第一四七話 轟音
魔導学園学園長の執務室。この部屋はマグナラクシアの元首の執務室でもある。学園長であり、マグナラクシアの元首であるツォティエ=ティエンレンはマグナラクシアが誇る諜報組織「火種と火消し」の諜報員から報告を聞いている。
「――とすると、計画通り脱出には成功したんじゃな?」
飄々とした見た目とは裏腹な眼光鋭い視線は諜報員を射る。諜報員はその視線に動じず、淡々と報告を続けた。
「は。例の船で現在マグナラクシアへ向け航行中との報告を受けております」
学園長は息を吐き出し、一瞬安堵した表情を見せる。
「それであの子たちはいつ到着するのかの?」
幾分緊張度の下がった口調で聞く。
「一両日中にはと思われます。何分現在船の速度があまり上がらないとのことで……」
報告をしている諜報員は少し口ごもる。学園長はそれを見逃さず、左の眉をわずかに上げる。
「……それで船は無事に戻って来れるのか?」
諜報員はやや慌てて、報告を続ける。
「そ、それについては問題ないとのことです。偽装を切り離すときに船体が損傷したとのことで大事をとっての措置とのことです」
学園長はその報告を黙って聞いたあと、徐に口を開いた。
「そうか……ご苦労じゃった。連中が戻ってきたら十分労ってくれんかの」
「了解したしました。それでは」
諜報員は一礼し、執務室を後にした。
学園長は諜報員がいなくなると大きなため息をついた。
「……まったく世話の焼ける連中じゃのぉ。ま、とりあえず無事マグナラクシアへ戻ってこれそうで何よりじゃわい」
ひとり呟くと、いつもの執務を始めた。
――――☆――――☆――――
そのころ、クウヤたちはマグナラクシアが誇る例の特殊な魔導船内にいた。
「最初、どうなることかと思ったけど……」
ルーがこの船を操る制御室の内部を見渡しながら、つぶやく。
「しっかし、まだ信じられないぜ。船ってよ、水面を走るもんだろ? いきなり海の中へ潜るって言われて驚いたぜ。いきなり沈んだかと思った」
エヴァンが感嘆の声を上げる。彼もルーと同じように制御室内を不思議そうに見渡す。
この船はこの世界では他に存在しない機能を持った船だった。この魔導潜航船と言うべき船はマグナラクシアの秘匿船中の秘匿船だった。他の国では船を水面下へ沈めて航行するなど発想すら出なかった。
「クウヤくんの仕掛けってこの船のことだったのね。私も驚いちゃった」
ヒルデもこの船に驚いている。
「そうだろ、俺も先生からこの船の話を聞いて驚いていたところなんだ。まさかマグナラクシアが潜水艦を持っていたなんてなぁ」
クウヤも他の三人と同様、驚きを隠さない。
「それはそうでしょう。この船は我が『火種と火消し』が秘匿する装備の中でも特別なものですから」
するとこの船の船長がクウヤたちに自慢げに話す。
「諜報員を他国に送り込むのに他国の商船などに身分を偽って乗船させることも可能ですが、今回のような緊急の場合ではその方法は使えないんです」
船長の話によると、緊急に他国からの諜報員の潜入や引き上げの時にはやはり自前の船のほうが自分の都合に合わせることができる分、作戦の自由度が大きく変わってくるとのこと。特に緊急の作戦の場合、作戦の成否が大きく変わるという。
「……それで潜水艦にハリボテか。凄いのか凄くないのかよくわからんが」
クウヤは自慢げに話す船長の話を聞きながら、呆れ気味につぶやいた。
「それで、マグナラクシアへはいつ着くのですか?」
クウヤが船長に聞いた。
「あと数日はかかります」
船長は淡々と答えた。
「割りとかかかるんだな。マグナラクシアの魔導船はもっと早く着くのかと思っていたんだが」
そのときだけ、船長は少し悔しそうな表情を浮かべる。
「偽装を切り離す際、多少船体に損傷を受けたようですから、様子を見ながら航行します。そのため航行速度を通常の速度より落としています。まぁ当面昼間は水中航行しますので、リゾソレニアの連中がこの船を見つけることはありません。ここは安全第一ということでいきます」
クウヤは船長の説明にうなずく。現状ではリゾソレニアの追跡の目をごまかすほうが最優先だったからだ。
クウヤたちを乗せた魔導船は海面下静かに一路マグナラクシアを目指す。
――――☆――――☆――――
潜航船の旅は続いていた。
安全のため、速度を落とし昼間は水面下の航行はクウヤたちには退屈なものとなっていた。船内ですることもなく、気分転換に船外に出て外の空気を吸うということも難しかったからだ。
船室のベッドに横たわり、目の前に迫る天井をぼーっと見つめることしかできない。
「……国に帰れなくなったな」
ルーは潜航船の狭い船室の二段ベッドの上段に横たわり、物憂げにつぶやいた。
「仕方ないわよ……でもクウヤくんたちと合流できたのだからそれで良しとしなきゃ」
ルーのつぶやきを小耳にはさんだヒルデが下段のベッドから声をかける。
「それでこれからどうする? 間違いなく代表は私たちを許さないわよ」
ヒルデはルーに聞いた。当然のことながら、代表の密命を帯びたにもかかわらず、その任務を果たさなかったうえにその標的と逃げているだから、カウティカに戻れる理由がまったくない。
「……でしょうね。できることといえば……亡命……かな?」
ルーも現状を痛いほど理解していた。彼女たちが選ぶことのできる選択肢はほとんどない。
「亡命か……そんな簡単にできるのかな?」
ヒルデの懸念ももっともだった。少なくともルーはカウティカの第三女。かの国の民間人が亡命するのとはわけが違う。
ルーたちの亡命を認めれば、確実にカウティカはルーたちの身柄の引き渡しを要求することになる。第三公女という立場を考えれば、簡単な話にはならない。確実に外交問題となり、カウティカとマグナラクシアとの関係が悪化する。そのうえその要求を拒否すれば当然のようにカウティカは制裁行動にでることは明白だった。
カウティカはこの世界の物流の多くを担う商業国家。少なくとも主要国でカウティカの物流網を利用していない国はない。
ルーが亡命することにより、カウティカがマグナラクシアに対し経済制裁を始めれば、少なからぬ影響が出るのは火を見るより明らかだった。
マグナラクシアとて、緊急事態に備え準備をしてはいる。しかし制裁が長期化すれば、どのような準備をしていても何らかの影響が出るのは間違いない。
年端のいかない少女とはいえ、その存在は外交上大きな存在であることは間違いなかった。ルーにしてみればそのことが重荷で仕方なかった。
「……簡単ではないでしょうね。少なくとも私たちがお父様の密命を帯びて暗躍していたことも公表しなければならないでしょうし、そうなるとマグナラクシアの世論が好意的に受け入れてくれるかどうか……」
ルーは物憂げに嘆く。
「それでも国に戻ることはできない……どんな制裁が待っているのかわからないし……」
ルーは船室のベッドの上で嘆く以外できなかった。
「……クウヤくんに頼んでみる?」
ヒルデは遠慮ぎみにルーへ提案する。
「だめよ! ……クウヤをこんなくだらないことに巻き込んじゃいけないわ。なんとか私たちで――」
ルーの言葉が遮られた。
「るーちゃん! もう私たちの力だけではどうしようもできないのよ。他に頼れるのはクウヤくんだけなの! それは分かっているのでしょう?」
ヒルデは歯に衣着せぬ物言いでルーを責める。
「分かっているわよ! ……分かっている。分かっているけど……分かっているけど……」
ヒルデの言葉がルーの心に突き刺さる。ルーも、もはや自分たちの力ではどうすることもできない状況に追い込まれたこと理解していた。しかし、その一方で自分の問題にクウヤを巻き込みたくなかった。その狭間で揺れ動く感情を押さえることはできない。
「……やめましょう。当面私たちには何もできないし、本国も何もできないわ」
心底疲れたようにルーがヒルデにお願いする。ヒルデもうなずく以外できなかった。
(どうしてこんなことになったんだろう……)
ルーの心は潜航船だった。
――――☆――――☆――――
「やっとか。結構かかったな」
クウヤは大きくため息をついた。
クウヤたちの乗る潜航船がマグナラクシアへ到着した。クウヤは潜航船の狭いセイルにのぼり、間近に迫ったマグナラクシアを眺めている。
「このまま港へ?」
クウヤは船長に聞いた。
「いえ、この船はまだ秘匿指定を解除されていませんので、海軍の港のほうへ向かいます。そこの天井付きドックへ入ります」
マグナラクシアには複数港がある。ただ、秘匿船であるこの船が入港できる港は限られる。形状が特殊であるがゆえに人目につきやすかった。海軍の港であれば、新型の戦闘艦とごまかすこともそう難しいことではないし、場合によっては軍機密ということで押し切ることも不可能ではなかった。
クウヤは一言二言船長と言葉を交わした後、制御室へ降りた。制御室には他の仲間たちも集まっていた。クウヤはもうすぐ海軍の港へ入港することを話す。
「……しかしよ、俺思うんだけど」
エヴァンは妙に神妙な顔で考える顔で話し出す。
「こんな凄い船を作り出せるマグナラクシアなら、何て言うか、一発で大魔皇帝をぶっ飛ばす武器とか作れるんじゃないかと思うけど……」
クウヤたちはエヴァンが何を言い出すのかと多少あきれ顔で彼を見たが考え直すと彼の言うことも一理あった。
「話はそんな簡単じゃない」
どこからともなく制御室へ現れたハウスフォーファーがエヴァンの疑問に答える。
「え? どういうことですか、先生。ものすごい武器を作って大魔皇帝をぶっ飛ばせば話は終わると思うんですが」
ハウスフォーファーはかつての教え子の脳筋的発想に苦笑いして答えた。
「それだとマグナラクシアだけが著しい力を持っていることになる。そうなればその力を巡って他の主要国との争いの元になる」
ハウスフォーファーは脳筋の教え子にかみ砕くように説明する。
ハウスフォーファーの説明はこうだ。マグナラクシアが万が一、持てる技術を駆使して大魔皇帝を単独で討伐したとする。当然討伐後の世界はマグナラクシアが主導することになり、他の国はそれに従属することになる。となればマグナラクシアが完全に利害を調整できれば問題はないが、圧倒的な力は他国の疑念を生む。
マグナラクシアがいくら説明を尽くしたとしても他国の疑いが晴れることはない。表に裏に他国は嫌がらせのような要求をマグナラクシアへすることになる。ある程度はその要求に答えることが可能だが、その手の要求はどんどんエスカレートする。応えきれなくなったマグナラクシアは実力で要求を取り下げるように圧力をかけるだろう。
そうなればマグナラクシアがいくら譲歩しても、他国は信用せずマグナラクシアからの搾取を画策するようになる。そうなれば、大魔皇帝との戦争前の魔族の立場にマグナラクシアが置かれることになる。
その先に待っているものは――
「――そうなれば、待っているものはかつての大戦争前の再現だ。人はまた過ちを繰り返すことになる」
マグナラクシアが耐えられる間は平穏を保てるだろう。しかしそれも長くは持たない。結果過去の過ちの再現となるだけだった。
「だからマグナラクシアは一撃で大魔皇帝を葬るような力は持たないと決めたんだ。それでもいざというときためにある程度の力をもつことはせざるを得ない」
ハウスフォーファーの話にエヴァンだけでなく、クウヤたちもしんみりと話を聞いている。
その様子を見たハウスフォーファーはフッと笑みを浮かべた。
「……もっとも幸か不幸かマグナラクシアでも大魔皇帝を一撃で倒す武器は作れん」
その言葉にクウヤたちは安堵したような期待が外れたような複雑な表情をした。
「さて、おしゃべりここまでだ。間もなく入港らしい。降りる準備をするぞ」
ハウスフォーファーはクウヤたちに下船準備を促し、クウヤたちはそれに従った。
潜航船は天井付きのドックへ入渠した。タラップがかけられ、クウヤたちが下船する。
「なんとか戻れたな……」
クウヤはドック内を見渡しながらゆっくりと下船していく。
タラップから岸壁に足を下した瞬間、閃光に襲われた。
「何が……」
クウヤが何が起きたか理解する前に轟音とともに凄まじい振動を感じる。
「……いったい何が」
その場にいた誰もが今起きていることを理解できていなかった。




