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3 二人の始まり

 時は遡り、奈津美と旬の出会いの話です。

 約一年前……


 奈津美はある居酒屋のカウンターで、一人で飲んでいた。一人でビール、焼酎、日本酒のグラスを、少々無茶なペースで空けていた。


「お客さん……ちょっと飲みすぎじゃないですか?」


 空いたグラスを下げながらそうやって奈津美に声をかけたのは、その居酒屋でバイトしていた旬だった。


「何。客に文句つける気!?」

 その時の奈津美は荒んでいて、店員の旬を鋭く睨んだ。


「何よ。一人で飲んで淋しい女って思ったんでしょ」

 そのへんの酔っ払い親父やヤンキーと何ら変わりなく、奈津美は旬にいちゃもんをつけた。


「え……いや、そんなことは……」


「思ったんでしょ! 正直に言いなさいよ!」


「まあ……少しだけ……」

 客に対して気を使っていた旬だったが、根が良くも悪くも素直な性格のため、詰め寄られて頷いてしまった。


「ちょっと座って!」

 奈津美は旬の腕を無理矢理引っ張って隣に座らせた。


「あたしだって好きで一人で飲んでるんじゃないわよ。昨日、男と別れて、しかもこういう時に限って友達皆デートだし……飲まなきゃやってらんないっての!」


「はあ……」


 こうして、閉店までの三時間、奈津美は名前も知らない男に愚痴をきかせてやったのだった。


 これが、二人の出会い……



 あの時は、おかしかった。


 元彼と別れたことが、ショックだったとか言うよりも、悔しかった。それを旬にぶつけていた。


「だって……一ヵ月ぐらい前から何もしてこなくなったのよ? 家に泊まりに行っても、夜、隣で寝てても『今日は疲れてるから』とか言って相手してくれないのよ? 何かおかしいって思うじゃない。だから昨日会った時、最近冷たくない? ってそれとなく言ったの。そしたらなんて言ったと思う?」


「さあ……」


「『何か、君じゃ何も感じないんだよね。もしかして、不感症?』……はあ!? 何好き勝手言ってんのよ! こっちだってあんまり気持ちよくなかったわよ! でもそれはアンタが下手だからでしょー!」


 酔っていたせいで、普段女友達にも滅多にしない、かなりの下ネタ発言をしてしまった。

 その時のことは、奈津美の記憶にも残っているのだが、その時はよっぽど頭にきていたらしい。理性が止めようともしていなかった。

 後になって思うと恥ずかしい。


「それ言ったの?」


 それまで相づちだけを打っていた旬が、初めて口を挟んできた。


「言ってない」


「言えばよかったのに」


「言われた時はそこまで頭回らなかったのよ! こういうのって後からくるからムカつくー!」

 奈津美は怒りに任せて旬の腕を掴み、思いっきり揺さ振った。


「もうそれだけが心残りなの! 絶対忘れられないわよ、あの男〜!」


「お客さん、そろそろ看板なんだけどね。そいつもそろそろ解放してやってくれないか」

 カウンターから店長らしき中年男性が声をかけてきた。


 後から聞いた話だと、旬はその日、バイトを上がる時間がもうとっくに過ぎていたらしい。それを奈津美が引き止めた形になってしまったのだ。


「悪かったな。今日の分、給料に上乗せしとくからよ」

 店長は旬にそう言って、店の奥に消えて行った。


「マジっすか? やった〜儲け〜」

 旬は、単純に喜んでいた。


「んじゃ、お姉さん。お勘定……」

 そう言って旬が立ち上がったが、奈津美は旬の腕を掴んだままだった。


「……ない」


「え?」

 小さく呟いた奈津美の声が聞き取れず、旬は、奈津美の顔の高さに屈んで、顔を覗き込んだ。奈津美は、不貞腐れたような表情をしていた。


「……帰りたくない」


「え〜……さすがにちょっとそれは困るって、お姉さん……」


 さすがに旬も、早く帰りたいと思っていて、奈津美の言葉に、苦笑いだった。


「だって……帰ったら一人で急に現実に戻されて……絶対に自己嫌悪しちゃうもん」


 旬は、目を白黒させていた。


「だったら飲まなきゃいいのに」


 この時、旬が言ったことは正しい。しかし、後になって、旬にまでそう言われてしまったという、少し情けない思い出に変わった。


 でも、後からは『何であれぐらいのことで……』というものになっても、その時は本当にどうしようもないぐらいの気持ちだったのだ。


「分かってるわよ! でも飲まなきゃやってらんないんだからしょうがないでしょ!」

 そう吐き捨てるように言って、奈津美はグラスに少し残っていた焼酎を飲み干した。


「分かった」

 旬がいきなり言って、奈津美は意味が分からず旬を見た。


「一人になりたくないなら、ホテル行く? 俺と……」



 それが明らかに、少なからずも下心を含んだものだということは、酔って意識が混濁していた奈津美にも分かった。なのに、やっぱり理性が働かず、それよりもやっぱり一人が嫌という気持ちが勝ってしまった。


 奈津美はその誘いに承諾しそのまま旬に付いていき、まだお互いの素性を何も知らぬまま、二人は男女の関係になった。奈津美にはその時の記憶は、全くない。




 翌朝、奈津美はホテルのベッドの上で目を覚まし、見慣れない天井に、裸の自分、その隣に眠る裸の男を見て混乱した。


 そしてすぐにその男も目を覚まし、


「ナツミさん、起きた?」

 体を起こしながら言った。なぜか旬は奈津美の名前を知っていた。


「何で名前知ってるの……? ていうか、誰?」

 奈津美が必死にシーツで裸の体の前を隠しながらそう聞くと、


「ナツミさんから聞いてきたのに〜? もしかして俺の名前覚えてないの?」


 残念そうな顔をした旬に奈津美は黙って頷いた。



「……ていうか、私達……やっちゃったの?」

 この、ベッドにそれらしき痕跡も残っている明らかな状況で、奈津美はそう聞いた。


「うん」

 旬は、嬉しそうに頷いていた。


「すっげー良かったよ。ナツミさん、めちゃくちゃスタイルいいし、感度最高だし。不感性とか言った男、バカたなぁ」


 それを聞いて、顔が熱くなった。


 そして、昨夜、酔って乱れて、居酒屋の店員に散々愚痴って、最終的にホテルに誘われたことを、今更になってやっと思い出した。


「ナツミさんも気持ち良さそうだったし、やっぱ下手だったんだよ。元彼と別れて正解じゃん」


「ご……ごめんなさい!」

 意味もなく、奈津美は謝った。辺りを見回して、自分の服を探した。


「なんか酔って迷惑かけちゃって……」


 ベッドの下の方に、バスローブを見付け、とりあえずそれを掴んで羽織った。


「り、料金は払うから……本当にごめんなさい!」

 そう言ってベッドから下りようとした。


「待って」

 奈津美の手首を、旬が掴んで引き止めた。


「え……?」

 奈津美はただ意味が分からず、混乱した。


「ナツミさん。俺と付き合って」

 旬からの告白は、とても突然だった。


「えっ?」

 奈津美は驚いた。目を見開いて旬を見ると、とても真剣な顔をしていた。


「順番逆になったけど……でもそのおかげで惚れたっていうか。だから俺と付き合って」

 とても熱烈的な告白だった。しかし、奈津美はやっぱり困惑して、固まってしまった。


「何言って……」

 奈津美がそう呟くと、旬はその場に正座をし、頭を下げた。


「俺と付き合って下さい! お願いします」


 全裸で土下座(下半身の大事な部分はシーツで隠れていたが)……はたから見たら、あまりに滑稽な姿だ。奈津美にも、どうしたらいいのか分からない。


「ちょっ……やめてっ。顔上げて……」

 狼狽えながら奈津美はそう言った。


「やだ。ナツミさんがいいって言うまでこのままでいる」

 むちゃくちゃなことを言っていた。これには奈津美も焦った。


「そんなこと言われても……ねぇ、とりあえず一回顔上げて?」

 そう言って奈津美は肩を揺すったが、顔を上げようとは全くしない。


「ねぇってば……ねぇ、もういいから」


 その言葉に、旬はすかさず顔を上げた。


「いいの?」

 見開かれた目は、とても輝いていた。


「え…?」

 奈津美の方が驚いた。


「あ!そういう意味じゃなくて……」


「やったーーー!!」

 奈津美の訂正を聞く前に、旬は奈津美に飛び付き抱き締め、そのまま押し倒した。


「きゃっ! やだ……そうじゃなくて……っん!」

 倒されて抵抗しながら、奈津美は言葉を紡ごうとしたが、旬の唇によってそれが阻まれた。


「すっげー嬉しい! ナツミさんが俺の彼女になるなんて」

 唇を離して、奈津美を見下ろす旬は、言葉通りに嬉しそうで、少し可愛い感じの顔をして笑っていた。


 奈津美は、その顔を見て、不覚にもドキッとしてしまい、何も言えなかった。


 勿論、奈津美が『いい』と言ったのは、付き合っても『いい』という意味ではなく、気持ちは分かったからそんなことしなくて『いい』、という意味だ。


「あ、付き合うんだったらナツミさんってさん付けじゃなくていいか。ナツミ……ナツ。なぁ、ナツって呼んでいい?」

 なのに旬は、完全にいい意味で取って、うきうきと勝手に話を進め、そうやって聞いてくる。


「うん……」

 奈津美は、頷いてしまった。


 だが、この状況は、旬の表情は、奈津美にそれ以外の言葉を発するのを許していなかった。


「ナツ〜」

 早速旬はそう呼んで、奈津美の唇、額、頬などに軽く音をたてて口付けていった。


 それが、不思議と嫌ではなかった。

 元彼が元彼だっただけに、飢えているのかもしれないと思った。


 ……まあ、なんとかなるだろう。

 奈津美は流されながら、そう自分に言い聞かせて、旬と付き合うことにしたのだった。




 この後、やっとまともに名前を聞き、年齢を聞いて自分より四つも下だということに驚いて(少し幼い顔立ちだったので年下だろうとは分かったが、身長があってガタイがわりとしっかりしていたので、それも居酒屋でバイトをしていたので二十歳ぐらいだと思っていた)、職業柄も聞いて驚いて(その時はまだ卒業式を間近にした高校生だった。しかも、大学に落ちてフリーターが決定していた)、付き合い始めて暫くして、初めて行った旬の部屋の汚さ、生活のだらしなさに驚くことになるのだった。

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