5. エルくん、宮殿へ行く 5
エルは、指先に感じた薄っぺらい何かを掴んで、慎重に引っ張り出す。エルの背後から覗き込んでいたフェリクスもまた、首を傾げていた。
「エル? どうしたんだ」
「ふぃるにいさま、こえ、なあに?」
ようやく座席と壁の隙間から目当てのものを引き出したエルは、まじまじとそれを見つめながらフェリクスに問う。
エルが引き出したのは、何の変哲もない、白い封筒だった。だが、適当に扱われたのか、煤で汚れている。一部は細かい紋様がくっきりと浮いている始末だ。
「手紙か?」
フェリクスもまた不思議そうに呟く。エルが封筒をひっくり返すと、隅の方には「ケイシー」とだけ書かれていた。
手紙だとすれば、宛名が書かれていない。
「封は開いてるか?」
「うん」
封筒は軽く封がされているが、座席と壁の間で温まって糊が溶けたのか、あっさり開いてしまった。エルは封筒の中から、栞ほどの大きさの紙を引っ張り出す。その紙には、日付、番号、そして「ヴィリディス・ホルトス」と書かれていた。
「こえ、なに?」
エルの二度目の質問だ。最初の疑問にフェリクスは答えられなかったが、今度はフェリクスもすぐに返すことができた。
「駅に荷物を預ける場所があるんだけどな。それの、引換証だよ」
「ひきかえしょ?」
「そう。荷物を預けておいて、その札を持って行けば預けた荷物を返してくれるんだ。多分、これはヴィリディス・ホルトス駅の手荷物預かり場の札だろうな」
きっと引換証の持ち主が乗合馬車に落として行ったのだろうと、フェリクスは言う。
だが、都は広い。その上、国中から人が集まる駅舎の荷物預かり所だ。この引換証の持ち主を探し出すなど不可能だ。
乗合馬車の御者に渡しても、困るに違いない。下手をすれば、御者が荷物を盗みに行く可能性だってある。
そんなことを考えているフェリクスとは裏腹に、エルは小首を傾げてフェリクスを見上げた。
「こえ、なくして、こまってる?」
「多分そうだろうなあ」
もちろん、荷物の持ち主は引換証がないと荷物を受け取れない。困っているのは間違いないだろう。
そして、エルは「困っている」という言葉に反応した。
「もちぬしに、とどけてあげる!」
だが、フェリクスは冷たかった。あっさりとエルの決意を否定する。
「いや、無理じゃね?」
「むりなの? なんで?」
「俺たちじゃあ、さすがにこの持ち主見つけるの、無理だって」
まだ幼いエルと、成人年齢にも達していないフェリクスだ。荷物を確認して中身を確認したとしても、持ち主の見当を付けることすらできないに違いない。できることと言えば、警察に届け出ることくらいだ。
だが、警察署にわざわざ行って調書を取られるのも面倒である。
フェリクスは、ピンと来た。面倒がなく、手間が省けて、そしてエルが満足しそうな、最高の回答があるではないか──と。
「そうだ。エル、帰ったらそれ、兄貴に渡そうぜ」
「あにき?」
兄貴とは、エルの辞書にはない乱暴な言葉遣いだ。きょとんとしたエルに、フェリクスは「そうさ」と頷いた。
「我らがレオ兄さまは、警察に顔が利くんだよ」
なにせ、警察組織のトップに君臨する人物である。当然、ライオネルに落とし物だと渡せば、全ては良いようになるはずだった。
☆☆☆☆☆
宮殿から徒歩二十分の距離に、警察本部の庁舎がある。若い男の足で歩けば大した距離ではないが、ライオネルと幼馴染のエルマーは、辻馬車でさっさと移動した。
門前で降りると、警察の制服を着た門番はライオネルを見て敬礼する。その前を通って、ライオネルは執務室に向かった。エルマーは本来ならば部外者だが、長官が連れているため、呼び止められることもない。
長官室の前にある小部屋で普段通り事務仕事をこなしていた秘書の女性が顔を上げた。細長い眼鏡をかけていて、きっちりとした秘書らしい服装に身を包んでいる。ライオネルを見ればたいていの女性は、老若問わず頬を染めたり愛想の良い笑みを浮かべたりするものだが、彼女──ミス・クランベリーは、見事なまでに不愛想だった。
ライオネルとしては、自分に愛想を振りまくような女性よりも、きちんと仕事をしてくれる人の方が良いので、むしろミス・クランベリーの素っ気なさは有難い。
「お帰りなさいませ、ミスタ・ライオネル」
「ああ、ミス・クランベリー。報告事項は?」
「一時間ほど前にご婦人がいらっしゃり、そのままお帰りになりました」
「名前は?」
「カロライナ、とだけ仰いました。それで分かるから、とのことです」
ライオネルは眉根を寄せた。カロライナという女性に心当たりはない。
エルマーは興味津々にライオネルの様子を窺う。だが、ミス・クランベリーは大して関心がないらしく、ライオネルに手紙を渡すとすぐに手元の資料に注意を戻した。
手紙の表と裏を確認し、ライオネルは追加でミス・クランベリーに尋ねる。
「他には」
「特にございません」
冷たくさえ聞こえる口調だ。エルマーは面白がるように片眉を上げ、ミス・クランベリーをまじまじと見つめた。
エルマーもまた、ライオネルほどの美男子ではないが、その地位故に女性から引っ張りだこである。だからこそ、ミス・クランベリーの反応が新鮮だった。警察組織のトップでもあるライオネルの秘書を務めているのだから、ウィルキンソン伯爵嫡男エルマーのことを知らないはずはない。
だが、エルマーがミス・クランベリーに声を掛けるよりも早く、ライオネルが執務室の扉を開けた。
「エルマー、入ってくれ。ミス・クランベリー、しばらく来客があっても緊急の用件でなければ通さないように」
ミス・クランベリーは片眉をわずかに持ち上げた。眼鏡が少しばかり光る。
だが、彼女はやはりライオネルの発言に興味を持ったわけではなかった。
「承知いたしました」
短く告げて、再び彼女は仕事に没頭する。
エルマーは後ろ髪を引かれる思いで、執務室の扉を閉めた。その間に、ライオネルは執務椅子に腰掛ける。エルマーには対面のソファーを勧め、ライオネルはミス・クランベリーから受け取ったばかりの手紙を眺めた。
「ライオネル、彼女──ミス・クランベリーはここに勤めて長いのか?」
「ああ、といってもこの庁舎自体がここ数年でできたものだからな。俺がこの部屋で仕事をするようになってから、ずっと秘書は彼女だけだった。ここ最近、仕事量が増えたからもう一人増やしたが」
「女性かい?」
「いや、男だ」
なんだ、とエルマーは言う。ライオネルは、視線を手紙からエルマーに移した。
「なにか、あるのか」
「いや。お前の秘書だと聞いたら、女性の応募者が多かったんじゃないかと思ってね」
「大々的に募集を出したわけじゃない。父に手配を頼んだ」
「なあんだ」
つまらない、とエルマーは唇を尖らせて、ソファーの背もたれに深く体を沈み込ませた。
「庁舎というから期待してなかったけど、なかなか良い椅子を使ってるね」
「色々な客人が来るからな」
ライオネルは素っ気ない。その素っ気なさがミス・クランベリーに伝染したのかもしれないと思いながら、エルマーは更に突っ込んだ質問をした。
「首相とか大臣とか?」
「たまに王族も」
うへえ、とエルマーは顔を顰める。伯爵家嫡男だからそれなりに王家との付き合いもあるが、エルマーはあまり積極的に王家と付き合いたいとは思っていなかった。
「それで」
エルマーは室内を見回していたが、改めてライオネルに顔を向ける。そして、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「陛下に呼ばれたんだろ? 何があったんだ?」
「アーテム王国から王女殿下がいらしているだろう。そこで、盗難事件があった」
「はあ?」
思いもよらぬ事態だ。エルマーは目を瞬かせた。
「何が盗まれたんだ?」
「ペットのハリネズミとファリーズのガーネット」
「国宝じゃないか!」
「ああ。他言無用だぞ」
ライオネルはエルマーに念を押す。エルマーは震えあがって見せた。
「言えるわけないだろ。僕は聞かなかったことにする」
そうは言うものの、前代未聞の不祥事であることには違いない。多少の好奇心も手伝って、エルマーは身を乗り出して声を潜めた。
「それで、何でお前が呼ばれたんだ? 表沙汰にしたくないからか?」
「その可能性もあるが、一番は俺が──厳密には、ハートフォード公爵家を陥れたい奴が、陛下に何かを吹き込んだんだろうな」
エルマーは顔を顰める。
ここ最近、スペロ王国の政局は不安定だ。ハートフォード公爵家だけでなく、ウィルキンソン伯爵家も一部の貴族から敵視されている。両家とも由緒正しき貴族だが、保守的な貴族からは秩序を乱す存在として、急進派からは古き時代の象徴として見られているのだ。
「お前も他人事じゃないぞ、エルマー」
「分かってるよ。宮殿内の、それも国宝の盗難だ。宰相である父上の責任が追及されることになるだろうな」
そうなれば、ウィルキンソン伯爵家も無傷では済まない。憂鬱だ、と言わんばかりに溜息を吐く。
ライオネルは「武」の公爵家に相応しく、一族と国を守るためならば多少の荒事があっても構わないと考えている。一方のエルマーは、「知」の伯爵家らしく、能力はあるが乱暴なことや争いごとは苦手だ。
ライオネルは、そんな旧友を一瞥し、淡々と尋ねた。
「そっちは、何か情報を掴んでいないか?」
「いや、その盗難事件に関しては何も。僕も今、お前に聞いて初めて知ったくらいだし──ああ、ただ、母上が妙なことを言っていたな」
「夫人が?」
珍しいこともあるものだと、ライオネルは驚きながらペーパーナイフを引き出しから取り出す。ペーパーナイフは象牙の飾りがついている、東方から渡来した逸品だ。
ゆっくりと封筒を開けるライオネルに向かって、エルマーは母親から聞いた話を告げた。ウィルキンソン伯爵家の屋敷に、クラヴジー・イサコヴァ男爵という胡散臭い男がやって来たという内容だ。それは、ドローレス・ウィルキンソン夫人が、エルとライオネルの母ソフィアに語ったことと寸分違いのないことだった。
「イサコヴァ男爵か──疑ってくれと言わんばかりの名前だな」
偽名だろうなと、ライオネルは呟く。エルマーも否定はしなかった。
明らかに外国の名前だが、国内貴族を名乗ると嘘がバレると考えてのことだろう。それに、外国の貴族であれば、それなりの身分証なり紹介状なりを持って来るものだ。知人を探していると言うのならば、その知人とやり取りした手紙一通くらいは持っていても不思議ではない。
だが、イサコヴァ男爵は、自分の発言を証明するものは何一つ見せようとしなかったのだ。
そして、ライオネルは封筒から手紙を取り出す。内容は畏まったものではなく、とても端的だった。
『七月二十四日朝刊、個人広告欄──"J"』
ライオネルの眉間に薄っすらと皺が寄る。
Jとしか書かれていないが、その筆跡には見覚えがあった。数年前に、修道士になると言って修道院に入った幼馴染の手だ。以前から、Jことジョエル・ウィルキンソンは、不思議なことを口にする子供だった。だが、ジョエルの勘は妙に鋭いことがあり、彼の予感が的中することも良くあったのだ。
その彼から、この時期に手紙が来た──何かの巡り合わせを感じずにはいられない。
「エルマー。お前、七月二十四日の朝刊に載っていた個人広告の内容を覚えているか?」
「ええ? 突然、どうしたんだ」
唐突な質問だ。エルマーは、幼馴染の問いに戸惑いを隠せなかった。
「十日前の新聞か? 読んではいるけど、すぐには思い出せないぞ」
「ミス・クランベリー!」
ライオネルは乱暴に椅子から立ち上がると、秘書の名前を呼びながら扉を開ける。ミス・クランベリーは、自分の仕事を中断されたことが多少不服そうだったが、従順にライオネルを見上げた。
「はい、なんでしょう」
「七月二十四日の朝刊を持って来てくれ」
「かしこまりました」
過去の新聞は全て保管している。ミス・クランベリーは立ち上がると、隣室の書庫に向かった。しばらくして、新聞を一部持って戻って来る。
「こちらに」
ライオネルは礼を言うと、手早く新聞を捲って個人広告の欄を探した。




