5. エルくん、宮殿へ行く 3
曇天が広がる昼過ぎ、宮殿の一室では騒動が持ち上がっていた。
最初に異変に気が付いたのは、アーテム王国からの高貴な客人エベリーヌ・ド・ル・ロワの侍女だった。
「ねえ、ちょっと貴方、マダム・バンジャマンをご存じない?」
「ええ? いつもの場所じゃあないの?」
「それが居ないのよ」
ハリネズミのマダム・バンジャマンは夜行性だ。だから、人が起きている時はともかく、寝ている時は広い檻に入れている。そうでもしないと、マダム・バンジャマンはあっという間に行方不明になってしまうのだ。
だが、侍女が見た檻は空だった。
「木の洞に隠れてるのではなくて?」
「──見当たらないわ」
檻に顔を突っ込んでいた侍女が、もぞもぞと出て来る。多少乱れた髪を手早く整え、彼女は憂鬱そうに溜息を吐いた。
近くで王女エベリーヌの服を整理していた侍女は、手を止めずに思い付きを口にする。
「それとか、王女殿下がお連れになったのじゃない? たまに、散策にマダム・バンジャマンをお連れしているでしょう」
「昨晩は晩餐会だったのに? まだ王女殿下は寝台の住人よ」
「それもそうね」
夜遅くまで開かれた晩餐会がとても楽しかったようで、王女エベリーヌはなかなか寝付けなかったようだった。それを考えると、王女が目覚めるのはもうじきの筈だ。
「昨日の夜、マダム・バンジャマンの寝床を整えたのは誰だったかしら? その人なら、マダム・バンジャマンの行方を知っているんじゃない?」
「私、探してくるわ」
侍女は納得して、同僚たちに訪ね歩く。しかし、マダム・バンジャマンの行方を知る者は誰一人としていなかった。
☆☆☆☆☆
「それで──ラシントン卿よ」
宮殿にある謁見の間。
そこに、スペロ王国の重鎮たちが集められていた。国王はもちろんのこと、政治を実際に担当する内閣の大臣たちも勢揃いしていた。
議論の中心に据えられ、全員から厳しい視線を受けているのは、ハートフォード公爵家嫡男ライオネルである。彼は、内務大臣の下で警察組織を統括している。今回召喚されたのも、その立場があるからこそだ。そして、ラシントン卿というのは、父ヒューバートから生前贈与された爵位だった。
重苦しい声を発したのは国王チャールズ・ミドウィンターである。貫禄のある体格を派手な衣装と宝飾品で着飾っていた。
「単刀直入に言おう。アーテム王国からの客人、エベリーヌ・ド・ル・ロワ王女の宝石とマダム・バンジャマンが、客間から消えた」
ライオネルは片眉をわずかに上げる。それだけで、彼は驚きを示してみせた。だが、余計な口は開かない。ライオネルは、鋭く周囲を観察していた。
この場に居る貴族の中には、ライオネルの──いや、ハートフォード公爵家の敵も居る。今回の騒動を通してハートフォード公爵家の失墜を企む者も居るはずだった。
国王や大臣たちはライオネルの反応を窺っていたが、答えがないと見ると小さく息を吐く。国王チャールズが、眉間に皺を寄せた。
「幸いなことに、まだ公にはなっておらん。だが、もしこれが公になれば、我が国の威信は地に落ちる。そして、当然、責任追及もせねばならん。分かるな?」
王女エベリーヌが飼っているハリネズミと宝石が盗まれたのだ。その事実を、国は広がらないように留めている。恐らく、事態を把握した使用人や関係者に、宮殿の部屋から出ないよう言いつけているのだろう。
だが、それも限界がある。
王女の帰国は明後日だ。それまでに、ハリネズミと宝飾品を取り返さなければならない。ハリネズミならば新しく入手して「マダム・バンジャマン」だと言い張れば誤魔化せるかもしれないが、王族の持つ宝飾品はそう簡単に代替品を見つけられるようなものではない。
ライオネルは仏頂面のまま、淡々と尋ねた。
「承知いたしました。して、失われた宝飾品とは?」
宝飾品がどのような姿かたちのものなのか、具体的な内容が分からなければ探しようがない。ライオネルが口にしたのは当然の質問だったが、国王は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。どこまでも忌々しいと言いたげに、国王派吐き捨てる。
「ファリーズのガーネットだ」
思わずライオネルは顔色を変えた。
ファリーズのガーネット──それは、アーテム王国の国宝とも言うべき宝飾品だった。耳飾りと首飾りがセットになっていて、売り払えば国家予算一年分に匹敵すると言われるほどのものである。
「厳重に管理されていたのでは」
「当たり前だ!」
チャールズは語気を荒げた。苛立ったように、豪奢な椅子の肘掛けを拳で叩く。
「この時のために、客間に最先端の金庫も用意した! 火事が起きてもその金庫だけは無事だという代物だ。何重にも警備の者を置き、使用人も厳選していた。盗まれるはずなどなかったのだ、そうとも! 内通者が居ない限りはな!」
国王は鼻を鳴らした。じろりとライオネルを睨み付ける。
その場に居る誰もが、ライオネルを疑っていることは確かだった。ライオネルだけではない。彼らの疑惑は、もう一人の有力者──宰相にも向いているはずだ。
王女エベリーヌの来訪予定を把握し、警備や使用人の選別に関われる人物。
全ての要素を満たすのは、宰相を務めているウィルキンソン伯爵、そして警察組織を自由に動かせるライオネル・ハートフォードである。二人が手を組めば、国宝の盗難という大それた犯罪でさえ、犯人は見つからずに逃げおおせることができるだろう。
だが、疑ったところで証拠はない。そして、ウィルキンソン伯爵とライオネルを取り調べて犯人を追及するよりも、先に国宝を取り返した方が、アーテム王国との関係を考えると利口だ。
国王チャールズはそう考えたに違いなかった。
「御意。王女殿下がご帰国になられる前に、失われたものを取り返し、真犯人を捕まえてご覧にいれましょう」
言外に「自分は犯人ではない」と、ライオネルは静かに答える。全く動じない態度に、大臣たちの間からは不服そうな声が漏れた。
周囲の者たちの反応を、ライオネルは鋭く観察する。以前からハートフォード公爵家に不満を持つ者たちが、言葉少なに苦言を呈している様子だった。だが、誰一人として正面切って反対する者はない。自分たちが代わりに調査するよう命じられては堪らないと思っているのだろう。
厳重な管理がなされている宮殿から、見事に国宝を盗んだ犯罪者を相手取るなど負け戦だ。
だが、ライオネルには他の選択肢がなかった。たとえどれほどの困難が待ち受けていようとも、衆人環視の前で下された王命を拒否することはできない。それこそ、自らの罪と能力不足を示すようなものである。
自身の野望を達成するためにも、ライオネルは今ここで、出世の道を絶つわけにはいかなかった。
国王の話が終わり、ライオネルは謁見の間を後にする。大臣たちはまだ会議があるらしく、部屋から出たのはライオネルと、この後に予定があるらしい数人だけだった。
疲労を覚え、ライオネルは一旦タウンハウスに戻ろうかと算段を付ける。廊下を歩いていると、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ライオネル!」
振り返ったライオネルは、声の主を見て少し表情を緩めた。
「エルマー、珍しいじゃないか。こんなところでどうした?」
「父上に急ぎの用があってね。侍従に届けさせるのも面倒だから、僕が直接来た」
エルマー・ウィルキンソンは快活に答える。ウィルキンソン伯爵の長男であり、ライオネルの一つ年上だ。彼の二歳年下に居る次男がジョエルという名前で、数年前から修道院で神に仕えている。
ライオネルとエルマーは王女エベリーヌも参列した晩餐会で会っているが、公職に就いていないエルマーが昼間から宮殿に居るのは珍しいことだった。
二人は並んで歩き始める。エルマーは声を潜めて、自分よりも少し背の高いライオネルの顔を覗き込んだ。
「お前はどうしたんだ? 国王陛下に呼ばれたって聞いたぞ」
「耳が早いな。伯爵か?」
「分かってるじゃないか。面倒事に巻き込まれたそうだな」
ライオネルは頷く。どうやら、エルマーは何が起こったのか既に把握している様子だった。もしかしたら、エルマーが急いで父伯爵に会いに来たのも、同じ理由なのかもしれない。
そう思ったライオネルは、タウンハウスに戻るのを止めた。
「ちょうど良い。少し相談したいことがある。この後、時間を取れるか」
「もちろん」
エルマーが快諾したのを見て、ライオネルは頬を緩めた。そして「こちらだ」と言って、進路を決める。
二人が向かったのは、宮殿から徒歩二十分ほど離れた場所にあるライオネルの仕事場──警察本部の庁舎だった。
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なんとなく、ロレッタの機嫌が悪い。ついでに、フェリクスも不機嫌だ。
朝食を終えたエルは、そんなことを思っていた。
ロレッタやセラフィーナは休憩時間にエルと遊んでくれるものの、家庭教師の授業で忙しい。この日も、エルはフェリクスにくっ付いていた。
だが、絵本はほとんど読み終えてしまったし、屋敷の探検も何度もした。賢いエルは、誰の部屋がどこにあって、どこをどう進めばどこに辿り着くのか、すっかり覚えてしまった。
そうなると、次に興味が湧くのは家の外だ。それに、エルにはどうしても行きたい場所がある。
だが、アルマもグレンも忙しそうだし、両親や長兄のライオネルは居ない。そもそも、両親やライオネルはまだ交流が少なくて、お願いするにも気を遣う。
考えた末に、エルは良いことを思いついた。エルは真剣な表情でフェリクスの裾を引っ張る。
「ふぃるにいさま、えるね、いきたいところあるの」
お出かけする時は、一人で行ってはいけない。必ず誰か、大人と一緒に行くこと。
アルマに言い聞かされた言葉を、エルはしっかりと覚えていた。だから、ちゃんとその約束を、エルは守る気でいた。
ただ、誰もが見落としていた。大人から見ればまだ子供でしかない十三歳のフェリクスも、エルにとっては十分な大人であるということを。




