紅蓮はっ!
《顕現》。
我が娘ながら、凄いと思う。
私は、《顕現》を会得するまでにどれほどの時間をかけたのだったか。
なのにああもあっさりとやってのけるとは。
発破をかけたのは自分でも、僅かに驚く。
《顕現》をしたスイの姿は、身内贔屓抜きに見ても美しかった。
自分の娘を美しいだなんて、恥ずかしくて口には出せないけれど。
纏うのは、幾重にも重なった黒い衣。
髪はまるで水に浮かんでいるようにゆらゆらと揺れている。
背中からは、夜の空をそのまま閉じ込めたような色の爪翼が伸びている。
……ちょっと嬉しいと思う。
それは、私の姿に少し似ていると思ったから。
うん。
この子が、きちんと私のことも想ってくれているのだと確認できたようで、嬉しい。
「行ってきます」
そう言い残して、スイの姿が消える。
気付けば、既にスイはアイリスとの戦闘に加わっていた。
茉莉とエレナが少し驚いたようだが、すぐに三人は巧みな連携を始める。
「……頑張れ」
†
「それで、勝てると思う?」
ウィヌスさんに、そう問いかける。
「……ナユタ。あなた、意地が悪いわね」
「いやウィヌスさんほどじゃないし」
苦笑する。
だって、そうでしょう?
「負けるって分かってて自分の娘の背中を押す母親ほど、意地悪いとは思わないなあ」
「……それで勝てると思うかどうかと聞いてくるあんたも、絶対に意地悪いわ」
ウィヌスさんが軽く私を睨む。
おお、怖い。
「私は、これがあの子の成長に繋がると思ったから背中を押したの。それに、私は一度もスイが勝てるだとか、アイリスを止められるだとか言った覚えはない……貴方や、臣護や、ツクハだって、そう思ったからまだ手出しをしていないのでしょう?」
「ウィヌスさんの大好きな旦那様の名前が抜けてるけれど?」
「――」
ウィヌスさんの爪翼が首を突き付けられる。
「純情」
「うるわいわよ」
にやにやと笑ってやる。
あんな冷静な顔してて、実は誰よりも旦那さんのこと大好きなんだもん。
かわいい人だよ。
「で、いつごろ出る?」
「あの子たちが負けてからでいいでしょ」
「スパルタだね」
「負けの経験も大切よ」
負け、ねえ……。
†
感じた。
それは、憎悪。
心地がいい。
どんなものかと、見てみたくなった。
目の前の女神を無視してでも、見てみたくなった。
まあ、どうせあちらだって、心ここに在らずなのだから、こちらだって少しはよそ見をして然るべきだろう。
口元に笑みが浮かぶ。
そろそろあなたの相手ばかりするのも飽きてきたし。
そうね。たまには、他にちょっかいを出してもいいかもしれない。
†
空に浮かぶ闘技場の、さらにその上。
ぼんやりと、空高くから暴走するアイリスの姿を見下ろしていた。
いつかのツクハを思い出すわね……。
僅かに笑む。
さて。あの子たちはアイリスを止められるかしら?
皆は避難誘導で忙しいみたいだし……せめてあと数分は持ちこたえなくてはいけないだろうけれど……。
「――?」
ふと――感じた。
「これは……」
駄目だ。
それは、いけない。
どちらかならば、まだよかったのに。
これは……なんて最悪のタイミング。
その事象とその現象が、どうして今重なってしまったのか。
歯噛みする。
「……まずい、わね」
闘技場の下に見える学園の一角か、消し飛んだ。
†
殺す。
殺す殺す殺す。
奪う奪う奪う奪う奪う。
殺す奪う殺す奪う殺す殺す奪う奪う奪う殺す奪う奪う殺す殺す……。
私は私を奪う。
私は子を殺す。
私は姉を奪う。
私は娘を殺す。
私は私に成る
私は子を守る。
私は私は私は私は―……―は私は私は私は私。
―――― ?る成り守い奪し殺をタユナ ――――
†
圧倒的、と言うべきだろう。
まさに、その通りだったのだ。
アイリス姉さんの力は。
茉莉も、エレナ姉さんも、凄い。
私だって《顕現》に届いた。
なのに……それでも、勝てない。
知っている。
《顕現》に数は意味がないと。
純粋に、個の想いの強さこそが、勝敗になる。
九という強さの存在が三人いても、十という強さの存在一人にまける。
そういうものなのだ。
分かっていた。
分かってはいたけれど……。
「これは……やばいでしょ……!」
漆黒の風が、私の身体を抉る。
再生が遅い。
「っ……エレナ姉さん、どうすればいいの!」
「聞かれても……」
私と同じように漆黒の暴風に身体を削られているエレナ姉さんが苦笑する。
その向こう側には、やはり同じような状態の茉莉。
「オリーブ……駄目? ……うん。分かった。もう少し、頑張る」
茉莉はなにかを呟いているが、どうしたのだろう?
なんて、よそ見をしているうちに、身体の九割ほどを消し飛ばされた。
「――っ」
存在が揺らぐ。
危なかった。
今、私は敗北を認識しかけた。
もし完全に認めていたら、私はそのまま消えていただろう。
「この馬鹿姉……!」
目の前の巨大な黒い獣を見上げる。
「少しは手加減しなさいっての!」
獣の目に、理性はない。
ただ破壊のみを求めている。
怖いと、そう思う。
それでも負けないと、強く意思を保つ。
これが、《顕現》……。
「はぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
黒い爪翼を、思い切り振るう。
なにもかもを断ち切る斬撃は、しかしアイリス姉さんに傷一つつけられない。
「この……!」
――その時だった。
紅蓮が、私達の視界を覆いつくしたのは。