4. 宮殿と隣国の王女さま 4
エルは、良く考えていた。何事も計画を練らないといけない。だが、普通に色々な人に話を聞いても、簡単に教えてくれないだろうことも分かっている。
だからこそ、まずは観察をすることにした。
『俺は薄々お前が何を考えてるか分かるんだけどな、エル坊』
(うん。ぼく、ちゃんとこまってるひとを、たすけてあげるんだよ)
『お前は普通に暮らしてくれてるだけで、俺が助かるんだがなあ……』
何が助かるって、カートン卿の胃が助かるのである。もっとも、カートン卿の体の中には綿しか入っていないのだが、そこは気分の問題だ。ないはずの胃が、しくしくと痛む。そんな体験は、カートン卿もしたくはなかった。
だが、エルの計画は既に難航している。家の中から外を覗いてみたり、使用人が出入りしている戸口を瞠ったりしても、エルが欲しい情報は手に入らなかった。
その代わり、料理人が作ったお菓子やら、ジュースやらを貰ったり、ちょっとした暇つぶし──使用人がワックスがけをしてツルツルになった床を滑るなどという──アルマやグレンならば心配して決してさせなかっただろう、ちょっとしたお遊びをさせて貰ったくらいだった。
それも十分楽しくて面白くてエルは満足したのだが、最初の決意を忘れるような、うっかりさんではない。どうやらフェリクスはその「うっかりさん」らしいが──と、エルは先ほど通り掛かった使用人から貰ったスコーンを一つ、もふもふ食べながら、フェリクスを見上げた。
「んあ? バター、欲しいか? それともジャムか?」
裏口に繋がる数段の階段に腰掛けて、フェリクスは片手に持った小さな皿をエルに差し出す。
それじゃない、と思いながらも、エルは大人しくジャムをスコーンに追加した。エルも自覚はなかったが、どうやら甘党であるらしかった。
「ふぃるにいさま、つじばしゃ、のったことあるの?」
「辻馬車? あるぜ」
ここ最近はないけど、とフェリクスは頷く。
フェリクスが辻馬車を使っていたのは、屋敷で家族と顔を合わせることが苦痛だったからだ。使用人の追跡を撒いて辻馬車に乗り、居心地の良い酒場でずっと寝泊まりしていた。
だが、その酒場で反政府組織が捕まった。そのことが新聞で報じられた日以来、フェリクスはエルに付きっ切りだ。エルから目が離せないというのもあるが、それ以上に、自分が思っていた以上に入り浸っていた酒場が危険な場所だったと自覚したのだ。もし警察が踏み込んだ時に自分がその場に居たらと思うと、ぞっと寒気がする。
もし今後、エルと行動を共にしない時が来ても、フェリクスはあの酒場に行くために辻馬車に乗るようなことはしないだろう。
そんなフェリクスの心境を知る由もなく、エルはきょとりと首を傾げてフェリクスを見上げた。
「つじばしゃ、どこでのるの?」
「そこら辺を歩いてたら、空の辻馬車がいるから、それを捕まえる」
エルが何を考えているのか、深く考えることもせず、フェリクスは淡々と答える。
実際、たとえエルが辻馬車を捕まえようと道を歩いたところで、辻馬車の御者は停まらないだろう。近くに親を探すか、迷子だと言って警察に連絡をするか、面倒事の臭いを感じ取って無視するかだ。
エルの姉であるロレッタやセラフィーナであれば、エルが誘拐される可能性を言い聞かせもするだろうが、残念ながらフェリクスはそこまで思い至らなかった。
自身がこれまで自由奔放に過ごして来て、誘拐や殺人とは無縁だったから危機感が薄いこともある。その理由の一つに、アトキンズ大尉や酒場の仲間から、外をうろつくのなら身なりや言動に気を付けた方が良いと助言され、素直に従ったことも大きいのだが、本人は無自覚だった。
「のりあいばしゃは?」
「お前、良く覚えてんな。乗合馬車は、ここら辺からは出てないぜ。もっと南の方だ」
フェリクスは、中流階級や労働者階級が暮らす地区にほど近い場所を言う。エルは目を瞬かせた。
「そこから、どこにいけるの?」
「色々なところに行けるぜ。鉄道の駅にも行けるし──そうだ、前にお前が言ってた宮殿にも行けるぜ。つっても、宮殿の真正面じゃないけどな。宮殿の隣に国会議事堂っていうのが建ってるんだが、ちょうどその前の川沿いにカフェ・テラスがあってさ。その近くで降りられるようになってるんだ」
観光客が良く使う路線である。エルは何食わぬ表情で、「ふうん」と頷いた。だが、ようやく得られた情報に内心はうっきうきである。
あとの問題は、いつ宮殿に行くか、だ。
国会期間はそれなりに長いらしく、両親はここ数日留守がちである。長兄ライオネルも十八歳になり社交活動に精を出していて、やはり家を空けている。
それが終われば、エルも自由に移動できなくなるに違いない。それに、王女さまが困らせられるとすれば、きっとこの数日中だろう。母ソフィアとウィルキンソン伯爵夫人ドローレスとの会話からエルがぼんやりと想像したところでは、やはり早めに行動した方が良い気がする。
むん、とエルは唇を引き結んだ。
『おい、エル坊……』
不穏を感じたカートン卿が、エルの名を呼ぶ。
(だいじょうぶ、ぼく、できる!)
だから、エルは力強く答えて、カートン卿を安心させようとした。
『そういうことじゃ、ないんだよなあ』
疲れたようなカートン卿の理由を、エルは結局よく理解できないまま、スコーンを食べ終わったのだった。
☆☆☆☆☆
スペロ王国の都には様々な場所がある。エルが知っているのはハートフォード公爵家のタウンハウスだけだが、遊び歩いているフェリクスはそれよりも多少広い範囲を知っている。ただ、それでもフェリクスは結局上流階級の子息で、それも未成年だ。中上流階級が出入りしている場所程度しか知らない。
反政府組織が大量に捕まった場末の酒場でさえ、治安は良いと評判の場所だった。
だが、一般庶民なら決して足を踏み入れようとしない場所もある。それが、都の南部と北西部に位置している貧民窟だった。
労働者階級の中でも、ろくな仕事に付けなかった者たちが行き着く場所。
中上流階級のために建てられたはずのアパートメントには貸し手が付かず、二束三文で貸しに出された結果、行く先のない者たちが集まるようになった。狭い部屋に何人もの住民が居ついている。日雇いの仕事で糊口を凌げるのならば良い方だ。物乞いをする者、掏摸や盗みを働く者も居る。絶望に身を浸され、どうにか手に入れたはした金を全て阿片窟につぎ込み、死んだようになる者も居た。
警察も、貧民窟には近づかない。一歩足を踏み入れたが最後、彼らも身の危険を感じることは多々あった。
だからこそ、そこは密会にはうってつけの場所だった。良心を持たない者にとっては、多少の危険も恐ろしくはない。返り討ちにすれば良いだけだ。
「ここも随分と、掃き溜めのようになったな、キム」
少し癖のある発音で、一人の男が呟いた。男は阿片窟の三階にある、主人用に誂えられた休憩室の窓から外界を見下ろしていた。
男の背後で椅子に寛ぎ、紅茶を飲んでいた男は片眉を上げる。そして、皮肉な笑みを浮かべた。
「その方が、商売がしやすいと喜んでいるんだろ? お陰で、こっちも随分と懐が潤ったよ」
椅子に座っている男は阿片窟の主人だった。安価で質の悪い阿片を海外から取り寄せ、貧民窟の住人からなけなしの金を巻き上げている。噂を聞きつけた中流階級や労働者階級の人間も時折立ち寄っており、彼にとっては良い金蔓だった。
キムは卓上に置いてあった拳銃を手に取った。木目調の銃身が美しい最新式のモデルだ。ハンカチーフで銃口と銃身を拭いて、懐に仕舞う。
窓から外を眺めていた男は振り返り、目を細めてキムを見ると、懐からパイプを取り出し加えた。
「それにしても、酒場の件はぬかったな」
「ああ、反政府組織の件か? あれはこっちがコントロールできる状況じゃなかった。ハートフォードのドラ息子が居なかったのは運が悪かったとしか言いようがない。それはお前も分かっているだろう、ホレス」
キムは冷たく言い放つ。ホレスはパイプをくわえたまま、肩を竦めた。
「上顧客はお怒りだぜ。適当に宥めておいたが」
「こっちは本業じゃないってのに……。かなりの特別サービスをしてやっているっていうのに、まだ望むかねえ?」
うんざりとした表情の仲間に、ホレスは含み笑いを漏らす。キムの態度を諫めることはせず、むしろ彼は全く仲間の感想に同意見だった。
金のためとはいえ、ここまで随分と際どい仕事に手を染めている。まだ警察の目は盗めているが、いつまで逃れられ続けるかは分からない。時間の問題だというのが、キムとホレスの共通見解だった。
それでも、ホレスはまだ手を引くつもりはなかった。
「あと少しだ。クラヴジーの奴が、上手く本丸に乗り込んで繋ぎを付けたらしい」
「クラヴジーが? そいつはでかした」
キムは目を瞠り、次いで満足そうににやりと笑みを深める。
本丸は、宮殿に滞在しているアーテム王国の王女エベリーヌだ。キムとホレスの仲間クラヴジーは、クラヴジー・イサコヴァ男爵と名乗って口先三寸で人の好い貴族を騙し、エベリーヌとの面会を成功させたらしい。その上、商売の話もまとめたという。
そこまでをホレスから聞いたキムは、呆れ顔を隠せなかった。
「あいつ、本当に良くやるなあ。そもそも、宝石はどうやって手に入れたんだ?」
あいつは宝石商なんかじゃなかっただろう、とキムは首を傾げる。ホレスは声を立てて笑った。
パイプを咥えたまま、窓際の椅子を引き寄せて跨るように座る。背もたれに両腕を載せて、その上に顎を置いた。
「あいつのことだ。適当な宝石商から頂戴して来たんだろ。スペロ王国の仕事じゃないかもしれんが」
そして、宝石を売りつけたのなら、望まれた通りに加工して納品しなければならない。キムやホレスならば心当たりを辿るのにさえ時間が掛かるだろうが、クラヴジーであれば、上手くやってのけるだろうと想像がつく。必要とあれば、遠い異国の王子役ですらやってのける男だ。
「アーテム王国か。それならさぞかし、王女も気に入る宝石があっただろうな。王女は目利きだって話だ」
そう嘯く声に、嘲弄にも似た色があるのは否定できなかった。
どうしても、スペロ王国よりアーテム王国の方が質の良い宝石が集まりやすい。アーテム王国の宝石の方が、スペロ王国よりも美しい。
そんな先入観が、アーテム王国の貴族にはあった。自負していると言えば聞こえは良いが、キムやホレス、そしてクラヴジーのような人間にとっては、それこそ付け込む隙に違いない。
「それで、決行は?」
「明日の夜だ。お前の手下にも、念を入れておけ」
ホレスは何気なく答え、煙を口から吐き出した。白い煙は綺麗な円を描いて、宙に消える。そして、ホレスは目を細めた。この場にはない何かを睨み付けるようにして、口角を皮肉に釣り上げる。
「その仕事が終われば、お前らと金を山分けして、俺はこんなクソッ垂れた国とはオサラバよ」
「寂しくなるな、兄弟」
キムは淡々と応じた。ホレスは、それを鼻先で笑い飛ばし、パイプの灰を床に落とした。
「心にもねえ別れの餞別を、どうも」
そして、ホレスは立ち上がり部屋を後にする。キムは目を細めて、ホレスが立ち去った後の扉を見つめた。




