第1話 白蛇転生
草臥れた二十代前半と思われるサラリーマンが夜の歩道をトボトボ歩いている。
時刻は深夜迎えようという夜十一時、サラリーマンの死んだ魚のような顔ときたら、もうこの世の終わりのようではないか。
「クソがぁ……あのハゲ課長、人にこんな時間まで残業させやがって……!」
その恨み節からも察せられるように、その男はブラック企業で酷使されてきたことが充分に伺える。
サッサと転職するか労基に相談しろと、誰かツッコんで欲しいが、ここにそんな事情を汲み取ってくれる者などいるはずも無い。
ただ、フラフラと足を左右に揺らし、なんとか家に向かっているところだろう。
辺りは民家街だが、外を歩いている者は見当たらない。
寂れた夜の街というのは、時として奇妙な出遭いを呼ぶようだ――。
「キシャアアア!」
「シュルルル!」
街灯が照らす下。男の前に、白猫と白蛇が対峙していた。
「えっ?」という声が零れ落ちる。
なんだ、幻でも見ているのか、瞼を擦るも、現実は変わらない。
繰り返す、白猫と白蛇が対峙している。
「え? 猫と蛇……て、猫ちゃんがあぶない!」
男は猫好きであった。
猫は蛇を嫌う、このままでは白猫の身が危ないのではないか。
男は考えるよりも先に行動してしまう質がある。
その勇み足で何度も人生において損をしているというのに、自分を変えるのはそれだけ難しい。
思わず白猫を抱えて、守ろうとしようとした刹那、男は白蛇を見てしまう。
美しい蛇鱗、紅い円な瞳、チロチロと揺れる割れた舌。
もう一度彼は白猫と白蛇を見比べた。
猫は成体だろうか、身体は大きくどこかの家猫かも知れない。
一方白蛇は小柄、なんだか弱っている気がする。
その瞬間、もしかして想像する状況と逆じゃないか、それに気付いた男は、二匹の間に頭から落ちる。
「あ……やべ」
それが、最期の言葉だった――。
「なんやけったいな奴が目の前で死におったで!」
「大方我らの喧嘩を仲裁しようとしたのであろう、勇気ある者を笑うものではない」
「……あ?」
気が付くと男は四角い部屋の中にいた。
中央に炬燵があり、四角い部屋は真っ白な壁に覆われ、扉がない。
天井には光源がない、にも関わらず部屋は明るかった。
男の前にはこたつテーブルの上に白猫と白蛇が座っていた。
「なんやニンゲン、鳩が豆鉄砲くらったような顔しやがって、サルの顔ほど分かりづらい顔はあらへんな!」
関西弁みたいな喋り方で怒っているのか笑っているのか曖昧なのは白猫。
一方でとぐろを巻いて落ち着いている白蛇は、優しく男に話しかけた。
「ニンゲン、気の毒であるが疲労困憊の上、硬いアスファルトに頭頂部から転落、蘇生の見込みなしだ」
「えと、それじゃあここは天国?」
「ちゃうねんちゃうねん! ここはなぁニンゲン風に言うんやったら神様の隠れ家っちゅー感じや!」
白猫は「合っとる?」と白蛇に振り返った。
白蛇は舌をチロチロしながら、簡単に補足する。
「正確にはここは生死に狭間、我々神の世界だよ」
「神……え?」
「ニンゲン、信じる信じないは自由やけど、ウチは【猫神】やで!」
「そして私は【蛇神】、ニンゲン君の名前は?」
「あっ、松葉龍一と申します、コレコレこういう者でして」
男――リュウイチは条件反射で名刺を二柱に差し出した。
すっかり身についた社畜マインドに、ニ柱は呆れかえる。
「なぁ蛇っちー、これってウチらが殺したことになるん?」
「ふむ……責任は我々にあるだろうね」
リュウイチはマジマジと二柱を見比べる。
思わず姿勢も正す勢いだ。
「あの、殺したって、俺は事故死じゃないんですか?」
「ニンゲンの世界の法律やとせやねんけれど、神々の法律やとなぁ」
「掻い摘んで説明しよう。我々は人間の世界に遊びに行っていたのだ、そこでこの猫神と遭遇してな」
「おうおう蛇神のぉ、最近調子乗ってんやないの? てな感じで声かけてな」
「ヤクザ?」
猫神迫真の演技はヤクザがイチャモンを掛ける時の目くじらであった。
しかし蛇神は一笑に伏すと。
「いえいえ、ニンゲン様に媚びるお猫様ほどでは、って返してね」
「キイイイ! ちゃうわ! お猫様がニンゲンを飼ってるねん!」
「とまぁ軽く喧嘩しかけてね?」
二柱の状況を追った演技は迫真だが、リュウイチには愕然とした思いが渦巻いた。
「よ、よーするに俺、早とちりで死んだの?」
「誠にお気の毒ですが、貴方の冒険の書1は消えました、ってね」
「デロデロデロデロデロデンデン♪ てな!」
二柱はケタケタ笑った後、突然溜息を吐く。
「さて真面目にやろう、ここから問題なんだ。神々の法律には、神界以外で権能を使ってはいけないという法律があってね」
「まぁこっちは未遂やし、赦されるやろう? 問題は現地の生物を巻き込んでしまった方や!」
「巻き込み?」
白猫は頭を抱えるとテーブルの上を転がりまわる。
白蛇も気持ちぐったりしている様子だ。
なにが問題なのかは、人間のリュウイチにはさっぱりわからない。
「あの、具体的になにが問題なんです?」
「せやからな! ウチらは他の種族に手が出されへんねん!」
「猫には猫の神が、蛇には蛇の神がいてね、それはニンゲン君の神も例外じゃない」
「なんでや! たかがサルごときが一匹死んだだけやのにーっ!」
さらっとニンゲンからサルごときに見下してランクを下げてくる猫神に、リュウイチの猫に対する心象が少しだけ下がってしまう。
二柱は非常に気不味く荒れていた。
人間の身にはまだどんな問題になっているのか理解らない。
だが蛇神にはある秘策があった。
「そこでだ、えとリュウイチ君、君にお願いがある」
白蛇はリュウイチに顔を近づける。
まだ蛇に慣れていないリュウイチは表情を引き攣る。
「お、お願いって?」
「君を私の眷属にする、これによって一つ罪をチョロまかす」
「えっ?」
「流石蛇ちゃん! 頭良い! こんな事件隠蔽や隠蔽!」
「えっ?」
リュウイチが神々の眷属に?
彼は頭がこんがらがっていた。
二柱の神々は既に事件を隠蔽する方向に変えていた。
面白いように捲し立てる猫神とフフンと鼻高々な蛇神に「うわぁ」という哀れな声が出てしまう。
「あの、眷属になると、どうして罪が雪がれるのですか?」
「だって眷属は神だもん、神を傷つけても罪には問えないよ!」
「ひっでぇ法律だな!?」
「勿論ウチの猫神の加護も与えたるで! せやから、協力するよな? あん?」
急に恫喝に切り替えてくる猫神、顔を近づけると凄まじい圧に泣きそうになる。
『ピンポンパンポーン! 神界にお住まいの猫神、蛇神の二柱様、至急神界総務署へとお越しくださいませ! ピンポンパンポーン』
一人と二柱は突然空間に響く謎のアナウンスに押し黙る。
アナウンスが終わると二柱は急に慌てふためいた。
「あかん! やばい急げ急げ!」
「リュウイチ君! 最終手段だが、君を眷属化し、神界から追放する! どうか私たちの為に、了承してくれ! ていうか、するから!」
「いやちょっと待て!? せめて出頭命令を受けた上で―――のわあああああ!」
リュウイチは突然光に包まれる。
蛇神はハンカチを手(?)に持ち、泣く泣くお別れとハンカチを振った。
猫神は「やばいでやばいで」ともはや自己保身に走る気満々。
こうしてニンゲン松葉龍一は蛇神の眷属となり、即神界を追放された。
彼は声にならない絶叫をあげる、しかし声は光となって霧散した。
彼自身光の粒子となり、今や消滅している。
次の瞬間、彼が意識を取り戻すと見えたのは見たこともない景色、深い鬱蒼とした森の中であった。
その身体を一匹の白蛇に変えて。




