悪の少女はっ!
「さ、アイリス。ばーんとやっちゃいないよ!」
「……む」
ツクハにお願いしてもらった、砂漠がどこまでも続く教室空間に私とアイリスはいた。
「ほらほら」
「……しかしだな、やはり」
「いいから」
アイリスは、私にあまり《顕現》の暴走を見せたくないらしい。
まあ、失敗するところなんて、見せたいものじゃないだろうけど。
「なら私はあっち向いてるから、ね?」
「そういう問題ではなくてだな……」
アイリスが肩を落とす。
「もし完全に暴走してしまったら、お前を襲ってしまうかもしれんだろう。そこを考えろと言っているのだ」
「……えー?」
なんだ、そんなこと?
「いいよいいよ、気にしないで」
「気にしないで、って……そうはいかんだろう。お前とて完全な《顕現》は出来ないと言うのに、私の《顕現》が暴走してしまえば、お前はどうしようもないだろう?」
「そうかな? まあ、なんとかなるんじゃない?」
「なんとか、って……」
「はっはっはっ」
まあ、無問題っすよ。
「ねえアイリス。私達、友達だよね?」
「む。いきなりなんだ」
「いいから」
「……まあ、な」
軽くそっぽを向いてアイリスが頷いてくれる。
「あれ、照れてる? ねえ照れてる? ねえねえ」
「ええい! なんなのだ貴様!」
「きゃー!」
怒られたー。
……でも、そっか。
よかったあ。一方的にこっちだけ友達扱いしてるだけだったらどうしようって思ったけど、ちゃんとアイリスも友達だと思っていてくれたんだ。
つかそんなんだったら泣いて首吊るわ。
「なにが言いたいのだ!」
「……だからさ、簡単なことじゃん」
にやりと笑う。
「友達のためになにかしたい。そう思うのに、そう行動するのに、私は理由なんていらないと思う」
アイリスが自分の力に悩んでいるなら手助けしたい。
自分で頑張ってー、とか放り出すなんて論外でさ。
おせっかいかもだけど、私はやっぱり側にいて、助けたいと思う。
「……お前は」
しばらく沈黙してから、アイリスが溜息を吐く。
「ごめん。私ってもしかして、めんどくさい子?」
「……いや、そうではない」
アイリスが肩をすくめ、笑う。
「ただ、馬鹿だと思っただけだ」
「ええっ!?」
馬鹿扱い!?
なんでさ!
「……この一直線馬鹿、猪娘め」
「うぇー?」
おかしい。少なくとも私は罵倒されるようなことは言っていないはずだ。
ううむ?
まあ、いっか。
「……まあ、ともかく、そういうわけで!」
ででん!
「さあ練習だ!」
「……はっ」
アイリスが苦笑する。
「言ったな貴様……こうなったらもう、とことん付き合ってもらうぞ?」
「おういえーす! 望むところだい!」
げっへっへ、ようやく素直になったか。
それじゃあ早速たのしませてもらうとするかねえ。
な、展開ですね。
違うか。
「それじゃあ早速、エントリーナンバー一番、アイリスさんどぞー!」
「……やれやれ」
アイリスが大きく息を吸う。
「少しばかり、醜いところを見せるかもしれんが」
「綺麗なとこばかりだったら逆に人間味なくて萎えるから大丈夫!」
「……そうか」
ならば、と。
アイリスが目を瞑る。
そして、きた。
「――《顕」
鼓動。
感じたのは、狂おしいほどの想い。
それは、なんだろう。
私の読み取れる範囲を、あっさりと飛び出している。
地面に直径二〇キロメートルの大きさで描かれた漢字を読めるか、という感じだ。
あまりに大きすぎて、読解などまともに出来ない。
ただ、その感情の色は分かった。
ある意味、これこそもっとも《顕現》に必要な想いともいえるのかもしれない。
そうありたい、と望むことなのだから。
つまり――渇望。
圧倒的渇望がアイリスから溢れだす。
「‐′‐,- ⁻`_‐_‐’-_‐‐_’‐-/――」
アイリスの言葉が理解できない。
間違った超越。
黒いなにかがアイリスの身体から噴き出す。
《顕現》が暴走する。
「っ――!」
アイリスが目を見開いて、自らの内から溢れだすなにかを抑え込もうとする。
「まず、い……!」
けれど黒いなにかは止まらない。
「アイリス!」
あわてて、私はアイリスに駆け寄った。
そして出来損ないの《顕現》で、アイリスの黒いなにかを抑え込んだ。
私の身体から溢れだした淡い金色の粒子が、アイリスの黒いなにかと摩擦を起こす。
辺りの砂が、あっというまに蒸発した。
「っ、く……!」
痛い。
物理的な痛さではない。
ただ、アイリスの想いが私を蝕む。
別にアイリスにその意図はないのだ。
だが、それでもなお、触れるだけでその想いは私を傷つける。
痛いというより、悲しい、のほうが近いのかもしれない。
アイリスに、こんな強い想いがあったのかと。
アイリスはこれだけのものを背負っているのかと。
強い想いなんて……それも、支えきれないものなんて、ただの重荷でしかないだろう。
アイリスは果たして、今どれほどの苦痛を感じているのか。
「アイリス……大丈夫……!?」
「緋色、こそ……無茶、を、するな……」
徐々に黒いなにかの動きがのろくなり、アイリスの内に戻っていく。
そうして、全てが引いた。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
「よかったぁ」
「……すまん。迷惑をかけた」
「あー、いいよいいよ」
最初に言い出したの私だしね。
でも、まさかここまでとは。
話は簡単。
アイリスの想いをきちんと制御できるようになればいい。
でも理屈じゃない。
それが、どれだけ難しいことか。
あっさりとそれを超えられる人間も、いるだろう。
けどそうじゃない人間もいる。
どちらが優れている、という話ではないのだろう。
そもそも比べることではない。
同じ勉強をして、同じ運動をして、同じ生活をして、人間が全く同じに育つか、と言っているようなものだ。
違うのだ、人は。
アイリスが《顕現》できないのだって、エレナやスイに劣っているからなどでなく、ただアイリスの壁がそこにあるから、というだけ。
壁があるなら超えればいい、というだけ。
「よーし、アイリス!」
「っ、なんだ、いきなり大声をだすな」
「頑張って《顕現》出来るようになろうね!」
「あ、ああ……」
ふっふーん。
そうときまれば、どんどん練習だね!
「私も全力でお手伝いします、お嬢様!」
「はあ……というか、緋色?」
「うん?」
「お前……自分だって《顕現》出来ないんじゃないのか?」
「…………あ」
そういや、そうでした。
こりゃ盲点だったね。
ははは!
「まあ、その辺りもさ――」
「……おやおや、おかしなことをしていますねえ」
そこで、聞き慣れない声が聞こえた。
「おう?」
振り返ると、やはり見知らぬ誰かが経っていた。
「……誰?」
「貴様っ!」
アイリスが身構える。
その目つきは鋭い。
「お知り合い?」
「……私の対戦相手だった人間だ」
「おお」
話には聞いている。
なんでもけっこうひどい性格の人だって……この人が?
名前は確か……そう。
ローズ=シューレ。
「なぜそんな大きな力をおさえているんですか?」
シューレさんが、そう問う。
「なぜ、だと? 決まっているだろう、暴走させないためだ」
「暴走させない? なんで暴走させないんです?」
不思議そうにシューレさんは言う。
「暴走したいのならば、暴走させてしまえばいいじゃないですか?」
シューレさんの表情は、冗談をいっている様子ではない。
つまり、本気で言っているということ。
……本気?
本気で、アイリスに暴走しろって言ってるの?
「……ねえ、シューレさん。暴走したら、アイリスはなにをするか分からないんだよ?」
「ええ。そうですね。それが?」
「もしかしたら、誰かを傷つけちゃうかもしれない」
「いいではないですか」
シューレさんが嗤う。
「傷つけたい者は傷つければいい。傷つけられる者は傷つけられてしまえばいい。弱いのが悪いのです。強者は思うがままにふるまえばいい……私はそう思いますが?」
「……」
誰かが、言ってたっけ。
ローズ=シューレは悪である、と。
なるほど。
私はあんまり善悪でものを語るのは好きじゃないけれど、これは……うん。
きっと大多数にとっての、悪と呼べるのだろう。
悪気はない。
ただ、あるようにあって、やりたいようにやるだけ。それに相応する力を持っている。
シューレさんというのは、そういう人なのだろう。
「あなたがたはつまりませんねえ……折角、この間の遊びの続きをしたいと思って訪ねてきてみれば、そんな……ああ、そうだ、いいことを考えた」
シューレさんが嗤う。
楽しそうに。
ぞっとした。
「あなた、なにを――」
「それでは、今日はこのあたりで」
待ちきれない、といった様子でシューレさんが身を翻す。
「待っ……」
「それでは」
シューレさんが消える。
「……」
なんなのさ。
どういうこと?
いきなり現れて、消えて。
「……気味が悪いな」
アイリスがつぶやく。
正直全くその通りだった。