第一三三話 ルーの憂鬱
ルーは相変わらず、女子寮のベランダでたそがれている。
ルーの心は揺れている。
リゾソレニアへ行けば、もしかしたらクウヤの消息がわかるかもしれない。しかし単なる噂で空振りに終わるかもしれない。
リゾソレニアへ行ったはいいが、手ぶらで帰るのは彼女のプライドが許さなかった。彼女は仮にもカウティカ代表の娘という立場である。その立場にある以上、行動の結果は必ず出さなければならない義務があると彼女は脅迫的に考えていた。
それだけでなく、もし単なる噂だった場合を思うと彼女は恐怖を感じる。クウヤが噂話のように実態のない存在になってしまう気がしたからだ。ほとんど妄想に近い恐怖感ではあったが、彼女にはそのことはわからない。
ルーの中で、脅迫的な義務感と妄想的な恐怖感が渦巻き、どうしても行動する気分にはなれなかった。
もしかしたら……けど……もしかしたら……けど……
ルーの心は行きつ戻りつし、同じところをぐるぐる回るだけでまったく先へ進む気配すらなかった。
そんな堂々巡りを繰り返していると、不意に視界がにじむ。
「るーちゃん、ここにいたんだ。何していたの?」
思い惑うルーのところへヒルデがやってくる。
「……ただ風にあたっていただけです。何か用事?」
ヒルデにわからないよう、できるだけさり気なく目を拭う。強気なふりをして自分の心を何とかして誤魔化そうと繕った。
強がるルーを見て、ヒルデはくすりと笑う
「るーちゃんは下手ね。そんなに取り繕わなくてもいいのに」
ヒルデはルーに優しく話す。
「るーちゃんが何を考えているのか、私には分かるの。そんなに肩に力を入れないで……大丈夫だよ」
ヒルデは小首を傾げ優しく微笑みかける。その笑みにルーは胸の奥からこみ上げてくるものを感じる。目を拭い、はっきりさせたはずの視界が再びにじむ。
「……ヒルデ」
ルーはヒルデに何か言おうとしたが、胸の奥から込上げてくるものに邪魔されて、言葉にならない。
突如、けたたましい音が鳴り出す。
ルーが持っているカウティカ本国と直接つながる通信機の着信音だった。
ルーはあわてて通信機を手に取り通話する。
「はい、ルーシディティです――」
この通信機でルーに連絡を取るのはただ一人、カウティカ代表だけだ。
ヒルデはこんなときに何用と訝しがり、ルーの通話が終わるのを待つ。
「えっ……それはどういう……? は、はいすいません。いえ、はい、はい、わかりました」
ルーの顔色がみるみる変わっていくのをヒルデはただ見守るしかない。
会話の内容に非常に興味を惹かれたが会話に割って入ることはヒルデにはできない。代表とルーの会話に割って入ることは、立場上ヒルデには許されないことだった。
「……わかりました。ご指示を実行します」
通信が終わり、ルーは通信機をしまう。
「……本国から何て?」
ヒルデは通信が終わるとすぐルーへ聞いた。しかし、ルーは黙っている。表情も曇り、明らかに落ち込んでいる様子が見てわかる。
「るーちゃん? どうかしたの?」
ルーの様子がおかしいことに気が付いたヒルデは首を傾げる。
「……どうもしないわ。本国からの指令よ」
そう言ってルーは顔を伏せる。
「リゾソレニアへ飛び、噂の戦士の真偽を確かめよ。噂が事実だった場合――」
ルーは震える声で本国の指令をヒルデに伝える。
「――件の戦士を排除せよ」
その言葉にヒルデは絶句する。ルーは拳を握りしめる。口元からは紅いしずくが顎へ伝う。
「どうして……どうして本国はそんな指令を……どうして?」
指令の内容に納得のいかないヒルデはルーを思わず問い詰めた。
「上皇ディノブリオンからの要請よ。要請を断った場合……」
ルーは言いにくいことがあるのか言葉を切る。たまらずヒルデが続きを促す。
「断ったらどうなるの?」
ルーは言葉を詰まらせながらも、本国の過酷な運命を語った。
「……魔物の大海嘯がカウティカをいずれ襲うことになるわ」
ルーもヒルデもカウティカの置かれた状況に絶望するしかなかった。
「お父様の話では件の戦士は大魔皇帝に仇成すことを公然とし、二級以下の下級国民をあおっているらしいの。結果、反乱が頻発しているらしいわ。あまりにも反乱が頻発するのでリゾソレニアの兵では対応できなくなっている。だから噂の元凶を排除するためにカウティカの安全と引き換えに……」
ルーの言葉にヒルデは憤る。
「だからって仲間である私たちにお鉢を回す? そんなのひどすぎる。代表はなんでそんな条件を……」
ルーは諦めたように吐き捨てる。
「お父様はカウティカの安全が保証されるならばどんな手段を用いても正当化されると考えているの。あのお父様が私たちの気持ちなんて考えるわけがないわ」
ヒルデは絶句するが、考えればすぐにわかった。カウティカ代表とは自らの利益が最優先、その次に国益を考え、それ以外の要素は眼中にない人間であるということを思い出す。
「でも、仮にその戦士を排除できたとして、カウティカは本当に安全になるの?」
ルーは首を横に振る。
「上皇を信用する以外ないわ。最もお父様は信用しているみたいだけど……」
実際のところ、カウティカの命運は上皇ディノブリオンが握っていた。すでにカウティカには大魔皇帝と戦う力はなく、その気まぐれによって命脈をつなぐに過ぎない弱小国家であった。
上皇がどの程度大魔皇帝へ意見することができるのかはっきりわからなかったが、上皇の口添え以外に国の存続を託せるものがないのも事実だった。
このときほどカウティカが強大な力に翻弄される弱小国家に成り下がっていることをルーもヒルデも痛いほど感じたことはなかった。
「結果がどうなるにせよ、私たちに選択肢はないってことね……」
逃げ道がなく、リゾソレニアへ行く以外の選択肢がない絶望的な状況を前に二人はため息をつくしかなかった。
「……どうなるにせよ、リゾソレニアへ行くしかないみたいね」
ルーは忌々しげに吐き捨てる。ヒルデも再び大きくため息をつくしかない。
「学園長のところへ行かないと」
「それじゃ、エヴァンくんにも知らせるね」
ルーは湧き上がる怒りを無理やり押さえつけるように拳を強く握りしめる。
ヒルデも女子寮を飛び出していった。
――☆――☆――
「どういう風の吹き回しかの?」
学園長の執務室でルーは一人学園長と面会していた。学園長は一転リゾソレニア行きを決めたルーに尋ねる。ルーは少し言いよどむ。
「……心境の変化としか……言いようがありません」
学園長はルーの言い回しに何かを察した。好好爺然とした表情は変えなかったもののその眼光は猛禽類のものであった。
「……てっきり絶対逆らえないようなところからの指示か何かあったと思ったんじゃがの……まあ、良い」
学園長の指摘にルーは背中に寒いものを感じ、学園長の察しの良さに内心舌を巻く。
「老婆心ながら、言っとかねばならんかの」
そう言うと、学園長はルーをみた。ルーは思わず身構える。
「ルーシディティや、お前さんは多くのものを抱えてしまう立場じゃ。その中で波風立てないようにするには大変な苦労がともなうじゃろう」
学園長は椅子から立ち上がり、窓を見る。おもむろにルーのほうを向く。
「ただ本当に何かを選ばなけばならなくなったら、自分の心に正直にな。抱えてしまったものや自分の立場に惑わされて心を偽ることのないようにな。良いな?」
ルーはただ頷くだけだった。
「さて……となると忙しくなるわい。エヴァンとヒルデにはかの国へ行くことは話したのかい?」
ルーはヒルデにはすでに話してあり、エヴァンにはヒルデを通じて伝えると答える。
「そうかい、そうかい。細かいことはまた後で連絡しよう。すまんが少し待ってくれんかの。船の手配などがあるでな」
ルーは一礼して、学園長の執務室を出る。
学園長はルーを見送ると咳払いをする。
「……さて、聞いての通りじゃ、お前さんはどうするかね?」
学園長は部屋にいる誰かに声をかけた。部屋の隅の暗がりから一人の男が出てきた。
「例えあの国ではお尋ね者だとしても、戻るのかい? タナトスよ」
暗がりから出てきたのはタナトスだった。ルーから面会を求められたときに学園長がひそかに呼び寄せ、陰から話を聞くように彼を部屋の中へひそませていた。
「……ええ。私は行かねばなりません。世界を救済するため、それよりなにより教団を取り戻し、本来の教団へ戻すために」
タナトスは何の迷いもなく、力強く学園長に答える。
学園長はそんなタナトスを胡乱な目で見る。
「お前さんにはお前さんの目的がある……か。だがその目的に縛られて、おかしなことをするでないぞ。少なくとも、クウヤとルーシディティたちが合流する邪魔は絶対に許さんぞ」
学園長はわずかに殺気立つ。その語気は強くタナトスですら一切の反論を許さないものであった。
「……仰せのままに」
学園長の殺気に気圧され、タナトスはそう答える以外のことができなかった。
「さて行くがよい。くれぐれも自重を忘れんようにな」
タナトスは一礼して、執務室を出て行った。
「忙しいのう、今日は。誰か。誰かおるか」
どこからともなく、男が現れた。
「ハウスフォーファーか。この件頼んだぞ。なんとしてもクウヤを仲間たちに合流させねばならん。あらゆる手を尽し、ルーシディティたちを支援せよ」
ハウスフォーファーと呼ばれた影は沈黙をもって答える。
「それからあの若造が暴走せんように手綱を引いてくれ……行け」
その影は一礼し、部屋の陰へ消えていった。
「『火種と火消し』まで動かさねばならんとは……クウヤのやつ戻ってきたら、かなりしぼらんといかんな。おかげで学園国は余計な手間が増えた。やれやれ……」
学園長はそう言ってため息をつく。しかし、その目は言葉とは裏腹の光を宿していた。
――☆――☆――
「で……? どうして、貴方までついてくることになったのですか?」
ルーは怒り心頭だった。その原因はタナトスである。ルーはタナトスが同行する場合、どう考えても噂の戦士の探索の妨げになることは確実だった。彼はリゾソレニアではお尋ね者、それも重罪の国家反逆者である。
ただでさえ本意でないリゾソレニア行きで気がめいっているところへお尋ね者を同行させる危険を犯す気には当然なれない。それほどルーはお人よしではない。
「私はあの国へ戻らなければなりません。ただ、私一人では何もできません。それゆえ貴方がたの力をお借りしたいと恥を忍んでお願いしているのです」
それでもタナトスはひるまずルーに懇願する。タナトス自身も自分の非力やリゾソレニアでの立場をわきまえていたが、そんなリスクを犯してでも彼は教団代表としての矜持から、かの国への帰還の手伝いを頼んでいたのだ。
「そう言われても、私たちだってやるべき任務があります。貴方についてこられると任務遂行の妨げになるだけでなくリゾソレニア側の心象を悪くして、最悪の場合密入国なんて事態になったら目も当てられません」
ルーは断固としてタナトスの同行を断る。タナトスは無意識にヒルデを見る。
「……タナトスさん、申し訳ないけれど、私たちはどうしてもやり遂げなければならない任務があるんです。任務を遂行するために余計なリスクは背負うわけには行かないんです。分ってください」
ヒルデもタナトスに同行を諦めるよう促す。彼女たちにしてみれば、本国から余計な荷物を背負わされ、それから逃れることもできない状態の上にほぼ確実に問題になる人物のお守など願い下げである。
タナトスはエヴァンに懇願するような視線を送る。そんな視線を送られたエヴァンはあわててふためく。
エヴァンはチラリとヒルデを見る。ヒルデは不安そうに二人のやり取りを見ている。
「……俺も賛成できないな。よけいな荷物は背負わないに越したことはないし」
エヴァンもタナトスの同行には反対の意思を示す。もっとも三人の中で唯一背負うものがない彼の場合、単にヒルデに同調しただけであるが。
「みなさん……」
タナトスはがっくりと肩を落とし、天を仰ぐ。
「……わかりました。自分で何とかしてみます」
タナトスは明らかに意気消沈してルーたちのもとを離れた。
「……まったく冗談じゃないわ。何でわざわざお尋ね者を連れて歩かないといけないのよ」
ルーはタナトスが見えなくなると同時に盛大なため息をつき毒づく。
「タナトスさんの気持ちはわかるけど今回は我慢してもらうしかないわね……」
ヒルデもルーのように毒づくことはないが彼女のの言葉に同意する。
(でも、あの人がこのぐらいで諦めるなんて……)
ヒルデは一抹の不安を抱えずにはいられなかった。




