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5 理想と現実

 とある居酒屋で、奈津美は飲んでいた。

 居酒屋、と言っても勿論、旬のバイト先のではなく、流行の小洒落た居酒屋だ。それに、今日はカオルと一緒だ。


「ごめんねー。付き合わせて」

 酎ハイで乾杯をした後、カオルが言った。


「いいよ。全然。暇だったから。それよりよかったね。早めに決まって」


「うん」

 奈津美の言葉にカオルがにっこりと笑う。


 今日は、カオルの買い物に付き合った。カオルの彼氏に渡すチョコレートを選ぶためだ。もうすぐくる、バレンタインデーのために。


「そういえば、奈津美は買わなくてよかったの? あ、もう用意してるの?」

 唐揚げを箸で摘みながらカオルが尋ねた。


「ううん。旬には作る予定だから」

 そう答えて奈津美は酎ハイを一口飲んだ。。


「へー。手作り。やるわね」

 カオルは感心したように奈津美を見た。


「だって、旬にあんな高級なものあげてもすぐなくなるもん。質より量だから満足しないだろうし」



 奈津美とカオルが今日行ってきたのは、有名な高級ブランドのチョコレート専門店だ。小さな一粒が何百円という、高価なものだ。

 カオルも、一箱六粒なのに五千円という、信じられないほど高額なものを選んだ。


「こんなに高いの買うの?」

 と、奈津美が目を丸くして言うと、


「彼、あんまり甘いもの好きじゃないし、一ヵ月後には倍以上になって返ってくるから、安いもんよ」

 と、カオルは笑った。


 つまり、ホワイトデーのお返しが豪華だから、これぐらいの出費は痛くない。そういうわけだ。


 カオルの彼氏は、年上で国立大卒、一流企業のエリート社員……高学歴、高収入の男だ。ちなみに顔もなかなか男前だ。



「何作んの?」


「チョコレートケーキ。旬、ケーキ好きだから」

 カオルに聞かれて、奈津美はそう答えた。


「ケーキって……ホールで?」

 カオルは、まさか、という顔をする。


「うん。旬ってケーキ好きっていうか、甘いものが大好きなの。旬の誕生日も、ケーキ食べたいっていうから作ったんだけどね、流石にホールでは作りすぎたかなあって思ったら、殆ど一人で完食しちゃったの」


「一人で?」

 カオルは目を丸くしている。


「そう。しかもそれで平気だし。もう、見てる方が気分悪くなったわよ。……ケーキバイキングとか行く時、誰よりも目が輝いてるし。ちょっと恥ずかしいくらい」

 その時のことを思い出して、奈津美はため息混じりに言った。


「へー……ケーキバイキングとか行くの」

 カオルは何故かそっちの方に食い付いた。


「まぁ、たまにね。旬が行きたがるから」


「いいなぁ。あたしもそういうデートしてみたい」

 カオルは、本当に羨ましそうに言う。


「え、何で?」

 奈津美にはカオルの気持ちが分からず、聞き返す。


「だって楽しそう。そういう所ってさ、一緒に入っていい男と良くない男いるじゃない」


 まあ確かに、と奈津美は思った。


 ただでさえそういう店は女性客が多いわけだし、奈津美達のようにカップルもいるにはいるが、正直、男は浮く。カオルの彼氏は明らかにそうだろう。というか、そもそもケーキバイキングとか、そういうものが似合わないような、大人だ。


「でも旬と行くのは、あんまりお金ないからだもん。カオル、贅沢だよ」

 確かに旬は、男のくせにそういう店に溶け込んでいるが、それが彼氏としていいのかは別だ。


「奈津美だって贅沢でしょ。ていうか、何だかんだで彼氏君の話ばっかしてるし」


「そっそんなことないし!」

 カオルに指摘され、奈津美は顔を真っ赤にしてしまった。


「で? 十四日はお泊まりなの?」

 カオルはにんまりと笑い、興味の方向を変える。


「泊まらないから。平日だから、会って渡すだけ」

 奈津美はそう言ってクールに返す。


「えー。つまんない」


「つまんないって……あたしは娯楽?」

 唇を尖らすカオルに、奈津美は呆れたように返した。


「だっておもしろいから。彼氏君の話」


 おもしろいと言われても、あまり誉められたような心地がしない。


「ていうか、そういうカオルこそどうなの? 十四日、会ってお泊まりしないの?」

 いつも人のことは聞くくせに、自分のことは言わないカオルに、今日は奈津美が突っ込んでみる。


「だってあたしは会わないもん。十四日に」

 カオルからはあっさりそう返ってきた。


「彼、十四日に急な出張入っちゃったから、その日は会えないの。ま、代わりに週末はそれなりに楽しむけどね」

 ふふっとカオルは何か含みのある笑い方をする。

 それは、大人の時間を楽しむ、という意味らしい。


「あ〜あ。本当、いいなぁ」

 奈津美は溜め息をついて、再度そう言った。


 実は、奈津美の元カレとカオルの彼氏との出会いは、同じだったりする。

 一年半ほど前、カオルの知り合いか何かのツテで、その二人が勤めている会社の男前男性社員との合コンに行って知り合った。


 向こうも二人が友人同士らしく、始めは四人で話していたのだが、暫くして、片方(カオルの今の彼氏)がカオルのことを気に入り、カオルもまんざらじゃないという感じで仲良く話しだした。仕方なく、奈津美はもう片方(奈津美の元彼)と話していて、まあ何とか打ち解けてきた頃、カオル達は付き合うことになっていて、じゃあ俺らも付き合おうか、と言われて奈津美達も付き合い始めた。


 そして、奈津美らは一年前に別れたがカオル達はまだ順調に続いている。


 この差は一体なんだろうか。その場の雰囲気で付き合い始めたせいだろうか。貧乏くじを引かされてしまった気分だ。




「でも奈津美、何だかんだ言いながら長いこと付き合ってるじゃない。それはやっぱり奈津美も彼氏君のことが好きだからでしょ?」


「まあ……そうなのかな」


 そう言えば、前の彼氏は、一応奈津美の理想通りだった。年上だったし、落ち着いた雰囲気だったし、別れの発端となったことがあった以外は基本的に誠実だったし……少なくとも、奢る奢らないで言い争うようなことは一度も無かった。……なのに付き合ったのは半年も経たないぐらいだった。


 旬とは……何だかんだで一年続いている。実はこれは、今までの奈津美の恋愛遍歴の中で、一番長い。


 これには、奈津美自身驚いている。そして疑問だ。


「奈津美。理想と現実は違うわよ。理想の人間が自分に合う人間かは違うからね」

 カオルが、諭すようにそんなことを言った。


 ということは、旬は自分に合う人間だということか……こんなに文句がでるのに。


 不思議な話だ。




「そういやシュンってさー――」


 不意に耳に入った言葉に、奈津美はピクリと反応して、隣を向いた。


「どうしたの?」

 奈津美の動きに、カオルが尋ねた。


「あ……ううん。なんか旬の名前が聞こえた気がして……」

 奈津美がそう答えると、カオルがいつものようににんまりと笑った。


「へぇー。自分の彼氏のことだったら耳聡いわねぇ」


「そっそんなわけじゃないわよっ。それに多分、聞き間違いだしっ!」

 奈津美は慌てて否定した。


 本当に、思わず反応してしまったことが恥ずかしい。『シュン』なんて別に珍しい名前ではないのに……


「シュンってどこのシュンだ?」

「オキタだよ、オキタシュン」


 隣からの声を聞き、奈津美は固まる。旬と同じ名前だ。


「旬かも……」


「え? 居るの?」

 カオルが隣を向く。


「ううん……」

 この店は、一つのテーブルごとに衝立てのようなもので仕切られている。座った時の頭の高さほどのそれを、奈津美は背筋を伸ばしてそっと隣を覗いた。

 奈津美の座高ではあまり見えないが、向こうが男三人ということが分かった。背の高い、それぞれ違う種類の茶髪の頭が三つ見える。


「旬の知り合い……っぽい」

 髪型の感じや、先程聞いた声で、旬とそれほど年が変わらないだろうと奈津美は推測した。


「ああ。旬なら最近会ったぞ」

 三人のうちの一人が言った。


 奈津美は、そして野次馬根性を働かせたカオルまで、衝立ての方に耳を寄せている。まさに壁に耳、という状態だ。


「マジ? どこで?」

「あいつの家。俺、高三の時にシュンにCD貸してさ、それがないと思ってたらあいつ、返すの忘れてたとか言ってこの間メールよこしたんだ」

「あー…シュンのヤツ、そのへんいい加減だよなぁ。漫画とかすぐに返ってきた試しないぞ」


 ……ちょっと、旬らしいという影が見えてきた。


「あいつの部屋マジで汚ねえから、貸したもんは大概あいつの部屋に埋もれるんだよな」


「旬だ」

 奈津美は小さく呟く。『部屋が汚い』で確信した。


 この辺りの二十歳前後の男で、貸したものが返ってこないようないい加減さで、物が埋もれるほど部屋が汚いオキタシュンは、奈津美の彼氏の旬しかいない。


「つうか、その旬が一人暮らし始めててさ」

「旬がぁ!?」

「うわ〜……あいつ一人で汚してそう」


 ええ。いつも一人で有り得ないぐらい汚してますから。……と、驚いている旬の友人達に対し、奈津美は心の中で同意する。


「それがさ、行ってみたら普通だったんだよ。むしろ綺麗にしてあってさ」

「マジで!? あいつ掃除できんの?」

「俺もそう思ってマメに掃除とかしてんのかって聞いたらさ、彼女がしてくれるんだって」

「彼女ぉ!?」


 どうやら、話が奈津美のことになったらしい。それにしてもかなりの驚かれようだ。


「彼女って、ミキ?」


 ミキ……?

 女の名前らしきものに奈津美は反応する。


「違う違う。ミキのすぐ後」

「ミキとは別れたんだろ? 旬が大学全部落ちたのが原因で別れたって聞いたぞ」

「マジで? 何だそれ」


 本当に何それ……と、奈津美はまたもや内心で突っ込む。


 ミキ、とは元彼女のことらしい。旬からはそんな話が出ないから知らなかった。出ないのが普通なのであろうが。

 それにしても、大学不合格が原因って……


「で、新しい彼女ってどんなんだ?」

 奈津美の思考はさておいて、隣の話は旬の彼女、奈津美のことになる。


「それが年上なんだとよ。俺らの四つ上のOL」

「はぁ!? 今度は年上かよ」

「しかも旬好みのボンッ、キュッ、ポンッ。推定で上から90・59・86のEカップ」

「マジで!?」



 何で知ってんの!?

 思わず飛び出しそうになるぐらい奈津美は驚いた。


 奈津美は、実は中々グラマラスな体型をしている。腹や太股、二の腕などはすっきりしてるのだが、胸や尻には、その分の脂肪が悩ましいつき方をしている。


 街に出ると、男が振り返って見るし(奈津美に自覚はないが)、社内ではセクハラの対象にされる(もう何とかやり過ごしているが)。それぐらいの魅力的な体をしている。


 それはともかく、何で旬は、本人だって正確には知らない奈津美のスリーサイズを、ほぼピッタリ当ててしまったのだ。確かに、しょっちゅう見て触ってはいるが……


 ていうか何でそれを友達とかに言うのよ!

 奈津美の顔は恥ずかしさで赤くなる。



「あのオッパイ星人、昔からそこしか見てねえよな。付き合う子みんな胸でかかったし」

 呆れたような声で言われている。


『オッパイ星人』

 旬に対してその表現は、妙にしっくりきた。もし旬が彼氏じゃなければ、笑える。現に目の前ではカオルが笑っている。


「でも今回はすっげーその彼女のこと絶賛してたぞ。『あのオッパイはマジですごいって! 神様の芸術品……いや、つうか、あれ自体が神様……オッパイの神様そのものだって!』って意味の分からんことをかなり興奮して熱弁してたから」

 この彼の口調も、呆れていた。


 それを聞いた奈津美とカオルは顔が真っ赤になっていた。

 奈津美は恥ずかしさと旬への怒りからだったが、カオルのは声に出して思い切り笑いたいのを堪えているためだ。


「オ、オッパイの神様……ぷふっ……やっぱり奈津美の彼氏君、最高。お、面白すぎ……くっ」

 カオルは必死に笑いを堪えて涙目になりながら奈津美を見る。


「カオル……」

 奈津美は恨みがましくカオルのことを軽く睨んだ。


「ご……ごめんって……」

 カオルはそう謝るが相当ツボに入ったらしく、それも堪えようとすることで逆にひどくなっている。


「顔見てみたいな、その彼女」

「写メとか見たか?」

「いや、撮ろうとすると嫌がるからないってさ」


 拒否してよかった…と、奈津美は心から思った。実はこんなにすぐ隣にいるなんて、写メを見られていたらすぐにバレていたかもしれない。


「でもかなり美人で可愛いって。あいつ、本っ当デレデレしながら彼女のこと話しててさ、料理できるし掃除できるし洗濯できるし、あんなにいい彼女他にはいないって嬉しそうにノロけてた」

 その言葉は、奈津美には純粋に嬉しかった。顔は赤いままだったけれど、それは恥ずかしいというより、照れ臭い感じだ。


「へー。でも、旬とOLなんてどういう繋がりあったんだ?」


 一人のそんな疑問に、奈津美のちょっといい気分は吹っ飛ぶ。


 旬! まさかあのことまで友達に言ってないでしょうね!?


 もし言っていたら、本当に別れてやると、少し本気で考えた。


「それは聞いたけど言わなかったな。『んなの勿体なくて言えるかよ〜』ってキモいぐらいにデレデレしてたから、聞く気失せた」


 ホッと奈津美は胸を撫で下ろす。

 よかった……言わなかった理由は意味分かんないけど。


「……何だそれ。つうか旬のヤツ、あんなののくせに何でそんなにモテるんだよ。しかも皆いい女だし」


 ……モテるんだ。しかも皆いい女……

 繰り返すように奈津美は心の中で言う。


 まぁ、旬はどちらかと言えば可愛い系の整った顔で、黙ってればいい男の部類だ。本当、口を開かず黙って立っていれば。


「その彼女も何がよくて付き合ってんだろうな」


 それは聞かないでほしい。(別に聞かれてはいないが)

 奈津美にもよく分からないのだから。


「そうだよな。浪人生に魅力なんて感じるか?」


 普通は感じないよね……って、浪人生?


「旬のヤツ、浪人じゃないぞ。大学全部落ちて、専門(学校)行くつもりだったけど、それもやめたんだと」

「そうなのか? 聞いてねー」

「で、今何してんの」

「まだ仕事決まってないからとりあえずバイト生活だって」

「ふーん。……あいつ、働くとかできるのかよ」


 友人にも心配されている。奈津美も心から不安だ。旬は、ちゃんと就職できるのか……


「つうか、あいつ働く気ないんじゃねえの?」


 その言葉に反応して、奈津美は見えないと分かっているのに、顔ごと隣を向く。


「彼女がOLってことはそれなりに稼いでるんだろ? しかも料理も掃除も洗濯もできるってことは身の回りのことは全部してくれるわけで、最悪何もしなくても食っていけるじゃん」

「あー。確かに。まさかあいつそれで付き合ってんのか?」

「だとしたら最悪だな」


 三人とも冗談ぽく軽い言い方で、笑い飛ばしていた。


 そのあとの三人の会話は、奈津美には聞こえていなかった。


「――奈津美」


「えっ……」

 カオルに声をかけられ、奈津美は我に返った。


「顔、死んでる」


「え……」

箸で奈津美のことを指され、奈津美は半ば無意識に頬に手をあてた。


「気にしちゃだめよ。本気で言ってることじゃないんだし、まして本当のことじゃないんだから」

 カオルが、はっきりと奈津美に言い聞かせるように言った。


「……うん」

 奈津美は、小さく頷いた。

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