不死身の男
既に日が落ち始めている山中を往く荷車には、布で隠されている塩が再び満載になっている。密かに貯蔵している場所で積み込んでいた
塩だけでもかなりの重みがあるのだが、その上で横になっている張飛と少女の体重を加えてすら軽々と関羽が荷車を引いて進んでいく。
「おい」
「ああ」
張飛が身を起こして周囲を窺った。鳥の鳴き声一つしない。荷車が進む音に隠れて、風によるものか草木が擦れ合う音がわずかに聞こえるぐらいである。
「前に人だ。二人」
張飛が荷車から音も無く飛び降りると、いかにも山賊のような格好をした二人が動作だけで静止を促してきた。
近付いて見ると腕に黄色の布が巻かれている。最近流行りだした太平道を旨とする新興宗教員の証だ。
宗教の枠に留まらず、武装蜂起して国に反逆までしている独自勢力となっている。
「よし荷車を捨ててすぐに逃げろ。賊に囲まれてるぞ」
二人いる中でも年上で武骨な男が囁くように言った。もう一人の若い男は関羽の横にきて交代する的な仕草をした。暗くて確とは分からないが、頬に何か書いてある。
「賊はお主達であろう。命を捨てたくなければすぐに逃げるがいい」
そう言った関羽の顎髭を、若い方がいきなり引っ張り顔を己の目線に合わせた。瞬間、若者が殺されると張飛は確信した。
「例え貴様が神でも悪魔でも将軍でも髭魔神でも気軽に生殺与奪を語るんじゃねーよ。誰もが生きる為に懸命なんだ。脅しだろうと本気だろうと命を安く語ってんじゃねー!」
薄暗くなった山中でも分かるぐらいに、関羽の顔が紅潮した。小刻みに震えてはいるが、それ以上は動かない動けない。性格上、正論で攻められると弱いのは知っているが、それを踏まえても張飛には不思議な光景に思えた。
「賊が偉そうに語るじゃないか。お前が絡んでる男は賊を喰らって生きてる鬼人だぜ」
「女、私は賊なんかじゃねーから」
「だったら何だよ」
「んんん、私に聞いてるのか。この私が誰か聞いてるのか女? 私は劉備間違えた馬休だ。馬鹿も休み休み言え的で雑魚っぽいだろ。劉備ってのは違うから忘れろ」
「馬鹿も休み休みに言うがよい。劉姓なら王家の血筋ではないのか」
引っ張られていた髭を擦りながら言った関羽の声が、僅かに震えた。
「そりゃ私が言った台詞だろーが。オウムかてめえの前世はオウムかよ。っと、いけない。奴等の合図が聞こえるな。早く逃げた方が身の為だぜ。私が荷車を引いて囮になるから。周倉が道案内してくれるから早く逃げな」
周倉と言われた男が頷いた。されるがままに荷車を若者に託し、夢遊病者のようになっている関羽の様子を見て、張飛は舌打ちをした。
「囮になったらお前が賊に殺されるぞ。賊の仲間じゃなければだがよ」
「まーだ疑ってんのかよ。たかが二人、いや三人にんな面倒な事をするかよ。それに私には大志があるから、こんな場面で死なねーよ。剣を使わせても一騎当千とまではいかなくても当三ぐらいはいくぜパパー!」
「百点!」
関羽の採点に、それは違うだろうと張飛は思ったが、そもそも論点が違うのでツッコミは入れなかった
「そいつは大事な商品だ。渡すわけにはいかないな」
「商人か。ならばタク県の楼桑村まで取りに来いよ。そこまで周倉に案内してもらいな。この山の抜け道にも精通してるし、賊からはうまく逃げれるはずだ。荷台の幼女は商品ってわけじゃないんだろ。こいつはさすがに預かれねぇから何とかしろよ髭男爵」
関羽は承知とばかりに幼女をドサリと地面に降ろすした。
「あんたはどうするんだ。重い荷車を押しながらだと逃げ切れまい」
「この私に同じ事を二度と言わす気か? 私は決め台詞を言うのは大好きだから何度でも言ってやるぜ。私は死なん! 大望を果たすまでは死なん! 故にこんな導入部で死なん! 心配無用だ。むしろ周倉、死相が出てるぜ気を付けな。こいつはようやく見付けた仲間だからお前達が死んでも周倉は逃がせよ」
「承知した。漢同士の約束だ。あの満月に誓って守る」
「いやいや三日月だぜ今夜は――大丈夫か髭?」
「ぬ、ならば漢らしくあの蛍のケツの光りに誓う」
「普通に三日月か、せめて星だろ。無理に狙う必要ねーだろ。周倉、くれぐれも気を付けなよ。どうやら普通の商人じゃなさそーだぜ」
「普通じゃないのは見れば分かるだろ。それに黄巾にいる間は俺の名前も馬鉄って言う約束だろ」
「悪い悪い周倉、俺は先に行くから賊を巻いたら家に来な。ママに紹介するからよ」
「勝手に話が進めてんじゃねーよ。俺達は賊相手に逃げるなんてもったいない事はしないし、その荷車をお前一人で引けるとも思えねーな。俺や関羽ですら二時間毎に交代しなきゃ息がきれる」
張飛は身を屈めて若者の目線に近づきニヤリとした。
「普通に押せたらキスしてやるぜ」
若者は腕にぐっと力を込めると、空車でも引くかのように前進した。空車ではないと訴えるように荷車からぎしぎしと重低音が響いた。
「かかかかか! 俺の名前は馬休だぜ。荷車引く為に生まれたようなもんよ! いや待て待てあんまりかっこよくねー台詞だな。大女に喰われたくねーから、このまま行くぜ! 賊が俺に絡んでるすきに逃げろよ!」