第一〇六話 魔獣討伐、そして……
突然現れた黒い戦士。黒い戦士、その正体は!?
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黒い戦士は黒光りする剣を構え、エヴァンのほうに全速力で向かってくる。
エヴァンは驚きと疲れから動けない。蛇に睨まれた蛙のほうがまだ動けるとさえ思えるほど、硬直したまま、黒い戦士をにらんでいる。
その戦士はエヴァンのほうを向き、大上段に剣を振り上げる。エヴァンはその行動に目をむき、愛剣を縦にうずくまる。お構いなしに戦士は駆け寄ってくる。あっという間にエヴァンとの距離を詰める戦士。
戦士はエヴァンと交錯する。思わず、エヴァンは身をすくめてしまう。
「くっ! あれ……?」
斬られると思った瞬間、戦士は黒い疾風のようにエヴァンの横を駆け抜ける。呆気にとられるエヴァン。
「……な、なんだ? 何が起きてるんだ?」
何が起きたかまったく分かっていないエヴァンを置いてきぼりにして、戦士は魔獣に猛攻を加え始めた。そしてエヴァンは見た。その戦士の剣さばきを。
「……なんだあいつ? 人間業じゃねぇ……」
剣速は著しく速く、剣が空を斬る音が周囲に響くが剣身を目で追うことができなかった。まるで見えない剣を振り回し、魔獣を攻撃しているように見えた。魔獣もその戦士に丸太のような腕と長剣のような爪を怒涛の勢いで振りかざし猛攻を加える。しかしその戦士は凄まじい剣速でその攻撃のすべてを受け流し、魔獣は戦士の攻撃をわずかばかりも弱めることはできなかった。
「……うそ。なんなのあの戦士は……」
「……とりあえず、味方みたい。でもどうして?」
ルーは戦士の凄まじい攻撃に驚きおののく。ヒルデはとりあえずエヴァンが攻撃されなかったことにホッと胸をなでおろしながら、魔獣に攻撃している理由を考えるが、その場では思いつかなかった。
ルーやヒルデやエヴァンが渾身の力を込め攻撃しても、びくともしなかった魔獣が圧倒されている。その光景に、ルーたちだけでなく、調査隊の全員が呆気にとられ、固唾を飲んで戦いを見守っている。
戦士はひとしきり魔獣の攻撃を受け流すと一旦、後ろへ飛び距離を取った。エヴァンと魔獣の間に立ち、エヴァンに背を向け、魔獣と向き合っている。エヴァンはその時になっても動けない。戦士は素早く後ろを確認した。どうやらエヴァンの様子を見たらしい。
すると戦士は剣を地面に突き立て、無詠唱で魔法を発動させた。その両手に強大な魔力が集中し、黒い闇を固めたような球体が左右の手に生成される。黒い球体は放電するように黒い稲妻を周囲に発散し始める。魔獣はしびれを切らしたように咆哮し、戦士に突進してきた。猛スピードで魔獣に向かう。その勢いを借り、闇の球体は魔獣の鱗を弾き飛ばす。魔獣の周りを目にかろうじてとらえられる速度で回り、魔獣の身体中の鱗を弾き飛ばしていく。弾き飛ばされた魔獣は痛みからかさらに咆哮し、いきり立つ。完全に激怒した魔獣は標的を戦士一人に絞り、鋭い爪を突き立てる。戦士はそんな切いきり立つ魔獣にまったくひるむ様子を見せない。さらに攻撃を加えるために次の魔法を発動させていた。
戦士は斜に構え、両手を重ね魔獣にむけて突き出す。突き出すその手の先には魔力が集まり、手の形が歪んで見える。魔獣がすぐそばまで迫ると、突き出した腕を砲身とし、魔法を打ち出した。大音響と共に打ち出された魔法は魔獣に命中する。命中したとたん激しい爆発と衝撃波がエヴァンだけでなくルーやヒルデ、魔獣と戦士の戦いを見守っていた調査隊の隊員たちのそばを駆け抜けていく。エヴァンだけでなくルーたちは思わず自分の腕で頭をかばい、地に伏せた。
「……何が起きたの? え? 魔獣が……」
ゆっくりと目を開け、あたりの状況を見たルーの目に映ったものは、魔獣の前に立ち尽くす戦士の姿だった。魔獣は今までの勢いはどこへ行ったのかと思うほど鈍重で、戦意を喪失しているようにも見えた。さっきの魔法を受け、ボロボロになった魔獣の姿をルーたちは驚愕の目で見ていた。
戦士は徐に地面に突き立てた剣を抜く。
「……はっ!」
戦士は気合一閃、抜いた剣を斬り上げ、魔獣を腰のあたりから肩に向けて逆袈裟斬りにする。魔獣は斬り上げられ、薄紫色の体液ふりまきのけぞる。戦士は返す剣で水平に斬った。
魔獣の巨大な首が宙に舞う。薄紫色の体液が切り口から噴水のように吹き出す。戦士は体液を間欠的に吹き出し跪くように崩れる魔獣を背景にエヴァンたちのほうを振り向く。
「よう。どうやら、間に合ったようだな」
そう言いながら戦士は兜を脱ぐ。その顔を見て、エヴァンは驚きの表情を浮かべ、苦笑いになる。
「まったく……お前ってやつは……」
その戦士は白い歯をみせ笑い、エヴァンに歩み寄り手を伸ばす。エヴァンはその手を取り、ボロボロになった身体を鞭打つように立ち上がる。
戦士は肩をエヴァンに貸し、ルーたちのところへ歩き出した。
ルーは胸の前で腕を組み仁王立ちし、戦士を睨みつけている。戦士は苦笑いして彼女に話しかけた。
「待ち合わせ時間には何とか間に合ったかな?」
その一言を聞くまでは、戦士にむけて何か一言言おうとしている様子がありありとしていたが、言葉を聞いた途端、ルーは胸に思いがあふれ出し、こみ上げる涙を止めることができなかった。
「……遅いよ、遅すぎる! あんまり遅いから、待ちくたびれてほっぽりだして帰るところだったのよ! もう……」
怒ったようなセリフとは裏腹に矢も盾もたまらず、戦士の胸に飛び込む。その後何か彼に話そうとしていたが言葉にならず、その後の彼女の言葉を理解できたものはいなかった。
ヒルデもエヴァンに肩を貸し、その光景を目を細め、見守っている。
件の戦士はクウヤであった。クウヤは魔戦士となって戻ってきた。
クウヤが仲間のもとへ帰還した瞬間だった。
――――☆――――☆――――
「しっかしよぉ、クウヤ。お前さんなんでいきなりあんなところへ飛び出てきたんだい?」
調査隊の野営地に戻ったクウヤたちは隊長に呼び出され、隊長の使っている天幕の中で、クウヤから話を聞いている。エヴァンの質問は天幕の中にいる全員の疑問でもあった。
「さぁ……? たまたま時空間位相があそこの場所と合っただけじゃないの。特に意識してあそこに出ようとしたわけじゃないんだけど」
クウヤはそう言って周りを見渡す。どの顔も今一つ納得がいっていないようだった。
「……答えになっていないわね。場所のこともだけど、どうしてあの場面に狙いをすましたように出てきたかって聞いているの。どこかで隠れてみていたりしていないでしょうね?」
「どうして、そうなるかな……?」
疑いの眼のルーがクウヤに詰め寄る。思わぬ疑いに動揺を隠せないクウヤ。彼女の鋭い視線がクウヤを捉えて離さない。クウヤはあぶら汗をかき、固まっている。巨大魔獣をいいように翻弄し討伐した最強の戦士の姿はそこには無く、まさにヘビに睨まれたカエルだった。
「まあまあ、るーちゃんもほどほどに。無事クウヤくんが帰ってきたんだから、とりあえずはそれでいいじゃない」
なんとなくいたたまれなくなったヒルデは助け舟だした。クウヤは絶妙なタイミングで帰ってきたのに、この扱いはなんだとルーに目で抗議していたが、その言葉は口から出ることはなかった。その時、ルーの目が羅刹のごとく鋭かったのは言うまでもない。
「ま、そのへんの話は追々聞くとして、遺跡の中で何があったのか話してもらおうか。魔戦士になるための特別な儀式か何か遺跡の中でしていたのか?」
隊長は外野の騒音を脇に置いて本題を切り出す。隊長は仲間たちと違い、冷静にクウヤを見ている。クウヤもそのまなざしに気づき、隊長に向き直す。
「……あまり覚えていないと言うのが正直なところです。気がつくとこうなっていたと言うしか……」
クウヤは申し訳なさそうに隊長の質問に答える。しかし、その答えでは納得しない者が一人いた。羅刹のごとく鋭い目をしている少女である。
「その説明では納得できないの! 何か思い出しなさいよ。調査隊が危機にさらされているときに、のうのうと寝ていたと言っているのよ、その言い草だと。調査隊全員が納得できる報告をするのがクウヤの義務でしょう!」
「いやいや、そんなことは……はい、すいません」
クウヤは全力でルーの言葉を否定したかった。ルーの理屈はクウヤにとって理不尽極まりないものであり、全力で拒否したい理屈ではあった。があまりの剣幕に思わず言いよどんでしまった。ルーに負けたクウヤは大きく息を吐き出し、思い出しながら、言葉を選ぶ。クウヤ自身、遺跡内の出来事をうまく咀嚼できていなかったからだ。ただその事情はルーにはわからない。
「それにその姿何よ。たった二日ほどで身体が大きくなったり、筋肉隆々になったりするばずがないじゃない! ちゃんと説明して! でないと、信じられないの……貴方のこと。お願い」
ルーは最初声を荒らげ、クウヤに命令口調で説明するよう言うが、最後のほうは弱々しく懇願するように話す。しかたない雰囲気をかもしだしつつ、クウヤは再度話す。
「……遺跡の『声』は『魔戦士の試練』に入る前に説明したんだ。『汝ハ変化スル。ソノ変化ハ外ノ時間ノ十数年分ニ相当スル』ってね。どうやら、遺跡の中で魔戦士になると十数年ぐらい経つらしい。おそらく、気を失っている間に十数年分の何かをしたんだろうね。その結果がこれさ」
そういうとクウヤは自分の力を誇示するかのようなポーズをとる。それでも、ルーの視線は鋭いままだった。ルーの機嫌が治らないのを見るとクウヤは一瞬固まり、おずおずとポーズを解いた。
「つまり、気を失っている間にアレやコレやされて、無敵の魔戦士になったと言いたいのね……?」
「そ、そう。そうだよ。実際、はっきり覚えているのは遺跡に入ったときと出るときぐらいだ。その他は……あやふやで……このぐらいの説明でなんとかなりませんか、隊長」
クウヤはルーのまとめに同意し、このいたたまれない尋問時間を終わらせるべく、隊長に助けを求めた。しかし隊長の返答はそっけないものだった。
「……残念ながらその説明では不十分だな。とはいえ、意識が無いときのことを話せと言っても無駄だろう。わかった。とりあえず今はその説明でいい。マグナラクシアへ戻ってからの宿題としよう。今の優先事項は無事に全員マグナラクシアへ一刻も早く帰還することだ」
クウヤから大した情報を得られないと判断した隊長はそう締めくくった。ルーはまだ不満げである。へそを曲げたままのルーにどうしたものかとクウヤはただオロオロするだけだった。
「……ぷっ。ふふふ……あははは」
「な、なんだよ突然に……どうしたんだ、ルー? なんか変だぞ」
クウヤの戸惑う様におかしさがこみ上げ抑えきれなくなったルーは吹き出した。ルーもめまぐるしい気分の変化についていくことができず、ただ戸惑うだけのクウヤ。
「だって、あの魔獣を倒したほどの強い戦士のクウヤがオロオロするんだもん、おかしくておかしくて――」
ルーはまた急に黙り込み、クウヤの目をまっすぐに見る。その目には怒りはなく、さっきまでの羅刹のような雰囲気は毛ほどもなかった。しばらく見つめたあと、少しうるんだ目で微笑んだ。
「――本当に帰ってきたんだね。おかえり、クウヤ」
「お、おう……た、ただいま?」
「なんでそこで疑問形になるのよ……?」
「いや、その……それは……」
「……もうしょうがない人ね。もういいわ。とりあえず無事帰ってきたことで許してあげる」
一方的に翻弄され、何一つ思うように話すこともできなくなったクウヤをルーは何かを諦めたような優しい目で見つめた。かたやクウヤはルーの気持ちを推し量ることができず、戸惑うばかりであったが、とりあえず意味は分からないけれど許されたような気がしてホッと胸をなでおろす。
「もう、るーちゃんたら……素直じゃないんだから」
ヒルデもうっすら目に光るものをためルーたちのやり取りを見ていた。蚊帳の外のエヴァンはクウヤ同様目の前で繰り広げられる光景が何なのか理解できずにただ茫然と眺めるだけだった。
そこで咳払いが天幕の中に響く。
「……感動的な再会の場面に水を差すようですまないが、話を進めてもいいかな?」
隊長がクウヤたちのやり取りを止め、話を元に戻した。ルーはその言葉に赤面してしまう。
「……我々の目的はなんとか達成された。あとは帰るだけだ。これはいいな?」
隊長は言葉を切った。クウヤたちの顔を見回す。クウヤたちもうなづく。
「帰るにあたり、取りこぼしはないな? なければすぐに帰る準備をしてもらいたい。それでいいな?」
隊長はクウヤたちに帰るための準備を指示した。クウヤたちはどこかホッとした雰囲気をかもしだした。その時である。
「隊長! 大変です、あ、アレがでました!」
「アレとはなんだ? わかるように説明しろ」
「アレです、アレ! 例の『血まみれの魔女』が……!」
クウヤたちに戦慄が走る。




