第七十七話 一時の平安
クウヤはソティスに詰め寄られ、魔の森の出来事を打ち明けさせられる。その後クウヤたちは食堂に移動する。様々な困難の合間の一時の平安。
ドウゲンの執務室を出たクウヤはソティスを廊下で見つける。彼女は執務室の扉の前で何かを待っているようだった。
「ソティス、どうしたのこんなところで? 父上に呼ばれた?」
ソティスは微妙に苦笑し、やんわりと否定する。クウヤは思い当たることがなく不思議そうに彼女の顔を見る。
「……クウヤ様をお待ちしておりました。参りましょう」
「しかし、なんで僕のことを待っていたんだい? 何か話でもあるの?」
クウヤがそう問うとソティスは神妙な面持ちで彼のほうに向きなおす。
「ええ。若干気になることがいくつかありまして。内々にクウヤ様から直接お話をお聞かせ願いたいと思い、お待ちしておりました」
「何の話だい? 隠し事はしていないつもりなんだけどな……」
クウヤは「何のことだろう?」と必死に頭を回転させ、ソティスに話さなければならないことがあるかどうか思い返す。そんなクウヤの様子にソティスは再び苦笑する。
「……魔の森で起きたことについて詳しくお話しください」
「魔の森での……? 何か話すことあるのかな? 大体のことは聞いているんだろ、どっかからかは知らないけど」
若干、おどけてソティスに聞き返すクウヤ。両手を広げ、くるりと彼女に背を向ける。ソティスはそんなクウヤの態度を受け流し淡々と答える。
「概要だけです。詳細については存じ上げません。特に魔の森でクウヤ様が行方不明になっている間のことについては、クウヤ様から直接お聞きしない限り知りようがありません」
ソティスの淡々とした対応から、はぐらかすことができないと悟ったクウヤは大きくため息をつく。
「……話さないとダメ?」
「はい」
「……どうしても?」
「はい」
「……」
「クウヤ様、お話しください」
言いようのない圧力をソティスから感じたクウヤは何とかその場を逃れようと努力する。
ソティスは腕を組み、クウヤをジッと見つめる。クウヤは視線をそらしたり、少しずつ横へ移動したりしてみる。
彼女は腕を組んだまま、目でクウヤを追う。どうやっても彼女の視線の追跡を逃れることはできなかった。無駄な努力と悟ったクウヤは大きくため息をつく。
「わかったよ。とりあえずここじゃなんだから、図書室へ」
そう言って二人は図書室へ向かう。ソティスはいつも通り、楚々とした姿で歩いていたがクウヤはがっくりと肩を落とし、戦に負け虜囚となった敗残兵のような雰囲気を漂わせていた。
――――☆――――☆――――
「――――ということがあってね。遺跡から脱出できたはいいけれど、厄介なことに関わらざるを得なくなったんだ」
クウヤはソティスに魔の森の顛末を洗いざらい話す。彼女に対して隠し事をする必要はなかったからだ。変に隠し事をしては後が怖いという理由もあったが……。
「そうなんですか……そのことを話したのは? エヴァンたちには?」
「父上と学園長には話したけど、エヴァンたちにはまだ詳しいことは話していない。それを話すといろいろまずいし……まだそのときじゃないと思うんだ」
そういうとクウヤは伏し目がちになる。クウヤは造られた存在で、自然に生まれた人間ではなかった。そのうえ、転生者である。
この世界では転生者は魔族と同様忌み嫌われる存在であった。諸悪の根源とされる大魔皇帝が転生者といわれているたことが一番の理由である。自らが転生者だと公言することは大魔皇帝の眷属――諸悪の根源の眷属――と公言することに等しかった。そんな重大な事実を簡単に仲間たちに告げる勇気はクウヤにはまだなかった。
ソティスは少し瞑目し、考える。
「……そうですか。状況は分かりました。当面遺跡内の話は隠す以外なさそうですね。それでこれからどうなさるおつもりですか? やはり魔戦士に……?」
ソティスはまっすぐクウヤを見つめ、問う。クウヤはソティスをまっすぐ見る。その眼には悲壮な色がこもっていた。
「……魔戦士にならない選択肢は……ないみたいなんだ。僕の『意味』がないんだ、魔戦士にならないと。『人』でない作られた存在……魔戦士となるための『生きた人形』だから……」
ソティスは黙ってクウヤの話を聞いていた。図書室には冷え切った重々しい空気が流れる。
「……クウヤ様。そうですか……何を申し上げていいかわかりませんが……」
珍しくソティスがためらっている。彼女にも、物扱いされた経験があった。人と亜人の混血である彼女は幼い時より『人』扱いされることは少なかった。転売され、慰み者として醜業に従事することもしばしばだった。時に暗殺にも使われた。使い捨ての道具として。
その過去とクウヤの状況とが重なる。夢も希望はなく、ただあるのは諦めと空虚な思い……。
それゆえ、彼女はクウヤにはそんな『闇の世界』に生きてほしくはなかった。
「クウヤ様……大丈夫です。クウヤ様は『生きた人形』ではありません。そんなことは絶対にありません」
ソティスの口から発せられた静かに、しかし力強く低く、しぼりだされるような声はクウヤの心に響く。
「……ソティス、ありがとう。言葉だけでも――」
「言葉だけではありません! クウヤ様はクウヤ様です! けっして『生きた人形』ではありません! このソティスが保証します。そんなくだらないものではありません! だから……だから……」
クウヤの自嘲するような感謝の言葉を遮ったソティスは懇願するように声を上げる。
「……とにかくクウヤ様、そのような自嘲的な言葉はお控えください。悲しくなります。お願いですから……」
ソティスはじっとクウヤの目を見つめ、両手でクウヤの手をしっかり握り懇願する。クウヤは目を逸らすこともできず、戸惑うばかりだった。
「……わかったよ、気を付ける。んで、これからどうしようか? どちらにせよ今の段階ではみんなには事の顛末を全部話すわけにはいかないし」
「クウヤ様としてはどうされたいのですか? それが一番大事です」
「そうだな……できることなら、何の隠し事も無く、みんなとずっとバカやって生きていけるなら一番なんだけどな……難しいだろうけど」
クウヤは努めて明るく希望を語ろうとした。しかし、現実が彼を意気消沈させる。現状では彼の未来に明るい未来など描きようがなかった。
ソティスもクウヤの状況については理解していた。それでもあえて彼女は明るく励ます。
「そうですか……それではそうなるためにどうすればよいかお考えください。ソティスはいつでもクウヤ様を応援いたします」
その言葉を聞いたクウヤはホッとしたような、悲しそうな笑みを浮かべる。
「……ありがとう、ソティス。少し気が楽になったよ」
「そうですか。それならばいいのですが」
その言葉を聞き、ソティスはようやくクウヤを解放することにした。
「それでは参りましょう。皆様、クウヤ様をお待ちです」
クウヤとソティスの二人は図書室を出て、エヴァンたちの待つ食堂へ向かう。
ソティスはあいも変わらず、楚々とした歩みであったが、クウヤは図書室へ入るとき時と違って、心なしか少し軽やかな歩みだった。
食堂にはエヴァンたちだけでなく、カトレアと双子がいた。双子を抱いたカトレアを中心にエヴァンたちが囲んでいる。彼らは双子を囲み、歓声を上げている。双子は辺りを見回しながら、手足をばたつかせる。見慣れない人間に興味を示しているようだった。クウヤたちもその輪に加わる。
「うわぁ、可愛い! すごくちっさい手! クウヤくん、見て見て!」
ヒルデが双子を見て感激の声を上げる。目を細め、恍惚とした表情をみせる。
「赤ん坊って、こんなに小さいんだなぁ。初めて間近で見たよ」
エヴァンが腕を組み、しきりに感心する。
「私たちもこんな頃があったのかな……」
他の二人と違い、ルーは誰ともなくつぶやくだけだった。つぶやく彼女の目はどことなく寂しげな目をしていた。
「そうね、間違いなく貴方たちにもこんな頃があったのよ。こんな感じで貴方たちのお母さんたちに抱いてもらっていたはずよ」
カトレアは双子をあやしながら、ルーのつぶやきに応えるようにつぶやく。
「貴方たちの両親はお国で健在なの?」
カトレアは何気なく聞く。エヴァンたち三人は微妙な表情になる。
「……健在と言えば健在……かな。一応、アレも『親』だし」
ルーが何か奥歯にモノが挟まったような言い回しをする。
「あら? 何かご両親とあったの? そんな言い方するなんて」
聖母の笑みを浮かべ、カトレアはルーに尋ねる。
「 私は『妾の子』だから……育ててもらっている以上、文句を言ってはいけないのでしょうけど」
そう言うとルーは押し黙ってしまった。
何とも言いようのない微妙な空気漂い、一時の沈黙が食堂を満たした。
「そっ、“側室”の娘でも一国の代表の令嬢としてきちんと処遇されてますから! こう見えても、るー……ルーシディディ嬢はカウティカの第三公女として、立派に成長されています! ……あの、その……」
大慌てでヒルデがフォローを入れる。特に妾を側室と言い換え、殊更にそこを強調し、カウティカの公女として遇されていると主張する。
カトレアはコロコロと笑い、必死で説明しているヒルデを優しく制する。
「そうなの……そんなに必死にならなくてもいいわ、ヒルデさんだったかしら? ここでは変な気遣いは無用。貴女――ルーさんだったかしら? 貴女の気持ちはよくわかるの。私は貴女と『同じ』だから、大丈夫よ。あなたの気持ちも立場もよくわかるわ」
今度はクウヤが驚き、目を見張る。カトレアのそんな過去を聞くのはこれが初めてだった。
クウヤの驚いている様子に彼女はふっと苦笑いする。
「……クウヤに話すのはこれが初めてだったわね。公爵――お父様が私のお母様を拾われて、生まれてきたのが私ということ。そんな話は人に話して面白いものじゃないわね」
そうにこやかに語る語り口に反比例して話される内容はお世辞もにこやかに聞いていられるものではなかった。
彼女は語る――。
カトレアの母親は元々公爵家に出入りし下働きをする下女だった。それだけなら、公爵は興味を示さなかったが、彼女は類まれなる美形だった。その噂が公爵の耳に入るまでそれほど多くの時間を必要としなかった。
話がそれ終わるのなら誰も傷つくことのない御伽噺の再演ということになろう。しかし現実は常に御伽噺の斜め上をいく。公爵の妾になったはいいが、周囲の取り巻きが自らの欲望と憎悪をむき出しにして、彼女を苛んだ。そんな中生まれたのがカトレアであった。
それでも、彼女はカトレアに「人を恨まず、まっすぐ強く生きること」を教えた。カトレアはその教えを胸に刻み、今日まで生きて生きた。
「――ということなの。あまり面白くもない昔話をしても仕方ないわね。このお話はここでお終い。人が生きるうえで必要なのは過去を恨むことじゃなく、未来に希望を見出すことよ」
いつの間にかルーがクウヤの左横に寄り添い、彼の左腕をつかんでいる。カトレアは目ざとくそんな二人の姿を見つけ、微笑む。
「あらあら、仲のいいこと。クウヤも隅に置けないわね、ふふふ……」
「え? あっ……」
そう言われ、クウヤは動揺し思わずルーのそばから飛びのく。ルーもクウヤが飛びのいた瞬間ちょっと驚いたがすぐにクウヤを恨みがましい眼で見る。
「あらあら、クウヤ。だめよ、女の子には優しくしないと。それから、恥もかかせちゃだめよ。ふふふ」
そういって屈託なく微笑むカトレアは聖母といって良かった。
まだ続きます。お付き合いくだされば幸いです。




