衝動はっ!
闘技場に立つ。
視線の先には、一人の女子。
一言で言うのであれば、紅蓮。
赤いドレスに身を包み、赤い剣を携えている。
その身から放たれる気配は、禍々しい。
「――アイリスだ」
先に名乗りを上げる。
「……ローズ=シューレ」
口の端を歪め、相手が自分の名を告げる。
あれは――まずい。
シューレのことを、私はまるで知らない。
これが初見だ。
けれど、それでも分かった。
こいつは危険だ、と。
歪んでいる。
性根が腐っていると言い換えてもいい。
ただとにかく、これは危険だと、私の本能が叫んでいた。
†
「いいのかい?」
クリストフが問うてくる。
「……なにがだ」
返しながら、俺は向かい側の客席――特別クラスの方をうかがった。
棘ヶ峰緋色の姿は……ない、か。
こちらも、クロウウッドはいない。
彼は自室に引きこもってしまった。
最後に見た姿は、まるで幽鬼のようだった。
「このまま、試合を続けて」
「……」
奥歯を噛みしめる。
クリストフの指摘は、もっともだ。
このまま試合を続けていいのか?
昨日のような真似をしてしまって……それでもこんな戦いを続ける意味はあるのか、と。
昨日、なにが起きたかはまるで分からない。
けれど間違いなく、なにかの問題がおきたのだ。
棘ヶ峰やクロウウッドのような者を出してしまった上でも、この戦いに価値はあるのか?
答えは……出せない。
ただ、俺は……。
「一度始めた戦いをやめるのは、相手にも失礼だと、そう思うのだ」
「……そう。それなら僕はもう黙ろう」
クリストフが口をつぐむ。
「ならば拙僧が異を唱えさせていただく」
代わりに、シドウが口を開いた。
「ローゼンベルク殿……拙僧はもう、こんな戦いはやめるべきだと、そう思う」
「なぜ?」
「貴殿は、もっとこの学園の生徒達を信頼すべきだ。特別クラスという不安要素程度で、どうこうなる者達ではない、と」
「……」
それは難しい。
もちろん信じたいと、そう思いはする。
それでも、危険を取り除くにこしたことはない。
「そも、拙僧はあの者を使うことにも反対する」
シドウがちらりと闘技場に出ているシューレを見やる。
「あの者は……悪だ。そう断ずるだけの、狂気を秘めている」
「しかし実力は一流に違いない」
勝つために。
そのためならば、俺はなんでも使おう。
悪だろうと、なんだろうとな。
「手段を選ばず、ってかい?」
コーキュロスが苦笑する。
「その通りだ。軽蔑するか?」
「いいや。私らは、あんたのそういう面も踏まえて、協力しようと決めたんだ。後から文句なんて挟みはしないよ」
「私は言わせていただきますわ」
レンファートは、不満気な顔をしていた。
「もう、負けでいいではありませんか。この戦いは素直に負けて、やるのであればもっと他に、この学園を支える道をゆけばいいでしょう?」
「……それでも」
ここで負けるわけにはいかない。
一般生徒の代表として、我々はここに出た。
ならば我々の意見だけで降りるわけにはいかないだろう。
もう、俺がどう思っても関係などないのだ。
戦うしかない。
それが、責任だから。
たとえ後ろ指をさされ、汚いと言われようとも……それでも、俺は――。
†
負けるわけにはいかない。
勝つ。
緋色が目覚めたときに、堂々と勝利を伝えたい。
お前の戦う姿に背中を押してもらったのだと、そう伝えたい。
だから勝つ。
そう決意して……けれど状況は、最悪と言えた。
私は、全身に怪我を負って、呼吸もだいぶ乱れている。
対して、シューレは怪我ひとつなく、呼吸も僅か足りとも乱れていない。
幸いなのは、まだ私に致命的な怪我がない、ということくらいか。
――いや。違う。
ある意味でこれは、最悪だ。
何故なら……シューレはわざと、私に致命傷を与えていないから。
戦いが始まってどれほどの時間が経ったろう。
随分長く戦っていた気がする。
その戦いも、戦いなどと呼べるものではない。
自分で言うのも恥だが……シューレは私をいたぶっている。
シューレはわざと、浅い傷を私につけていた。
何度も、何度も、何度も。
皮一枚裂く程度の攻撃を繰り返していた。
本気を出せば、きっと私などすぐに倒せるだろうに。
《顕現》すらせずに、一方的に私を嬲ってくる。
悔しかった。
そして、情けなかった。
こんな悪趣味な真似をしてくる敵に、なにも出来ない自分が。
拳を握りしめる。
「この、下種が……!」
シューレは嗤っていた。
私のことをいたぶるのは、そんなにも楽しいか?
「ふふっ……なんのことやら」
睨みつける私に、シューレはおどけて見せる。
「私はきちんとこうして正々堂々と真っ向から戦ってるのに、下種呼ばわりはひどいですねえ」
柔らかな声色。
しかし、その実それは不快な雑音だ。
シューレの瞳の奥には、ひどく冷徹な光が宿っていた。
「それに、公平に戦おうと、《顕現》も使ってないでしょう?」
「ほざけ。貴様が楽しみたいだけだろう」
「ふふっ」
妖しくシューレが嗤う。
その表情に、苛立ちがつのる。
「なにが正々堂々だ。なにが公平だ……その私を見下した目に、気付いていないとでも思うのか?」
「見下すなんてとんでもない」
大仰にシューレが首を横に振るう。
「そんな……見下すとか、そういうのじゃないですよ」
シューレが一歩、私に歩み寄る。
身体にへばり付くような威圧感を覚える。
「私はそんな馬鹿じゃありませんよ。ほら、たとえるなら、象と蟻ですよ。象が蟻を見下して優越感に浸っていたら、みっともないでしょう? それだけの力の差があるのに、って。それと同じです」
……は。
つまり、なんだ。
シューレにとって私は、とるにたらないものだと?
「私は純粋に遊んでいるんですよ。子供の頃にやるじゃないですか。水の中に虫を入れてみたり、土に埋めてみたり、時には踏みつぶしてみたり。そんな感じです」
……ふざけるなよ。
そんな風にもてあそばれるほど、私は軽くはない。
「舐めるな……!」
私は常闇の剣を無数に生み出し、シューレに放つ。
だが――それはシューレに届く前に突如砕け散った。
「あれ、どうしたんですか?」
「……」
奥歯を噛みしめる。
こうもあっさりと、私の攻撃を……。
なぜ、こんなにも力の差がある。
どうにかしたいのに、どうにもできない。
もどかしい。
もどかしいぞ……!
「せめて玩具代わりくらいにはなってほしいんですけれどね」
少し不満げな顔をして、シューレが告げる。
「ほんと、これじゃあ塵で遊んでいるようなものじゃないですか。なにかないんですか、奥の手とか。使ってくださいよぉ」
「……」
そんなことを言われても……無理だ。
私には、奥の手などない。
エレナは《顕現》を使えるのに。
スイも、そこに届きかけているのに。
私には、その兆候はかけらも見れない。
怠けているわけではない。
この数日、全力で鍛錬を積んだ。
いや、この数日だけじゃない。
これまでだって……。
なのに、どうして私だけが。
どうして届かない。
……自分が、憎い。
こんなにも弱い私が、憎い。
「ああ、ほんとうになにもないんですね。塵は塵ということですか。つまらない。特別クラスなどというから、もっと面白いと思ったんですけれどねえ。結局は、塵の集まりだったようですね」
「……聞き捨てならんな」
シューレの言葉は、私だけに向けられたものではない。
特別クラスの者達にも向けられていた。
それは許容できない。
私はともかく、他の者達までを塵呼ばわりだと……ふざけるなよ。
「文句がおありで?」
「ああ、あるとも……他の連中を馬鹿にすることは、許せん」
「でも塵のあなたとつるんでいるんでしょう。だったらそれも塵に決まってるじゃないですか。例えば……ほら、昨日の試合。あれは馬鹿馬鹿しかったですね」
「――なんだと?」
「だってそうでしょう? なんです、あれ。なんかいきなり自爆みたいなことしちゃって、それで今も意識不明なんでしょう? ほんと、馬鹿じゃないですかそれ! なにやってるんですか! 塵はまともに戦うことすら出来ないんですか!? ああいや、そうなると一応戦いらしい動きをしているあなたは塵以上ということにはなるんですかね? それとも昨日のが塵以下? ま、どっちでもいいですけれどね! だって、どうせ塵か屑か程度の違いでしょうし!」
そう告げて、シューレが高笑いをする。
「……貴様ぁっ!」
緋色のことを、塵だと?
そんな言葉を、ああ、よくも吐いた。
「地に這って、緋色に詫びろ!」
常闇を生み出す。
「――はぁ?」
次の瞬間、私は地面に這いつくばっていた。
なにをされたか、まるで分からない。
「く、はっ、ははははははははは! 地に這うのは貴方でしょうが!」
シューレが私を見下す。
……なんだ。
なんなのだ、これは。
どうして私は、こんなにも弱い。
力が欲しい。
力が。
こいつを倒すだけの力が。
力が――力が――。
渇望する。
欲しいのだ。
力。
誰にも負けない力。
力を。
どうか、力を。
その時。
身体の奥から、なにかが溢れ出して来た。
黒い衝動が、心を満たす。