イッツ・ミー
漂う金木犀の匂いもあと僅かばかりで、早くも思い出になろうとしている一月を愛おしく感じた。中旬、程よい夜風に吹かれて誘われた飲み屋で出会った某有名アメリカ漫画キャラクターへの愛が強い女性に、
「あなた『ライナス』みたいな人ね。ライナスって呼ばせて!」
と断言され、その後気になったので原作を買って少し読んでみたら「なるほど」と膝を打ちたくなる気分になった。常に『セキュリティ・ブランケット(安心毛布)』に包まれていなければ気が済まない小さな哲学者という触れ込み通り、主人公ととても仲の良い少年はどこかシニカルだけれど、気落ちしている時には慰めてくれそうな良い性格をしている。正直大分飲んでいたその時には何が何やらという感じではあったけれど、
「わたしはどちらかというとルーシーなの。ライナスのお姉ちゃんなの」
と所々呂律が回らなくなったまま上機嫌で言ってみせた女性の事を興味深く感じ、原作ではかなり我の強い女の子として描かれているルーシー自体にもなんとなく関心が向いた。それにしても初対面の相手に多少失礼とも思えるような事を言う人に遭遇する機会はそれほど多くないだろう。ルーシーの性格だったらそういう事をしても不自然でも何でもないというか、それが魅力とも映るのだろうけれどいつも邪険に扱われている弟である『ライナス』には同情を禁じ得ない。
<いや…逆にそういう風に思わせることで原作への理解を深めさせようとしている?>
立ち寄った書店で原作関連の本を探しながら脳裏に浮かんだのはそんな発想。実際、それ以降自分とライナスの類似点…子供の頃確かに毛布が好きだったこととか、一時哲学に傾倒しかけたこととかを思い出して気恥ずかしいような誇らしいような気分になる。出会いには色んな種類のものがあるけれど、単なるキャラクターものという認識だった原作のすばらしさを知れたのはよい出会いだったに違いない。
そんな不思議な充実感を携えて、また新たな出会いを求めて入店した違う場所にあるバー。カラオケが設備されているので自由に歌えるその空間で、最初に目にしたのは『津軽海峡・冬景色』を熱唱している女性。
<ああ、よくある光景だな>
と思い掛けて、その姿をよくよく見てみたら『ルーシー』だった。照明の関係だろうか、前に見た時よりはやや上品に見えたし歌声も張りがあって中々の美声だった。正直、『ライナス』的な感覚だとここは無関係を装いたい気持ちにはなったが、
『やれやれ』
という感じで彼女が歌い終えたあとは盛大な…目立つくらい盛大な拍手を送った。
「ライナス!」
やはりそんな風に近付いてきた姿を見て、しばらく『ライナス』として相手をするのもいいのかもと思い始めていた。