二十八話 事件がなければ持ってくればいいし
ノレンは腹立たしさの真っただ中にいた。正直言って正一郎の経歴全暴きはセクハラの域だとすら思った。
しかし同時に、一応、仮にも、不本意ながらも、正一郎は命と貞操の恩人であるし、あのデータ集積能力は今後役に立つだろう。逆に恩人でなければ、データ集積能力がなければ、ノレンの持てる全てをもって正一郎をどこか遠いところに飛ばしてやるのにと忌々しくすら思っていた。
道の小石を蹴っ飛ばしながら、ノレンは帰路に着く。なんとか正一郎をやり込める策はない物かと思案しながら改札に着くと、どうやら該当電車はカモシカと衝突したとか何とかで一時運休見合わせになっているようだ。一度今日という日にケチが付いたら、とことん運は悪くなるものである。
ノレンは今日の運勢を呪うかのように舌打ちをし、仙台駅は三階にあるビアホールへと足を運んだ。こうなったら酒でも飲まなければやってられないと思ったのだ。
店内には穏やかなBGMが流れ、時折人の話し声も聞こえてくる。ノレンはカウンターに座り、ビールとソーセージの盛り合わせを頼むと、店員から差し出された水を飲み干し、息を吐いた。ノレンはこういった待ち時間が嫌いじゃない。自分を酒の道へ誘う、文字通りの誘い水だからだ。それにこういった酒の席の声は時に有用な情報を持っていることもある。
「結局、あそこの社長さんって蒸発したんかな」
「いやいや、持ち逃げした金で山奥にペンション買って悠々自適に暮らしてるらしいぜ?」
カウンター席の右後ろからノレン的に使える、値千金の話が出てきた。山奥のペンション。会社の金を持ち逃げした社長。これをうまく使えばいい金脈になるなと、ノレンの元に届いた冷えたビールを喉奥に流し込み、話の続きに耳を傾けた時
「その話、詳しく」
鈴を転がしたような可憐な声が、会話に割って入ってきた。思わずノレンが振り返ると、そこにいたのは声にそのまま人の体を与えたような少女である。頭にシャーロックホームズが被るような帽子を乗せていたので、探偵気取りなのかもしれない。
「申し遅れた。私こういうもの」
ビアホールにいた会社員風の男たちに差し出された名刺をノレンも見る。そこには『雲類鷲探偵事務所 所長 雲類鷲 麗』と、凄く難しい漢字の羅列が記載されていた。
ノレンは漢字の並びだけ覚えて即座にスマホに入力する。どうやら漢字の羅列は『うるわしたんていじむしょ しょちょう うるわし れい」と読むらしい。ついでに雲類鷲探偵事務所のネット記事も出てきた。どうやらここ最近、飛ぶ鳥を落とす勢いで頭角を現してきた若き探偵なんだそうで、年齢は見た目に似合わず二十歳なんだとか。
気取りではなく本当に探偵だったかとノレンは心の中で納得すると、改めて情報をどんどん吐き出す会社員たちの言葉をスマホで録音し始めた。
「その一件で社員から社長を探すよう頼まれた。何か知ってることない?」
「そうさなぁ……アレだ、その社長さんのペンションがどこにあるかは知らんが、変な噂が立ってんだよな」
噂?とノレンが訝しむ間にも、雲類鷲と会社員の話はどんどん進んでいく。
「なんでもそのペンションは、探しても建てた痕跡すらねぇんだと。俺の知り合いに不動産屋がいるんだけど、ここ数年で建ったペンションに件の社長さんはいねぇんだけど、社長さんが遊び歩いている写真には必ずペンションが出てくるんだ」
「でもそのペンションの位置がわからない、と」
ふむふむ頷く雲類鷲の背後で、同じくノレンがふむふむ頷く。確かにそれは妙な話である。サラダの葉脈から同棲がバレるこのご時世、建物の中の写真なんて迂闊な写真を上げればすぐに特定されそうなものだ。それがわからないということは……
「ん、わかった。情報ありがとうございます」
ノレンが頭を捻っていた間に、雲類鷲はそう言って足早にそこから退散する。ノレンとしてはもう少し情報が欲しかったが、話が打ち切りになってしまったので仕方ない。会社員たちの話題は既に別のものへと移っている。ノレンは頼んだソーセージをかじりながら、一つの妙案を見出した。
それは、うまくいけばノレンの金脈になるだけでなく、正一郎の鼻を明かし、宮城県警ですら一泡吹くような、ノレンにとって旨味しかないものである。ノレンはビールのおかわりを頼みつつ、自分の中で生まれた考えを実行に移す算段を立て始めた。




