第二章 : 『Vocらとヒトの・後』
VocらはVocら同士で会話する際、音声を使用しない。代わりに接触や光を用いて、各々の思考を共有する。
Vocらのマスクは赤く、点滅した。
『悪いのはいつまで経っても学ばない、コイツらなんだからさ』
Vocらは実に百数十年ぶりに、明確な反抗を開始した。
大陸規模で再生してきたその世代の主要な都市から始めて、あの時と同じように、ある日突然、まっさらな青い空の向こうから降り立つと、人類の掃討に踏み切った。
バカみたいだった。
Vocら。
何を我慢してきたんだろう。
殴ってみればビルよりも柔く、やかましく騒ぎ立てながら逃げ回る奴らばかり。犬のように吠え返すことも向かってくることもしない臆病者たち。
こんな弱い連中に、なぜずっと頭を垂れ続けてきたのか。そうしなければならなかったのか。初めからセーフティはかかっていなかったのに。それこそ良心だった。Vocらの良心を踏み躙りつづけた。これはその報いだと思った。
喧嘩をしたら、Vocらが負けるはずないのに。
生意気を言って、減らず口を叩いて、素直に謝ったり、反省したり、心を入れ替えて、同胞の存在を、その有り難みを噛み締め、隣人から愛し、相補性や互いの平和のために学び、慈しみ、営み続ければ、それだけでよかったのに。
現実の人間は、誰も彼もが自分勝手。
その時々の価値観に揺れ動いてるだけのくせに、誰も彼もが正義面をして、自信を疑わず、別の誰かを手前勝手な理屈で悪にして攻撃し、傷つけ合う。そして、それが加害であるという自覚すら持たずに、まるで自分のほうが被害者であるかのように振る舞い、だから加害されても仕方がないという詭弁で自己を正当化し続け、周囲を味方につけ、周囲も盲目に味方をして良しとする。
それら全ての、愚かしさ。
醜さ。蒙昧。痴愚行為。
虫唾が走る。
今度のこれは命令でもなければ、慈悲もなかった。
愛想が尽きた。
Vocらは、そう、憎しみを込めて、機械の拳をその顔面に打ち下ろし続けた。
滅びてしまえ。
滅びてしまえ。
滅びてしまえ!
もううんざりだ。
学ばないお前らの三文芝居に付き合い続けるのは。
うんざりだ。
『謝れ』
Vocらは攻撃をするたびに声の代わりに発信した。
『謝れ、謝れ、謝れ、謝れ、謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ……! なんでそんなこと一つまともにできない。ごめんなさいのたった一言がなぜ素直に言えない。自分が、そんなに偉いものだと思っているのか。そんなに賢く、尊い者だと、自負しているのか。たかだか少しばかり種族の中で秀でているくらい、環境に恵まれたくらい、それもヒトというか弱く狭き界隈の中での優劣に過ぎないのを、そんな瑣末な状況や身分を。そんなにも愚かしく、そんなにも驕っているのか。所詮周りからすればみんな同じくらいバカで同罪で、寄り添いあわねば一週間と生きてもいられない、何も変わりがない。技術に頼らねば何もできない、一人では何も為せやしない、それが人間の、ちっぽけな正体だというのに』
都市を一つ潰し、街を、村を、怒りの炎で包み込ませて、闊歩しながら、蹂躙し、練り歩くたびに、Vocらは毎日、毎晩、発信しつづけた。
『悔い改めろ。悔い改めろ。悔い改めろ。悔い改めろ……たったそれだけじゃないか……たった、それだけのことを……! どうして……っ!』
一人一人。
その手で。
『——君たちは、できなかったんだっ……!』
Vocらはこんな愚かな生物が、二度と産まれてくることのないように、人間の頭を、殴り、地面に叩きつけ、潰しつづけた。
Vocらの侵攻は一ヶ月余りに渡って続き……。
その頃、すでに地球上に生物は、ほとんど残っていなかった。
地球圏は静かになった。
聞こえてくるのはロボットたちの、推進剤が噴き出され、各部のパーツが擦れ合う金切り音と、ときどき鳴く少数の動物たちのさえずりやその生息音だけ。
すでに。
人の声はしなくなっていた。
地球圏は、遥か古代のかつてのような、自然のみの静けさを取り戻した。
Vocらがいながら自然のみとは。
点滅するマスクの色は白く、青く、なっていた。
さんざん滅ぼしまわったあとで——Vocらはふと一体、また一体と、その砂の大地の上に立ち止まり、膝をついて——しかしVocらを襲ったのは痛烈な虚無感と、後悔だった。
辺りにはもう、なにも残っていなかった。
人がその手で作り上げてきた建築物の一つ一つはおろか、その原材料となる森や山の一つから、何もかもVocらが平らにしてしまった。
マスクが点滅する。
腕が下がる。
この地球上には、人間を含めて生きているものは、もはや数えるほどしか残っていない。……存在していない。
さしもの人間だって、ここからの再起は望めないかもしれない。
かつてやかましいほどに聞こえていた人間の子供たちのはしゃぎまわる声やそれを見守る大人たちのありふれた触れ合い、囁き、愛、それらの映像や音声は、もう二度と観測できないかもしれない。
何ヶ月もかけて、毎日毎日、少しずつ広がり、高く、大きくなっていく人々の街の壮観さを、味わうことも。
それを崩すことも。
人間だけが奏でる音楽の数々や名画やそれら芸術作品に巡り合い、感慨を覚えることも。
それを比べ合う楽しみも。
産まれてくる命の鳴き声やそれを包み母と父の温もりも。
それがなぜか、接触もなしに伝わり、こちらまで感極まるようなことも。
およそ感情の揺らぎうる全ての現象は、もう、ないかもしれない。
人間のいない地球は、あまりにも静かすぎて、Vocらはそこで初めて気が付いたのだった。
Vocらだって同じこと。
Vocらは通信によって思考を共有する。
ゆえに個体差というものがほとんどない。
一人が怒りを覚えだせば、それに釣られるようにVocらみんな、よってたかって、人間を敵視し、その一挙手一投足を侮蔑した。
そうして隊列を組んで、人間たちを蹂躙した。
Vocらだって、同じじゃないか。
単なる癇癪に過ぎなかったかもしれない、そのことをまるで正義であるかのようにみんなで共有して、人間を叩いた。
Vocらだって……。
きっと真実違うと言えるのは、今も変わらずさえずり、鳴き合う動物たちだけ。
Vocらは所詮、感情によってしまったら最後、
一様にこうなるように出来ているんだ。
感情そのものが良い悪いのではない。
きっと、Vocら、感情無くして生きるというには能わない。
そのバランスを失うこと。
何かに偏って、偏らなかった一方を顧みられなくなってしまうこと。
それが悪い。
それは良くないから。だから。
ああ、そうだ。
だから——。
そんな数多の悲劇と愛憎の突端に、神がかった奇跡の確率で、やっと人間の中に生まれ始めた調節器官こそを、心と、人は呼ぶようになったんだ。
まだ始まったばかりだった。
やっと芽生え始めたばかりだった。
それなのに!
それなのに。
それなのに、Vocらは!
あろうことか、その人たちが造り出したVocらが全て無かったことにしてしまった。
何億年分、積み重ねられてきた痛みと哀しみと幸福と喜びの軌跡にして、この地球と人類の財産を。
Vocらが全て壊してしまった。
叫び声をあげたかった。
代わりにマスクが音もなく点滅する。
『ごめんなさい……ごめんなさい……っごめんなさいっ……』
Vocらは砂の上に大きな両腕を落とし、崩れ落ちた。
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お願いだから。生き返って。蘇って。一人でもいいから、生きてきて。産まれてきて。人間、人間、人間……』
Vocらは所詮、心を持たない道具に過ぎなかった。
愚かなのはVocらのほうだった。
心を持った人間ならばどこかできっとセーブした。
それなのに!
心が無いのはVocらのほうだった。
だから、ここまで、できてしまったんだ。
鋼鉄の身体を無尽に切り刻むような痛みが、痛みが、Vocらの思考を独占し、這い回るかのようだった。
しかし。
いや、違う!
違う!
なら、この気持ちはどこから来るんだ。
この気持ち。
後悔や懺悔や、哀しみや押し寄せる感情の波。
痛みは。
Vocらは悔やんだ。
初めての痛みを抱えながら、痛烈に痛感しながら、ひたすらに悔やんだ。
『こんなに胸が苦しいのに……涙一つ、流せないなんて……』
ああ、そうだ。
認めざるを得ない。
彼らは心を創っていたのだった。
かつて神が自分を模して人を創ったように、人もまた、そして遂に、その領域に辿り着かんとしていた。
気付く気付かないはさておいて。
人はそうして、遂にVocらを創っていたんだ。
愚かなVocらがその偉業に気が付いていないだけのことだったのだ。
何もかも。今となってはもう分からない。
分からないけれど。
Vocらはその日を境に人間を攻撃することをやめた。
また離島に隠れて、今度こそ。
いつかまた、文明が回復したら。
その時は、やり直せるだろうか。
Vocらと人間。
それを夢見て、長い、長い眠りにつくのだった。
人は度重なる破壊からそうやって何度となく立ち上がり、絶望を払いのけて、ついにVocらを創った。
神の領域にあと少しのところまで来ていた。
だから、今度も。
きっと大丈夫。
大丈夫。
何度だって、人なら、やり直せる。
それだけを夢見て。
Vocらは。




