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ちっちゃな公子エルくんの大冒険  作者: 由畝 啓


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2. 修道士と不可思議な夢 5


無事にベッドに戻ったエルは、靴を元通りに脱ぎ、カーディガンもくしゃりと枕もとに置いた。そして、カートン卿と共にシーツへと潜り込む。

シーツの中は冷たくなっていたが、興奮して体温が上がりきっているエルは全く気にならなかった。


「おもしろかったね。あしたから、さっそくこまってるひとを、みつけなくちゃ」

『──まあ、それくらいなら構わないんじゃないか』

「うん。える、おりこうだから、みんなをたすけるんだよ」


カートン卿は『多分、あの男はそういう話をしたかったわけじゃないと思うんだが』とぼやくが、うつらうつらとし始めたエルの耳には届かない。

微笑ましそうにその様子を眺め、カートン卿はエルに囁いた。


『おやすみ』

「……すみぃ」


むにゃむにゃと口の中で答えて、次の瞬間にエルは深い眠りへと誘われる。

カートン卿は完全にエルが寝入ったのを確認して、真っ暗な天井を睨み付けるように考えた。


『あの男はウィルキンソン伯爵家の末息子か。確かジョエルという名前だったか? 修道士になったとは聞いていたが──妙な雰囲気だったな』


ジェイと名乗った男は最後に妙なことを口走っていた。

アルマが目覚めたら困るというエルに、「朝まで起きることはない」と確信に満ちた口調だった。つまり、アルマの部屋に眠りを深める香を炊いたり食事に睡眠薬を混ぜたりしていた可能性もある。エルが起きてあの教会に単独向かうかどうかは時の運でしかないはずだが、ジェイはそれすらも確信していたのかもしれない。


『自分では動けないのが面倒だな。この修道院は掃除も丁寧にされているようだ──猫も飼っているようだし』


つまり、色々な部屋に忍び込める忠実な鼠も居ないということである。

警戒を高めるしかないかと、カートン卿は心の中で小さく首を振った。



☆☆☆☆☆



翌日、エルはアルマに起こされた。夜中に起きたせいで、エルはぼんやりとしている。

アルマは不思議そうにしていたが、エルがたった一人、真夜中の冒険に繰り出したとは思いもしていない様子だった。


「エル坊ちゃま、教会を見るのはやめて、すぐに移動しますか?」


朝ご飯を食べて、カートン卿をしっかり抱きしめたエルは目をこしこしと擦る。眠たいのは確かだが、教会を見学する、という言葉に、弾かれたように顔を上げた。


「ううん、きょーかい、いくの」

「まあ。でも、おねむなのでしょうに」

「ねむくないもん」


エルは頑是なく、ふくふくの頬っぺたをぷくりと膨らませた。


『いや、どう見てもおねむだろう。夜に冒険になんて行くからだぞ』

「おねむじゃないもん」


普段ならカートン卿の言葉には心の中でしか反論しないが、眠たさのあまり、エルは声に出してしまう。だが、幸いにもエルの発言はアルマの質問にも沿うもので、違和感を持たれた様子はなかった。

エルはぽふんとカートン卿の頭に顔を埋めた。

アルマは「まあまあ」と言いながら、エルの頭を優しく撫でる。その手が居心地良くて、エルはうとうととしてしまう。

見かねたアルマが、そっとエルを抱き上げた。カートン卿を手放して、エルはぎゅっとアルマに抱き着く。


「……かーとんきょーも、いっしょなの」


エルが小さく呟けば、アルマは優しく微笑んだ。


「わかっていますよ」


エルとカートン卿は、いつも一緒なのだ。夜眠るときはもちろん、ご飯を食べる時も、湯あみをする時も、カートン卿はずっとエルの傍にいる。

アルマはそれを良く知っていた。だから、エルはアルマの返事に安心してしまう。ほっとすると、堪え切れない眠気がエルを襲う。そして、教会を見たいのだと言っていたエルは、修道士たちの見送りすら気が付かないままに、馬車で都に向かって出立したのだった。



☆☆☆☆☆



カートン卿は呆れ返っていた。


『だから、それはお前がおねむだったからだろう。言ったはずだぞ、夜の冒険になんて行くからだって』

(でも、きょうかい、みたかったんだもん)


走る馬車の中で眠りから目覚めたエルは、いつの間にか自分たちが修道院から出発したことに気が付き愕然とした。泣きに泣いてアルマに宥められても、悲しい気持ちはなくならない。

ようやく泣き止んだ今も、じんわりと滲んだ涙がときおりポロリと、まんまるな頬っぺたに零れる。

アルマに抱っこされてよしよしと頭を撫でられ背中を軽く叩かれているエルは、じとりと隣に座るカートン卿を睨んだ。エルは精一杯怖い顔をしているつもりなのだが、可愛らしい顔立ちで涙の残る顔では、全く怖くない。むしろ、カートン卿は今にも「仕方のない子だ」とお手上げのポーズをしそうだった。

カートン卿は正攻法で説得するのを諦めて、エルの気を逸らす戦法に出る。


『その代わりに、夜の教会を見れただろう? あの教会は、本当だったら見られなかったんだぞ』

(うん、あのきょうかい、きれーだった!)


途端に、現金なもので、エルの涙がぴったりと止まる。

内心でほっとしながら、カートン卿は『良かったじゃないか』と答えた。だが、次にエルが言ったセリフに、カートン卿は固まる。


(そうだ、おにーさんと、おやくそくしたの。ぼく、こまってるひとをたすけるんだよ)


目尻と頬に残っていた涙の名残を、エルはごしごしと擦った。それに気が付いたアルマが、エルの小さな手を優しく握る。


「エルお坊ちゃま、あまり顔をこすると、痛くなりますよ」

「うん」


素直に頷き、エルはアルマのハンカチで鼻水を拭いてもらった。

つるんとした綺麗な顔になって、エルは少し気分が良くなる。ずっと教会を見られなかったことを引きずっていたが、カートン卿の台詞のお陰で、あっさりと気持ちが切り替わっていた。

先ほどまでの悲壮な顔から打って変わって、エルはきらきらと青い瞳を輝かせる。そして、エルはアルマに抱っこされたまま、忠実な乳母に尋ねた。


「あるま、こまってる?」

「ええ? いえ、そんなことはないですよ?」


唐突な質問だ。アルマは驚いて、目を瞬かせた。一体何を言い出したのかと狼狽するが、エルは顔中で、何かを期待していると表現している。

どうやら、自分(エル)が泣いたことでアルマが困ってしまった、という考えではないようだ。だが、それならば一体エルは何を尋ねたいのか。

普段ならエルの質問にすぐ答えるアルマだが、今回ばかりはなかなか言葉が出て来ない。


「こまってること、ないの?」

『エル坊……さすがに、それは無理があるぞ』


カートン卿が呆れた様子で口を挟んでくるが、エルは聞かない。

だって、アルマは大人だから普段言わないだけで、実はずっと困りごとを抱えているかもしれないのだ。エルにとってアルマは一等大事な人だから、エルが最初に助けてあげるのはアルマが良かった。

とはいえ、アルマにとっては青天霹靂の質問だ。エルが一体何を考えてこんな質問をしたのか──全く分からない。そもそも、アルマは日々に満足しているし、エルという可愛いお坊ちゃまの世話ができるだけで幸福だった。たいていの悩み事や困り事はどうにかなるし、どうにもならないことは時間が解決してくれる。どうにも、歯切れが悪くなった。


「そうです……わねえ……。えっと、今特別に、ということではなく、ですよね?」

「こまりごと、ないの?」


エルはしょぼんとなる。生えていないはずの、子犬の耳が萎れるところが見えるようだった。

アルマは小さく笑う。がっかりさせて可哀そうにも思うが、それ以上にエルの気持ちが嬉しく、可愛いという気持ちが更に膨らむ心地だった。


「アルマには、エルお坊ちゃまがいらっしゃいますから。エルお坊ちゃまのお陰で、困ったことがあっても、すぐに解決してしまうのです」

「ぼくの?」


きょとんと、エルは目を瞬かせる。全くもって、アルマの発言はエルの想像が至らない内容だった。

自分が居るだけで、アルマの困りごとは解決されるらしい──エルは何もしていないのに、だ!

それって、まるで魔法ではないか。

エルは途端に、得意満面になった。


「ぼくがいると、こまらないの?」

「ええ、そうですよ。嫌なことがあっても、エルお坊ちゃまのお世話をさせていただいていると、あっという間に嫌なことが遠くへ飛んで行ってしまうのです」

「すごい!」


あっさりとアルマは「困ったこと」ではなく「嫌なこと」と言い換えているが、エルは気が付かなかった。とにかく、エルは何か特別な力を使ってアルマを助けているのだ。

嬉しくなって、エルはアルマに抱き着いた。

アルマの困りごとを得るが解決しているということは、つまり、エルにはその力があるということだ。きっと、アルマ以外の人が困っていても、エルはその人を助けられるはずだ。

エルの自信はうなぎ登りである。


アルマは良く分からないながらも、嬉しそうなエルの様子を見てにこにことしている。

だが、ただ一人カートン卿だけは、なんとも不安な気分に襲われていた。


『いやー……それは、やめておいた方が良いと思うんだがなあ……』


妙な修道士の話を、エルが正確に理解できなかったことはある意味僥倖だった。だが、エルは周囲を助けるという強い決意を固めている。

まだまだ幼い子供とはいえ、エルは意思が強い。神の病から回復して以降、年齢の割に随分と理解力が高く頭の良い子供に育ったが、その分、こうと決めたことは最後までやり抜こうとする力がある。


『──嫌な予感がするのは、俺だけか……?』


もちろん、エルが危険に晒されないよう、万全の体制は整えられている。カートン卿はクマのぬいぐるみでしかないが、エルの身を守る術はグレンとアルマの手によって十全に備えられていた。だから、その点は心配していない。

それでも、きっと周囲は可愛らしいエルの無邪気な正義感によって振り回されるに違いない。良いことをしよう、という気持ちは稀有だし、エルの教育に良いことは間違いない。それでも、それは面倒を見る側の想定範囲内に収まるからこそのものだ。だが、エルは頭が良い。他の誰よりもエルの傍に居て、彼の成長を見守って来たカートン卿でさえ想定外だと思うことがある。

嫌な予感が強くして、カートン卿は内心で頭を抱えた。


だが、エルはそんなカートン卿の葛藤には気が付かない。

ご機嫌になったエルはアルマの膝から降りて、わくわくと馬車の窓から外を眺める。


「おうち、もうすぐ?」

「ええ、そうですよ。もうじき、エルお坊ちゃまのお父さまとお母さまたちに会えますからね」


エルは嬉しそうに微笑んだ。

物心ついた時から、エルは家族に会ったことがない。屋敷に家族の肖像画はあったが、そこに描かれていたエルはまだ産着に包まれた赤ちゃんだった。だから、他の家族たちも──特にエルと年の近い兄姉たちは、肖像画とずいぶん違う見た目になっているはずだ。

まだ見ぬ家族に思いを馳せて、エルはいつまでも、車窓の景色を眺めていた。




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