汚濁はっ!
それは、まさに汚濁だった。
学園世界、その都市の一角から湧きあがった漆黒の塔。
否。
それは塔などではない。
ただ純粋に、勢いよく溢れだしただけだ。
小さなもの。
蠢き、這い、飛ぶ。
虫だった。
大量の虫が、まるで間欠泉のように噴き出したのだ。
学園世界という世界が生まれてからの時の流れの中。
女神と狂気の争い以来の危機が、訪れた。
†
「なに、あれ」
溢れだした漆黒を、ナユタの家の窓から見て、呆然とする。
あれが虫の群れであることは理解できる。
だが、おぞましい。
形が気持ち悪いとか、そういうことではない。
ただ純粋におぞましい。
心の底で、あれはいけないものだと訴えるものがあった。
「……嘘」
ナユタが、ぽつりとこぼした。
「あれ、全部……《顕現》してる」
「え」
今、なんて言ったの?
まさか、あの虫が全て《顕現》をしていると、そう言ったの?
……冗談でしょ?
だって、あれが?
あんなものが?
《顕現》?
「信じられないかもしれませんが、事実です」
ソウが静かに告げる。
「過去、あれとよく似た性質のものと戦ったことがあります」
ソウの目が鋭く細まる。
「おぞましいがゆえに強大な《顕現》を持つ存在、あれは、そういうものです」
待って。
「おそらく、この世界にあれに真の意味で対抗できる人間は、数人しかいません」
待って。
ちょっと待ってよ。
あれ、溢れだしているんだよ?
この世界に、街に。
そして、街には当然人がいて……どうなるの?
「……」
ナユタが、ソウが、苦々しい表情を作る。
「嘘でしょ……」
そんなことって。
だって、さっきまでいつもどおり、平和だったのに……。
こんなことって……。
†
「くそっ、早く逃げろ!」
押し寄せてくる黒い波に、街が押しつぶされていく。
街中を散歩していた私達は、人々の避難誘導を行っていた。
私達を呑みこもうとする虫の波。
それに、漆黒の閃光が突き刺さる。
エレナの放った矢だ。
《顕現》による一撃は、黒い波を一気に打ち払った。
だが、それだけだ。
たかが、虫全体の一パーセントを消せたかどうかという程度。
しかも虫は次から次に溢れてきているように思える。
となると……。
「姉さん、あまりこの前線も持ちませんよ」
「まったく、ね!」
スイが《顕現》による漆黒の爪翼を振るう。
再び沸き起こった虫の波が、塵と化す。
……我が妹達ながら、出鱈目だな。
さらに、そこかしこで《顕現》らしき攻撃が起きているのが見える。
巨大な力に、大地が震える。
だが――。
「なんなのだ、あれは」
それでも滅びぬ、あの虫は……。
†
「はてさて、これはまた珍しいものね」
くつくつと咽喉から笑いが零れる。
なんという大惨事か。
なんというおぞましさか。
茉莉を引っ込めて正解だった。
茉莉ではこれは少し手にあまるだろうし。
《顕現》。
白銀の刀を手にする。
私の視界を虫が覆う。
ああ、ほんと。
……キモいわね。
一閃。
ただの一閃だ。
刀は振るわない。
身体は動かさない。
それでも一度きりの閃きは生まれる。
そして一度きりの閃きは生まれる。
現実を歪め、法則を歪め、節理を歪め。
全てを歪め、絶対の一撃が虫を薙ぎ払った。
「さて」
私が本気を出す必要はあるかしらね。
†
……。
まだマシ。
それが、正直な感想だった。
確かにこれは気持ちが悪い。
怖気がする。
なんと醜悪な存在か。
だが、それ以上に、私の方が醜い。
そう思った。
ああ、なんてこと。
私はこんな虫以下か。
そう思うと、情けなくて情けなくてたまらない。
「――やめて、それ以上その姿を見せないで」
呻くように呟く。
鏡を見ているような気分だ。
見たくなどないのに。
「やめて」
――《顕現》。
ほんの一瞬の《顕現》。
それで辺りの虫はすべて、消滅した。
†
「っは、ははは、ははははははははははははっ!」
いい。
これはすばらしい。
最高。
最高だ。
「こんな最高の玩具、誰からの贈り物かはしりませんが感謝しないといけませんねえ!」
あれが現れた瞬間、私は理解した。
これは私のものだと。
この醜いものは私のものになるために現れたのだと。
それを理解すると同時、私は命を下していた。
決まっている。
私一人でこの醜さを独占するなど、とてもじゃないが気が引ける。
――皆で共有しないと、ですよねえ。
「ふ、ふっ、はははっ、あはははははははは!」
見て!
見て!
見て!
この地獄のような有様!
暴虐!
悲鳴と悲嘆と絶叫と憎悪!
そして破壊!
なんて甘い旋律だろう!
「もっと、もっと聞かせてください!」
……ああ、そうだ。
大切なことを忘れるところだった。
この甘さは、あくまで前菜。
さあ、メインディッシュはどこでしょうね?