4. 宮殿と隣国の王女さま 5
宮殿の晩餐会は盛況だった。毎年定期的に開催される国会に合わせて社交界が開かれ、晩餐会や舞踏会も熱心に行われる。
晩餐会は成人を迎える少女たちが王族に挨拶をする儀式の時に併せて開かれるが、舞踏会は必ずしも宮殿で開かれるわけではない。タウンハウスを持つ貴族が親戚や友人知人、そして同じ派閥の貴族を招いて行うこともある。
例年のことで既に貴族たちは慣れ切っているが、今年は隣国アーテム王国の王女エベリーヌ・ド・ル・ロワが来訪している。いつにない雰囲気に、使用人たちだけでなく参加者たちも皆、どことなく緊張し興奮している。
そして、招かれた張本人であるエベリーヌは、最初からずっとご機嫌だった。事前に使用人から噂として聞いていたよりも晩餐会の食事は美味しいし、高貴な来客をもてなすために慎重に選ばれた話し相手とは会話も尽きることがない。なにより、期待していなかったスペロ王国で存外良い宝飾品の買い物ができたことが大きかった。
「ほら、ご覧になって。この耳飾りはこちらの国で頂戴しましたの。私の祖国も宝飾品は素晴らしいですから、たいていの国で見せていただく宝飾はどうしても見劣りするのですけれど──スペロ王国も腕の良い職人がいるのですね」
言外に「アーテム王国ほどではないけれど」と言っているようだ。周囲の貴族は内心で苦笑するしかない。
その時、エベリーヌの話し相手を務めていたのは、ハートフォード公爵夫人ソフィアだった。ソフィアは、エベリーヌが嬉しそうに話すのを微笑みと共に相手しながらも、内心では戸惑いを隠せなかった。
エベリーヌは、スペロ王国でも腕の良い職人が居ると言っていたが──見せられた耳飾りは、丁寧に作られているものの、ハートフォード公爵家が贔屓にしている職人よりも腕が劣っているように見える。金額に換算すれば、それほど裕福でない貴族でも手が出る範囲のものだろう。
だが、エベリーヌに直接進言することはできない。下手をすれば、国際問題になりかねない。
エベリーヌに、その職人か商人を勧めた者が居るはずだ。あとで確認しなければと、ソフィアはそっと頭の片隅に書き留めた。
「私の可愛いマダム・バンジャマン用にも用立てましたのよ。宜しければ後でご覧に入れるわ」
「楽しみにしておりますわ、殿下」
ソフィアは失礼に当たらないようにと、穏やかながらも嬉しさを垣間見せる。エベリーヌは満足げに頬を緩めた。
隣国の王女がハリネズミを飼っていて大層お気に入りだという話は、既に貴族たちの間では広く知れ渡っている。頃合いを見計らっていたソフィアは、そっと口を開いた。
「マダム・バンジャマンとは、殿下のハリネズミでしょうか。私、ハリネズミというものを見たことがないのです」
「そうなの。つぶらな目が本当に堪らないのよ。掌に収まるくらいの大きさで、きっとハートフォード公爵夫人も一目で恋に落ちますわ」
「まあ。それは拝見するのが一層楽しみになりましたわ」
「ああ、でももしかしたら、夫人は可愛らしいとは思っても、私ほどではないかもしれないわね。お母さまが仰っていたもの。結婚した女性は相手の方をお慕いするし、我が子が可愛らしいと思うものだから、それ以上にハリネズミを可愛らしいと思うことなどないのですって」
エベリーヌはそういうものの、まだ幼さの残る表情は、納得できないと言いたげだ。その態度が娘のロレッタと重なって、ソフィアは社交辞令ではない笑みを浮かべた。
「それはその通りかもしれませんわね。もちろん、可愛くないと思うわけではありませんが──どちらか一方をと言われたら、親は子を選ぶものでございましょう」
「そういうものかしら?」
存分に両親から愛情を受けて育ったエベリーヌは、ソフィアの言葉もあまり腑に落ちないようだった。
ソフィアは「ええ」と頷く。現実を振り返れば子を嫌う親も、労働力としてしか考えていない親もいる。だが、まだ大人の階段を上ったばかりの王女に現実を突きつける必要はない。そもそも、その役割は他国の公爵夫人でしかないソフィアが担うものではなかった。
エベリーヌは他の貴族に話しかけられる。誰もが礼儀を尽くして丁寧に、そして王女を下にも置かぬ扱いをするものだから、エベリーヌは晩餐会の最後までずっと上機嫌だった。
デザートが出た時には、エベリーヌは使用人に命じて自分の部屋からハリネズミのマダム・バンジャマンを連れて来させる。滅多に見ることのない小さなハリネズミを前に、貴族たちは興味津々だった。
自分が可愛がり大切にしているマダム・バンジャマンに皆の注目が集まり、エベリーヌは鼻高々だ。
「この子は夜行性なので、ちょうど目が覚めたばかりなのですわ。暗いところが好きですから、昼間は専用のベッドで寝ているのです」
「お食事にはなにを?」
「野菜ですとか、果物ですとか。良く食べますのよ」
ほらご覧になってと、エベリーヌはマダム・バンジャマンを籠から抱き上げると、近くの親しくなった貴族に手渡す。色々な人に世話をされて人慣れしたマダム・バンジャマンは、多少警戒しつつも、丸くなって棘を立てるようなこともなく、素直に人々に鑑賞されていた。
☆☆☆☆☆
ハートフォード公爵ヒューバートと夫人のソフィア、そして嫡男のライオネルが宮殿で社交界に精を出している頃、エルは屋敷の全員から可愛がられていた。
一緒にいる時間が最も長いのはフェリクスだが、長女ロレッタと次女セラフィーナは家庭教師の講義を受けていない時間に、アルマやグレンを含めた使用人たちは仕事の合間に、エルの相手をしてくれる。
「あるま!」
エルが久々に見かけたアルマは、ちょうど裏の勝手口で肉屋から肉を受け取っているところだった。アルマはエルを振り返った途端に破顔一笑すると、若者に礼を言う。若者は鳥打帽に軽く指を添えて挨拶すると、踵を返して立ち去った。
タウンハウスに来てアルマは色々と用件を言いつけられることが増えたらしく、マナーハウスに居る時と比べて、エルの傍にいる時間は遥かに短い。エルが病を乗り越えて健康になり、それほど手が掛からなくなったのも理由の一つなのだが、エルはその辺りの事情を詳しくは知らされていなかった。
ただ、寂しいと思う間もなく、フェリクスを初めとして様々な人が構ってくれるので、それほど気にしていない。とはいえ、アルマを見ると一際嬉しくなるのも、エルには当然のことだ。
アルマは肉の入った袋を持って、戸口に立つエルに近寄って来た。
「エルお坊ちゃま、今日はフェリクスお坊ちゃまとご一緒ではないのですか?」
「うん、ふぃるにいさま、おひるねしてるの」
「まあ」
昼寝するには少し遅い時間帯だが、フェリクスも連日エルの相手をして疲れているのだろうと、アルマはくすくすと笑う。
「エルお坊ちゃまは、お昼寝しなくてよろしいのですか」
「ぼく、おねむじゃないもの」
おにいさんなんだよ、と、エルは胸を張る。その様子が一層可愛らしくて、アルマは更に頬を緩めた。
「あっという間に大きくなられて、アルマは寂しゅうございますよ」
「あるまは、ぼくとずっといっしょなんだよ」
エルは励ますように、アルマにそう告げる。そして、それはエルにとっては厳然たる事実でもあった。
貴族は子供時代と成人以降で、使用人との距離感も大きく変わるのだが、エルは居間だその事実を知らない。今ここでエルに現実を見せたところで悲しませるだけだろうと、アルマは敢えて明言を避けた。
「そうなりましたら、私も嬉しいですわ。それで、エルお坊ちゃまはここで何をしていらっしゃるのですか?」
「あるまがいたから、きたの」
カートン卿を抱きしめたまま、そう告げるエルは目を輝かせている。久々にアルマと話せて嬉しいと、エルは全身で表現していた。
「まあ」
可愛らしい子供に一途に慕われて、嬉しくないわけがない。アルマは肉を抱えたまま、しゃがみこんでエルの頭を撫でた。
「私も、エルお坊ちゃまに会えて嬉しいですよ」
アルマの言葉に、エルもにこにこと満面の笑みだ。だが、アルマに会えて喜びで満ちていたエルの心は、早々に別の事へと関心を移した。
「それ、なあに?」
エルが見つめているのは、アルマが若者から受け取った肉の袋だ。エルには見慣れないものである。
アルマは自分が抱えている肉の袋に目を落とすと、「ああ」と呟いて、好奇心旺盛な小さい主に答えた。
「お夕飯のお肉ですよ。毎日、決まった時間に届けてくれるよう、お店に頼んでいるのです」
「おかいもの?」
物を手に入れる時はお金と交換するのだ、ということは、マナーハウスでアルマやグレンに教わったことである。ウサギの紳士が主人公の絵本で、紳士は鉄道を使って国中を旅しながら、必要なものをお金と交換していた。お金には金貨、銀貨、銅貨、そして紙幣があることも、エルは知っている。
「おかね、はらって、もらうの?」
「そうですよ。さすがですね、エルお坊ちゃまはよくご存じです」
エルが読んでいる絵本の内容もアルマは知っているから、すぐにエルがウサギの紳士の絵本を思い出したと気が付いた。お仕着せのポケットから銅貨を出して、エルに見せる。
「これが銅貨ですよ。ウサギの紳士が、これを四枚払って牛のお肉を食べていたでしょう?」
「たべてた!」
絵本で存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。エルは目を輝かせた。エルはアルマが持っている、肉の入った袋に顔を向ける。
「それも、よんまい、わたしたの?」
思わずアルマは微笑んだ。銅貨四枚で買える牛肉は庶民向けだ。絵本は中流階級の子供も買うからか、上流階級である貴族の常識とは違う場面も多い。
「いいえ、これはエルお坊ちゃまたちのお夕飯ですから。銅貨では足りないので、金貨か銀貨を使います」
「きんか……」
使用人のアルマは、金貨を持っていない。銀貨も滅多なことでは使わない。肉屋にも毎度支払うわけではなく、月々にまとめて、執事のデニスが直接店の親方に支払う方式だ。だから、今アルマが持っている肉が具体的にどれほどの金額なのかは、アルマにも分からない。とはいえ、自分たちが食べるような──それこそ、銅貨四枚の牛肉よりも高級な品であることは明らかだから、少なくとも銀貨での支払いになるはずだった。
「銅貨を十二枚と、銀貨一枚を交換できます。銀貨は二十枚あれば、金貨一枚と交換できるんですよ。だから、金貨一枚と銅貨を交換したければ、銅貨が二百四十枚もいるんです」
一瞬エルは固まった。想像もつかないほどの数だ。
エルに抱かれたままのカートン卿が、エルにこっそりと囁く。
『一ヵ月分、まとめて金を払うんだ。だから予想するしかないが、たぶんこの肉でこの量なら、銀貨三枚か四枚くらいだろうな。銅貨なら、四、五十枚くらいだ』
(ごじゅう!?)
まだ幼いエルだが、数えるのは得意だ。五十とは、両手と両足の指を二回数えて、もう一度両手の指を数えなければならない。ウサギの紳士が絵本で食べていた牛の食事と比べると、かなりの金額だった。
(ぼく、ごはん、だいじにたべる)
『それが良い。まあ、公爵なら当たり前だから、美味しく食べればそれで良いぞ』
(あい……)
あまりの衝撃に、エルは言葉を失う。それでも、カートン卿との約束はしっかりと守って、声に出していないのだから十分立派だ。
どうにか立ち直ったエルは、改めてアルマに尋ねた。
「どーかいちまいで、なにがもらえるの?」
「そうですねえ。銅貨一枚では、あまりなにも買えませんね」
「ぎんかは?」
「銀貨なら、色々なことができますよ」
銀貨一枚は、銅貨十二枚。つまり、銅貨を十二枚持っていれば、色々なことができるということだ。
エルは先ほどアルマから聞いた話を思い出して納得する。アルマは穏やかに言葉を続けた。
「銀貨一枚あれば、庶民なら家族のパンを一ヵ月分買うこともできますし、ベーコンも買うことができます。馬車に乗ることだってできるんですよ」
「ぽっぽは?」
マナーハウスからタウンハウスに来る途中、鉄道の話が出て来たことを、エルは思い出す。馬車に乗るにもお金がかかるのなら、鉄道もお金がかかるに違いないと、エルは考えた。
一から十まで全て説明せずとも理解するエルに、アルマは楽しげに微笑みかける。
「ええ、鉄道もお金が要りますね。私は乗ったことがありませんが、行って帰って来るのに、銅貨百枚くらいは掛かると聞いたことがあります」
「ひゃく……」
これまた途方もない額だ。エルは、大きくなるまで鉄道に乗るのはやめようと幼心に決めた。
呆気に取られているエルの頭をもう一度撫でて、アルマは立ち上がる。
「アルマはお仕事に戻らないといけません。エルお坊ちゃまは、フェリクスお坊ちゃまを起こしに行ってさしあげるとよろしいですよ」
「うん」
夕食のぎりぎりまで寝ていたら、フェリクスはご飯を食べ損ねるかもしれない。それは可哀そうだと、エルはアルマと共に屋敷に戻り、カートン卿を連れてフェリクスが寝ているエルの部屋へと駆け戻って行った。
2-1. 絵本




