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ちっちゃな公子エルくんの大冒険  作者: 由畝 啓


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5. エルくん、宮殿へ行く 2


エルが引っ張り出した薄茶色の袋は、きっちりと袋口が紐で縛られている。

わくわくとしながら、エルは紐の端を引っ張った。あっさりと紐はほどけ、袋が開く。エルは興味津々で、袋に入っている柔らかい()()を引っ張り出した。


「──おようふく」


ぐしゃぐしゃに突っ込まれていた布を広げると、それは間違いなく洋服だった。だが、エルやフェリクスが普段着ているようなものではない。それよりもだいぶ薄汚れていて、色も焦げ茶や灰色のものばかりだ。

シャツ、スラックス、上着、そして鳥打帽──いずれも、貴族が身に着けるようなものではない。


その時、がちゃりと音がして扉が開く。エルがそちらに顔を向けると、そこには目を丸くしたフェリクスが居た。


「なんだ、エル。お前こんなところに居たのかよ。何してるんだ──って」


捲し立てるように言葉を重ねたフェリクスだが、すぐに彼はエルが抱えているものに気が付く。そして、フェリクスは少し気まずそうに頭を掻いた。


「お前、そんなもの引っ張り出して来たのかよ。よく見つけたな」

「これ、ふぃるにいさまの?」


エルは、手にしていた上着を掲げて見せる。フェリクスは扉を閉めると、エルに近付いてきて、傍らに胡坐をかいた。


「あ? そうだよ。俺の大事なもの」

「だいじ?」

「大事つっても、宝物ってわけじゃねえけどな。これを着ないと行けない場所があるんだよ」


面倒臭そうに、しかしフェリクスは丁寧にエルに答える。そして、エルの手から上着を取ると少し考えて、自分で羽織ってみせた。


「な? これ着りゃあ貴族に見えないだろ」

「きじょくに、みえたらだめなの?」

「貴族だって分かれば、金持ってると思われるだろ。そしたら、面倒事にも巻き込まれるんだよ」


相変わらずフェリクスはぶっきら棒ながらも親切だ。

貴族だと金持ちだと思われ、面倒事に巻き込まれるという理論に、エルは首を捻った。そこに、二人の様子を眺めていたカートン卿が説明を加える。


『中流階級や労働者階級が居るような場所──それこそ、エル坊が気にしていた乗合馬車やら辻馬車やらはな、貴族だと思うと、金をたくさん払わせようとするんだよ。そうじゃなくても、エル坊が普段着ている服は売れば金になるからな。そういうものを無理矢理奪おうとする奴もいる』


エルは目を瞬かせた。全てを理解できたわけではないが、カートン卿の言わんとしていることはおおよそ察した。つまり、普段エルが着ているような服で出歩けば、痛い思いや怖い思いをするということだ。

フェリクスは、エルが来るまで滅多にタウンハウスには寄り付かなかったと言う。彼は自分の身を守るために庶民と思われる服を着ていたに違いない。


なんとなく、エルはわくわくとした。エルにとって、フェリクスは「恰好良いお兄さん」だ。どれだけロレッタと仲が悪かろうが、両親が手を焼いてやろうが、毎日一番エルを構ってくれるし、何かしようとするエルを引き留めたりもしない。

そのフェリクスが着ている洋服だと思うと、たちまち自分も袖を通してみたくなった。


「えるもきる」

「えー、お前も着んの?」


嫌そうにフェリクスは顔を顰めるが、嫌そうではない。むしろ楽しそうだ。

フェリクスは上着を脱ぐと、エルに着せた。裾も袖も大いに余っている。


「お前には大きいなあ」


思わずといったように笑みを零し、フェリクスはエルの袖を捲り上げて手が出るようにしてやった。服を着ているというよりも、服に着られているといった方が良さそうな有様だが、それが逆に庶民らしさを醸し出していた。貧しい者たちは生まれた子供に新しい服を買う余裕もなく、普通は親兄弟や親戚、知人のお下がりを貰う。だから、巷に出れば、自分の体より大きな服や靴を身に着けている子供は多くいた。

もっとも、そこまで貧しいと辻馬車はおろか乗合馬車にも乗れないのだが。


フェリクスはこしょこしょとエルの頬っぺたを擽る。エルは小さく笑って肩を竦めた。


「頬っぺたに煤でも付けたら、お前、完全に庶民っぽいな。でも誘拐されそう」

「ゆーかい?」

「そう。連れ去られんの。顔立ちが良いからな。まあ、言っても労働者階級ってのは無理があるか。頑張っても中流階級だな」


結局、フェリクスはしっかりと手入れが行き届いていて、髪もさらさらで肌もつやつや、ぷくぷくだ。どれだけ着ている服が労働者階級に近くても、中身が極上なのだから、ちぐはぐな感は否めない。

フェリクスは乱暴にエルの頭を撫でて、上着を脱がせる。そして、上着をたたむこともせず、くしゃりと袋に戻した。そして、袋は衣装棚に入れ直す。


「それで、エル。お前、ここまで俺を探しに来たのか?」


エルが自室ではなくフェリクスの部屋に居るということは、フェリクスを探しに来たに違いない。

当然の思考でフェリクスが尋ねると、エルは「うん」と頷いた。


「おゆうはんなの」

「晩飯? まだ早いだろ」

「はやくおっきしないと、たべれないよ」

「あー、なるほど?」


育ち盛りのフェリクスは、たとえ起きた直後に分厚いステーキを出されても完食できる。だが、エルの親切心を裏切るのも心苦しくて、フェリクスは曖昧に頷いた。


「ありがとな」


フェリクスにお礼を言われて、エルは満面の笑みで得意げに胸を張る。フェリクスは少し困ったように、エルの頭を撫でてやった。



☆☆☆☆☆



エルは夕飯を楽しみにしていたが、その日の食堂は最初から雲行きが怪しかった。フェリクスと共に食堂に入り席に座ると、先に着いていたロレッタとセラフィーナがエルを見て微笑む。


「こんばんは、エルくん。今日も可愛いわね」

「あい、ねえさまたちも、かわいいです」

「すっ……ごく可愛いわ……」


同じように言った方が良いのかと思ってエルが真面目に返すと、ロレッタは顔を顔を覆って悶える。しかし、ロレッタはどこかフェリクスを意識しているようだった。だが、どこか様子がおかしい。普段であれば必ず一言、二言はフェリクスに嫌味を言うはずなのだが、不自然なほどにロレッタはフェリクスを視界に入れないようにしていた。

食事が運ばれて来て、子供たちだけの晩餐が始まる。だが、どことなく不自然な空気だ。

基本的に、食事の間はロレッタとセラフィーナが中心となって会話が弾む。だが、セラフィーナはどこか戸惑ったように口数が少ないし、ロレッタは普段以上にフェリクスを無視していた。


やがて食事も終盤に差し掛かった頃、フェリクスは眉間に深い皺を寄せ、舌打ちを漏らした。

それは、ロレッタの発言がきっかけだった。


「レオお兄様も、かなりご苦労なさっているご様子だわ。ほら、この前、酒場で反政府組織(レジスタンス)が捕まった事件があったじゃない? 恐ろしいわよね。きっと、普段からろくでもない人たちが集まっていた場所だから、警察も警戒していたのね。レオお兄様がしっかりと治安を守ろうとされている成果ですもの、私、誇らしいわ」


フェリクスの乱暴な態度に驚いたセラフィーナの肩が、びくりと反応する。途端に、ロレッタの表情が険しくなった。普段、エルの前では極力見せない怒りを滲ませ、ロレッタはフェリクスをじろりと横目で睨んだ。


「なによ」

「あ? 何もねえよ」


ぶっきら棒にフェリクスは答える。だが、ロレッタは容赦しなかった。


「貴方のその態度で、セフィも怖がってるじゃない。まさかとは思うけど、貴方、ああいう場所に入り浸っていたわけじゃないでしょうね?」

「ああいう場所ってなんだよ」


フェリクスは鼻を鳴らす。どこか軽蔑するような視線を受けて、ロレッタは頬を染め上げた。更に眦を釣り上げて、フェリクスを睨み付ける。


「あの、反政府組織(レジスタンス)が捕まったような酒場よ。成人になれば紳士倶楽部にも入れるけれど、まだ貴方は資格がないでしょう? ずっと不思議だったのよ、家にも居ない、紳士倶楽部にも入れない貴方がどこに居るんだろうって。お母さまたちは詮索するなって仰ってたけれど、貴方のその乱暴な言動は見るからに下々のそれだわ」

「お、お姉さま……」


セラフィーナが困ったように眉尻を下げて、ロレッタを止めようとした。

ロレッタは正義感が強い。だが、彼女の世界はあくまでも、貴族という上流社会で生まれ育った淑女のために用意された価値観で染まっていた。

貧しい労働者階級や昨今の工業化で一財を築いた中流階級は、自分たちとは違う。貴族は彼らに手を差し伸べる義務があるが、同時に、犯罪者が多いのも貧した者たちが居る世界である──それが、彼女が家庭教師から学んだ世界だった。


一方のセラフィーナも同じ教育を受けているが、生来ロレッタよりも気が弱く繊細だ。だからこそ、セラフィーナはロレッタよりも、他人の感情に敏感だった。


「へえ、タウンハウスから介添え人(シャペロン)なしじゃあ一歩も出たことがねえ割に、良く世間のことを知ってるじゃないか、ロレッタ」


フェリクスは敢えてロレッタを呼び捨てにする。それは、フェリクスが久々に見せる喧嘩の合図だった。

確かに、反政府組織(レジスタンス)が捕まった酒場にフェリクスは入り浸っていた。貴族の世界と比べると、中流階級が集うその場所は退廃的で乱暴で、品位もないと言えるだろう。だが、そこは確かに、一時であってもフェリクスにとっては心安げる場所だった。人生で初めて、何の打算もなく、遠慮もない友に出会った場所だった。

だからこそ、実際に足を運んだわけでもないロレッタが訳知り顔で話すのが、癪に障る。


「なんですって?」


皮肉に満ちたフェリクスの発言に、ロレッタが柳眉を逆立てた。今にも食って掛かりそうな勢いだ。

いつもならフェリクスがロレッタを適当にあしらって終わるのだが、この時ばかりは、フェリクスも怒り心頭に発していた。口角を笑みの形に釣り上げるが、目は全く笑っていない。じろりとロレッタを睨み、フェリクスは「聞こえなかったか?」と挑発した。


「紙の上で勉強しただけで、知った気になってんじゃねえよ、つってんだよ。数字やら文字やらだけ見て、それで何が分かるってんだ? その酒場にしたってそうだ。そこに出入りしてた人間が全員、悪い奴らだって? 反政府組織(レジスタンス)だか何だか知らないけどな、そいつら一人ひとりが何をしたのか、言ってみろよ」

「──っ! それでも、犯罪率が労働者階級で多いのは事実でしょう!」

「それが何でかって話だよ。それに、そのハンザイリツってのは百パーセントなのか? それなら、そうだな。そいつらが集まってる場所ってのは、犯罪者の巣窟なんだろうさ」


フェリクスの口調には容赦がない。セラフィーナはおろおろするばかりだ。

ロレッタは堪え切れずに、膝に置いていたナプキンを引っ掴んでテーブルの上に置いた。そして、食事の途中であるというにも拘わらず立ち上がる。


「気分が悪いわ!」


そう言い捨てて、ロレッタは食堂を後にした。


「あ、ローリーお姉さま……」


セラフィーナはおどおどと、ロレッタの背中に声を掛ける。だが、ロレッタは気が付かなかったのか、無言で食堂を出て扉を閉めた。フェリクスは肩を竦めて、食事を続ける。

エルは怯えるどころか、きょとんとしたままロレッタとフェリクスの口喧嘩を見ていた。エルの前で声を荒げて喧嘩する人はいなかったから、エルにとっては初体験だ。

さすがにフェリクスやセラフィーナに説明を求めるのは不味い気がして、エルはこっそりと、隣に座ったカートン卿に尋ねた。


(ろーりーねえさま、なんででてったの?)

『フェリクス坊主に言い返されて、その通りだと思ったから、自分が恥ずかしくなったんじゃないか? ぐうの音も出ないってやつだな』

(……はらぺこむし?)


エルにとって「ぐう」と言えば、お腹が空いて腹の虫が鳴く音だ。だが、話の流れからして違うのだろうとはわかる。カートン卿は小さく笑って『なにも言えなくなったってことだ』と付け加えた。

だが──と、エルはロレッタが座っていた席を見る。そこには、まだ食事が残っていた。それに、デザートも出されていない。きっとロレッタは夜にお腹を空かせるだろう。

エルはくるりと首を回して、使用人に声を掛けた。


「ろーりーねえさまに、ごはん、もってってくだしゃい」

「承知いたしました」


使用人は寸分の違いなく、エルの意図を汲み取る。残りの食事はロレッタの私室に運ばれるだろう。

満足したエルは、皿の上に残っていたトマトを食べる。もきゅもきゅと噛んで、エルはにっこりと笑った。


「おいしい!」


セラフィーナが、ほっとしたように頬を緩めた。ロレッタとフェリクスの言い合いを前に青白くなっていた頬に血色が戻る。


「そうねぇ。デザートも、楽しみだわぁ。レオお兄様が、お作りになったのですって」

「れおにいさま?」

「そうよぉ」


ほのぼのと、セラフィーナとエルが言葉を交わす。フェリクスは少し気まずそうだったが、それでも、席を立つことはしなかった。



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