第六十二話 魔の森へ
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「それで今日はどういったご用件で? まさか先日お願いした面会の件ではないでしょうね?」
「面会? 何の話だ。わしはまだそんな話は聞いておらんぞ。何か話があるのか?」
「……ええ、多少ですが」
クウヤはあまり期待せず、学園長に面会の件を聞いてみた。案の定、学園長には書類は回っておらず、面会の話は伝わっていなかった。学園長はとにかく自分の用事を早急に片付けたいらしく、クウヤの話を先延ばししようとする。
「すまんが緊急事案でなければ、それは次の機会に時間を取ってやるから、その時にしてくれんかの? 緊急に君たちへお願いせねばならん事案ができての、そっちを優先させてくれ」
クウヤはヤレヤレといった感じで肩をすぼめる。一瞬、天井を見上げたあと徐に学園長に向きなおした。どうやらクウヤの悪い予感が的中し、厄介事に巻き込まれたようだった。とはいえ降りかかる火の粉は、自ら払い除けなければならないことも自覚している彼は自分の役割を果たすことにした。
「それで『緊急の事案』とは何でしょう?」
学園長はうなずき説明を始めた。
――マグナラクシアは定期的に魔族領近くの魔の森の生態系について学術調査を行っているのだが、ある『モノ』の警告、もっと正確に言えば妨害行為をうけた。執拗な妨害行為により、遅々として調査がすすまなくなった。調査を進めるために対抗措置を取らなければならなくなった――
「……それで調査体制を強化するために君らを呼んだんじゃ」
「おっしゃっていることが今ひとつ見えませんが、端的にいうと調査隊として我々に魔の森へ調査にいけ……ということですか?」
「……端折って言えばそうなるの」
至極当たり前のように答える学園長にクウヤは軽い頭痛を感じ、額に指をあて少しうつむく。
そうは言っても、身に危険がおよぶような要請に対し、簡単に首肯できないクウヤは何か拒否する理由を見つけるため、学園長に食い下がる。
「なぜ我々なのでしょう? 単に妨害の排除であれば、この国にはたくさんの兵士もいるはずですが」
「実のところ、魔族との盟約でな。軍人を魔の森へ入れることができんのじゃよ」
「傭兵などは使えないのですか?」
「連中では“学術調査”には向いとらん。それなりの学識か表向きの身分を持った人間でないと魔族が納得せんのでな。あくまで純粋な“学術調査”である以上、きな臭い人間を混ぜるわけにはいかんのじゃ。その点、君らなら能力的にも、立場的にも申し分ない。魔族の連中もこの学園の生徒である君らなら明らさまに拒否はできんじゃろうしな」
学園長の淀みなく続く説明にクウヤは抵抗虚しく白旗を揚げる以外にないと覚る
「……わかりました。ところで、調査には魔族が同行しているのですか?」
学園長はうなずいた。学園長の話では魔族でも、外の世界を見聞したことのある魔族が護衛と道案内名目で同行しているとのことだった。基本的に魔族は魔族領から出ることはなく、独自の文化、言語、習慣を守り通し、外の世界と交流することを避けていた。おそらく同行する魔族は外の世界からの訪問者の監視が一番の任務だろうとの学園長の推測だった。
「君らなら上手くやれるじゃろ。期待しておるぞ」
学園長は両肘を机の上につけ、手を組みいやらしい笑みを浮かべる。すでにかなりお膳立ては済んでいるらしく、ほぼ完全に外堀を埋められた形になっているクウヤたちに逃げ場はないようだった。学園長は満面の笑みを浮かべ、親指を立てる。それに対し、クウヤは頭を抱えながら大きく息を吸い込み、これ以上ないぐらい大きなため息をついた。
「仕方ありませんね、了解しました。というか、こちらが同意することを前提にお膳立てしていたんでしょう。全く油断も隙もありゃしない……。ま、お引き受けする以上やることはやりますが……。しかし、調査を妨害する『モノ』とはいったいなんなんでしょう? 正体は分かっているのですか?」
「残念ながら、正体は判明しとらん。調査隊の話によると魔法を駆使し、鞭をふるう女魔道士のような姿らしい。口さがない連中は『血まみれの魔女』が復活したと吹聴しとるが、わしはそうは思わん」
そう言うと学園長は顎を撫でながら何事か考える仕草をする。クウヤは学園長の口からどんな名前が飛び出すのかと警戒し心持ち身構えた。
「魔法を駆使し、鞭をふるう女魔道士にちょっと心当たりがあっての」
「心当たり……?」
「ああ。ヴェリタのソーン。あの女かもしれん……。あの女が責任者をやっておったどこかの研究所か何かが盛大な事故を起こして失脚した後、行方不明なっとったのが再び姿を現したらしい」
「……ソーン」
クウヤはその名前を聞き、一瞬気が遠くなるような感覚に襲われた。その様子を学園長は見逃さなかった。
「何か思い当たることでもあるのか?」
「いえ、特には……」
クウヤはあのヴェリタの訓練所の悪夢を思い出していた。孤児たちを生きた魔法兵器と化したあの悪夢を創りだした張本人がまだ生きているというだけで身の毛がよだつ思いだった。とは言うものの、そんな過去を学園長に悟られることないよう表情には極力出さないよう、感情を押し殺す。
(あの女まだ生きていたのか……。あのとき死んだと思ったのに……)
クウヤは初めて聞いた名前のように学園長に質問を重ねる。
「そのソーンとかいう魔道士の情報はやはり、『火種と火消し』が……?」
「いや、その情報は他のルートじゃ。リゾソレニアのヴェリタ教の組織内に潜伏させておる諜報員からなんじゃがな」
「ソーンはまだヴェリタの支配下で?」
「そこがよくわからんのじゃ。情報が錯綜して判然とせん。少なくとも、ヴェリタが完全に制御しているというわけではないらしいということぐらいじゃな、今のところ。……しかしずいぶん熱心に尋ねるの。なにか気になることでもあるのか?」
「いえ特には……」
押し黙り、何も告げようとしないクウヤの様子に学園長は何か探るような視線を彼に一瞬送った。だがすぐに表情を崩し、好々爺ぶってにこやかにクウヤたちを励ます。
「ま、無理無茶は禁物じゃが、がんばってくれよ。他に何か質問はないか? 他の三人はどうかね?」
学園長はクウヤ以外の三人に話を振る。突然話を振られた三人は少し戸惑う。
「……あの、授業とかはどうなるのでしょう? 調査隊としていくとなるとそれなりに長期間授業を休むことになると思うのですが?」
四人の中で一番の常識人であるヒルデが“本業”への影響を心配する。クウヤはそう言われて、初めてそんなものもあったなという顔をする。クウヤのその表情を見て、ヒルデは苦笑する。
「授業のことは心配せんでええ。調査活動を授業の単位に読み替えるよう事務方に指示を出しておく。実技についても同様じゃ調査隊へ行ったからといって不利なことにならないよう手配しておくから何も心配せんでよいぞ」
「調査中に魔物を倒したら、報酬はもらえるのですか?」
エヴァンが割り込んできた。エヴァンはどうやら、魔物討伐ができるものと期待してウズウズしているようだった。
「もちろんじゃ。それなりに報酬はだそう。ただし、調査優先じゃぞ。努々、魔物討伐に没頭して調査を忘れることのないようにな」
好々爺然として学園長はエヴァンに答えた。しかしエヴァンにしっかり釘を指すことも忘れなかった。
「……こんなものかな? もう質問はないかな?」
言いたいことをいい尽くした学園長は話を切り上げようとしたが、ルーがそれを止めた。
「魔族領や魔の森で見聞きしたことは、全て口外してもいいのでしょうか?」
意外な人物から意外な質問が出たことで学園長は好々爺然とした表情を崩しかけた。
そこは老練な為政者、すぐに表情を戻し冷静を装う。
「……そうじゃなぁ。すべてをというわけにはいかんな。口外してもいいことについては後から伝える。それまでは口外を控えてもらおうかの……。魔族との信頼関係にも影響するかもしれん。この国を代表して彼の地を調査するのだから下手な発言は控えてもらわんとな」
何か奥歯に物が挟まったような歯切れの悪い言い方ではあったが、調査中に見聞きしたことについての箝口令が出された。
「簡単な訓練と注意事項についての講義をうけてもらった後出発する。予定は後から連絡するので確認しておいてくれたまえ。それでは期待しておる」
学園長はそういうとクウヤ以外を退室させた。三人が退室したあと、徐ろに口を開いた。
「クロシマ君、気をつけるのじゃ。どうやら、君の国の公爵が不穏な動きをしてるという情報が入った」
「公爵が……? 分かりました。しかし公爵が今回の件と何か関わりが……?」
「まだ、確証は掴んどらんが公爵が魔の森にえらく執着しとるらしくてな。例のソーンとも何らかの繋がりを持ったらしい」
クウヤは大きく首肯し、学園長室を退室した。
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「……しかし、なんだか大げさな話になったな」
「そうねぇ。国を代表するような調査団の団員になるって結構緊張するのね」
普段脳天気なエヴァンでも直面している事態が困難なことを直感していた。当然、常識人のヒルデはかなり肩に力が入っていた。
ただ、ルーはヒルデとは若干違っていた。何か腹案があるのか、頻りに考え事をしなかがら歩いていた。クウヤは何か変に気負っている二人を落ち着かせるために少しおどけたように気楽に考えるように促す。
「ま、しょうがない。適当にやりましょう、適当にね。大人の調査員もたくさんいるんだ。目立たぬようにじゃまにならないようにしていれば問題ないんじゃない?」
なぜかしら、クウヤは二人に変な目で見つめられた。彼としては納得の行く反応ではなかった。
「……ま、クウヤのいうことも強ち間違いではないと思う。そんなに気負っても私たちにできることなんて限られているんだから、ややこしいことは大人に任せちゃってもいいんじゃない?」
意外な人物がまた意外な発言をしたことで、エヴァンとヒルデの二人だけでなく、クウヤも驚きを隠せなかった。そんな三人の反応にルーは不満な顔をする。
何はともあれ、彼らはこの後、調査隊派遣前の事前訓練で泣きを見ることになる。それはまた別のお話……。
ともかく、彼らは魔の森へ向かうこととなった。




