恐怖はっ!
それは、突然のことだった。
私達は静かに緋色の戦いを見守っていた。
両隣りにいるスイとエレナも、じっと緋色の戦いぶりを見つめている。
いや。
私も……それに、私達姉妹だけじゃなく、他の者達もまた魅入っていた。
緋色の力は、相手のクロウウッドとかいう男子には、遠く及んでいない。
私もまた《顕現》に届いていない身だが、それでもそれだけは分かった。
負ける。
緋色には申し訳ないが、そう思っていた。
多分、他の者達も、そう思っていたろう。
なのに……今目の前で、緋色の大鎌から、強大な一撃が放たれている。
時間軸を、距離を、概念を超えた一撃。
それは真の《顕現》にも及ぶ攻撃だと、直観的に理解した。
だというのに……クロウウッドは、それを防いで見せた。
なんの苦もなく、あっさりと、緋色の攻撃は消し飛ばされる。
そして逆に、緋色が攻撃された。
突如、緋色の胸に穴が穿たれた。
その傷口はすぐにふさがるが……どういうことか。
緋色の身体が震えだした。
まるで、目の前の存在に恐怖するように。
「……なんだ?」
その様は、まるで緋色らしくなかった。
緋色はもっと、飄々と、悠然と、ふざけたように、それでいてまっすぐと……そんな女だと思う。
なのに、どうしてあんなにも震えているのだろうか。
「彼我の差を突き付けられたのでしょう……いくら緋色とはいえ、あれだけの力をもった相手との差を見せつけられ、それでもなおいつも通り、とはいけないでしょうね」
横で、エレナが捕捉してくれる。
彼我の差、か。
……確かに、と思うところはある。
あれだけの敵だ。
恐れて当然。罪などない。情けないとも思わない。
だが……その上でなお、違う、と思うところもあるのだ。
それでいいのか?
お前は、緋色よ。
それでいいのか。そんな有様で。
お前と知り合って、そう長い時間が経ったわけではない。だが、しかしそれでもだ。
お前はもっと――違うだろう?
立ち向かってはくれないのか?
そのまま折れてしまうのか?
それは……嫌だぞ。
「……む」
そこで、はたと気づく。
緋色に折れてほしくはない。
否。
そうではない。
もちろんそれもあるが、私の中には、それ以上のものがあった。
すなわち――そんな緋色を、私が見たくないのだ。
私の視線の先で、緋色がうろたえている。
クロウウッドの言葉に、惑っている。
駄目だ。
駄目だろう、それは。
緋色、頼む。負けないでくれ。
私は、お前の勝つところが見たい。
「緋色……!」
彼女を応援する言葉を、叫ぼうとした――直前。
「――っ!」
頭痛が生まれた。
鋭いそれは、一瞬で消える。
「なんだ……?」
こんな時に頭痛……偶然か?
そう思い……けれど私は、それがなにかしらの必然であると理解した。
なぜなら、私の周りにいる他の特別クラスの面々や、ソウまでもが頭を押さえていたから。
「これは……」
ナユタが僅かに表情をしかめながら、呟く。
「一体、なにが……」
その時、さらなる異変が起きた。
今度は私達にではない。
闘技場の中心。
「――_-‐′‐,-〟‐_’‐-/‐‐⁻〟_/⁻`_‐〟_‐’-_‐‐_/‐‐-――」
それが誰の声なのか、一瞬分からなかった。
と、緋色の身体から、黒い粒子は噴き出した。
「な……!」
その黒い色に、怖気がする。
なんだ、あれは……。
粒子は嵐となり、緋色の身体を包んでいく。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
意味も分からない言葉が、緋色の口から吐き出される。
それはもはや、咆哮だった。
「ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴があがる。
その声の主は、他ならぬクロウウッド。
今まで緋色よりはるか上位に君臨していた強者が、焦燥に表情をゆがめ、明らかに正気を失った目のまま、緋色へと突撃する。
「ころ、こっ、ろ……すすす、ころ、ころっ、ここ、こ、ろ、ろろ、ぉぁあああああああああああああああああ!」
クロウウッドの背の尾が、思い切り緋色に叩きつけられる。
全力。
なんの手加減もない。
ただ、殺すための一撃だった。
「なにを――!」
驚く私を含めた観客全員の視線の先で、クロウウッドは吹き飛び地面に倒れた緋色の頭上に移動する。
そして、その拳を振りおろした。
轟音。
緋色の身体に、世界を滅ぼすほどの拳が叩きこまれた。
一度ではない。
二度三度……何度も何度も、緋色がなぐりつけられる。
一瞬で闘技場が惨劇の舞台と貸す。
地が砕け、空が裂け、衝撃は空間を歪める。
誰も、なにが起きているのか上手く理解できていなかった。
ただ言えるのは……そう。
そうだ。
「このままでは、緋色が……!」
「――!」
最初に動いたのは、ナユタだった。
観客席と闘技場中心の間に張られた結界をあっさりと引き裂いて、緋色のもとに向かう。
続いてソウや茉莉、小夜が翔けた。
私達姉妹も、すぐに緋色の下へとかけつける。
一般クラス側の選手達も、次々に観客席を飛び出していた。
そうして、私達総出で、正気を失い緋色を殴り続けるクロウウッドを押さえつける。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
喉が張り裂けるほど、クロウウッドは悲鳴を上げる。
その狂気に支配された瞳は、人という形を失いかけている緋色へと向けられていた。
なにが、あったのだ……。
なにが起きたのだ。
誰にも、どういうことなのかは分からない。
ただ、その後。
緋色はクロウウッドに負けたという、そんな結果が残った。
こんな勝負に勝敗などつけられるのか。そんな思いはあっても、異を唱える気力など、まるで湧かなかった。