいつはもう動かないぞ。クウヤ、やめろ! やめるんだ!」
エヴァンにそう言われ、我に帰るクウヤ。クウヤは肩で息をし、剣を杖代わりにしながら、周りを見回す。甲板上には魔物の体液とどす黒く変色した人の血だまりが散らばり、船員と魔物の亡骸が転がっていた。
「クウヤ、終わりだ。中に入って休め。もう終わったんだ。いいな、もう終わったんだ……」
船長にそう言われ、クウヤは肩を落とし船室へ歩き出す。
「……あいつ、どうしたんだ? あんなこと今までなかったぞ」
エヴァンが嘆くようにつぶやく。概ね他の二人も同意見だった。
船団はその間もトゥーモに向け、航行していた。




