嘘はっ!
「私が怖くないなんて、そんなの嘘」
「どうして、そう思うんだ?」
心が痛い。
……なんて、残酷なんだろう。
私にはアイリスの嘘が分かってしまう。
だって……だって。
流れ込んで来たんだ、あの時。
たくさんの……ほんとうに沢山の人の想いが。
その中には、アイリスだっていた。
だから分かる。
あの時、間違いなく恐れていたのだ。
アイリスだけじゃない。
私に相対した全ての人が、私に恐れを抱いていた。
私のことを化け物だと。
そう、想っていた。
想いに嘘はない。
「アイリスはあの時、私を恐れてた。それを私は、知っているから」
「それは……」
アイリスが口をつぐむ。
「……違うんだ」
「なにが?」
なにが、違うの?
「ねえ、教えて。なにが違うのか」
「私はお前は怖くない……確かにあの時は、怖かったよ。正直に言うとな」
「ほら……やっぱり」
怖いんだよね。
仕方ないよね。
私だって、私が怖いもん。
「でも違う、私はアレを、お前などとは認めないぞ」
「え?」
それは、どういう意味だろう。
「あの時のお前がどういう状態だったのかなど、私には分からん。だがな、あの時のアレは、絶対にお前とは違うものだった。少なくとも、正気とは思えなかった」
アイリスが私に手を伸ばす。
彼女の手が頬に触れた。
雨の冷たさの中で、その手は、ひどく温かかった。
「私はお前の優しさを知っているよ、緋色」
「アイリス……」
「だから私はアレをお前だったとは、思わない……お前は、今ここにいる、いろんな罪悪感に苦しんでいる人間らしいお前こそ、お前だと思っている」
……嬉しいと、そう感じた。
本当にうれしい。
そう言ってくれることが。
でも、だけど……やっぱり。
「……それでもアレは、私なんだよ」
例え沢山の想いに押し流され、塗りつぶされたとしても。
器は私で、だから……。
「お前の意見など、聞いてはいないさ。私にとっては、私の思ったことこそが事実なんだよ……だから、緋色」
アイリスが微笑む。
「私にとっては、お前こそが緋色で……緋色が怖いだなんて、思うわけがないだろ?」
「……っ」
心の中で、なにかが決壊する。
堪えていたものが。
溢れだす。
「……ぁ」
熱いものが、双眸から毀れる。
「あ、あぁ……!」
次から次に、溢れだす。
「うぁあああああああああああああああああああ!」
そして、私は思いっきり涙を流した。
まるで子供みたいに泣きじゃくる。
「あ、ぁあああ! ひっ、う、く……あぁあああああっ!」
「緋色」
アイリスが、覆いかぶさるように、私のことを抱きしめてくれる。
彼女の温かさに包みこまれる。
「……私は分かったんだ……私は強くなりたい」
それは、彼女の想い。
「強くなりたいんだ……皆を守りたい……お前を、守りたい……でも、それだけじゃなくて」
知ってるよ、アイリス。
「触れたいんだ。怖がらずに、触れたい……触れ合いたい」
あなたの想いがどれだけ尊いかは。
「私の想いは……皆に歩み寄れる強さなんだ」
彼女の想いが、私に伝わってくる。
あんな力がなくても。
こうして触れ合っていれば。
「緋色……お前のおかげで気付けたんだ……ありがとう」
彼女の手が、そっと私の髪を撫でる。
「お前がどれほど罪を犯そうとも……自分を責めようとも……私は、それを許すよ」
†
いつのまにか、それは晴れ渡っていた。
どれくらいアイリスに抱きしめられていたろう。
涙は枯れて、もう出ない。
心は少しだけ、軽くなっていた。
「……もう、いいよ。ありがとう、アイリス」
「そうか?」
ゆっくりとアイリスが離れていく。
それを、少しだけ惜しいと感じてしまった。
「雨に濡れてて、よかった」
「なんでだ?」
「だっておかげで、涙が少しだけ、誤魔化せたから」
それでもきっと、今はひどい顔をしているんだろうなあ。
「……いいじゃないか、泣くくらい」
「私のキャラじゃないもん。私は、馬鹿笑いして、適当に、飄々としていたいんだけど」
「たまにはキャラを変えるのもいいだろ」
「そうかな……」
「そうさ」
どちらからともなく、笑みを浮かべる。
「なあ、緋色」
「なに?」
「……どうだ?」
どうだ……か。
「うん……少しだけ、楽になった」
「ならよかった」
満足げにアイリスが頷く。
「元通りには、まだ無理か?」
「どうかな……頑張る」
「無理をすることはないぞ?」
「無理じゃないよ」
ほんと、無理じゃないよ。これは。
「私がいつも通りでいたいの」
そう。
いつも通りに、皆と、笑いあいたいよ。
だから……だからね。
「ねえ、アイリス、一つだけお願い」
「……ああ、なんでも言え」
「明日には、またいつもの私だから……今は、一人にして?」
「……」
私のことばに、アイリスはしばし考え込むと、無言で立ちあがった。
「分かった……なら、また明日だ、緋色」
「うん。また、明日……」
†
……なんなのだろうか、この気持ちは。
緋色から離れ、彼女が見えなくなったところで、私は自分の胸に手を当てた。
熱い。
体温とかではない。
そうではなくて……想いが、熱い。
「なんだ、これは」
分からない。
どういうことなんだ、これは……。
†
「ズルいよねえ、人が弱ってるところで、あんなこと言ってくれちゃってさ」
でも嬉しかった。
……で、恥ずかしかった。
まったく、罪な人だよ、アイリスってば。
「……明日から、元通り、か」
自分の両頬を叩く。
気合い、入れないと。
……本当は、いつも通り、なんて無理に決まってる。
でももう心配かけたくないから。
せめて、出来るだけ、元に戻ろう。
アイリスにも言ったけれど、これは無理じゃない。
……大丈夫。
「うん」
大きく頷く。
「頑張れ、私!」