第一三四話 密航者
「やれやれ、やっと出港か」
遠くなる港を見ながら、エヴァンがぼやく。
「……そうね。あとは無事にリゾソレニアへつくだけね。船上なら特に何もないわよね?」
ヒルデがエヴァンに相槌を打つ。
「リゾソレニアへ無事につくかどうかはわからないわよ」
ルーは二人のほうを向いて話す。
「船旅が安全である保証なんてどこにもなんだし……」
現状では船旅がマグナラクシアとリゾソレニアをつなぐ唯一の移動手段であった。しかし、確実に到着できるかというと疑問符をつけざるを得ない。海の魔物の襲撃が時折発生しており、襲撃をうければそれなりの被害が発生していた。しかも大魔皇帝が復活すると海上での魔物による襲撃が増加していた。
「ま、出たら出たで狩りゃいいだけじゃないか。大した話じゃないね」
エヴァンはいつもの調子で軽く受け流した。
「エヴァンはお気楽でいいわね……」
ルーは頭を抱え、大きなため息をつく。エヴァンはルーの態度にムッとする。
「いざとなりゃ、何とかするって。そんなに盛大なため息をつくことはないだろう」
「はいはいそうね。エヴァンは強い子だもんね」
エヴァンの抗議も、ルーには伝わらないようだった。
「んな言い方ないだろう。少々魔物が出てきたってどうにかできるし……実際」
「そうね、だといいわね」
エヴァンが言葉を重ねてルーに同意を求めるがルーはまったく意に介さない。
「るーちゃん、そこまで言わなくてもいいじゃない! エヴァンくんだって、いざって時には役に立つし……普段はポンコツでも」
ヒルデはエヴァンを適当に扱うルー対し、エヴァンを擁護した。が何故か結果的にはエヴァンを若干貶めていた。
「ヒルデ……頼むよ」
当のエヴァンからも抗議がでた。
そんな他愛のないやり取りをしていると、何やら周りが騒がしいことにヒルデが気づく。
「何かあったのかしら?」
ヒルデは周りを見渡した。船員が慌ただしく船内を走り回っている。
「あんたたち、不審なヤツを見なかったか?」
走り回っていた船員の一人が話しかけてきた。
「……いえ特には。何かあったんですか?」
ヒルデが船員に聞くと口ごもる。
「そうか……ならいい。邪魔をした」
船員はあわただしく三人のもと離れて行った。
「……何なんでしょう、いったい。船員があんなに走り回るなんて」
ルーは小首を傾げる。他の二人も頭をひねるばかりだった。
「船のトラブルは船員に任せてそろそろ船室へ戻ろうぜ。あんまり長いこと潮風に当たっていると塩まみれになっちまう」
「そうね、エヴァンの言うとおりね」
そう言ってルーたちは船室へ戻ろうとした。その時、とある男に声をかけられる。
「おや? そこにいるのはエヴァン君ではないですか」
エヴァンを懐かしそうに呼び止める声がした。エヴァンはその声の主のほうへ振り向いた。
「あれ……もしかして……ハウスフォーファー……先生?」
エヴァンは自分の過去の記憶を一気に思い返し、呼び止めた主の正体を何とか思い出した。
「いやぁ、奇遇ですね。こんなところでかつての教え子に出会えるなんて」
彼女の直感がハウスフォーファーに警鐘を鳴らしていた。聞きもしないのに彼の若干説明臭い言葉にルーは眉をひそめている。
「おや、そちらのお嬢様がたはどなたですか?」
ハウスフォーファーがエヴァンに尋ねる。
「あ、こっちはルー、ルーシディティでこっちはヒルデ。二人ともカウティカの子なんだ」
無邪気にルーたちを紹介するエヴァン。ハウスフォーファーはうなづきながら聞いている。
「よろしく。以前リクドーの教学所で教えていたハウスフォーファーです。以後お見知りおきを」
ハウスフォーファーはルーたち二人に軽く会釈する。ルーはやや警戒感をもって、彼を見ていた。ヒルデはエヴァンの先生と聞いて、モジモジとしている。
「これはご丁寧に。ギルド連合共和国カウティカ代表首長ペルヴェルサ・プラバス=ネゴティアの第三子女ルーシディティ・プラバス=ネゴティアです。お見知りおきを」
ルーも軽く会釈し、公式な立場を含め名乗る。外交的な笑みを浮かべるが眼光は鋭く警戒は緩めていない。
「なんとカウティカの公女様であらせられますか! これはとんだ失礼を」
ハウスフォーファーはルーに仰々しく深々とお辞儀をするがルーはハウスフォーファーの詫びを途中で遮る。
「構いません。現在はマグナラクシアの一学生に過ぎませんので。単にルーシディティとお呼びください」
「わかりました。それでルーシディティ様はどのようなご用件でリゾソレニアへ?」
ハウスフォーファーはにこやかに尋ねる。しかし、その目はわずかではあったが獲物を狙う猛禽類の光が宿っていた。
その光にルーは警戒感を強める。
「申し訳ありませんが、内密な件なので……」
「それは失礼しました」
ハウスフォーファーに警戒感を抱くルーは旅の目的をはぐらかした。
ルーとハウスフォーファーの静かなせめぎあいに気が回らずヒルデは舞い上がっていた。
「は、はじめまして、ハウスフォーファーさん。ルーシディティ様付きの侍女を務めております、ヒルデ・ディヴァデュータと申します。よろしくお願いします」
ルーの自己紹介が終わるとすぐにヒルデが自己紹介した。
「はは、緊張しなくても大丈夫。よろしく」
ハウスフォーファーはヒルデに手を差し出し、軽く握手をする。
「と、ところでハウスフォーファーさんエヴァンって昔はどんな感じだったんですか?」
ハウスフォーファーはヒルデの質問に意外そうな顔を見せる。
「そうだな……ま、一言で言えば悪ガキだな」
ハウスフォーファーは茶目っ気のあるウインクをしながらヒルデに答えた。
チョイ悪親父の茶目っ気にあてられ、ヒルデは一瞬思考が止まった。
「せ……先生、昔のことはいいじゃないですか」
エヴァンはヒルデとハウスフォーファーのやり取りに気恥ずかしい、なんとも言えない居心地悪さを感じた。
「ところでエヴァン、クウヤ君は同行しているのかい?」
ハウスフォーファーはそう切り出した。三人に緊張が走る。
「あ……い、いやアイツは今別行動していて、向こうでおち合う予定なんだ」
エヴァンがとっさにごまかす。ルーが旅の目的を曖昧にした以上、彼も追随せざるを得なかった。
「そうか、それは残念だな。おっと、懐かしさのあまり長話してしまった。それじゃ」
そう言うとハウスフォーファーは船員のあとを追うようにルーたちのもとを離れていく。
「何なんでしょうね、あの人」
ルーは緊張を解き、ため息をつく。
「何なんでしょうねって、俺とクウヤが通っていた教学所の先生だけど?」
ルーは疑いの眼で立ち去っていくハウスフォーファーを見ている。
「……ただの先生ならいいのだけれど」
ルーのつぶやきにはハウスフォーファーへの疑いがこもっていた。
――☆――☆――
ルーたちは船内へ戻る。
(誰……?)
ルーはふと立ち止まり、周囲を見回す。
特に怪しい気配はなかった。
「気のせいかしら……?」
「るーちゃん、どうかした?」
「何でもない。大丈夫」
ヒルデがルーに尋ねるが、ルーは妙な気配については何も言わなかった。
船室に戻ったルーは二段ベッドの下段に座る。後から入ってきたヒルデはルーの隣に座る。
「あんな格好のいい先生に教えてもらっていたんだね、エヴァンくんは」
「何? ヒルデはああいうオジサマが好みなの? それとも何か他にあるの?」
「ち、違うの! な、何もないから」
ヒルデが何気なく言った一言に突っ込むルー。ヒルデはルーの追及をかわそうと必死になる。
突然、扉をノックする音が聞こえる。
「誰かしら? エヴァン?」
ルーは扉を開けようとした瞬間、一気に扉が開けられ、何者かが部屋へ進入した。
「誰っ!」
ルーは反射的に部屋の奥のほうへ飛び、身構える。
「お静かに。危害を加える気はありません」
そこに立っていたのはタナトスであった。
「……どうして貴方がこんなところに」
ルーは警戒を緩めない。臨戦態勢を取りタナトスを牽制する。タナトスはゆっくりと両手を上げ、戦う意思のないことを示す。
「驚かせて申し訳ない。本当ならこんな手段を取るべきではないのは重々承知しています。しかし今の私にはこの手段しか選択肢がないのです。そこは理解してください」
タナトスに害意がないことが分り、ルーはようやく警戒を緩めた。
「しかし、密航なんて」
ルーはタナトスの行動に呆れ、明らかに彼に失望していた。
「密航が犯罪なのは理解しています。しかしそれでもリゾソレニアへ私は戻らねばならないのです」
呆れるルーにタナトスは弁解する。それでもルーの態度は変わらない。
「タナトスさん、どうして密航なんて……」
今の状況が今一つ飲み込めていないヒルデがタナトスに尋ねる。
「今の私はリゾソレニアからすれば国家反逆者、つまり重罪を犯した犯罪人です。そんな私がリゾソレニアへ入国するためには犯罪的手段にうったえなければ入国できません」
タナトスは自分の立場を繰り返す。
「とはいえ、このまま船旅を続けるのは困難でしょう? どうされるのですか?」
「……わかりません。ただ、お二人のお力を借りるしかありません」
ヒルデはタナトスの状況について理解したが、現状タナトスが密航者である以上安全にリゾソレニアへ移動できるはずもないことも理解していた。
「……とりあえず、エヴァンくんも呼んで話し合ってみる?」
ヒルデはそうタナトスに切り出した。
「エヴァンねぇ……」
ルーは若干不満そうだった。慌ててヒルデはルーを説得にかかる。
「そうは言ってもエヴァンくんは頼れる仲間よ? だめでもともと、とにかく呼んで話をしてみようよ、ね。るーちゃん良いでしょ?」
ヒルデはルーを説得するというより強引に押し切った。いつになく押しの強いヒルデにルーも不承不承ながら同意した。
「じゃあそういうことで」
そういうとヒルデは部屋を出て行った。
「まったく……」
ため息しか出ないルーではあったが、今のところ自分が置かれている奇妙な状況を変える案は無かった。
「すいません、ご迷惑をおかけします」
「まったくだわ」
ルーはため息をまたついた。
――☆――☆――
「……で? 密航の手伝いをしろと?」
ヒルデにいきなり呼び出され、事情聞いたエヴァンは呆れている。
「……そうは言ってないけれど」
エヴァンに否定的な態度をとられ、言いよどむヒルデ。
「タナトスさんの気持ちはわからなくはないけれど、やっぱりこんな方法は良くないよ。悪いことは言わないから、穏便に下船したほうがいいと思うな」
エヴァンは極めて常識的な考えを述べる。あまりにも常識的過ぎて、ルーもヒルデも一瞬思考が停止する。
「……そ、そうね。そういう考えもあるわね」
「そ……そうだね」
「二人とも……結構ひどくない?」
二人の反応にエヴァンは地味に傷つく。
「それはさておき、エヴァンくんの言うとおりはしたくないのよね、タナトスさん?」
何とか復活したヒルデがタナトスに意思を確認する。当然、タナトスはうなづく。
「困ったな……そうだ、先生に頼んでみよう」
エヴァンが突然思いついた。
「え? 先生って、あの……ハウスフォーファーさん?」
ヒルデは意外そうな顔をする。
「そうだよ、そう。先生ならいい考えが浮かぶかもしれないし」
「え……? ちょっとエヴァンくん……」
エヴァンはヒルデの手を握り、賛同を求める。ヒルデは突然手を握られたせいで、頬を赤らめる。
「関係する人間を増やすのはどうかと思うわ」
ルーが声を低めて、エヴァンの考えに不満を示す。
「そうは言っても、今の状況で俺たちができることなんてたかが知れているし。帝国のなんだか知らない頭のいい学校を卒業した先生ならいい考えが浮かぶさ」
エヴァンの本領発揮である。二人は思わず天を仰いだ。
「それじゃ早速」
エヴァンがちょうど部屋を出ようとすると、扉をノックしようとする人影に出くわす。
「あっ……と、失礼。ん……?」
エヴァンは思わずその人影を見返す。
「やあ、エヴァン君。何か用事があるのかい?」
扉の向こうにはハウスフォーファーがにこやかに立っていた。




