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6. 広い庭で追いかけっこ 5


警察庁の玄関を出ると路地に出る。車道は馬車がすれ違うことができる程度の広さで、歩道は十分な幅がある。エベリーヌが目を付けたのは、玄関を出て左手にあるカフェだった。

だが、玄関口を出たところで、ライオネルは目を瞠った。


「母上?」

「まあ!」


小さく歓声を上げたのはエベリーヌだ。なぜか、目を輝かせてライオネルとハートフォード公爵夫妻を交互に眺めている。

ライオネルは少し焦った様子だ。一方、ハートフォード公爵夫妻は驚いたようにエベリーヌを見つめている。晩餐会にも出た夫妻は、変装をしているエベリーヌが、一目で王女だと気が付いたようだ。

ヒューバートが慌てて礼をしようとする。


「これは──王女殿下」

「ハートフォード公爵とその奥様ね? お気になさらないで、私、お忍びなの」

「それは、失礼いたしました」


エベリーヌは可愛らしく笑って小首を傾げた。周囲に王女と悟られないのであれば、多少の無礼は許すということだ。

それでも、相手が王女であれば気軽に話しかけるわけにもいかない。ヒューバートはだいぶ落ち着いていたが、ソフィアは戸惑いを隠せないまま、ライオネルに顔を向けた。


「それで、これからどちらに──?」

「こちらに来られた際、お使いになった辻馬車が戻って来るまで、そちらのカフェをご覧になりたいと」

「まあ、カフェに……」


ソフィアとヒューバートは顔を見合わせた。歯切れの悪い様子に、ライオネルはエルマーと一瞬視線を交わす。


「なにかあったのですか?」


なにぶん、今ここには王女がいる。事件に巻き込まれたり怪我でもされたら大問題だ。国宝ファリーズのガーネットが盗まれた以上に、ハートフォード公爵家とウィルキンソン伯爵家の責任が追及される。

一気に警戒心を高めたライオネルに、ソフィアが少しエベリーヌたちを憚るように声を潜めて、そっと囁いた。


「それが……カフェと警察庁舎の間に、排水管があるでしょう?」

「ええ、今は使われていませんが──それが?」


警察庁舎を移設してくるまで、この場所には中流階級向けのアパートやレストランがあった。その時に使われていた排水管が、今も残っているのだ。それなりの水量を流していたらしく、直径も大きい。


「そこから、妙な音が響いていたのよ。少し高めの、なんというか──小鳥が歌を歌っているような」

「──はい?」


ライオネルは、珍しく理解ができずに眉根を寄せた。


「あの排水管には、鳥が巣を作ったりするような構造はないはずですが」


警察庁舎の近くにあることもあって、使われていないものの定期的に清掃をしている。多少、野ネズミや野良猫が居つくことはあるが、基本的には小鳥のような小動物に居心地の良い場所ではなかった。

とはいえ、ソフィアが嘘を吐いているとは思えない。どうやら、ヒューバートも同じ音を聞いたようだ。


ライオネルとエルマーは、無言のうちに、エベリーヌと侍女を辻馬車に乗せてから排水管を確認しようと決めた。だが、エベリーヌは耳ざとかった。


「排水管から音がするなんて、気になりますわ! ねえ、ラシントン卿? 疑惑の根は、早めに摘んでおくべきではございませんこと?」


訳知り顔で語っているが、結局は重度の推理小説愛好家(オタク)だ。単なる好奇心でしかない。

ライオネルは苦言を呈した。


「悪党でしたら、御身が危険に晒されます。好奇心は猫をも殺すと言いますよ」

「ラシントン卿が守ってくださるのでしょう?」


守られる側は気楽である。ライオネルは深々と溜息を吐きそうになったのを、辛うじて堪えた。

短い付き合いだが、エベリーヌが他人の話をあまり聞かず、自分の思う通りに行動する性格であることは分かっている。侍女もエベリーヌに振り回されているに違いない。その表情には諦めが見える。


「さあ、行きましょう! 案内してくださいな、公爵」


エベリーヌは、意気揚々と歩き出す。

ヒューバートとソフィアは戸惑いを隠せずライオネルを見るが、ライオネルは黙ったまま、首を横に振った。こうなったら、エベリーヌが満足するまで付き合うしかない。

だが、排水管からならず者が飛び出て来る可能性もある。そっと、ライオネルは懐から短銃を取り出した。エルマーも緊張したように、いつでも銃を抜けるように準備する。


ソフィアが話していた排水管は近い。警察庁舎の正門を出て左に、道なりに歩けばすぐそこである。

排水管の周辺に、違和感はなかった。それでも警戒は解かずに、ライオネルは少し離れた場所でエベリーヌを待機させる。さすがのエベリーヌも、自ら排水管に顔を突っ込むような真似はしない。わくわくとした表情を隠すことなく、王女はライオネルたちと排水管の様子を見つめていた。


ライオネルとエルマーは耳を澄ませる。

確かに、排水管の中からは小鳥の声のような音が響いていた。だが、鳴き声のようにも思えない。どちらかというと、歌のようだ。


「誰かが、中に入って歌っているのか?」

「人間がこの中に入っているっていうのか? そんな馬鹿な」


体の大きなライオネルやヒューバートであれば、身を縮めてもかなり窮屈だ。華奢な成人男性であっても、苦労するだろう。女性ならば多少は動けるかもしれないが、機嫌よく歌えるような広さではない。

排水管を清掃するのも、ライオネルたちではなく、外部から雇った未成年の掃除夫の仕事である。

エルマーが笑い飛ばしたのも、当然だった。


「幽霊かしら」


やはりわくわくとした様子で、エベリーヌが口を挟む。どうやら、アーテム王国の王女は単なる推理小説愛好家(オタク)ではなく、怪奇小説も好んでいるようだ。

心の隅でうんざりとした思いを抱えながら、現実的なライオネルとエルマーは排水管に注意を向けた。

少しずつ、音が大きく、そしてはっきりと聞き取れるようになってくる。形を持ち始めるにつれ、その響きははっきりと、歌としてその場にいる全員の耳に届いた。


「──? なんだか、聞いたことがある気がするわ、ヒュー」


ソフィアが不可思議なことを呟く。ヒューバートとライオネル、それにエルマーはソフィアの言葉には答えず、耳を潜ませる。

緊張が最高潮になった時、ようやく音の正体が姿を現した。


「おそとだー!」


無邪気な声。


「あ、はりねずみさん、まぶし?」


そう言いながら出て来た、泥と草でどろんこになった、小さな人影。

そして、その後ろから四つん這いで出て来た少し大きい、しかしまだ大人になり切っていない少年が叫ぶ。


「エル、勝手に行くなって言っただろ!?」


怒られた小さな男の子は、悪びれる様子もなく、きょとんと首を傾げて、自分の前に仁王立ちするライオネルを見上げた。両手にはしっかりとクマのぬいぐるみ──カートン卿を抱え、カートン卿の頭には、青いリボンに青い宝石を付けた、ハリネズミがちょこなんと座っていた。



☆☆☆☆☆



エル、こんなところで何をしているの──と叫びかけたソフィアの声は、エベリーヌの歓声に搔き消された。


「天使だわ! 天使が、私の宝物を連れて来てくれたわ!!」

「え?」


エベリーヌの声を聞き咎めたのは、エルマーだ。ライオネルも一瞬遅れて、違和感を覚える。

どういうことだ、と問うより早く、エベリーヌは王女とも思えぬ足さばきでエルに近付いた。そして、そっと優しい手つきで、カートン卿の頭に乗っかっていたハリネズミを抱っこする。


「私の、マダム・バンジャマン!」

「おねーさん、このこの、おねーさん?」


エルはきょとんとして尋ねた。エベリーヌは侍女が差し出したハンカチーフでハリネズミを包み、胸元に抱え込む。


「ええ、そうよ。この子はマダム・バンジャマンというの。天使さん、あなたのお名前は?」

「ぼく、えるでしゅ」

「そう、エルくんというのね。私はエベリーヌよ」

「えべ……?」


異国の名前は、エルにとっては少し発音が難しい。エベリーヌは優しく微笑んだ。


「エヴァで良いわよ」

「えばねえさま」

「可愛いわねえ。マダム・バンジャマンと同じくらい可愛いわ、あなた」


エルの見た目すら可愛くて仕方ないのか、それとも探し求めていたマダム・バンジャマンを連れて来てくれた嬉しさからか、エベリーヌはでれでれと表情を崩している。


思いがけないところから末弟が現れた衝撃に、無表情の下で動揺していたライオネルだったが、ソフィアの「レオ」という呼びかけで我に返った。

控えめに、しかししっかりとエベリーヌに声を掛ける。


「あー……その。もし、宜しければ執務室でお話をできればと思いますが、いかがでしょうか」


辻馬車がそろそろ戻って来る時間だが、ミス・クランベリーに頼めば別に手配してくれるに違いない。

そして、エベリーヌも否やはなかった。「もちろん、喜んで」と快諾してくれる。問題は、宮殿にエベリーヌが居ないことに気付かれることだが──実際には無事なのだから、多少騒ぎになっても、エベリーヌが王女らしく「引き籠っているのに飽きたのよ」とでも言えば良いだろう。


ライオネルの一言で、一行は執務室に逆戻りした。見送ったはずのエベリーヌと侍女がいることにも、さらに人数が倍以上に増えていることにも、ミス・クランベリーは目を瞠っていたが、賢明な秘書は口を噤むことを選んだようだ。


「ラシントン卿。お客様に、お茶のご準備は?」

「いや、結構だ。必要なら後で言うから、その時に頼む」


ミス・クランベリーの主が、どこか疲れた様子だったのも当然だろう。

扉を閉じようとしたミス・クランベリーに、エルは小さな手をふりふりと振った。普段は全く表情を変えないミス・クランベリーが、ほんのりと頬を緩ませて目礼する。珍しい態度に一瞬、ライオネルは絶句した。


だが、すぐに気を取り直して、それぞれに座るよう勧める。だが、ソファーが足りない。エルマーは遠慮して扉の近くに、ライオネルは執務机の近くに立った。

エルはソフィアの膝の上だ。土管から出てライオネルを見た瞬間、「げっ」と顔を顰めたフェリクスは、居心地が悪そうにしながら、ヒューバートの隣に座っている。


「それで」


どこから話を進めるべきかと悩みながら、ライオネルは一旦、()()()()()()()()()()()()が居る理由を探ることにした。





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