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1 竜王に一発、拳を入れよう

※第一話のみ残酷な表現がありますが、このお話は基本的にはコメディです

「このッ……甲斐性なしのクソトカゲ!!」


 そう叫んで暗がりから飛び出た影に、竜王は凍りついたように動きを止めた。

 棒立ちしている王の整った顔面に拳をめり込ませながら、そりゃあそうだろう、と下手人(げしゅにん)――ヒト族の巫女アウロラは唇の端を歪める。


 ここは竜王の宮、時刻は朝まだき闇夜である。

 竜人の精鋭たちと、数多の魔術に守られた宮殿の最奥――王とその(つがい)のために用意された寝室で、暗殺者ではなくヒトの女にただ罵倒され拳を受けるなど、想定しているほうがおかしい。


(ああ、やっとここまで来た。やっとコイツに一発お見舞いしてやれた!)


 ここまで来るのにどれだけの時間と手間をかけたことか。

 せっせと蓄えてきた金も、貴重な古代の発掘品や術具も、なけなしの人脈も、自身の魔力もほとんどすべてを費やしてやっと、やっとこの手は憎き(かたき)に届いたのだ。


 一撃を入れてすぐ飛び退けば、人にありえざる煌めきと鮮やかさを持つ赤い目の男が、その青白い長身が、呆然とした顔のまま傾いでいくのが見えた。

 しかし、それ以外の動作は無いに等しかった。いきなり殴られて倒れこもうとしているのに、男の腕は反撃どころか、防御のための動作すらしていない。


(無防備すぎる。ヒトの拳ごとき、わざわざ防ぐ必要はないとでも?)


 息を荒げつつも薄笑いを浮かべていたアウロラは、先ほど感じたささやかな達成感が霧散するのを感じた。

 かわりに苛立ちと憎悪が込み上げてきて、たまらず再び床を蹴る。

 毛足の長い絨毯へと、音もなく倒れ込んだ竜王の上に馬乗りになる。それでも王は動かなかった。宝石のように美しく無機質な眼で、ぼんやりと狼藉者を見上げるばかりだ。


(ああ、これが噂の……歴代最強の王様でも、番を喪えばこうなるってわけね)


 竜王は今日、彼のたったひとりの番の葬儀を終えたばかりだ。

 竜族はよく言えば愛情深く、率直に言えば執念深い。あまりに強い執着ゆえに反動も大きく、愛するモノや相手を失うと廃人のように虚脱したり、錯乱状態になるのだと言う。

 歴代竜王のうち、暗殺された者は軒並み伴侶を失ったタイミングで死んでいることからも、その深刻さがうかがえよう。


 よって今宵も当然、気落ちした王の首を狙う刺客があちこちに潜んでいた。

 アウロラはその全員を吸引の巻物(スクロール)を使って、きれいさっぱり排除した。

 彼らも仕事なのだろうに悪いことをした、とは思うものの、今のアウロラにとっては私怨のほうが大事だ。今宵は間が悪かったと諦めてもらおう。


 なお、暗殺者がみっちり詰まった巻物は適当な窓から放り捨てた。

 彼らの知識量や能力にもよるが、恐らく夜明け頃には五体満足で全員リリースされるだろう。竜王に迫る脅威を減らしてやる義理はアウロラにはないし、刺客たちには今後ともぜひ任務に励んでもらいたい――そんな余談はさておいて。


「ふうん。竜人の番の葬儀って言ったら、喪主はもっと泣きわめいて大暴れするものだと思ってたけど……竜王様におかれましては、ずいぶんと落ち着いていらっしゃいますこと」

「……」


 アウロラが嘲りの言葉を向けてみても、竜王は焦点の合わない目を向けるだけでなにも答えない。

 たかがヒトに己を害することなど叶わぬと見くびっているのか、番を失った竜人特有の虚脱状態なのか。どちらにしてもアウロラは気に食わなかった。

 そもそもこいつに、番を失ったことを嘆く資格などない。

 竜王の番が、アウロラの親友だったエメリタが死んだのは、他でもないこの王のせいなのだから。


「……ほんっとムカつく。あんたが他種族なんか望まず同族と番ってればこんなこと起きなかったのにさあ、なに? その他人事みたいなツラ」


 煮えたぎるような怒りと苦痛で視界が滲み、涙は汗と混ざって頬を伝い落ちる。

 竜人は生きているだけで、魔力量に応じた防壁を発生させるとんでもない種族だ。先程の一発は多種多様な強化と魔力を拳に込め、竜王の持つ防壁を叩き割った上での暴挙だったわけだが、たったの一回でこうも消耗するとは。


(くそ、さすがは腐っても竜王様。自分の身くらい、突っ立ってても守れるってか)


 胸の中でそう吐き捨てたのは、半ば強がりだった。

 先程から魔力不足のせいで頭がガンガン痛むし、過剰な身体強化のせいで全身の筋肉と肺はギシギシ軋み、息をするだけでも地獄のような苦痛がアウロラを蝕んでいる。

 一方の竜王は相変わらずぼーっとしているものの、殴られて赤くなっていた頬はもう元の色を取り戻しつつあった。竜人は肉体の回復も早いのだ。

 けれどもその一切合切を無視して、アウロラは再度、身につけた術具を一斉に起動させた。


 どう転んでも、これが最後の一撃になるだろう。


 アウロラの握りしめた両の拳を、雷に似た青白い光が覆い始める。そこでやっと我に返ったか危機感を抱いたか、どうあれ竜王はハッと目を見開いた。


「あの子は、エメリタはあんなさみしい死に方をしていい子じゃなかった! あたしの親友を返せよ、番殺しのクソ竜王ッッ!」

「――……! お前は……ああ、そうか。彼女の……」


 アウロラが亡き友の名を叫んだ瞬間、竜王はやっと顔を歪めて口を開いた。心の柔い部分を、ひどく傷つけられたような表情と声音だった。


 ――お前に、そんな顔をする権利などあるものか。


 アウロラの怒りと憎しみに呼応するように、光が強さを増していく。そのたびに体中でブチブチと何かがちぎれる音がし、顔面の穴という穴から血が滴ったが、そんなのはもうどうでも良いことだった。

 一方の竜王は血涙を流す女の手に集まる輝きを、厭うように、あるいは縋るように手を伸ばして――次の瞬間。


「ガッ……ア゛……!!」


 竜王の唇が薄く開き、舌先からこぼれた炎の吐息がアウロラを包みこんだ。

 恐らく竜王にしてみれば、心労と動揺のあまり起きた事故のようなものだっただろう。殺意はなく悪意もなく、しかし神秘に満ちた竜の一息は、ヒトの身を焼き尽くすには十分だった。


 炎に触れた端から護りの術が、装備が、肌が焼けて溶け落ちる。

 拳に集まっていた力は行き場を失い、アウロラの両腕ごと爆ぜて空中に散った。

 酸素を求めて吸い込んだ空気は炎となって肺に満ち、臓腑は瞬きの間に炭へ変わっていく。

 身につけた術具の護りはアウロラの命を守るどころか、業火に焼かれて苦悶する時間を引き伸ばすだけに終わった。


 けれど、アウロラは苦しみながらも笑った。

 最期にこう告げる時間さえ稼げたなら、十分だ。


「あた……し、たちは……おまえを、絶対、ゆるさ……ない……」


 実際には、壊れた笛のようにみじめったらしく掠れた音しか出なかったけれど。

 魔力に含まれる感情に敏感な竜人には、この憎しみと呪詛がちゃんと伝わったことだろう。


 燃え上がって爆ぜたアウロラの血肉と煤で、竜王の白い顔はひどく汚れていた。

 その赤い瞳にかろうじて残っていた光が消え、絶望と恐慌に覆われていく。しかし目玉も耳もなにもかも焼け落ちてしまったアウロラには、そんなことわかるはずもない。


 竜王の狂乱の叫びが響く中、死んだ友のためにすべてを捧げた愚かな巫女アウロラは、黒い(ちり)となって崩れ落ちた。

アウロラ:バッドエンドから回収するタイプ。

竜王:いわゆる一つのクソボケ鈍感ドラゴン。

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