4. 宮殿と隣国の王女さま 3
エルがタウンハウスに到着して数日が経った。随分とタウンハウスにも慣れ、館内の冒険もほぼ終わっている。基本的に子供は許された場所にしか出入りできないが、不思議とエルは誰にも見咎められることなく、フェリクスでさえ出入りしたことのない部屋も探検することができた。
そうして生まれたのは、暇である。
領地にあるマナーハウスであれば午前と午後に散歩の時間があるし、使用人たちも慣れたようにエルの相手をして遊んでくれる。だが、タウンハウスでは、散歩の時間も非常に短く、裏庭をぐるりと一周する他ない。裏庭と言ってもそれなりの広さはあるのだが、やはりマナーハウスの広大な庭や、近辺にある自然豊かな草原や森と比べると雲泥の差だ。
「ふぃるにいさま」
自分に用意された子供部屋で、絵本を読んでいたエルはフェリクスを振り返った。フェリクスにも自身の部屋があるはずなのに、なぜか彼はずっとエルの部屋に入り浸っている。エルとしては暇が潰れるので大歓迎だが、時折顔を覗かせるアルマやグレンは少し、不思議そうな表情を浮かべていた。
「なんだ? もう読み終わったのか?」
フェリクスは眉間に皺を寄せて、分厚い本と格闘している。
エルは、放っておくと何をしでかすか分からない。だから弟の傍に居ることにしたものの、室内で剣や組手の練習をするわけにもいかず、結局逃げに逃げて来た語学や戦術の勉強をすることにしたようだ。だが、元々嫌いだと豪語していたこともあり、集中力は続かないようである。エルが絵本に集中している時でも、フェリクスの方から時々悪戯半分に声を掛けたり手を出したりすることがあった。
「える、おさんぽしたいの」
神の子と呼ばれるほどに能力が高いエルだが、それでも「武」の公爵家と呼ばれるハートフォードの血筋である。本を読むことも大好きだが、それだけでは飽きが来る。どうしても体を動かしたくなるのは仕方のないことだった。
「よっしゃ、行くか」
先ほどは「もう読み終わったのか?」と兄貴風を吹かせていたフェリクスだが、読書に飽きていたのは全く同じだ。何なら、エルよりも早くにフェリクスはじっとしていることに飽きていた。
「どこいくの?」
ぱたんと呼んでいた絵本を閉じて、エルは嬉々として尋ねる。フェリクスも本を閉じてテーブルの上に置くと、「そうだな」と呟き目をぐるりと回した。天井を睨んで考える。
一人であれば、早々に家を出て外へ遊びに行く。だが、エルを連れてそれはできない。さすがに、フェリクスにもその程度の常識はあった。
「また屋敷の中、歩いてみるか?」
「うん」
タウンハウスは広い。十分に冒険したつもりだったが、もしかしたら新たな発見があるかもしれない。エルはそんな期待と共に、元気に立ち上がった。
二人はいそいそと部屋を出る。
「どっちに行きたい?」
「こっち!」
エルが選んだのは、両親の部屋がある方角だった。フェリクスはエルに気取られないよう頭を掻く。
本来であれば、まだ成人にならないフェリクスとエルが気軽に足を向けて良い場所ではない。ハートフォード公爵家は他家と比べても両親と子供の交流が多いが、両親や成人した子供と、まだ未成年の子供の生活圏は徹底して分けるのが貴族の習わしだった。そのため、フェリクスもあまり両親と交流した記憶がない。食事時にたまに居る人、という認識だ。むしろ、アトキンズ大尉や使用人の方が身近な存在だった。
「まあ、良いか。エルなら怒られないだろうし」
少し見ただけでも、両親がエルに甘いことは分かる。少し複雑な心境ではあるが、エルを見ていると、それも当然かという気持ちになった。
フェリクスはエルが歩くに任せて、その後ろをついていく。
ちょうど廊下を歩いていたところで、エルとフェリクスは足を止めた。
「あら? エルちゃん、フェリクス、どうしたの?」
穏やかに尋ねたのは母のソフィアだ。ソフィアは煌びやかなドレスを纏い、濃紺のベルベッド地に金糸の刺繍が眩しいローブを着ていた。頭には宝石の輝くティアラを着け、ティアラには白い羽飾り、そして白いベールが背中側に垂れている。
ソフィアの背後には、父ヒューバートも居る。彼も燕尾服の上にローブという正装だったが、ローブは緋色だった。
初めて見る美しい装束に、エルは目を瞬かせる。一体どうしたことかと思っていると、エルの後ろに居たフェリクスが口を開いた。
「これからお出かけですか」
「そうよ。貴族院の開会式があるから──ヒューバートも私も、今日は遅くなるわ」
先にご飯を食べておいてね、とソフィアは微笑を浮かべる。エルは小首を傾げた。
「きじょくいん?」
「そうよ」
まだエルには早いと思ったのか、ソフィアは説明をしない。代わりとでもいうように、エルの腕に抱えられたカートン卿がこっそりと囁いた。
『国会が始まるからな。つまり、政治──スペロ王国の決まり事を決めたり、どういう風に国を動かすかを決める仕事だ。貴族のチームと庶民のチームが居るんだが、貴族のチームはその国会が始まる前に、始まるぞって宣言をするんだよ』
(ふうん。おもしろそう)
幼い双眸をきらきらと輝かせ、エルはカートン卿をぎゅっと抱きしめた。カートン卿は笑みを含んだ口調で、エルを励ます。
『法廷弁護士になれば、大きくなってからでも見れると思うぞ』
裁判は国会と同じ場でなされる。だからこその助言だったのだが、エルはふるふる、と首を振った。
(ぼく、おとーさまのおようふく、きたい)
『おっと、そっちか。ライオネルなら着られるが、お前は無理かな……』
(ちょーなんじゃないから?)
『そうだ。よく知ってるじゃないか』
厳密にいえば、聖職貴族の位を得れば同じローブを纏えるが、あまりにも狭き門だ。エルの能力を考えると、法廷弁護士の方がまだ現実的でさえあった。
ソフィアとヒューバートが、エルとフェリクスに近付く。フェリクスは廊下の端に避けたが、エルはその場に立ち尽くしたままだ。ソフィアが腰をかがめて、エルの頭を撫でた。
「良い子にしていてね」
「あい」
「立派な子」
もう一度頭を丁寧に撫でると、ソフィアはヒューバートと連れ立ち、屋敷を後にする。その後ろ姿を見届けて、エルはくるんとフェリクスを振り返った。
「おとーさまと、おかーさま、こっかい? いくの?」
「あ?」
フェリクスはきょとんと眼を瞬かせる。少し不思議そうな表情だ──あれ、母上って「国会」なんて口にしてたっけ? という疑問である。だが、自分が聞き逃しただけかと思い直した。
「ああ、そうだよ」
「こっかいって、どこ?」
エルは真剣である。フェリクスは深く考えずに答えた。
「どこでやるかってこと? 宮殿だよ」
途端に、エルは愕然とした。
「きゅうでん──!」
それは、一大事だ。
そんなことならば、連れて行ってもらうべきだった。
エルのそんな気持ちは、ただ一言に集約された。
「おうじょさま!」
エルが助けてあげなければならない、困っている人──王女様は、宮殿に居ると言っていたではないか。
「何言ってんだ、お前?」
フェリクスはただ、首を捻るばかりである。数日前に母ソフィアとウィルキンソン伯爵夫人ドローレスが会話していたことなど、すっかり頭から消え去ったようだ。頼りにならないと、エルは小さく首を振った。
これは自分でどうにかしなければならない。
さて、どうするか──そう考え始めたエルは、カートン卿が自分の腕の中で、頭を抱えていることに気が付いていなかった。
☆☆☆☆☆
スペロ王国の宮殿で、アーテム王国の王女エベリーヌは目を輝かせていた。目の前には一風変わった風体の商人が居て、彼が持ちこんだ宝石の数々を検分しているところだ。優秀な使用人は、高級仕立店だけでなく、宝石商も見つけてきてくれたのだった。
商人は仕立ての良い服を着ていたが、見慣れない風体である。恐らく、一代で成り上がった中流階級だろうとエベリーヌは見当を付けた。少し胡散臭くも見えたが、持って来た品物はどれも高品質のものばかりで、さすが宮殿に出入りする貴族が贔屓にしているだけあると、満足していた。
「どれもこれも、素晴らしいものばかりね。こちらは?」
エベリーヌが指し示したのは、中央に置かれた赤色の石だ。男は恭しく答えた。
「東方産のガーネットでございます。耳飾りにするも良し、首飾りにするも良し──とはいえ、夜会の首飾りにしては少々、小さすぎますかな。いずれにせよ、殿下のきめ細やかな白肌をさらに引き立ててくれるものと思います。この国で最近、流行っております黒玉と合わせても、神秘的な宝飾品になりますよ」
「素敵だわ。ねえ、あなた、これを明後日の晩餐会までに仕立ててくださる? 首飾りは自国から持って来たものを使うから、耳飾りが良いわ」
「もちろんにございます」
王女の申し出は、かなりの無理難題ではあった。だが、一国の王女が贔屓にしているとなればその後の商売もしやすくなるからだろう、商人は一も二もなく快諾する。
商人は王女が示した宝石を脇に避けると、他の宝石も見せた。
「他にお気に召したものはございますか?」
「そうねえ」
美しく手入れされた指先を顎に当てて、エベリーヌは考える。
当初の予定では、エベリーヌは自分用の宝飾品を購入するつもりはなかった。商人の口が上手いので、あっという間にその気にさせられただけである。後から、両親の代わりである付添人に苦言を呈されるかもしれない。だが、祖国から持って来たアーテム王国の威信を示す国宝の首飾りを身に着けるのだから許されるだろうと、気楽に考えていた。
むしろ、全てアーテム王国の品物で身を固めるよりも、両国の絆を示す良い機会であるはずだ。それに、エベリーヌが最初に姿を見せる儀式では全てアーテム王国から持って来たものを身に着けるのだから、やはり文句はないはずである。
付添人には「口ばかり上手くなって」と嘆かれるような気もしたが、エベリーヌはあっさり厳格な貴婦人の姿を脳内から捨て去った。
「これはサファイアね?」
「左様にございます」
一際きらきらと輝く青い宝石に、エベリーヌは目を奪われる。宝飾品として身に着けるにしては少し小ぶりだが、その代わりに品が良いと、彼女は思った。
「これもいただくわ」
「承知いたしました。指輪にいたしましょうか?」
証人の提案は、宝石の大きさを考えると妥当なものだった。だが、エベリーヌは首を振る。
「いいえ、これは腕輪のようにしてちょうだい。でも、これはマダム・バンジャマン用よ」
「マダム──お知り合いの方ですか?」
商人は慎重に尋ねた。エベリーヌはさも面白いことのように、声を立てて笑う。そして「違うわ」と首を振った。
「私の可愛いハリネズミよ。彼女に、そのサファイアを贈るの」
「さようでございましたか」
奇妙な表情になりそうだったのを、商人はすんのところで抑える。
その様子を傍から見ていた使用人たちは、心の中で然もありなんと頷いた。ハリネズミをペットとして飼っている貴族など、滅多にお目に掛かれないからだ。
「かしこまりました。それでは、その──マダム・バンジャマン用の宝飾品も、一緒にお持ちいたします」
丁寧に商人は頭を下げる。
エベリーヌは鷹揚に頷いた。
「楽しみにしているわ、イサコヴァ男爵」
イサコヴァ男爵と呼ばれた異国風の男は、人好きのする笑みを浮かべてみせた。




