6. 広い庭で追いかけっこ 3
ライオネルとエルマーは、警察庁の長官室で「アーモンド」と名前の付く会社を電話帳で調べていた。
思っていたよりも数は多くないが、それでも特定には至らないほどの量がある。
エルマーがうんざりとしたように溜息を吐き、ソファーの上で背筋を伸ばした。
「アブ・アーモンド社からホワイト・アーモンド社まで、片っ端から調べに行く気かい、兄弟?」
「そんなことをしている時間はない」
「冗談だよ」
ライオネルは真面目に言い返す。少しは冗談を言い合う余裕がないと精神的に追い詰められそうなんだけど、と愚痴を零しながらも、エルマーは立ち上がろうとはしなかった。
ライオネルが頭を悩ませているというのも理由の一つだが、一番の理由は、ハートフォード公爵家とウィルキンソン伯爵家が今や一蓮托生であるからだ。
「個人広告にあったC.A.っていうイニシャルもヒントになるんじゃないかって思って、さっきから探していたんだけどさ。通りの名前でもないし、代表者の名前でもないようだし、アーモンド社とは違う意味合いなんだろうね」
「何かの符丁である可能性はあるが、普通に名前かもしれない。そもそも、この個人広告が今回の件に繋がっているというのも俺の思い込みと言われたらそれまでだ」
「とはいえ、他に手掛かりもないことだし。それに、思い込みというのなら僕の不肖の弟の方だよ、君の責任じゃない」
追い詰められている時に提示されたものが手掛かりのように思うのは、人間として普通の心境だ。
エルマーの慰めに軽く頷くことで感謝を示して、ライオネルは溜息を一つ吐いた。
その時、執務室の扉が叩かれる。ライオネルは顔を上げた。
「失礼いたします」
そういって顔を覗かせたのは、ミス・クランベリーだった。彼女は珍しく、戸惑ったような視線をライオネルに向けている。冷静沈着な秘書が滅多に見せない態度に内心で驚きながら、ライオネルは「どうした」と尋ねた。
ライオネルは、ミス・クランベリーに、緊急の用件以外では邪魔をしないように告げている。そして、ミス・クランベリーは持ち前の慇懃無礼さで、たいていの客は撃退できる。その彼女が緊急だと判断せざるを得ない何かが起こったということだ。
「お客様がお見えです。どうしても、ラシントン卿とお話なさりたいことがあると──その、やんごとなきお方が」
「やんごとなきお方?」
ライオネルはハートフォード公爵家の嫡男だ。彼に対して「やんごとなきお方」と表現できる相手といえば、王族か、より王家に近縁の公爵家しかない。
それならば、ミス・クランベリーには荷が重すぎるだろう。
ライオネルは頷いた。
「分かった。お通ししてくれ」
「承知いたしました」
ミス・クランベリーが扉を閉め、客人を呼びに行く間に、ライオネルとエルマーはテーブルに広げていた資料を片付ける。
一通り綺麗になり、賓客を招き入れても大きな差し障りはないとなったところで、もう一度扉が叩かれた。
「どうぞ」
ライオネルの代わりにエルマーが答える。こういう時、エルマーの方がライオネルよりも愛想が良い。
「──失礼いたします」
ミス・クランベリーには、応えた声がライオネルではなくエルマーのものだと分かったのだろう。ほんのわずかな間があったが、優秀な秘書は普段と変わらない態度で、扉を開け客を招いた。
姿を見せたのは、簡素だが上質なワンピースに身を包んだ二人の女性だった。どちらも若く、ライオネルやエルマーと同世代だ。
その姿を見たライオネルとエルマーは、一瞬目を瞠る。しかし、次の瞬間には全く動じていないように、曖昧な貴族らしい笑みを浮かべて二人の客人に簡略化した礼をした。
ミス・クランベリーが扉を閉じ、ライオネルが口を開く。
「ようこそいらっしゃいました、王女殿下」
「ええ、晩餐会以来ね? ラシントン卿と──それから、そちらはティレット卿だったかしら?」
「覚えていただき光栄です」
エルマーはにこやかに答える。ティレット卿は、エルマーが父であるウィルキンソン伯爵から継いだ爵位の一つだ。
ライオネルは如才なく、王女と侍女にソファーを進める。エベリーヌ王女は満足そうに一つ頷くと、優雅な仕草でソファーに腰掛けた。侍女は後ろに控える。
ちょうど頃合いを見計らったように、ミス・クランベリーが紅茶を持って来た。エベリーヌ王女の紅茶をエルマーが毒見し、エベリーヌは楽しげに笑って紅茶を一口飲む。
そこで、ようやくライオネルは王女訪問の理由を尋ねた。
「確か、王女殿下は事が終わるまでは客室にお留まりいただくよう話を申し上げたと──伺っておりますが?」
エベリーヌは声を立てて笑う。小鳥のさえずりのような軽やかさだった。
「そうねえ、頼まれた気がするわね。でも、私は一度も『分かった』なんて言っていないわ。ねえ?」
「はい、王女殿下の仰せの通りでございますわ」
侍女は忠実に答える。エベリーヌは嫣然と微笑んだ。
「私に指示できる者は限られているのよ。母国のお父さまとお母さまに言われたら、きっと引き籠って、帰国の日を待ちわびたでしょう」
ふふ、と王女はおかしそうに笑みを深める。ライオネルとエルマーは一瞬、目を合わせた。
護衛の苦労が忍ばれるというものだ。だが、今回ばかりはライオネルとエルマーにとってありがたい限りである。国宝ファリーズのガーネットが盗まれた時の状況や、出入りした人間の情報を得られる絶好の機会だ。
とはいえ、最初から根掘り葉掘り聞いて王女の機嫌を損ねては叶わない。まずは、王女がなぜ警察庁舎に来たのか、それを確認するべきだ。
無言のうちに二人はそんな打ち合わせを済ませた。
「それで、王女殿下はなぜこちらにいらしたのです?」
ライオネルは単刀直入に尋ねる。エルマーが少し呆れたようにライオネルを一瞥した。
急いでいるにしても、もう少し世辞やら前置きやらが必要ではないか、と言いたいのだろう。だが、ライオネルには一分一秒も惜しかった。
エベリーヌは予想外のことを訊かれたというように、印象的な目をぱちくりと瞬かせた。
その様子に、ライオネルは既視感を覚える。どこで見たのだったか──と思って、末の弟を思い出した。仕事が忙しすぎて最初に挨拶をしたきりだったが、ロレッタが不可思議な叫び声をあげる度に、エルはこういう顔をしていた。
「だって、ラシントン卿。あなたは、私のマダム・バンジャマンとファリーズのガーネットを捜しているのでしょう?」
それは間違っていない。ライオネルは頷いた。
厳密には、ライオネルが探そうとしているのはファリーズのガーネットだけであり、マダム・バンジャマンという名前のハリネズミについては、ついでに見つかれば良い程度のものだが──敢えて言う必要もないと、黙っている。
エベリーヌは「だからよ」と、それで分かるだろうと言わんばかりに話を纏めてしまう。それでもライオネルとエルマーが黙っていると、エベリーヌは少し不満そうに、唇をへの字に曲げた。
「こういう時は、被害者に色々と、話を訊くものではなくて? 小説もよく読んでいるから、私、知っているの。それに、侍女も連れて来たのよ。彼女が一番私の傍に居て、マダム・バンジャマンの世話もしているのだから」
どうやら、エベリーヌは自ら話を聞かせに来てくれたらしい。得意げなエベリーヌに、ライオネルは心から感謝した。
エベリーヌが読んでいる小説とやらがどのようなものかは知らないが、ライオネルたちの助けになることは間違いがない。
「ええ、仰る通りです。その、マダム・バンジャマンとファリーズのガーネットが失われた時の話を詳しくお聞かせ願いたい。ファリーズのガーネットは、どこに仕舞ってあったのですか?」
ライオネルは警察庁の長官だが、「武」の公爵家に生まれたこともあり、どちらかと言えば体を動かす方が得意だ。一方のエルマーは「知」の伯爵家に生まれ、本人の資質としても頭を使うことが得意である。
だが、今は警察長官として、ライオネルが質問の主導権を握っていた。一方、エルマーは無言で静かにライオネルたちの会話に耳を傾けている。
「いつもと同じよ。客間には金庫があるから、そこに他の宝石と一緒に入れておいたの。鍵は私と、それからここに居る侍女が持っているわ。朝と夜の二回、中を確認して、鍵をかけておくのよ。それは侍女の仕事だわ。
それから、マダム・バンジャマンに寝る前の挨拶をして、マダム・バンジャマンは部屋の隅に置いている籠に入れておくのよ。夜行性だから、外に出していたらあっという間に居なくなってしまうのだもの。たいていは木の洞に隠れていて、朝は眠たそうにしているわ」
そして問題の朝、まずはマダム・バンジャマンが居ないことに侍女が気が付いた。檻の鍵は開いていない。だが、夜には間違いなくマダム・バンジャマンを檻に入れたと侍女が証言している。
その後、習慣として朝金庫の中を確認した時、ファリーズのガーネットも紛失していることに気が付いた。昨夜は間違いなく、金庫に保管されていたというのに──まるで手品のようだ、とエベリーヌは感嘆の声を上げた。
「金庫とマダム・バンジャマンの檻は、部屋のどのあたりに置かれているのでしょうか」
その質問は、ライオネルではなくエルマーのものだった。エベリーヌは大して気に留めず、あっさりと答える。
「金庫は、寝室に近い使用人部屋の壁際。マダム・バンジャマンは、使用人部屋の、窓の傍に置いているわ」
「夜行性なら、日の光は避けた方が良いのでは?」
「日陰にはなるようにしているのよ。でも、窓が近い方が風遠しが良いでしょう」
新鮮な空気が必要なのよ、とエベリーヌは訳知り顔で、出来の悪い生徒に教える教師のように告げた。
なるほど、とエルマーは頷く。ライオネルも、妙な引っ掛かりを覚えたものの、一旦は納得した。
つまり、ファリーズのガーネットが入っていた金庫、マダム・バンジャマンの檻、そして王女は夜、同じ部屋に居たということだ。そして、王女の寝室は宮殿の中庭に面しており、窓から眼下にその景色を楽しめる。
「夜は窓を開けていらっしゃるのでしょうか」
ライオネルは尋ねた。エベリーヌは頷く。
「外の風が入っていた方が気持ち良いもの。でも、全部開けているわけじゃないわ。風が通る程度ね。二階だから、恐ろしくもないわ」
エベリーヌの暮らす客間は二階だ。簡単に窓から人が忍び込めるような場所ではない。それに、万が一人が入って来ても、すぐにエベリーヌ本人か侍女が気が付くだろう。
やはり、謎は深まるばかりだ。
ライオネルとエルマーは、静かに顔を見合わせた。
からくりに気が付いたそこの貴方! 多分それ正解です!
ネタバレは心に秘めて、この先をお楽しみください。




