11 後日談
数日後――
奈津美は、遅くはなったが、旬のためのバレンタインのチョコレートケーキを作り直して、旬の家にやってきた。
「……何これ」
旬の家に踏み込んだ時の奈津美の第一声はそれだった。
台詞としては、いつもと同じだったのだが、その声は、いつもより力が抜けていた。
いつもは唖然とした感じなのだが、今日はそれを通り越して愕然としていた。
「あ、ナツ〜」
旬が、玄関で立ち尽くしている奈津美を出迎えた。
「あ、それケーキ?」
奈津美の持っている紙袋を見て、反応する。
「うん」
奈津美はとりあえず頷いて旬に紙袋を渡す。
「うわ〜。開けていい?」
旬は上機嫌で紙袋の中のケーキの箱を覗いて言った。
「待って。旬。この部屋の状態は何?」
奈津美は、少し厳しい声で旬に聞いた。
「何でいつもよりこんなにひどいの?」
久々に来た旬の部屋の中は、いつもと違った。
いつもにも増して、散らかり、部屋がゴミや物で埋め尽くされていた。
久々、といっても、前に来て掃除した時から十日も経たないはずだ。今までにも二週間ほど来てない時はよくあったのだが、その時以上……というより、奈津美が見てきた中で一番酷い。
「えー。これでも掃除しようとして頑張ってたんだって」
「え……」
旬の言葉を聞き、奈津美は目を丸くする。
「俺だって、少しはナツに見直してほしいからさ……?」
少し恥ずかしそうに、旬は言った。
「旬……」
いつもと少し違う旬を、奈津美は驚いた表情で見る。しかしすぐに真顔に戻って、
「何で掃除しようとしてこんなに酷くなるのよ。……もうっ」
奈津美はパンプスを脱いで部屋に上がった。
「え……ナツ、ケーキは?」
「冷蔵庫に入れといて」
「え〜……」
「こんな中で食べれるわけないでしょ! 掃除が先!」
奈津美に厳しく言われ、旬は残念そうに冷蔵庫へ向かった。
あれ以来、奈津美は今までと大して変わらず旬に接していた。
旬がありのままの自分を受け入れて、それを好きだと言ってくれるのなら、特に意識せず、自然体で振る舞おうと決めたのだ。
それにしても、部屋の中の有り様は本当に酷い。
どうしてこうまでなっているのかと、よくよく見てみると、いつもは散らかっている部屋には存在しない、大判のゴミ袋が点々とそこらにある。
それらは全部、中途半端にゴミを入れて放置してある。
「旬、何でこんなに袋を無駄使いしてるのよ。まだ入るのに勿体無いでしょ」
台所から戻ってきた旬に、奈津美は注意する。
「別に無駄使いしてるわけじゃないよ。分別してんの」
意外にも、旬は平然と言い返してきた。
「ナツ、いつもゴミはちゃんと分別してって言うじゃん。だから分けてたの」
あの旬がそこまで考えてやっていたなんて驚いた。
「でも分別してたら途中でややこしくなってそんな状態に」
さらりと挫折したことも言ってしまった。旬らしい。
旬らしくて、呆れる。
「もう……そんな言うほどややこしくはないでしょ。燃えるのと燃えないのと、空き缶、ペットボトルぐらいなんだから」
そう言いながら、奈津美はそこらに落ちているゴミ袋を拾い上げ、中身を見てみる。
「もー……早速空き缶とペットボトルが同じところに入ってる」
奈津美はペットボトルを取り出した。
「え〜。マジで?」
そんな風に言いながら、二人で掃除を始めた。
ゴミの分別とか、旬にしてはしっかりと考えていると思ったら、他のゴミ袋も色んなゴミが混ざっていて、大してできていないことがわかった。
…それでも、今までの旬と随分違うと気付いている。
こうやって、旬も一緒に掃除をするのは初めてだし、部屋の中にあるゴミ箱が、いつもと違って満杯になっているのは、
『ゴミはゴミ箱に入れてっていつも言ってるでしょ!』
何度もそう言ってたのを、意識してだろう。
旬は旬なりに、奈津美のためを考えている。
今も燃えるゴミと燃えないゴミの区別がつかずに悩んでいるが、間違えていても、大目に見よう。
『俺だって、少しはナツに見直してほしいからさ……?』
旬がそう言ったことが、今は何より嬉しかったから……
「あ、ナツ」
いつの間にか、旬が奈津美の正面に回り込み、顔を覗き込んでいた。
「今日、俺があげた口紅つけてるでしょ」
旬はニィッと笑いながら、嬉しそうに言った。
「うん」
奈津美は半ば驚きながら頷いた。
目聡い。
確かに今日、旬に会うからと思って初めてその口紅を塗ってみた。
でも、旬が選んだという色は、奈津美がよく使う色とそんなに変わらない、淡いローズピンクだ。塗ってみてもいつもとそんなに変わらないから、気づかないだろうと思っていた。
それでも分かるのは、やっぱり旬だからだ。
「その口紅ってさ、落ちにくくていいって評判なんだって。知ってた?」
旬は得意気な顔をしてそう言った。
「うん。知ってる」
奈津美は頷いて答えた。
旬がくれた口紅は、CMでよく見るもので、旬の言うとおり、食事をしたりしても落ちないということをメインに宣伝している。
「もしかして、それで選んだの?」
奈津美には逆に、旬がそれを知っていたことの方が意外だった。
「うん」
旬は、更にニッコリと笑って頷き、そっと奈津美の顔に自分の顔を近づける。
「どうして?」
奈津美が首を傾げ、そう尋ねると、旬の顔がそっと近寄ってきた。
「これでナツといっぱいチューできる」
悪戯っぽい旬の言葉に、奈津美は目を丸くした。
そしてすぐ、
「もうっ……」
と、いつもの口癖を言いながらもはにかんだ。
二人は目を合わせて笑い合い、そのまま唇を重ねた。
柏原奈津美の彼氏は、年下・高卒・フリーター。家事は一切できないし、部屋は散らかすのが得意な方だ。
奈津美がいないと、まともな生活はできないんじゃないか。
そんなダメ男の旬。
それでも、奈津美には旬が必要な存在だ。
何だかんだで、こんなダメ男に依存していたのは奈津美の方かもしれない。
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