彼女の母はっ!
「ずるいよねー。三人だけ外に出かけるなんて」
「そう言わないで……悪かったわよ。拗ねないで」
破壊を巻き散らかしながら、言葉を交わす。
「まぁ拗ねる気持ちも分からないでもありませんけれどね」
「ええ。私達が抜け駆けしたのが結局悪かったわけだし」
「……そうね」
そうなると、しかたない、わよね。
「なら、約束を守ってくれるのであればいいわ、姉さんに会いに行くも、例の緋翼の少女に会いに行くも好きになさい」
「本当っ!」
一気に、目の前の彼女の表情が明るくなった。
まったく、かわいい妹ね。
思わず笑む。
「‐__〟‐_’‐-/‐_‐〟_‐’-_‐‐_//‐‐〟_‐‐_-‐_‐-′‐,-〟‐_-_-‐′‐,-〟‐_’‐-/‐‐-‐⁻‐’-_‐‐〟_‐‐⁻〟-――!」
「うるさいわね……本当にしつこい。そろそろ滅んでくれてもいいのよ?」
白銀の崩壊が私達に襲いかかる。
が、それを手をかざすことで防ぐ。
相も変わらず、我らが女神の荒御霊は狂暴ね。
「まず一つ。姉さんと緋翼の少女は殺さないこと。あとはそうね、貴方の判断に任せるけれど、出来るだけ必要だと、あるいは面白いと思った人間は生かしなさい。二つ目、あまり時間はかけないこと。長く不在が続けば、女神との均衡が崩れかねないわ。最後に――」
そっと近付いて、彼女の頬に触れる。
「必ず無事に帰りなさい。愛しい妹」
「っ、うん!」
嬉しそうに頷いて、彼女が身を翻す。
「じゃあ言ってくるね!」
「ええ。行ってらっしゃい」
彼女の姿が消える。
「それで、なぁおい、お姉様?」
「我らの番はいつ用意してくれるのだ?」
「あ」
†
「お前達は……お前は、なんなのだ!」
ローゼンベルク君が叫ぶ。
ナユタに。
「どうしてそれだけの力を……お前たちのように、奔放で、考えなしの連中が持つ!」
「考えなし、って……またひどいこと言うねえ」
ナユタが肩をすくめる。
「私達だっていろいろあって生きているんだよ? 私からしてみたら貴方達の考え方がわからない。なにかの為、なんて……正直、どうなの? 誰とも知れない誰かの為になんて、私は頑張れないけれどね。独善的って思う? そうだよ、私はひどく独善的なの。だから……貴方達より強いんじゃないかな?」
「ふざけるなっ!」
ローゼンベルク君の目つきが鋭くなる。
「ふざけるなよ……! 力を持つ者が他者のことを考えられないなど、それは……それでは、どうしようもないではないか!」
「そうかな? 世の中って、そういうものだと私は思うよ?」
……私は、どちらだろう。
ナユタの言葉は、間違っているように思えない。
独善って……人間って、そういうものだと思う。
私だってそうだ。
結局、自分がしたいからするのだ。
誰かを守ることだって、そう。
自分が嫌だから、それを認められないから、誰かの苦痛を取り除きたいと思うんだ。
でも。
でも、それでも、だ。
ローゼンベルク君の想いが独善だと、私は思わない。
彼の想いは純粋で……きっと、本当に心の底から、自分のことを度外視して他者のことを考えているのではないだろうか。
そんな気がした。
だから……だから。
だからきっと、ローゼンベルク君の限界はここなのだ。
自然とそう思った。
それはある意味、当然で。
《顕現》は自分の想いを具現する力。
だから他者を想う自分よりも、自分を想う自分のほうが強度が高いのは当たり前なのだ。
ローゼンベルク君はナユタには勝てない。
ノブリスオブリージュでは、究極のアイデンティティーの前ではあまりに無力だ。
なぜだか、なんだか、どうしてだか、ひどい無気力感に襲われた。
この世界とはなんと残酷なのだろう。
他者を想う者は敗北し、己を想う者こそを勝利させる。
本当に残酷だ。
……嫌だな。
そう思う。
別に、独善を嫌だと感じたわけじゃない。
ましてや他者を想うことでもない。
ただ……私は、もっと別の在り方がいいというだけ。
違うんだよね。
なんだか、違うよ。
独善結構だし、他者を想うことは素晴らしいことでしょ?
そのどっちかしか選べないって、どうなんだろう。
どっちかでしか、生きていけないのかな?
「っ、俺は、負けない!」
ローゼンベルク君が、灰色の双剣を構える。
「そこまで、追いつめられることないよ」
ナユタが微苦笑する。
「貴方は、負けないんじゃないでしょ。負けられないんでしょ。いろんなもの背負ったから。うん、共感は出来ないけれど、理解は出来る。背負ったものへの責任感だ。それから逃げられないでいるのが、今の貴方」
「っ……!」
図星だったのか。
ローゼンベルク君が息を呑む。
「だから、どうした! くだらないと笑うか!」
「まさか。いいんじゃないかな、そういうの。でも、だからって情けはかけないよ。手加減もしない。それが礼儀だと思うし……」
ナユタが目を瞑る。
「大丈夫だよ」
「なに?」
「負けて、いいよ……誰も貴方のことを責めはしない」
「……」
「貴方の想いは尊い。だから、貴方が負けても、その想いを受けた人達はきっと、貴方に裏切られたなんて思わない。貴方から離れない。貴方を責めない。私は、そう思うけれど?」
「……だとしても」
ローゼンベルク君の身体を灰色の光が包む。
「俺自身が認められんのだ……!」
「そうだろうね。貴方はきっとそういう人だ。だから……魅せてあげる」
ナユタが目を開く。
途端、世界が塗りつぶされた。
――それは白銀、あるいは純白。
「誰もが諦めるほどの力の差を……貴方自身が、敗北を認められるような、圧倒的な力ってやつを」
茫然としていた。
誰もが。
「これが万能……ううん」
ナユタの身体が再構築されていく。
その身に纏う、豪奢な黒いドレス。
夜の色だ。
夜の、人を眠りに誘う、静寂の色。
ナユタの髪が銀色に染まっていく。
それはなにものにも染まらぬ純潔の色。
神聖たる輝きだ。
サイドでまとめられたナユタの髪がほどけて、おろされる。
銀髪が伸びて、ナユタの身長を超える。
ナユタの背中から、純白の翼が四枚生えた。
ナユタの黒い瞳が、蒼く染まる。
美しいだとか、麗らかだとか、そういう言葉ではとてもあらわせられはしない。
「――これこそ、女神の《顕現》」
ナユタが微笑む。
ああ、これが敗北なのかと、すとんと胸に落ちる。
きっと、ナユタの姿を見た誰もが、思ったろう。
あれには、勝利など出来ない。
あれが与えるのは、ただ満足のいく敗北のみ。
なんだか、涙が出てきそうだった。
勝利だとか、敗北だとか、なんだかどうでもよくなってくる。
ただ、ひたすらに不可侵を感じさせる。
絶対的な存在を前に、心が震えた。
正に女神だ。
――けれど。
違和感を感じた。
あれ?
あれって……見覚えがある。
そう。
あの姿って……瓜二つだ。
横をみる。
ツクハに……ううん。それも違う。
そうだ。
似ている。
違うのは、髪をまとめているか、おろしているかくらい。
本当に、似ていた。
あの人に……。
「エリス、さん?」
「あれ」
すると、ツクハが意外そうな顔をした。
「その名を知っているんだ?」
「あ、え?」
「本人に聞いたの?」
「ええと……うん」
「そっか。ふうん……ってことは、もういい加減話してもいいのかな?」
ツクハが小首を傾げる。
「あの、なんのこと?」
「んー……そだね。教えちゃおうかな。どうせすぐ分かることだし」
「なにを?」
「ナユタがエリスの娘だってこと」
「へー」
……。
…………え?
あれ?
今ツクハ、なんて?
「ナユタが、エリスさんの娘?」
「そ」
「……えぇえええええええええええええええええええええ!?」
思わず叫ぶ。
周囲の視線はほとんどナユタに向いたままだったけれど、いくつかが私の方に向く。
というか特別クラスの皆の視線だった。
「あ、な、なんでもないから気にしないで!」
皆に笑顔を向けつつ、ツクハのほうに顔を寄せる。
「マジっすか!」
「マジマジ」
「なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」
「なんとなく?」
「だったら教えてよ! びっくりしたなあ!」
ナユタが私をこの世界に連れてきたあの人の娘って、なんだその偶然。
「それにほら、あの子達、いろいろ複雑な立場だから……」
「複雑って?」
「ま、いろいろね」
そこは教える気がない、と。
「ちなみにナユタはエリスと理事達の間に出来た子だよ」
「理事達?」
理事達って、ナンナさんとかだよね?
てか複数人?
いや、意味わかんね。
「養子ってことですか?」
「ううん。ちゃーんと全員の遺伝子を受け継いでる本当の子供」
「……全員って」
そんなのどうやって……いやうん。そうだよね、この世界だもんね。
きっとそのくらい出来ちゃうんだろうさ。
「とりあえず、一応話したけど、藪蛇はつつかないことをオススメするよ」
ツクハが私にウィンクをする。
「それって、どういう意味?」
「そこは自分で考えてよ。それより、ほら。決着がつくみたいだよ」
ツクハが顎で舞台の方をさす。
つられて私もそちらに視線を向ける。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ローゼンベルク君が、剣を振り上げていた。
なんてことだろう。
あの女神を前に、剣を向けるほどの意思があるなんて。
「流石だね」
ナユタが笑う。
「誇っていいんじゃないかな。女神の《顕現》に立ち向かった自分を」
ナユタの翼が羽ばたく。
白い羽が無数に待った。
すると、ローゼンベルク君の灰色の剣が砕け、その身を覆う甲冑がぼろぼろと崩れ落ちる。
「おやすみ」
羽が一枚、ローゼンベルク君の目の前を落ちていく。
ぱん、という乾いた音がした。
ローゼンベルク君の身体が崩れ落ちて、動かなくなった。
この時、ナユタの勝利が確定し、特別クラスの存続は決定した。