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2 スタート地点を確認しよう

 砕け散った巫女の魂から、いくつかの破片が欠け落ちるのを■■■は見た。

 これから現世の誰も気づかぬままに消えていくものを、そっと手のひらに乗せて覗き見る。


『ねえアウロラ、見て! この指輪、さっきの宝箱の隠し底にあったの!』


『お、クロノス鉱の指輪? いいね、まだ表面の青白さが消えてなくて保存状態も……ってうわ、なんか気持ち悪い模様……』


『ただの模様じゃないのよ、コレ神代の呪文なの! 確か、クロノス鉱ってすごく加工が難しいのよね? にも関わらずここまで細かい彫り込みがされている、というだけでも驚嘆するべき技術なのだけど、彫られている呪文もとっても素敵で……時女神(クロノシア)を讃える言葉を織り交ぜた、優美かつ無駄のない構成が……』


『出たよ、エメリタの悪癖。あー、呪文が彫り込まれてるってことはコレ、なんらかの術が込められてるんだよね? どんな術?』


『ううん……正確なところは、持ち帰ってじっくり読まないとわからないけれど……たぶん、時間に影響を与える術、かしら。それを時女神を賛美する文面に織り込んでいるあたりが、オシャレよねえ』


 エメリタのセンスってよくわかんない、とかつてのアウロラは肩をすくめた。

 アウロラにもいずれコレの良さがわかるようになるわよ、とかつてのエメリタは優しく笑っていた。


 ――これは、運命を捻じ曲げる代償として失われたもの。

 世界のどこにも「なかったこと」になった思い出話だ。


 ***


 ひやりとしたなにかが胸元を撫でた気がして、アウロラは目を開けた。


「あ゛、ぐ……」


 寝起きの喉は乾ききっていがらっぽいが、ちゃんと音が出る。そのことを確かめた瞬間、アウロラはどっと冷や汗が噴き出るのを感じた。

 心臓が激しく脈打ち、呼吸は浅く荒くなっていく。不安定に暗くなったり明るくなったり忙しない視界に、もう存在しないはずの炎の色がちらついて、アウロラは思い切りベッドの上で嘔吐した。


「う……お゛、え゛ッ……! ッは、ああ、ちくしょう……!」


 最初から覚悟を決めていたとしても、凄惨な死の記憶は心身に重くのしかかるものらしい。だんだん頭まで痛くなってきた。

 吐いたことで少しは楽になったかと思いきや、強まる頭痛と胃液の匂いで余計に吐き気が増してしまい、再び何度か吐いた。胃の中身がほぼ空だったことだけが幸いである。


 しばらくシーツの上で七転八倒したあと、どうにか落ち着きを取り戻したアウロラは、よたよたと頼りない足取りでベッドを降りた。


 目に映るのは豪奢なシャンデリアではなく、くすんだ木製の天井。

 足の下には絨毯ではなく、古びた床板のざらざらとした感触だけがある。

 ちょっとばかりホコリっぽい空気も、古いがそこそこ手入れはされた室内の景色も、アウロラが駆け出しの頃から世話になっている宿のそれに相違なかった。


「本当に生きてる……ううん、巻き戻っている、が正しいのかな。吹き飛んだはずのあれやこれやがもとに戻ってるし」


 アウロラは両手を持ち上げ、顔の前に掲げる。どちらも腕ごと吹っ飛んだはずだが、今はちゃんとくっついているし指も問題なく動く。

 肌がゾンビめいた緑色になっているとか、心臓が動いていないとか異様に体温が低いとか、そういうこともない。温かな肌と自然な血色を持つ手のひらは、どこからどう見ても生きた人間のそれだった。

 ひとつ深呼吸してから、アウロラはサイドテーブルに置かれた万年暦をちらりと見る。


「えーと? 1028年8月10日……あのクソボケを殴ったのが1038年の年末だから、約10年前か」


 本当に、ちゃんと計画通り"戻って"来られた。

 これでこの計画最大の難問だった「生死」の問題は突破できたことになる。

 安堵が胸を満たした次の瞬間、ふいに自分が燃えつきた時の匂いが鼻先をかすめた気がして、アウロラは思いっきり顔をしかめた。


「……うん、流石にいきなりギアを上げすぎたな。手討ちにされる覚悟はしてたけど、まさかうっかり事故で焼死とは……でも実験は大成功!」


 無理やり明るい声を出して自分を鼓舞すると、アウロラは胸元に手をおいた。簡素な寝間着の下、銀のチェーンに通された指輪の感触を確かめてほっと息を吐く。


「ほんとに戻ってこれたよ、エメリタ。あんたが解読してくれたこいつのおかげ」


 これこそがアウロラの切り札にして計画の要。

 いつどこで手に入れたのかも判然としないこの指輪は、恐らくアウロラが手にした宝物の中で最も貴重なものだろう。見た目はちょっと不気味だが、クロノス鉱は魔力や瘴気への耐性を高めるため、お守り代わりにずっと持っていた。


 それをある日、何気なく古代文字の専門家であるエメリタに見せて気軽に「この指輪に刻まれてる術って、どんな効果があんの?」と尋ねた所、なかなかとんでもない代物だと発覚した。


 親友いわく、これは記録と時の流れを司る女神クロノシアの十指を飾る神器のひとつ。

 女神が司る権能のうち「時を遡行する」力を付与した指輪ではないか、とのことだった。


(いやあ、びっくりしたよねあん時は……エメリタが死んだ、って聞いた時の次くらいにびっくりした)


 この世界の神のうち、何柱かは実体を持っている。

 故にちょくちょく実際に彼らが使った遺物が発掘されたり、神の気まぐれでひとに与えられたりもする。

 しかし時の女神は影が薄い、と言うよりその姿形を見たものどころか、伝え聞いたものさえいないという神である。

 したがって彼女の遺物もまた真偽のわからぬまま、時の砂に埋もれがちだった。


 正直、アウロラも「時女神さまの遺物ってだけでも超レアなのに、時を遡る魔術つきってマジ? さすがに盛りすぎ出来すぎじゃないの?」と今の今まで半信半疑だった。

 真偽を確かめようにも、指輪に刻まれた魔術を起動するには恐ろしい量の魔力が必要なことがわかり、ろくに検証もできなかったのだから尚更だ。

 ただのヒトであるアウロラはもちろんのこと、魔力に優れるハーフエルフのエメリタですら手も足も出なかったのだから、これは人類にとっては相当な無理難題である。

 そのことが却って「神の遺物」である説得力を増している、と言えなくもなかったけれど。


 しかし、これが竜族の――しかも歴代最強と呼ばれた竜王の魔力ならばどうか。


 とにかく起動さえできれば、指輪は持ち主の願いに従って時を戻してくれる、というのが術を解析してくれたエメリタの推論だ。

 ならばと当時の二人が「絶対に実行できない」ジョークとして考え、そしてエメリタの死後、やけくそになったアウロラが実行した計画がこれである。


 1・竜王に魔力を含む手段で殺されることで、指輪を起動する。

 2・意識が消える前に、どの時点まで戻りたいか念じる。

 3・指輪の術が無事に起動した上で、損傷した体ごと時が戻れば成功。


 もしも指輪が起動しなかったり、しても瀕死のまま時を遡ることになれば失敗だが、その場合は親友を奪ったクソッタレな世界とおさらばできる。

 だから結果はどう転んでも、たとえ死んでも自分にとってはノーダメージだ。


 そう考えたアウロラは、このバカみたいな計画にのめり込んだ。

 夢中になって様々な資源(リソース)と術具をかき集め、もうどこにもいない親友と絶望した自分のために、あの馬鹿な竜王を一発殴ってやろうと決めた。

 今にして思うと「竜王を一発殴る」が最優先目標であり、時を遡るなんて馬鹿げた部分はほぼオマケみたいなものだったのだが――運がいいのか悪いのか、アウロラは成功してしまった。

 してしまったからには、最善を尽くさねばならない。


 さもなければアウロラは再び、大切なエメリタを失ってしまうだろうから。


「……よし! ま、生きてればなんとかなるなる! なんとかする!」


 ひとり気合を入れたアウロラは、まずシーツを引っ剥がして洗面所に向かった。

 シーツにも寝間着にも先ほど吐き散らかした吐瀉物がかかっていて、なかなか壮絶なことになっている。これをそのまんま洗濯に出そうものなら、宿の女将に凄まじい剣幕で怒られる羽目になるだろう。


「水瓶の残量はー……うんうん、ちゃんと寝る前にいっぱいにしといた過去のあたしエライ。よいしょっと」


 狭い洗面台にシーツを放り込み、水瓶から直接どばどばと水をかける。

 そうしてふと視線を上げたアウロラは、鏡に映る自分の顔を見て思わず苦笑した。せっかく五体満足で生還したというのに、憔悴しきったひどい顔だった。


「……死んだってノーダメ、はさすがに強がりすぎたかな……」


エメリタ:古代言語マニア。長命種の血を引くせいか時間の感覚が独特。

彼女にとって、古代言語トーク3時間程度はジャブのうち。


時女神:司るもの以外のことがほぼ伝わっていない、変わった神様。

"時は形なきもの、故に女神の姿もまた語られざりき"

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