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夢の連鎖 3.翠緑の場合

霧けぶる竜護仙りゅうごせん、かろうじて判別できるような道を二人の少女が歩いている。一人は黒い結髪にかんざしをさした少女で、もう一人はもっと幼い。その幼い少女は先程から澄んだ声で隣の姉に熱心に語っていた。

「洞窟はとても整っていて、天井から明かりが煌々と灯っていました。床はどこもかしこもツルツル光る石で覆われていて、多分、大府さまのお屋敷のような大理石だと思います。どんどん下りていって、わたしは何かを待っているのです」

「まあ、翠緑ツイリューは一体、何を待っていたのかしら」

姉は優しく翠緑に微笑みかける。

「竜です」

妹は厳かに言った。

「暗闇で竜の目が光りました。でもわたしは動じません。それが当たり前のように目の前に来るのを待っているのです。銀色のとても美しい竜は静かに滑りこんで、止まりました。そして、あろうことかフシューッと音がして、竜の胴体が開いたのです!」

まあ、と姉は再び微笑んだ。先程から翠緑は昨日見た夢を興奮状態で話している。夢中になって、あどけない頬を桃色に染めて。

「それも一つだけではありません。きれいに規則正しい間隔にある扉が、すべて同時に右と左に勝手に開いたのですよ、姉さま!」

「とても素敵な夢を見たのね」

「はい! あっ、尊師せんせいのお家が見えました」

獣さえも迷い込まないような山奥、掘立小屋に近い家がそこにあった。主は尊師と呼ばれる、おじさんと呼んでいいのかお兄さんと呼んでいいのか判断しかねるような年頃の男で、薬師くすしを生業として生計を立てている。少々変わり者かもしれない。当代随一の薬師が弟子も取らず、こんな山奥に引っ込み、おまけに髷すら結っていない。

横で姉がさりげなくおくれ毛を整えた。十六になって結髪を許されてからは、銀の簪を一本付けている。求婚する男は多かったから、金銀瑠璃珊瑚、様々な簪が贈られたが、姉は頑なにこの燻銀の簪しか頭に付けなかった。翠緑はそれが誰から贈られた物か知っている。

「お久しぶりでございます、尊師」

姉は手にしていた籠を横に置くと、膝をついて両手を組んで額に付けた。翠緑も同様に礼をする。

「久しぶりだね。御母堂は健在かい」

「ええ、お陰さまで、畑に出られるようになりました。ありがとうございます」

尊師はゆっくりと笑うと、二人の為にお茶を入れてくれた。香り高い茶色の液体が入った椀を翠緑の前に置いた尊師の手は、大きくて筋張っていた。この人はこの手で、姉にどういう風にふれるんだろう。翠緑はぼんやりとそんなことを思う。

「お礼をちゃんと言いなさい」

姉に小声でたしなめられて、翠緑は慌てて礼を言った。尊師はゆるりと微笑んだまま頷いた。


一息ついた所で、翠緑と姉は薬の調合を手伝った。といっても、幼い翠緑に出来ることは少なかったが、何度も見てきているので、自分が何をすべきかは分かっていた。まず、尊師が翠緑たちの持ってきた薬草と他の様々な実や草の茎を燻す。卓の上で慎重に、万全を期して。やがて草からもわもわと煙が立ち上る。最初は灰色だった煙は次第に虹色になり、煙というよりはやや鈍重な雲といった風情でふわふわと燻されている草の上に溜まりだす。

尊師と姉は器用にその雲の一篇を指に絡みつかせて掬うと、縦長の細い人差し指ほどの容器に入れてゆく。容器の中で蒸気の塊は「チリチリチリ」と僅かな音を立てて桃色の結晶へと姿を変えた。この一粒二粒の薬の値段を聞いて、翠緑は腰を抜かしたことがある。そんなに高価な物ならば、尊師は都の一等地に御殿を立ててもなお有り余る金貨を持っている事になる。

「まあ、わたしは都が嫌いだから」

どこか寂しそうに尊師は言った。

チリチリチリ、と手の中で結晶が音を立てる。翠緑はこの音が大好きだった。暖かな静寂と微かな水晶だけが降り積もる中、翠緑が「あの」と顔を上げた。一番神経を使うのが薬草の調合で後は単純作業だから、話しかけても大丈夫だろうと判断したらしい。

「今朝見た夢の話を聞いてくださいますか」

「この子、よほど愉しい夢を見たようで。今日も道中、そればっかり」

姉が苦笑して、尊師も促してくれた。

「どんな夢をみたのかね」

翠緑は嬉々として話し始めた。兄らしき人物と言いあいをしている事、朝餉だろうそれは得体のしれない形状だった事、驚いたことに自分は年長者に対してぞんざいな口をきいている事、不思議な着物を着ている事、整備されすぎて愛想のない洞窟の地下へ下りていった事、滑り込んできた銀の竜――。

「わたしは平然と竜の中に入りました。わたしだけではありません、たくさんの人が乗っているのです。竜の中は……生き物という感じが全くなくて、細長いお部屋が繋がっているようでした。でも、すごい速さで動くのです。ですから生きているのだと思います。不思議だと思いませんか」

「確かに物体が意思を持って動くことはない」

しゃべりすぎてうっすら汗をかいてきた翠緑を可笑しそうに見ながら尊師は言った。

「進化した馬車かもしれないな」

「お馬は竜をひいてませんでした!」

「それは失礼した」

むきになる翠緑に尊師は素直に謝った。

「もしかしたら、翠緑は寝ている間に、異次元の扉を開いたのだろう」

「いじげん?」

聞きなれない言葉に翠緑はきょとんとした。

「ここではないどこか違う世界があるということだよ。遠い未来かもしれない。遠い昔かもしれない。そして遠い星かもしれない。それとも」

尊師は虹色の雲を「三」の字に分けた。雲は律義に「三」のままでフヨフヨと漂っている。

「同じ時間枠で、全く違う世界が平行線で展開している可能性だってある。きっと夢は現実よりもその不思議な異次元により近しいものではないかな。夜になれば彼方此方かなたこなたの扉が開き、我々の魂はそこで生きる誰かの人生にしばしの間寄り添う。朝になれば己の器に戻り、何事もなかったように日常を送る――」

「尊師、尊師」

朗々と語っていた老師の声を姉が遮った。

「翠緑が目を回しております」

翠緑には少し難しかったらしい。キュウと卓に撃沈してしまった。

ちなみに老師は夢を見ないという。

「見ているのかもしれないが、そんなに執着がないのだろう、すぐに忘れてしまう」

姉も同様だといった。

「それは少し寂しいですね」

首を傾げた翠緑は知らない。二人がこっそり目配せをして微笑み合ったことを。

二つ目の太陽が落ちて、竜護仙は柔らかな闇に包まれ始めていた。




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