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7. ゆめの冒険とトランク 4



ドヴェレンシス港の最寄り駅で降りたホレスは、帰ろうとしていた辻馬車を見つけた。嫌がる御者に、通常料金の倍の金額を握らせる。そして、小さな黒い鞄を片手に、港近くの安宿へ向かった。

他のホテルならば身元を確認されるし、深夜の客を嫌がる。一方、ホレスが選んだ宿は、良くも悪くも客の素性を詮索しない場所だ。


「旦那、ここで良いですかい」

「ああ、構わない」


ぶっきら棒ながらも、御者は仕事をしてくれた。ホレスは辻馬車を降りる。


ドヴェレンシスの港は、闇に包まれていた。アーテム王国に向かう船便は、明日の朝一番に出る。

船の出入りも船員や職員の姿もなく、古い要塞を活用した港は、夜の静けさに包まれていた。異様な雰囲気だ。


「あとは、明日の始発便に乗り込むだけだ」


まだ警戒は解けないが、計画の半分は終えた。船のチケットも、手配してポケットに入れている。


イサコヴァ男爵が手配した手荷物預かり証が紛失したことは、大きな痛手だった。預かり証の紛失から足が付くのではないかと恐れたが、幸いにも警察は気付かなかったようだ。その証拠に、ホレスが店に行っても疑われることなく、無事にトランクを引き取ることができた。


ただ、トランクは明らかに少女のもので、ホレスが持ち歩いていると疑われる可能性が高い。そのため、走っている汽車の窓からトランクを投げ捨て、中身だけを自分の鞄に移し替えたのだ。


静まり返った道を歩き、三角の屋根をした煉瓦の建物の横を通り過ぎる。あと少しで目的地だ。


そう思った、次の瞬間だった。


「ホレス・ヤングだな?」


ホテル横の、細い路地。その暗がりに溶け込むように立っていた男が、姿を見せる。

その姿は普通の中流階級のようだったが、ホレスは追っ手だと直感した。咄嗟に踵を返して走り出す。だが、いつの間にか背後には屈強な体格の男が居た。

逃げ場がない。

それでも逃走経路を探そうとするホレスの肩を、名を尋ねた男──ライオネルが、がっちりと掴む。


逃げられないと、ホレスは悟った。悔しそうな表情で、上目遣いにライオネルを恨む。

ライオネルは騎士にホレスの拘束を任せ、自分は鞄を奪った。中を確認する。鞄の底には、ハンカチーフに包まれたファリーズのガーネットがあった。

一瞬、ライオネルの口角が上がる。だが、彼はすぐに真顔に戻った。


「八月四日、午前零時八分。国宝盗難の咎で現行犯逮捕する」


万事休す。

ホレスはがっくりと、その場に崩れ落ちた。



☆☆☆☆☆



爽やかな朝だ。目覚めたエルは、とてもご機嫌だった。


「かーとんきょー!」


枕元にちょこなんと座っていたカートン卿を見つけて、エルはベッドの上でぴょこぴょこと跳ねる。

昨日、夕飯の前に起きた時、カートン卿はまだ乾いていなかった。だから、エルは少し寂しい気持ちで寝たのだ。

だが、なんとなくカートン卿は恨めしそうである。


「どしたの?」


エルはきょとんと首を傾げた。カートン卿は、大きな溜息を吐く。


『エル坊が、土管になんて入るから……俺が全身丸洗いされる羽目になったじゃないか』

「きれーなったよ?」


エルもカートン卿が傍にいなくて悲しかったが、綺麗になるのは良いことだ。だからそう言ったのだが、カートン卿は歯切れが悪い。


『洗われるのも嫌だが、干されるのがな……。俺の沽券が……」


ぶつぶつと呟かれる言葉は難しくて、エルは意味を理解できなかった。それに、普段は丁寧に説明してくれるカートン卿も、教えるつもりはなさそうだ。


(こけん、こけん……)


心の中で繰り返して、エルはいつかアルマに訊こうと脳裏に刻み込む。

その時、扉を叩く音がした。顔を向けると、「入るぞー」という声と共に、フェリクスが扉を開ける。


「ふぃるにいさま! おはよごじゃいましゅ!」


エルは一層嬉しくなった。興奮したせいで、舌足らずになる。

昨日の夕飯の時も、フェリクスはエルを迎えに来てくれた。寝ぼけていたエルを抱っこして食堂に連れて行ってくれたのもフェリクスだ。


「おう、おはよー。元気そうだな」

「あい! ふぃるにいさまも、げんきなの」

「ああ、元気だぞー」


少し気の抜けたような話し方で、フェリクスは答える。そして、フェリクスはエルの枕元に用意されている服を手に取った。


「これ、今日のお前の服か?」

「あい」


いつも、アルマが翌日の着替えを準備しておいてくれる。小さい頃はアルマが着替えを手伝っていたのだが、もうだいぶ大人になったと自負しているエルは、最近自分で着替えるようになっていた。

だが、どうやら今日はフェリクスが着替えを手伝ってくれるようだ。自分で着れるんだけどな、と思いながらも、エルは大人しくされるがままになる。


「はは、ちっちぇえ」


フェリクスが楽しそうに笑う。エルは良く分からなかったが、フェリクスが嬉しいなら良いかと、大きな目を瞬かせた。

綺麗な服に身を包んだエルは、カートン卿を抱っこする。しっかりと洗われたカートン卿は、花のような香りがした。


「行けるか?」

「ごはん!」


エルはベッドからずりっと降りる。そして、カートン卿を片手に、もう一方の手ではフェリクスの手を握り、意気揚々と食堂に向かった。

食堂には、まだ誰も居ない。しかし、フェリクスとエルは気にせずに、自分の椅子に腰掛けた。カートン卿はもちろん、エルの隣である。


少しして、ロレッタとセラフィーナが食堂に姿を現した。


「おはよう、エルくん。今日も可愛いわね」

「おはよぉございます、エルくん。それと、えっと──レックスお兄さま、も」


いつも通りロレッタはフェリクスを無視するが、セラフィーナはおずおずとフェリクスにも視線を向けた。これまでのフェリクスはセラフィーナに視線を合わせることもせず、ぶっきら棒に「おう」と答えるだけだった。名前も、ほとんど呼ばれたことがない。

だが、そう──それは、ちょっとした気紛れだった。


「おう、セフィ。はよ」


挨拶と言うには素っ気ないものだったが、確実に挨拶だった。

椅子に腰掛けようとしていたロレッタが、背もたれに手を掛けていた状態で固まる。セラフィーナは目を瞠って自分の耳を疑っていたが、すぐに、花がほころぶように頬を緩ませた。


「っはい!」


心の底から、セラフィーナは嬉しいと思っているらしい。頬を薔薇色に染め、いそいそと椅子に腰掛ける。ようやく衝撃から立ち直ったロレッタも座り、呆れたように溜息を吐いた。


「あんたねえ……」


何か、フェリクスに文句を言おうとしたのかもしれない。挨拶ができるのなら最初からしろとか、言葉を省略せずにきちんと言えだとか──だが、ロレッタが次の言葉を発するより早く、食堂に両親がやって来た。


「おはよう、みんな揃っているね」

「レオお兄さま以外は、ですわ、お父さま」


しれっとロレッタが父ヒューバートに答える。ヒューバートは「そうだね」と笑いながら答えた。


「でも、ライオネルも今日の夕方か、明日にはタウンハウスに戻って来られるだろう。一大事を乗り越えたからね」


そう言いながら、ヒューバートは自分の席に座る。ロレッタとセラフィーナが顔を見合わせる。

長兄のライオネルが、ここ最近ずっと忙しそうにしていたのを、二人とも知っていた。ストレスがたまるとお菓子作りに精を出す長兄である。二人が寝た後に、一度タウンハウスに立ち寄った長兄が夜な夜な作ったお菓子が、子供たちのおやつだった。


ヒューバートに並んで食堂に入って来たソフィアだが、すぐには椅子に座らない。少し速足でエルの傍にやって来たかと思うと、思い切りエルを抱きしめた。


「おかあしゃま?」


エルの頬っぺたが、ソフィアの腕の中でむにゅむにゅと潰れる。ソフィアは優しくエルの頭を撫でた。


「天使のエルちゃん。あなたのお陰よ」

「える?」


はて、とエルは首を傾げる。全く思い当たる節がない。エルはソフィアを見上げて尋ねた。


「ぼく、なにしたの?」

「みんなを幸せにしたのよ。あなたは幸運の天使だわ」


もう一度ソフィアはエルを抱きしめて、自分の椅子に戻る。いつも穏やかなソフィアだが──フェリクスを叱った時は別として──今日は普段に増して機嫌が良かった。

ロレッタとセラフィーナは顔を見合わせ、ソフィアにこってりと絞られた記憶が新しいフェリクスは、わずかに身を引く。


朝食が用意され、ヒューバートの手元には執事デニスが持って来た朝刊が準備された。朝刊の表紙は普段と変わらない、平穏なものだ。

少し雑談を交わした後で、ロレッタが少し気になっているというようにヒューバートへと視線を移した。


「お父さま、レオお兄さまは本当にお家に戻っていらっしゃるの? ずっと、警察長官としてお忙しくしているんでしょう?」

「うん。これまでは、警察組織も作ったばかりだったからね。でも、これからはずっと仕事が楽になるはずだよ」

「──それなら、良いのですけれど」


ロレッタもセラフィーナもフェリクスも、ライオネルの仕事内容はぼんやりとしか知らない。だから、ヒューバートの説明には納得するしかなかった。

ヒューバートとソフィアは、意味深な視線をこっそりと交わす。両親のその様子に、子供たちは気が付かない。ただ一人──いや、一匹。カートン卿だけは、薄々事態を察していた。


『なるほどな。エルが見つけたハリネズミと、王女──あれはアーテム王国の王女だったか。それから、手荷物預かり証にやたらと食いつきが良かったウィルキンソン伯爵家の息子』


カートン卿の黒くつぶらな光が、奇妙な深みを増し光を発する。


警察組織を作っても、成立間もない組織の影響力は強くない。だからこそ、反政府組織(レジスタンス)も広く活動し、ハートフォード公爵家やウィルキンソン伯爵家の没落を狙う貴族が暗躍して来られたのだ。


だが、たとえばアーテム王国王女を巻き込んだ事件を、警察長官のライオネルが解決したら。そして、ライオネルが悪党を捕縛したら──ライオネルやハートフォード公爵家はもちろん、警察組織の立場も盤石になる。

それこそ、反政府組織(レジスタンス)や、ハートフォード公爵家やウィルキンソン伯爵家を目の敵にする革新派貴族でさえ、手が出せないほどに。これまでとは打って変わって、彼らは活動し辛くなるに違いない。


朝食も終盤に差し掛かった頃、デニスと使用人がデザートの皿を持って来る。普段の朝食にデザートはない。

何事かと驚くエルたちに、デニスは穏やかに告げた。


「ライオネルさまから、皆さまへの贈り物でございます。良き日に感謝する、と」


そのデザートは、スポンジケーキの間にジャムを挟んだものだった。上からは砂糖が振りかけられている。普段は甘くてあまり食べられない、それでも大好きなお菓子に、ロレッタとセラフィーナは歓声を上げた。


「これ、食べても良いの、お母さま!?」

「私、これ大好きなのぉ。レオお兄さまに、お礼言わなくちゃ」


ロレッタだけでなく、セラフィーナも珍しく騒いでいる。エルもまた、ケーキに釘付けだった。


「える、はじめてなの」


小さいから、こういったケーキは食べたことがほとんどない。それでも、ちゃんとデザートはエルの分まで用意してあった。

大人の仲間入りをしたようで、エルはそれもまた嬉しい。


「たべてい?」

「どうぞ、召し上がれ!」


ソフィアに促され、エルは慎重に、一切れをフォークですくって食べた。思ったよりも甘すぎず、ほんのりとした優しい味に仕上がっている。


「おいしい!」


エルの目が輝く。

その隣に座っていたカートン卿は、エルは聞いていないと分かった上で、小さく呟いた。


『ご褒美だな、エル坊』


初めての冒険に、初めてのおいしいケーキ。

エルは頬っぺたに手を当てて、とても幸せそうに、微笑んだ。








完結しました!ここまでお付き合いくださり有難うございました。

書いてて楽しかったです。カートン卿の哀愁。笑


とはいえ、カートン卿の秘密とか、ロレッタとフェリクスの話とか、ジョエルとライオネルとエルマーの話とか、黒幕さんの話とかは書ききれなかったので、諸々落ち着いたら続編を書きます……。その時はぜひお付き合いください!


もしお付き合いいただけるようでしたら、気付けるようにポチッとブックマークに入れておいていただけると嬉しいです。


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