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6. 広い庭で追いかけっこ 2


フェリクスの計画では、エルをあっさりと捕まえて、すぐ家路につく予定だった。

エルはまだ小さい。アトキンズ大尉と小剣(エペ)の特訓をし、軍人を目指しているフェリクスであれば、早々にエルに追いつくはずだ。

だが、フェリクスはうっかりしていた──公園の中には草木が多く、枝が邪魔をしてくる。そう言った場所では時折、体が小さい方が有利になるものだ。


「エル! 待て!」

「ふぃるにーさま、こっちー!」


待てと言っているのに、エルは聞かない。それどころか、フェリクスが着いてくると信じて疑っていないようだ。早く来いと言わんばかりの口調に、フェリクスは小さく舌打ちを漏らした。

エルはしっかりとカートン卿を抱っこしたまま、えっちらおっちら、軽快な足取りで何かを追いかけていた。

それどころか、少し進んだところで、フェリクスの視界から再びエルが消える。


「エルっ!?」


素っ頓狂な声を上げたフェリクスだったが、エルが消えた理由はすぐに分かった。


「ここかよ!?」


思わずフェリクスは悲鳴を上げる。それもそのはず、フェリクスの目の前には土管がある。途中から土の下に潜り込んでいる土管の中に、エルは入って行ったのだ。


「ふぃるにいさまああぁぁぁ……こっちいぃぃぃぃぃぃ……」


勘違いかとも思ったが、土管の中からエルの声が反響して聞こえる。幸いなのは、エルの声はとても元気で、怪我をしたり恐ろしい思いをしたりしているわけではなさそうだ、ということくらいだ。むしろ、フェリクスの方が不幸である。

フェリクスは、両手で頭を抱えた。苦悩のポーズだ。


「ああ、もう──っ!」


ひとしきり毒づいて、フェリクスは覚悟を決めた。

この年になって土管に入ることになるとは思わなかったが──もちろん、ライオネルやロレッタが聞けば呆れ顔になるだろうボヤきだ──エルのためならば、多少のことはやってのけなければならない。


こういうことならランタンを持って来ればよかったと思うが、そもそも家を出た時点では、土管に入ることになるとは想像もしていない。しかも、たくましく育ったフェリクスの体では、土管は少し小さかった。普通に走るのはもちろん、中腰でも難しそうだ。四つん這いになるしかないだろう。


そういえばズボンのポケットに燐寸(マッチ)を入れたままだったと思い出し、フェリクスは真鍮製の箱を取り出した。銀色に鈍く光っていて、装飾品はないが、フェリクスの名前のイニシャルが彫ってある。フェリクスは、中から取り出した燐寸(マッチ)に火をつけた。

エルを捕まえるまでにどれだけの時間が掛かるか分からないし、もしかしたら残りの燐寸(マッチ)を全て使い切ってもエルに辿り着かないかもしれない。

それでも、なすべき時はある。


ええいままよ、と、フェリクスは土管の中にその身を滑り込ませた。



☆☆☆☆☆



さて、時間は少し遡る。

フェリクスが衛兵交代式に見惚れている直後、エルは宮殿を囲う柵のすぐ傍をトコトコと走る小さな影に気が付いた。


(──! はりねずみさん!)


それは間違いなく、掌に収まる大きさのハリネズミだった。

これまでのエルはハリネズミを見たことがない。リスは領地に居た時に何度か見ているが、ハリネズミは絵本の中だけの存在だった。その絵本はエルのお気に入りで、タウンハウスに来る途中もずっと身近に置いていた。タウンハウスに居る間も、寝る前にはハリネズミの絵本を読み聞かせて貰っていた。


その、ハリネズミがすぐ近くにいる。

まさに、エルにとっては天啓だった。


『おいエル坊、ちょっと待て。フェリクスを置いて行くな』


カートン卿が慌てて口を挟むが、もはやエルには聞こえていなかった。


(はりねずみさん、いっちゃうよ!)


フェリクスは大人だからエルの傍に()()()()()()()()、フェリクスを待っていたらエルはハリネズミを見逃してしまう。

そして、「神の子供」と呼ばれるほど卓越した頭脳を持つエルも、結局は幼児だった。

一直線に、ハリネズミを追いかける。少ししてフェリクスの動転した声が響いたが、エルはハリネズミを追うことに必死だった。


ハリネズミは、とことこと走る。意外とすばしっこい。

エルも、よちよちと歩く。走ることにそれほど慣れておらず、どれほど頑張っても、とてとてと小走りだ。

ハリネズミとエルの距離は、あまり縮まらない。それでも、エルはハリネズミの行方をしっかりと見ていた。


「はりねずみさん、こーえん、はいった」

『ああ、そうだな。だから公園の前でフェリクスを待つぞ』


これは良い機会だと、カートン卿はエルの暴走を止めようとする。だが、エルはもう止まるところを知らなかった。


「だめなの。はりねずみさん、ごあいさつするの」

『は!? ご挨拶しなくて良いぞ、ハリネズミは触ったらびっくりしてトゲを出すんだ。イタイイタイ、になるぞ』

「じゃあ、さわらない」


そういうことじゃない、とカートン卿が悲鳴を上げる。

エルはちょうど、公園の周囲に造られている柵が壊れている場所を見つけた。エルならば入れる程度の穴が開いている。エルは躊躇なく、策を潜って公園に入った。


「はりねずみさん……」


一瞬ハリネズミを見失ったが、すぐにエルは草の影を歩くハリネズミを見つける。

その時、背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。


「エル! 待て!」


フェリクスだ。

エルは得意げになった。

ほら、フェリクスはちゃんと、エルを追いかけて来てくれるのだ。


「ふぃるにーさま、こっちー!」


カートン卿が呆れ果てている気配がしたが、エルは自信満々に、フェリクスを呼んだ。そして、再びハリネズミを追いかける。

ハリネズミはエルの存在に気が付いているのか、それともマイペースに自分が心地よいと思える場所を探しているのか、いそいそと近場にある最も暗いところ──すなわち、土管の中に入り込んだ。

土管は直径が大人の腰ほどもある、大きな筒だ。土に埋もれている場所から先は分からないが、エルはハリネズミを目指して一直線、土管に潜り込む。


少し進んで、エルははたと気が付いた。

フェリクスはちゃんとエルの傍にいてくれると思っていたが、タウンハウスと違って、今エルが居るのは真っ暗な土管の中だ。なぜかハリネズミは光っているから目に見えるが、もしかしたらフェリクスはエルが見えないかもしれない。エルが抱っこしているカートン卿でさえ暗闇に溶け込んで、エルの目にははっきりとしない。


だから、ちゃんとエルはフェリクスに自分の居場所を伝えた。


「ふぃるにいさまああぁぁぁ……こっちいぃぃぃぃぃぃ……」


すると、声が面白いほどに反響する。エルは楽しくなって、小さく歌を歌ってみた。

その声も、フェリクスの名前を呼んだ時ほどではないが、土管の中で響いている。るんるんと知っている歌を口ずさみながら、エルは小さく光るハリネズミを追いかけて、土管の中をとてとてと小さく走り続けた。



☆☆☆☆☆



宮殿から北に三十分程度歩けば、ハートフォード公爵邸やウィルキンソン伯爵邸が並ぶ通りとは全く違う雰囲気の通りがある。

人々は他者に興味を持たず、関わろうともしない。

都の北東部にある貧民窟のように退廃的な雰囲気ではないが、明るい空気もない。


その一角で乗合馬車から降りた男は、焦った様子で一軒の店の戸を叩いた。周囲を慮るように、自身の顔を目深に被った帽子で隠している。

店はパブで、夜しか開いていない。それにも拘わらず、扉がほんのわずかに開いた。訪問者の顔を確認すると、パブの店主は身を下げて中に招き入れる。


「どうしたんだ。ここには来るなと言っておいただろうが」


店主は不機嫌に言い捨てた。外から入って来た男は、焦った様子で首を振る。


「俺だって来るつもりはなかったですよ。でも、()()()()がなかったんですよ」

「は?」


まさか、というように店主は顔を顰めた。眼光鋭く、訪問者を睨み付ける。その迫力は、幾度も死線を掻い潜って来た者にしか出せないものだった。


「そんなはずはないだろう。仕事は果たしたと、クラヴジーから連絡があったんだぞ。あいつが嘘を吐いていたとでも言うつもりか?」

「そんなことはねえですけど……他の誰かが盗ったんじゃねえですかい?」


外から来た男は神経質に体を揺らしながら、顔を顰めて言い返す。


「誰かって、誰だ?」

「知りやせんよ」


異国の男爵を名乗るクラヴジー・イサコヴァから、重要な「鍵」を受け渡す準備が整ったと連絡を受けたのが昨夜のことだ。じりじりとしながら時機を待ち、指示された通りの時間に、事前に打ち合わせていた場所へ向かった。もちろん、警察に疑われていた場合を考え、店主は自分ではなく手下に向かわせた。

どうやら警察は張っていなかったようだが、肝心の「鍵」がなかったようだ。


「乗る馬車を間違えたんじゃないのか?」

「そんな間違えるわけねえですよ。目印がデッカく書いてあるんですよ。俺は馬鹿だが、さすがにあの目印を間違えるほどのポンコツじゃあ、ありやせんや」


店主は顔を顰めて考え込んだ。


「落とし物だと思って、誰かが拾ったのか? いや、そうならないように小汚くしたと言っていたしな。そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()はずだが──」


仕方がないと、店主は舌打ちをする。彼の手下は心配そうに店主の様子を窺っていた。


「分かった。あの『鍵』がないと簡単にはいかないが──他にも方法が、なくはない」

「と、言いやすと?」


店主を上目遣いに見て、手下は尋ねる。店主は不気味な表情で、にやりと笑った。


「どこが()()なのかは分かっている。だから、今夜忍び込めば良い」

「それは、どこにあるんで?」


どこか不安そうな手下に、店主はあっさりと答える。


「ヴィリディス・ホルトス駅さ」


駅舎に併設されている手荷物の預かり場所は夜間、人気(ひとけ)がなくなる。一人、二人は駅員が残っているが、当然隅々まで目は届かない。そこに忍び込んで、目当てのものを探り出すこともできないわけではない。

手下は目を輝かせるが、店主は緊張を保っていた。


「だが、もし例のブツを誰かが拾っていたら横取りされる可能性もある。お前は夜になるまで、ヴィリディス・ホルトス駅で見張ってろ。警察が来たら、無理はせずに引け。お前から連絡がなければ、俺も夜には行く」

「分かりやした」


手下は頷いて、店主の命令を受け入れる。その目は、どこか期待に輝いていた。

これまで一度も手にしたこともない大金が手に入るかと思うと、興奮を隠しきれない。


「さすが、ホレスの旦那でさあ」


手下のお世辞に、ホレスと呼ばれた店主は不機嫌に顔を顰めた。


「最後まで油断するなよ。一瞬の隙が命取りだってことを、忘れるな」

「もちろんでさ」


手下の気楽な返答に沸き起った少しの不安に、ホレスは蓋をする。

店の周囲に人がいないことを確認し、ホレスは手下を送り出した。店の扉を閉じて鍵を閉め、ホレスは腕を組み俯く。その相貌は険しく、何事かを考えていた。





4-4:ホレス初出




この作品では、アメリカ映画の多くとおなじく、子供は神様に守られている体で話が進んでおります。


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