願望はっ!
馬鹿げている。
そう叫びたかった。
けれど……もう咽喉が声を発するという機能を放棄していた。
「か……は……」
出るのは、かすれた音だけ。
肺が血で満たされているのか、呼吸ができず、口から血があふれ出す。
「こ、の……!」
「いい加減に、してください……!」
スイとエレナも、消耗していた。
二人の想いが摩耗しているのが、なんとなく分かる。
勝てない。
届かない。
敗北してしまう。
きっとそんな、抱いてはいけない想いが、二人を侵しているのだ。
「……」
結局、これか。
私は。
足手まといなど、嫌なのに。
それなのに……。
「さっさとこんなのブッ倒して……」
「姉さんの治療を……!」
「――……」
ああ……。
……こんな私は……。
「おやおや」
次の瞬間、蜂が掻き消えた。
「え?」
声を漏らしたのは、スイか、エレナか。
消えた蜂の向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影。
それは……シューレだった。
「まったく、私の大切な人に傷をつけるなど、分をわきまえなさい、玩具風情が」
「あなたは……」
「邪魔ですよ」
瞬間、シューレがエレナの首を掴んでいた。
「あぐ……!?」
「エレナ姉さん!」
「だから、邪魔ですって」
「っ……!」
飛びかかったスイを、シューレは触れもせず弾き飛ばす。
「……」
二人が、危ない。
なにをしているんだ、私は。
死体も同然だろう。
今やこの身は肉塊手前だ。
だが、だがしかし、だ。
それでも姉として、立たなくては。
「っ、姉さん! 無理をしないで!」
エレナの悲痛な叫び。
シューレが嗤う。
「ああ、そうです、それでいいんですよ」
「馬鹿! なんで立つのよ!」
うるさい、スイ。
私は……私にだって、本当は、妹にこされたくないとか、妹を守りたいとか、そんなちっぽけな願望が、あるんだ。
でも、力がたりないから……。
そう、力が……。
「ああ、そう、そうです! その想いですよ! 感じる、感じますよ! あなたの中に渦巻く渇望を!」
「……」
シューレを睨みつける。
「ふふっ、まだ足りませんか? なら絶望の一つも贈りましょうか?」
「――!」
シューレに首を掴まれたエレナの身体がびくりと跳ねる。
「が……あ……!」
「エレナ姉さん!」
「こっちも」
もう片方の手で、シューレはスイの首も掴む。
「ほら、ほら……これはあなたの妹なんですよね? これ、壊していいですか?」
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるな。
許さない。
二人を傷つけたお前を、私は許さない。
絶対に許さない。
倒す。
お前を倒す。
……ああ、いや。
そんなんじゃ、もう足りない。
身体から、黒いなにかがあふれ出す。
シューレの顔が歓喜に染まる。
「っ、アイリス!」
――緋色の声が、聞こえた。
だが、もう遅かった。
†
「アイリス!」
私がかけつけた時、状況は最悪だった。
シューレがエレナとスイの首を掴み、アイリスの身体からは黒いなにかが噴き出していた。
そして今――。
「っ……アイリス!」
アイリスは、黒い獣と化していた。
暴走だ。
「はは、はははははっ! あははははははは! そうですよ! それですよお!」
狂ったようにシューレが嗤う。
彼女が、エレナとスイの二人を放り投げた。
「っ、二人とも!」
慌てて二人の身体を受け止める。
「っ、私達のことは、いいから!」
「アイリス姉さんを……!」
二人の声をかき消すように、獣の咆哮があがる。
「ふふっ、そうですよ、それが見たかったんです。ああなんて醜い。分かりますよ、痛いほどに胸に響く。あなたのその、渇望が」
シューレの姿が変貌する。
その身から、大量の茨が生える。
それは彼女の全身に絡みつき、そして彼女の背後で巨大な人型をとる。
鋭い爪を持った、首から上のない茨の魔神だ。
見ようによっては、シューレが魔神に縛りあげられているようにも見える。
「さあ、来てください」
刹那、衝突が起きた。
衝撃波とは違う、力の奔流が周囲を吹き飛ばす。
「っ、く……!」
私達の身体も、あっさりと宙に投げ出された。
空中で姿勢を整え、浮かぶ。
眼下の光景は、ひどいものだった。
「なにこれ……」
辺り一帯を、茨が埋め尽くしているのだ。
これが、シューレの《顕現》なの……?
そして茨を引き千切りながら、黒い獣――アイリスが暴れ狂う。
アイリスが暴れるたび、彼女の身体が引き裂ける。
「姉さん!」
「もうやめて!」
スイやエレナの声は……アイリスには、届いていないようだった。
「はははははははっ! いいですよ! もっと傷ついてください! でも、それだけじゃない!」
アイリスの目の前にシューレが現れる。
黒い獣の爪が振り下ろされ、茨の魔神ごとシューレが粉微塵に砕かれた。
そして再生する。
「そう! これ……これですよ! あははっ!」
その身を砕かれ、シューレは喜びに身を振るわせる。
「なんで汚らしい破壊願望! これを求めていた!」
「……狂ってる」
思わず、そんな言葉が口から出た。
「っ……姉さん!」
「今、行くから……!」
エレナとスイが飛び出そうとして……その《顕現》がとけた。
「っ!?」
「そんな……!」
二人の想いが、ここにきて限界を迎えたのだ。
戦い、削られ、消耗した想いは、《顕現》を維持するラインを下回った。
そういうことなのだろう。
「緋色!」
「お願いします、姉さんを……!」
「分かってる!」
大鎌を握りしめる。
「止めるよ、アイリスのこと」
あんなアイリスの姿、見たくないから。
「だから、任せて」
†
「はぁ……はぁっ」
《顕現》が解ける。
蓑虫が砕け、消滅していくのを見届ける。
「……こんなんで、もう限界か……」
やれやれ、と自分で苦笑する。
「だらしないなあ……」
……さて。
緋色は、どこだろう?