第一一七話 失意のクウヤと決意の子爵
皇帝は怒りを露わにし、公爵に詰め寄る。しかし公爵はものともしない。そして公爵は思いもよらない言葉を発し、クウヤを窮地に追い込む。
「公爵よ。貴様、自分が何を言っているのかわかっておろうな?」
皇帝は目は血走り、眉間に深いシワをよせ公爵を鋭い視線で射抜く。固く拳を握り、身体を小刻みに震わせていた。おのれの心の奥底から火山の溶岩のように湧き上がる激しい衝動を押さえ込んでいることは誰の目にも明らかだった。
「もちろんです、陛下。私は忠実な陛下の臣であり、帝国の僕です。その私が帝国の国益に反することをしましょうか。ましてや陛下に楯突くなど、思いもよりません」
怒りに満ちた皇帝を前に公爵は空々しいほどの謙ったセリフが口からあふれる。
「……ならば、先ほどの批判……どう説明する? あからさまに余を批判するとはよほど命がいらんらしいな、お主は」
あまりのふてぶてしさに怒りを通り越し、嫌悪感を募らせる皇帝。公爵は相変わらず、平然としている。
「……陛下は誤解なさっている。あくまで私めは陛下の臣であり、全ては帝国のため、陛下の御為です。陛下の御勘気は単に私の至らぬ言葉のせいと思われます。故にその誤解は解かねばなりません。この問題の対応を誤りますと帝国の政のみならず、せっかく発足したばかりの連合軍の運用にも影響しかねません。……そこのところは陛下もご理解されているはず。さて……」
公爵はクウヤを睨む。その目にはかよわい獲物を狙う爬虫類のような無慈悲な光が宿る。
「……クウヤよ、この件はお前が全責任を負っている。この件はお前が責任をとれ」
突然公爵に全責任を負え言われ驚くクウヤ。いきなりそんなことを言われ、様々な疑問がクウヤの頭の中を駆け巡る。
「ちよっ……ちょっと待ってください! どうしてそういうことになるんですか?」
クウヤは公爵に対し公然と抗議する。クウヤの抗議に対し、公爵は『何という無知』と言わんばかりの見下した態度でクウヤに答える。
「この件は陛下より委任されたのはお前だ、クウヤ。となれば問題が起きればその責を問われるのはお前しかおらんだろう。ごく簡単な理屈だ」
この世に比べるものがないほど歪んた笑みを浮かべ、クウヤを見下す公爵。当のクウヤはあまりの超展開に思考が追いつかない。
帝国の最高責任者たる皇帝はなぜかこのやり取りを静観している。ただ、漫然と成り行きに任せるということではなく、すきあらば何かしようと身構えているように見える。皇帝としても、ことの真偽は確かめなければならなかった。帝国の重要拠点の責任者の反乱疑惑という、ことが公になれば帝国の屋台骨ばかりか、発足したばかりの連合軍にも影響を与えかねない事案だけに皇帝としても慎重にならざるを得ない。しかも告発者が帝国の宰相という帝国の政治の中枢であり、無碍にすることは難しい。しかしいくら皇帝が公爵や子爵に疑念を抱いたとしても、明確な証拠がない以上簡単にはどちらかを処分するわけにはいかなかった。それは皇帝の権威にもかかわる重大なことである。
いくら絶大な権力をもつ皇帝でも、帝国の命運や連合軍の今後がかかった問題に簡単には決断できなかった。考えあぐねる皇帝。そして、皇帝はある考えが頭をよぎる。
『人身御供を仕立て全てを押し付ける』
これならば帝国への影響は最小限になるはず――そして、公爵から暗に最適な存在が提示されている。甘美なそれでいて猛毒の仕込まれた誘惑に皇帝は思い惑う。
「それゆえ先ほど私めが申し上げたとおり、クウヤと子爵が剣を交えることで全ての問題を解決すべきなのです。この方法が帝国に与える負の影響をなくすのには最適な方法と愚考します」
公爵はそう言い終わると、黒い笑みを浮かべ、皇帝の裁可を待つ。
皇帝はすぐには動かなかった。しばしの瞑目のあと、徐に口を開く。
「……子爵よ、汝が被りし疑惑を晴らしたいか?」
皇帝からの問いかけに子爵は何かを考える。そして意を決して、皇帝に答える。
「……もちろんです、陛下。陛下の忠実なる臣として係る疑念について晴らさなければなりません」
まっすぐ皇帝に向き合い、ハッキリと答える。皇帝もある程度予測した答えだったのか、わずかにうなずき、子爵を見下ろす。
「……剣を交えよ。子爵よ、汝が剣をもって自らの潔白を勝ち取れ。良いな」
ついに皇帝は決断した。その顔は平静を装っているが、公爵の策に結果的にのることになった不甲斐なさや恥辱感を押さえ込んでいるようだった。真一文字に口を結び、握りしめた拳はわずかに震えていた。心なしかわずかに紅潮している。
皇帝の決断はクウヤたちに衝撃を与える。当の本人である子爵は覚悟していた結論だったのか、特に変わることはなく皇帝に頭を下げている。
納得がいかないクウヤは皇帝に異議を唱える。
「陛下、納得がいきません! 父上が一体何の罪を犯したというのですか! 無実の臣を裁いたとあれば、帝国内に動揺が走ります! 陛下」
まだ言いたいことがある様子だったクウヤを皇帝はクウヤに手のひらを見せ、発言を制する。
皇帝が自ら制したのにもかかわらず、なおも食ってかかろうとしているクウヤを子爵が力ずくで止める。
「クウヤ、控えろ。陛下の御前だぞ!」
子爵はクウヤを羽交い絞めし強く叱りつける。
「しかし、父上……」
「だまれ! 御裁可はくだされたんだ。臣たるものは粛々と主君の命に従うものだ」
当事者に言われてもなお、割り切れない思いを抱くクウヤ。目を見開き、睨む先には皇帝がいた。
その様子を公爵はニタニタといやらしい笑みを浮かべつつ面白そうに眺めている。
「……魔戦士になったとはいえまだまだ子供よのう、クウヤ。そんな子供が一軍を率いるなど、笑い話にもならん。親子ともども何をしているのやら。ふっ……フフフ、ハッハッハ……」
ありったけの皮肉を隠そうともせず、公爵はクウヤをこけ落とす。明らかに悪意のある笑みはクウヤの醜態に向けられただけでなく、子爵にも向けられていた。
「……くっ」
「よせ、無駄だ」
我慢しきれず公爵に突っかかろうとするクウヤを子爵が止める。相変わらず公爵はクウヤ親子を蔑んだ目で見ている。
皇帝は冷めた目でそのやり取りを見ている。やり取りそのものにはほとんど関心を持っていない。やがて公爵とクウヤたちのやり取りがひと段落すると徐に口を開く。
「……クウヤよ、汝が子爵の相手だ。これは余の決定だ。わかるな?」
珍しいことに皇帝がクウヤへ諭すように下命する。異例のことだった。皇帝も公爵の策にのることのうしろめたさがあるのか、いつものクウヤへの対応とは違っていた。通例ならばクウヤに対し有無を言わせぬ高圧的なモノ言いで命令するものだった。これほど穏やかに下命するなど前代未聞だった。
にもかかわらず突然の皇帝の下命にクウヤは当惑する。しかしやむを得ず、クウヤはぎこちなく皇帝に頭を下げる。
ただそのとき歯を食いしばり、うらめしげに皇帝を見つめる姿はいささか不敬な振る舞いだった。それでも皇帝はクウヤの態度は見てみぬふりをし、不敬な振る舞いについては何もとがめることはなかった。皇帝としてもささいなことでこの場に余計な混乱をもたらしたくないということであろう。もしくは公爵の策に結局のってしまった悔しさがそんなささいな不敬を忘れさせるほど大きかったと言うべきだろう。
クウヤといえども皇帝自らの口から下命されたことの重みは理解していた。ただ、理屈と感情は時として相反することがある。まさにクウヤにとってこのときであった。頭こそ下げてはいたが、内心は皇帝に対する怒りが渦巻いていた。その怒りは簡単には収まりそうにはなかった。
公爵も皇帝の下命に対し、頭を下げている。しかし内心は己の策に皇帝を巻き込み、思う通りに誘導することができた満足感に満ちていた。その証拠に公爵の顔は満足げな笑みを浮かべている。ただし、見る人が見れば優越感に浸り、自分以外全てを蔑む笑みに見える歪な笑みであった。
「皆のもの、大義であった。各々、成すべきことに専念するよう。あとの仔細は侍従長に任せる」
皇帝はそう宣言するといち早くその場を去った。
あとに残された者は失望感と徒労感に打ちひしがれていた。公爵ただ一人を除いて。
――――☆――――☆――――
「父上! これでいいのですかっ?」
皇帝の御前から離れたクウヤは己の憤りをぶつける場所なく、勢い余って子爵にぶつけていた。
「……いいも悪いもない。陛下の臣として全力を尽くすだけだ。いつまでも幼子のように喚くな」
感情丸出しのクウヤに対し、子爵は感情的になる様子はない。すでに予測していた範囲内の事態のようである。ただその冷静さがクウヤの癇に障る。自らの命にかかわるような重大なことを飄々と受け止めている子爵のことが信じられなかった。いらだちを募らせながらも、大きくため息をつき、何とか自制しようと努力する。
「……でも、みすみす公爵の思惑通りになってしまって、腹立たしくありませんか?」
懇願するようにクウヤは尋ねる。子爵は何も言い返さない。そんな子爵にクウヤはしびれを切らし、詰め寄る。
「父上……!」
「クウヤよ。今回のことであまり騒ぎ立てるな。公爵が今の地位にとどまる限り、あの手この手で嫌がらせしてくることは間違いない」
子爵の言うことはクウヤとしても理解はしていた。しかし感情は事態を受け入れることを許さない。クウヤはなおも子爵に食い下がろうとする。
「かと言って言いなりになっても……」
「そうだ。ヤツにとって我々はおもちゃに過ぎん。言いなりになってもわずかばかりの時間稼ぎが関の山だ。ヤツの気分しだいでどうにでもされてしまうのが我がクロシマ家だ。ヤツを失脚させ完膚なきまでたたかなければどうしようもないだろう」
「父上……!」
子爵の極論に驚くクウヤ。しかしクロシマ家の置かれた状況を端的に表してもいた。クウヤをはじめクロシマ家の人間が公爵から自由になるためにはそこまで考えなければならなかった。
「しかし……しかし、だ……現状では言いなりになる以外ない。特に今回のように陛下のご意向が絡んでしまえばどうしようもない。とにかく今はヤツの靴を舐めてでも時間を稼ぎ、公爵のスキを探すしかない。かなりの犠牲を払うことになってもな。今は耐えろ……」
クウヤは子爵の言葉に唇を噛み、拳を握る。身体を震わせ、湧き上がる激情を抑えるのに必死になる。
「策がないわけではない……それ相応の対価を支払えばな。とにかくお前は自分の役割に全力を尽くせ。こんな些細なことにかかずらわっている場合ではない」
子爵そう言うとクウヤの肩を二、三回軽くたたく。クウヤはその行為に不思議そうに子爵の顔を見つめる。その顔は何かを喪失した喪失感と何かをやり終えた充実感と入り混じったような複雑な表情をしていた。
ルーもクウヤと同じ気持ちだった。しかし彼女は自分の立場が頭をよぎり、思いを言葉にすることはなかった。代わりに固く口を結び、自分自身を抱きしめ怒りを抑える。そのとき子爵の言葉がふと頭の中をよぎり何かを感じた。
「……お、お義父さま……もしかして貴方は……?」
「なかなか聡いな。しかしそれ以上何も言うな。いいな……」
「……はい」
クウヤには分らなかったがルーと子爵は言葉がなくともお互いの考えを理解しあっていた。その理解の上で子爵はルーに何も言うなと言う。ルーは無言で従う以外の選択肢を持っていなかった。
「さて、こんなところで油を売っている場合じゃない。あの狸オヤジの鼻を明かさないとな」
子爵は沈み切った雰囲気を断ち切るように宣言し、自らのやるべきことに立ち向う。クウヤもそれに倣う。その結果がどうなるのかクウヤにはあまり見えてないにしても。




