第一四二話 業火の戦士
まだ日は高いはずなのに、森の中はうっそうと生い茂る木々に遮られ、わずかな光がまだらに届くだけだった。木々の揺らめきとともに揺らぐ木漏れ日は獲物を探る魔物の眼光にも見え、否が応でも、そこを通過するものに緊張感を与えていた。
周りの木々は奇妙に歪み、魔物が立ちすくしているようにも見える。
クウヤたち一行は魔物の気配を探り、森の闇を切り開きながら慎重に前へ進んでいる。
クウヤは辺りを警戒しながら、先へ進んでいる。その様子は魔物の狩人そのものだった。世界の危機に怖気づき、世界の危機へ背を向けた情けない弱々しいクウヤの姿ではなかった。
ルーはやや先行しているクウヤの様子を見ていた。その姿は魔の森でみた姿と何ら変わることはなく、彼が放つ雰囲気にルーは安心感を覚えていた。
そんなクウヤの姿にルーは直感的に『やっぱり、クウヤはクウヤ』と感じていた。記憶を失ってもクウヤとしての芯は何ら変わることがないと不思議と信じることができた。
直感的に今のクウヤを信じたルーに対して、ヒルデは不安でならなかった。いや、不安を通り越して、不満だった。
記憶を失う前のクウヤは世界の危機を憂い、悲壮な決意をして分不相応な役割も引き受けた。しかし今のクウヤはそんな役割を毛嫌いし、逃げ出そうとさえしている。世界に危機に背を向けて。ヒルデからすれば、世界の危機を見てみぬふりをして、逃げ出そうとしているクウヤが信じることができなかった。
その上、無責任極まりない態度をとるクウヤをあっさりと受け入れたルーのことも許せなかった。無責任極まりないクウヤを咎めるのがルーの役割のはずなのに一向に責めもせず、魔物狩りに興ずるルーも無責任に思えてきた。
世界の危機に際し、真っ先に飛びだし戦うべき存在であるはずの二人が急に異世界の住人になり、置いて行かれたような感覚さえ感じていた。そのせいかヒルデは一切言葉を発することもなく、先行する二人にただついていくだけだった。
ヒルデが割り切れない思いを抱えながら、クウヤたちについていくのをエヴァンは物憂げに見ていた。エヴァンとてクウヤの変貌に驚かされたが、彼にしてみれば途方もない役割をクウヤ一人に押し付けた自分のふがいなさを恥じていた。そして、クウヤとルーを割り切れない思いで見つめているヒルデにどう接したらいいのか彼にはよくわからなかった。
エヴァンは人の感情の動きを察知することはできたが、その感情の動きに適切に反応することは大の苦手だった。それゆえ、ただ押し黙り、他の三人の後を追いかけるだけだった。
四人が四人ともそれぞれの想いを抱えながら森を進んでいると、クウヤが突然立ち止まり、周囲への警戒を厳しくし始めた。
(……獲物がいる)
クウヤは後続の三人を止め、見つけた獲物に集中し始める。
ルーたちはクウヤに動きを止められ何事かと一瞬躊躇したが、クウヤの様子から近くに魔物がいることを察する。
クウヤたちの周りには、奇妙にねじくれ一見しただけでは魔物と区別のつかない森の木々が取り囲んでいる。しかも鬱蒼と茂っているせいで、あまり遠くまでは見えない。
クウヤは動きを止めた。
木々は風にそよぎ、木漏れ日が揺らめき魔物の眼光のようにも見える。周囲が魔物に囲まれているような錯覚にさえ陥る。
「……そこっ」
クウヤは突然、魔法を発動し森の一点を攻撃し、茂みの向こうへ突っ込んでいった。
「電撃!」
はじけるようにルーも魔法を発動、クウヤの向かう先へ放った。
ヒルデとエヴァンは何が起きたのかすぐには分らなかった。
少しの静寂の後、茂みからひょっこりクウヤが顔を出す。
「……お嬢さんのわりにはやるじゃないか」
クウヤは獲物を片手にルーのほうへ歩いていく。片手に掴まれていたのはウサギのような者だった。
「こいつはなかなかすばしっこいんでね。仕留めるには速さが命なんだが……電撃でしびれさせるなんて思いもよらなかった」
クウヤはそういって獲物を掲げ、ルーに微笑む。
「そういうすばしっこいのは、しびれさせるのも手の一つですよ」
ルーは腕をくみ、クウヤへ不敵な笑みを向ける。
「おぼえておこう」
クウヤはそういってルーの肩を軽くたたく。
「さて、次の獲物を探そうか」
クウヤは何とはなしに記憶をなくす前と何一つ変わらない雰囲気でルーに声をかける。ルーも以前のようにクウヤの後を当たり前のように追う。
二人のやり取りを見ていたヒルデは驚きを隠せなかった。クウヤは記憶を失い、ルーを全く見知らぬ人物と思うようになったはずなのに、二人の連携は記憶をなくす以前と何ら変わることはなかった。
その瞬間を目にして、ヒルデもルーのクウヤに対する態度の理由が理解に至る。記憶をなくしたとしてもクウヤの魂はクウヤであり、以前と全く変わっていないということに。
「いたぞ……先行する。援護を」
クウヤは森の奥の暗がりに熊型の魔物を見つける。相手が熊型だけに耐久力が高く、巨体の割に素早い。それに加え前足のつめによる攻撃はクウヤといえど、まともに喰らえば大ダメージは免れない。
クウヤは気配を殺し、見つけた『熊』の背後へ回ろうと迂回を始める。ルーは『熊』の注意をひきつけるために、弓で牽制した。
弓の攻撃を受けた『熊』はルーに対し威嚇し始める。左右の前足を高く上げ、雄たけびを上げる。
ルーは『熊』に正対し、弓を構える。『熊』はますますいきり立ち、辺りの木々をなぎ倒し始める。
『熊』は目の前のルーを敵と認めたのか、木々をなぎ倒しながら次第に距離をつめてくる。じりじりと『熊』はルーを威嚇し、近づくがルーは微動だにせず弓で狙い定める。
いくら威嚇しても逃げ出すそぶりを見せないルーにいら立ったのか『熊』は雄たけびをあげ、ルーに襲い掛かった。
ルーに覆いかぶさるか否かの瞬間にクウヤは飛び出し、『熊』を背中から一刀両断する。『熊』は力なく崩れるように倒れた。
「しかし、お嬢さん無茶するねぇ……」
クウヤはルーに声をかけながら、『熊』の生死を確認する。
「俺が斬らなかったら、あんたこいつにやられてたぜ」
「あらそうかしら」
ルーはクウヤの言葉を否定し、獲物の様子をよく見るように促した。
『熊』の額には深々と矢が刺さっており、明らかに致命傷だった。
クウヤは獲物の様子に思わず舌打ちした。
「あら残念ね。お先でした」
ルーが腰に手を胸を張り、クウヤを挑発するように嫌味な笑みを向ける。
クウヤは苦笑するしかなかった。
(このお嬢さんは人を挑発するのが趣味なのか?)
クウヤから見ればルーは人を挑発することを楽しんでいるように思えた。さっきからルーから挑発の言葉が絶えず、しかもさも楽しそうにしているようにクウヤからは見えた。
首を傾げ、ルーを見るクウヤ。その想いを知ってか知らずかルーはすでに次の得物を探し始めている。クウヤも負けじと獲物を探す。
クウヤは新たな獲物を見つけ、一直線に突っ込む。獲物は先ほどと同じ熊型の魔物。
魔物がクウヤの存在に気が付いた時には魔物のすぐそばにまで接近していた。魔物は驚きながらも、クウヤを迎え撃つよう二本足で立ち、前足を天に高く上げ威嚇のポーズをとる。
クウヤは下段から剣を瞬間的に斬り上げた。魔物は腰のあたりから胸を通り肩のあたりまで斬られ、傷口から鮮血がほとばしる。
魔物は断末魔の咆哮虚しく、崩れるように地面へ倒れこむ。
「今度は俺のほうが早かったみたいだな、お嬢さん」
仕留めた魔物が絶命したか確認しながら、クウヤはルーに自慢した。
「……ふふっ」
鼻高々だったクウヤをルーが鼻でわらう。
鼻で笑われたクウヤは不満げにルーを睨む。
「よく獲物を見てみなさい。何の考えもなく斬りあげるから、せっかくの毛皮が台無しじゃない。この魔物の腹の毛皮は毛が柔らかくて高く売れそうだったのに……」
その後、ルーは事細かにダメ出しをした。その時クウヤは上の空になり、ヒルデが止めに入らなければ、意識が飛んでいたかもしれなかった。
ルーは自慢気なクウヤの鼻を折るように頭ごなしにダメ出しする。クウヤは自分の会心の成果を頭ごなしに否定され不満顔である。一方ルーはクウヤの不満顔を見て人にはわからない喜びを感じているような満足げな笑みをたたえている。
(……この人は本当にそういう特殊な嗜好の持ち主なんだな)
クウヤはルーをサディスティックな嗜好をもった女性と認識した。
クウヤの考えを知らず、ルーは狩りに熱中するうちに、記憶のなくしたはずのクウヤが元のクウヤの感じがして、気分が上がってきた。ルーは自分の感じた通り例え記憶をなくし、無責任な態度を取るようになったとしても、自分のよく知るあのクウヤと本質的に変わりないと感じることができ、舞い上がり始めた。
「本当にクウヤはどこかぬけていますね。そのうえ記憶までどこかへおいてくるなんて間抜けの極地ですね」
「はいはい……」
うれしさのあまり、ルーの口撃は絶好調だった。クウヤはもはや諦め顔で、ルーの口撃を受け流すだけだった。
ルーの舞い上がりぶリは果て目から見ても、感じられるほどだった。その舞い上がりぶりにヒルデは心配になってくる。だんだんまわりへの警戒が薄れている様子が見て取れるようになってきた。
「るーちゃん、気を付けて。魔物はどこにいるのかわからないよ」
浮足立っているルーを咎めるヒルデ。しかしルーはどこ吹く風でほとんど気にしていない。
「もう……るーちゃんたら」
ヒルデの心配をよそにルーは完全に舞い上がっている。
ルーがツイの獲物を狙い、先行しているとルーの傍らのくさむらがわずかにざわめく。
「るーちゃん、何かいる!」
ヒルデがルーに教えたが、ルーは獲物探しに夢中で周囲を警戒していなかった。
「え?」
ルーがくさむらのほうを向くと巨大な蛇型の魔物がかま首をもたげていた。
全く予想していなかったルーは身動きがとれなかった。魔物はルーの隙を見逃さず、ルーに襲い掛かった。ヒルデたちも突然の襲撃に一歩出遅れる。焦るヒルデたち。
蛇型の魔物はルーに向け、強烈な火炎ブレスを吐いた。
ルーは業火に巻かれ、姿が消える。
「るーちゃーんっ!」
ヒルデの絶叫が森の闇に響く。ヒルデの目の前には魔物の業火が森の木々を焼き、燃え盛る光景が広がっている。
ヒルデは呆然とその炎を見つめている。
「ヒルデっ、あれを!」
魂が抜かれたように炎を見つめるヒルデにエヴァンは燃え盛る炎を指差し叫んだ。ヒルデはエヴァンが指し示すほうを目をこらし見つめた。
少しづつ炎の勢いが弱まり、その中に黒い陰が見える。
「るーちゃん……?」
炎の中の陰は次第にかたちがはっきりしてきた。どうやら人のようである。ヒルデは恐る恐る呼びかける。
すると人型が動いているのをヒルデははっきりと見た。
「るーちゃんっ!」
おもわず大声でルーに呼びかけるヒルデ。そのとき傍らにいた蛇型魔物が人影に襲い掛かる。
「ちぃっ……!」
エヴァンは舌打ちしながら、魔物にとびかかかった。
しかし一瞬魔物のほうが早く、炎の中の人影に食らいついた。
「しまっ…………え……?」
魔物はいきなり動きをとめ、やがて崩れるように倒れた。
魔物の死体の向こう側には木々が燃える残り火に照らされ、仁王立ちする戦士の姿が浮かび上がった。
「クウヤ……なのか?」
「クウヤ君……なの?」
立ち尽くす戦士にエヴァンとヒルデは同時にその名を呼んだ。
クウヤはルーを後ろに立っていた。その姿は炎に焼かれ、かなり焼け焦げていたが、引き締まった強靭な体躯シルエットでもはっきりと確認できた。
戦士としてのクウヤは全く衰えることなく間違いなくそこに存在していた。大魔皇帝と対決する前と変わらない姿で。




