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世界は色々な境界線上の、非常に危ういバランスの元に構成されている。
その世界が定めた〝理〟を犯さぬよう、全ての事柄が事細かに決められ、それを破った者には罰が与えられる。
そうなるように、世界は定められている。
◆
「…………なんだこの状況は」
思わずそう嘆かずにはいられない。溜息が知らず知らずの内に漏れたらしく、頭がズキンッと痛んだ。
一部の低給料平サラリーマンからは安くてうまいと評判の、少し寂れた居酒屋の一角。店内は普通の店と比べると狭いが、昭和の素朴な内装がいい味を出している。
その狭い居酒屋の床に倒れ伏す、スーツ姿の男たち。
ぐへへっと笑いながらしゃっくりする奴もいれば、ヨダレ垂らして寝てる奴もいる。
どうしてこうなった。たった2時間程度の酒盛りで!
冷静になれば、ザルを蹴っ飛ばしてワクな自分のペースに付き合わせればこうなることは分かり切っていたことだろうに。
軽い自己嫌悪を済ませると、少し酔いが回った体で席を立った。
今気付いたが、自分の連れてきた同僚5人は現在進行形で床と親密な関係を築いている。のんべぇを自称していた居酒屋の親父まで潰れていた。どうなってんだ。
唯一無事な自分が後始末をせねばならないのだろうが、酔っ払いの(親父)相手はまっぴらごめんである。
「ま、まだ1時だし………帰るか」
ふかふかベットで疲れを取らねば、明日…っと、もう今日か。の会議に響く。
いつの間にか脱いでいた上着と鞄を片手に、今日の会議に同じく出席予定の同僚を置いて、終電に滑り込むべく足早に暗い路地を駆けた。
20代後半になってから初めて酔った。
少しフラつく足で、なんとか人気のいないプラットホームに辿りつくと、硬いプラスチック製のベンチに腰を下ろした。「よっと」と声を出してしまい、年くったなぁ俺……となんか悲しくなった。この年になって、未だに恋愛経験もないのは少しまずい気もする。
街の明かりのせいで星が見えない夜空を、冷たい風が通り抜けた。
アルコールで火照った体に、すっと溶けていく感覚が心地よい。
目を閉じて大きくのびをすれば、髪が風に揺れてさらりと音をたてた。
駅のプラットホームに居るのは、反対のホームで寝そべるサラリーマン風の中年男性と、隣のベンチで青白い顔をしている高校生っぽい青年一人。
大人としては注意を促すべきかもしれないが、まぁ、過去の自分を棚に上げて偉そうに一般論を説教するのは憚られた。そういうのは駅員さんにお任せしよう。
ちょうど思考に一区切りついた所で、ブーッブーッとやかましいバイブ音が響いた。
びくっと若干驚きつつ、ポケットから携帯を取り出し通話ボタンを押した。
「もしもし『兄さんいまどこにいるのッ!?』っ、!?」
大音量できこえた声に、あぁまたやってしまったと頭を抱えた。12時超える時は連絡するように、口を酸っぱくして言われていたのに。
「あー、その……故意じゃないぞ。今日は10時には帰るつもりだったんだけど、その、我を忘れてだな、全員潰してしまったらしく……その………・」
『いいよもう聞き飽きたよ!! 兄さんはワクすら殴り飛ばしてブラックホール並なんだから気をつけろって言ったのもう忘れてんの!? てゆーか今どこ!?』
「おい、鼓? どうしたそんな慌てて……」
平々凡々な独身サラリーマンな俺に似ず、将来エリートを約束された進学校首席。まだ17歳だが企業の注目の的らしい弟は、『クールで付き合い悪い、けどそこがイイッ』という女子生徒に多大な人気を誇っている。俺の反面教師の結果故、鼻が高い。(それでいいのかと思いはするが)
家でもあまり口数は多くないが、掃除洗濯を手伝ってくれる出来た弟だ。キッチンは使わせられないが。(以前、カレーを作ろうとしてコンロの丸焼を作った)
その時でさえクールに、いたって冷静に修理業者を呼んでいた弟が、珍しく声を荒げていた。
『だ・か・ら! 今どこ!?』
「さ、三条駅だけど……」
『……………なんかさ、もはや諦めていたこととはいえさ、こうもピンポイントで遭遇なんてありえるの? 兄さんバカなの?』
「おい弟。分かるように説明してください」
急に毒を吐きまくる弟に敬語を使う兄。情けないかもしれないが、これが我が家の力関係だ。
『さっきニュースで、通り魔殺人があったらしいんだよ。場所は三条橋付近。もう13人は亡くなってるらしいよ』
「? …………………弟よ」
『分かった? もうすぐ電車くると思うけど、やっぱタクシー拾って家まで―――』
最後の鼓の言葉は、途切れた。
ナイフを振りかぶった、顔色の悪い高校生が背後にいるが、反対ホームの鏡に鏡に映っていたから。
「うわっ!?」
まだ通話中の携帯を投げ捨てて、ベンチを転がり落ちる。ガキンッと音がする。ナイフが紙一重で振り下ろされていたらしい。
深々とプラスチック製のベンチに突き刺さったナイフを見て、血の気が引く。
サバイバルナイフより一回り大きい、赤いなにかが付着したそれ。
高校生が暗い瞳でそれを見ると、ぐるりと首を巡らせてこちらを向いた。
『兄さん!? 兄さん!?』と遠くに落ちた携帯から弟の声がするのを、どこか遠くで聞いた気がする。
黒い学生服に黒いニット帽の高校生は、ぼぉーとした放心状態でこちらを見て、口角を釣り上げた。
肉食動物が獲物を狩ると決めた時の目だ、と本能的に悟る。鋭い光を宿した目が、嬉しそうに歪んだ。懐から同じナイフを取り出すと、恍惚とした表情で刀身を舐める。
おい、こんなの冗談じゃないぞ!?
どっからどうみてもぶっ壊れてるだろこいつ!? ただの酔っ払いサラリーマンには身が重い相手なんですけど神サマどうしてくれるんだチクショウ!
背筋が泡立つのを感じながら、心を落ち着かせようと思考する。
落ち着け俺! さっきもすごい音したんだから、駅員さんが気付くはず! 多分、警察でも呼んで取り押さえてくれるはず!
つまり逃げるが勝ち。
そう決定するや否や、出口に向かって走り出す。恍惚状態継続中の奴なら反応が遅れるはず……
が、なかった。
いつのまにか正面にやってきていた高校生が、ナイフを振り下ろす。
「うおっと!??」
鞄を盾になんとか刃から逃れる。書類しか入っていないが、なんとか体は守れた。とっさの判断で鞄ごとナイフを蹴り上げる。
高校生の手首を蹴り抜く形で、ナイフを線路に落とした。
やれば出来る自分最高、グッジョブ。
ラッキーパンチを食らって驚いたのか、高校生はポケッとこっちを見ている。
「えー……おとなしく投降しようか、少年」
ファンファンッ。赤い光が駅を取り囲むのを端目で見ながら、ふぅ、と溜息をつく。
駅員かはたまた出来すぎた俺の弟が、警察に連絡してくれたらしい。思ったよりも早い登場に心底感謝しながら、放心状態の少年に投降を促した。
よく考えたら、俺は10歳か何歳か年下の、それも弟を同じような子供に殺されかけたのだろうか…?
………思考終了。冗談じゃなく、俺の何かが失われてしまう。
「ぅ、そ………うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ!!」
目を離してたのなんて、ほんの5秒くらいだと思う。
思考の海に沈む癖を、これほど恨む日がこようとは思いもしていなかった。
「ちょ、どうした!?」
もう武器を持っていない高校生に手を伸ばそうとした時には、もう彼は線路に飛び出そうと走っていた。
なんでライトが見えるのかなー。とか、つーか空気読めよ終電。規制入れろよ公務員どもめ。とか言いたいことは山ほど、というか山よりあるんだ。
だってそうじゃないか?
久々に飲んで軽く酔っ払って、終電で帰ろうとしたら弟の電話……あぁ、電話で自分の話されたから襲ってきたのか? よし、弟よ。明日の朝食にトマト出してやる。
けど、そんなことで殺されそうになったんだぞ?
え、かすり傷ひとつねーだろって? 人間、死ぬ気でやればなんでもできるそうだぞ。諸君。
言いたいことが分からないだろうから、これだけ。
自分に殺意を一度でも向けた相手を、なんで助けてるんだろうな?
走って、もう既に電車の前に踊り出ていた高校生の腕を掴もうとして、もう遅いと思った。
引き戻すんじゃ、間に合わないと本能的に悟る。
そう悟った瞬間に、もう俺の体はプラットホームの地面を蹴っていた。
体当たりを喰らわせるようにして、反対側の線路に高校生を突き飛ばす。
彼が驚いたように、くしゃりと顔を歪ませたのを、最後に見た。
だからか、心から思った。
「ま、いいか……」
本当にバカな兄貴でごめんな、鼓。
そう呟けたか、そうじゃなかったのかは分からないけれど。
電車のライトがやけに眩しいと思ったら、もう意識は遠のいていた。
永山 綴 28歳独身
波川生業の会社サラリーマン。「本人には内緒だったが、来春には部長にと思っていた」、と上司が発表。
13人の被害者を出した三条橋通り魔事件の犯人である少年、東邦院 空広(17)が電車に飛び出した所を、自分の命と引き換えに救った。
なお、反対側のプラットホームにいた男性の証言によると永山氏は少年に殺されかけていたらしい。
「勇気ある青年でした」と、彼は涙ながらに語ったという。
駄文ですいません。
まず完結を目指して、一区切りついたらこの駄文をガシガシ修正します。
すいません、力量不足でして……
ここまでスクロールして下さったのも何かの縁、ということで、最後まで(いくか分からないけど)よろしくお願いします。
作者のネーミングセンスを哀れんで下さっても、そこだけはつつかないで……!!
アドバイス、ダメだし等よろしくお願いいたします。日々是精進の所存です。