その樹はっ!
二勝二敗。
優位は、なくなった。
けれど私にとって、今はそんなことはどうでもいい。
いや、どうでもよくないけど、それよりも重大なことがある。
気にかかる、と言い換えてもいい。
――どうして小夜は、あの時、棄権したのだろう。
誰の目から見ても、小夜がユリアさんより強かったのは明らかだ。
なのに、棄権した。
意味が分からない。
どうして勝てる戦いを棄てたのか。
別に、負けて怒ってるとか、そういうわけじゃないけれど。
他の特別クラスのメンバーも、誰一人として小夜への文句を口にする人はいなかった。
ああ、でも。
怒っていると言えば、他でもない、対戦相手だったユリアさんは凄かった。
試合の後、小夜はすぐにどこかへ消えてしまったが、ユリアさんは特別クラスの待合室に突撃してきて、激怒したのだ。
どうして自分に勝ちを譲ったのか、と。
あんな情けで勝ちを与えられたような無様、認められないと。
そんなことで喜べるものか、と。
だが、ユリアさんがなんと言おうと、試合は試合。棄権は棄権。
結果は変わらない。
ユリアさんのことは、その後来たローゼンベルク君が連れて帰って行った。
「……」
私は私で、学園の校舎、風紀委員会外特別支援殲滅執行部の部室へと訪れていた。
他の場所は探し尽くした。
あとは、ここくらいだ。
「……いざ」
気合いを入れて、部室のドアを開ける。
そしてその向こうに……ナユタがいた。
「へ?」
あれ、どうしてナユタがここに……?
「や、緋色。残念だけどここはハズレだよ」
言って、ナユタがほほ笑む。
おお、かわいらしい笑顔……とか見とれてる場合じゃない。
「な、なんでナユタが?」
「いやあ、私もちょっと小夜に言いたいことがあったんだけれど……うん。そうだね」
ナユタが私のことを見つめる。
ちょ、そんな……そんな見つめられたら照れるじゃない。
あはん!
……とか馬鹿やってる場合じゃないですよね、ええ。知ってます。反省!
「緋色に伝言してもらえばいいか」
「伝言、って……そもそも私、小夜の場所知らないんだけれど?」
ここにいないんじゃ、あとはもう思い当るところなんてない。
「大丈夫、ここにいないなら、小夜は絶対あそこにいるはずだから」
どうやらナユタには小夜の行方に心当たりがあるらしい。
「……あそこ、ってどこ?」
下ネタ的意味でなく。
……いや、一応言ってみただけだよ?
「ふふ。世界樹のところ」
「世界樹?」
新しい単語に、首を傾げる。
世界樹、ねえ?
響きからして、なんかいかにもな重要ワードだけど。
「そう。この世界ではないどこか……ありていに言って、この世界の外だよ」
「外、って……あれ、私達ってこの世界から出ていいの?」
「基本駄目だけど、学園の許可をとれば問題はないよ。ちなみに」
ナユタが懐から一枚の紙きれを取り出す。
それを、私に投げた。
紙は、まるでダーツのようにまっすぐ私のところまで飛んできた。
掴むと、そこに書かれていたのは……外世許可証という大きな文字と、その下のこまごまとした文章。
「許可は私がとっておいたから、緋色はいつでもいけるよ」
「……準備いいですねー」
「器量よしでしょ?」
いやあ、まったくもってその通りで。
「それじゃ、世界樹のところへは私が送ってあげるよ」
「え、いきなり?」
心の準備とかは……。
「あ、それで小夜への伝言だけど……私は貴方の《顕現》は悪くないと思う、って伝えておいて」
心の準備なんてさせてくれないらしい。
そして私は、学園世界から姿を消した。
†
立っていたのは、砂の上。
まっ白い、綺麗な砂だ。
「ここは……」
目の前には、巨大な壁があった。
否。
それは、壁ではない。
幹だ。
巨大すぎて壁に見違えたが、間違いない。
それは、樹の幹に他ならない。
右の地平から左の地平まで続くほどの幅を持つ幹が、空の向こう側までそびえていた。
「でっか……」
思わず呟く。
これが、世界樹……。
名前に恥じない貫禄だ。
「……あ」
と、世界樹の根本に、人影を見つけた。
小夜が、幹に背中を預けて、ぼんやりと空を見つめていた。
「……」
私は静かに、小夜の元に歩く。
「あ」
小夜が私に気付いて、目を丸くした。
「やほー、小夜」
とりあえずスマイル。
「どうして、貴方が……」
小夜は私がここに辿り着いたことに驚いているようだった。
「これぞ愛の成せる技」
「……」
なにその凄く冷たい目。
「……ほんとはナユタに送ってもらいました」
「はぁ、まあ、そんなところだとは思っていましたよ」
「てへ、ぺろっ」
「……」
「ゴメンナサイ」
あの、だからその零度の瞳はやめてください。
「……今は、あなたのおふざけに構うほどの余裕がないのですけれどね」
小夜が深いため息をつく。
「えっと、どしたの?」
「……これでも、棄権したことで申し訳なさを感じているんです。貴方達にも、相手にも」
小夜が苦々しげな表情になる。
「だったら、あのまま勝てばよかったのに」
「……それは、出来ませんでした」
「なんで?」
問いかける。
「それ、は……」
小夜が、言葉に詰まった。
「――……この世界樹のことを、知っていますか?」
突如、小夜がそんなことを聞いてくる。
「え、知らないけど」
「これは、世界と世界の狭間……世界と呼べない空間にある大樹です」
「……へえ」
ここが、世界と世界の狭間、ねえ?
ふうん……そうなんだ。
言われてみれば、なんか空気がちょっとおかしいかも。
なんだろ。
汚れてない、っていうか……うーん。
純粋すぎる、とでも言えばいいだろうか。
なにもないのだ。
この空間には、砂とこの大樹と私達以外、なにもない。
「世界樹は、普通の樹木と同じように、生長をつづけています。そして、その成長は時に……なんの罪もない世界を押しつぶすことがある。世界を崩壊させるのです、無常に、なんの意味もなく、ただ己の成長の過程の偶然として」
「……」
「醜いとは思いませんか? ただ、己のことばかり考えている。そんなこれが」
いいながら、小夜は遥か上空に続く幹を見上げた。
「だから私は、これが嫌いで……けれど、私とこれは、切り離せない」
小夜が、膝をかかえて背筋を丸める。
「まったく……どうしようもないですよね。私はこれが嫌いで、けれどこれは……私の支えでもある。ここにいると、ひどく落ち着く……最悪の矛盾です」
忌々しげに、けれど穏やかに、小夜はうめくように呟く。
「……」
私には、小夜と世界樹とやらの間に、なにがあったのかまるで知らない。
けれどそれは、きっとなにか、どうしようもない、のっぴきならないものなんだろう。
「――私は、なにを話しているんでしょうね」
そこで、小夜が苦笑を浮かべた。
「忘れてください。それと、負けてしまって、すみませんでしたね」
「あ、いや、それはいいんだけれど……」
「この埋め合わせは、必ずします」
小夜が立ち上がり、スカートについた砂を払い落す。
「……じゃ、埋め合わせはデートで。エロエロデートで――」
「それでは、そうですね。埋め合わせとしてあなたが《顕現》出来るように全力でしごいてあげましょう」
「ええ!?」
なんでそうなるんでしょーか!?
私が要求したのはエロエロですよ!?
「ちょうど、ここはどれだけ暴れても誰にも文句を言われませんからね……行きますよ!」
ちょ、ちょっと待ったぁあああああああああああ!
「うぎゃああああああああああああああああああああああ!」
次の瞬間、私は空を飛んでいた。
というか、吹き飛んでいた。