片鱗はっ!
「――こふっ」
気付けば、肩口を切り裂かれていた。
おびただしい量の血が、口の中から溢れだす。
呼吸がまともに出来ない。
肩から入って、肺か気管かが傷ついたのだろう。
普通なら致命的な怪我だが、収納空間から取り出した有機液体金属が血液を代替し、魔力によって強化された細胞がまたたくまに傷を塞いでいく。
「遅い。再生に一瞬たりとも時間をかけるな」
左腕が切り飛ばされた。
ここで、私は自分を切り裂くものの正体をようやく知ることになる。
イリアさんが握っていた黒い剣だ。
振るわれたことにすら、まともに気付けなかった。
――嫌だ。
逃げだしたくて、逃げだしたくて、たまらなくなった。
こんなのを相手にしろ?
不可能だ。
絶対に勝てない。
……そんな弱音が次々に溢れだす。
「っ……」
左腕が再生して、私は再び大鎌を取り出した。
「う、ぉおおおおおお!」
大鎌を振り上げる。
「だから、遅い」
大鎌が砕け、私の両手首が消し飛んだ。
さらに、そこから侵食するように私の両腕が肩まで破裂する。
全身に裂傷が生まれ、血が滝のように全身を伝った。
「あ、ぁあああああああああああああああああああああああ!」
死ぬ。
死んでしまう。
このままでは、殺される。
まさか、これは訓練なんでしょ?
ならばこの滅茶苦茶な身体をどう説明する?
殺しにきてるよ、これ。
絶対、そうだ。
……嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
「――――――!」
声にならない叫びが出る。
どうして私がこんな目に遭わなくちゃならないの?
こんなの……。
……違う。
違う、違う、違う違う違う違う!
「違うッ!」
今を呪うことなんてして、なんの意味があるの。
そんなの私らしくないよ。
私は……棘ヶ峰緋色は……こんなキャラじゃない!
腕の一本二本がどうした!
身体が砕かれて、だからどうだというのだ!
私は……私と言う人間は……!
なにかに追い詰められるなんて柄じゃない。
なにかに屈するなんて柄じゃない。
信念も理想もない。
でも、矜持だけはあるんだ。
私がこれまでに生きてきた人生は、面白おかしくて……だから、それは、これからも曲げるつもりはない。
私はこれまでの生き方を、自分の在り方を、曲げたりはしない。
なら……これは違う。
「……!」
いつのまにか倒れていた身体を、ゆっくりと起こす。
傷は治っている。
なら、問題などどこにもない。
「ほう……」
イリアさんが感嘆したような吐息を漏らす。
「立つか……折れるかとも思ったが、存外、いい根性をしている」
にやりとイリアさんが笑う。
「……はっ」
だから笑い返してやった。
「この程度、どうってことないね」
「……」
イリアさんの表情が、僅かな驚きに変わった。
「貴様……ふむ。なるほど、あいつが選んだというのも、納得か……これはあいつと同質の特異だな……」
「なにぶつぶつ言ってるの、さ!」
次の瞬間、私はイリアさんに肉薄し、瞬時に取り出した大鎌を振るった。
ありとあらゆる概念を引き千切り、大鎌の刃はイリアさんの首を狩る。
――なんて、あるわけないよね。
大鎌は、砕ける
触れただけでイリアさんに圧し負けて、砕け散る。
「……このっ!」
さらに大鎌を取り出し、叩きつける。
砕かれる
叩きつける。
それを、刹那に数千回も繰り返す。
「ふん」
イリアさんが剣を振るうと、私の身体が横に吹き飛ばされた。
空中で私の四肢が切り落とされ、右の眼球が貫かれ、内臓が破裂し、咽喉を裂かれた。
地面にボロ雑巾よりひどい有り様の身体が転がる。
「がはっ」
痛いなんてもんじゃない。
痛みになれた私でも、痛いという次元を優に超えた感覚を叩きつけられる。
常人なら、きっと狂って、狂って、狂いきっていたろう。
「お、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
雄叫びをあげながら、私は再生した四肢で身体を起こした。
そんな私を見て、イリアさんが鼻をならす。
「ふん……いい気迫だ。それに比べ――」
イリアさんの視線が、アイリスに向いた。
アイリスの身体が震える。
「お前のその様はなんだ? アイリス。お前、わたしの娘ならば緋色程度の気迫は見せてみろ」
「っ……!」
その言葉に、アイリスが動いた。
常闇を纏い、イリアさんに突撃する。
常闇がイリアさんに襲いかかった。
「――それがどうした」
イリアさんは、微動だにせずそれを受けた。
常闇がイリアさんの身体に巻きつき……霧散した。
「こんな常闇もどきでわたしを傷つけられるとでも? もしそんなことを露ほども考えていたなら……失望したぞ。少し甘やかしすぎたか?」
イリアさんが剣を投擲する。
剣はアイリスの胸を貫いて、そのまま遥か彼方の氷山まで吹き飛ばし、縫いつけた。
「本当に縁を切るか……これではな。情けないにもほどがある」
イリアさんが溜息を吐く。
「戦いが目前に迫っているのだろう? 舐められ、侮られ、挑戦されたのだろう? ならばどうして牙を剥かん。今の貴様は、子猫が怯えから爪をむやみやたらに振るっているようなものだ……それを可愛いと言ってやるほど、私は優しくはないぞ」
と、縫いつけられた氷山ごと、アイリスの身体を眩い光の柱が貫いた。
「本当に……やはり子には厳しくすべきた。あいつの教育方針は甘すぎる」
呆れたように肩をすくめるイリアさん。
その背後から、私は大鎌で切りかかった。
「無駄だ」
大鎌の刃を、イリアさんが掴んだ。
そのまま、握りつぶす。
……思わず、笑ってしまった。
「防いだ……」
「……!」
イリアさんが目を見開く。
どうやら、自分が大鎌を防いだ、という自覚がなかったらしい。
きっと身体にしみついた経験が、自然と防御させたのだろう。
そう。
防御させた。
これまではそれすらなく、ただ攻撃する度に触れては砕かれることを繰り返していただけなのに。
手で受けとめたのだ。
それはつまり……イリアさんが、僅かながらにも私の大鎌を危険だと判断したということ。
私のこれは……強くなっている!
砕かれても、砕かれても、いい。
なら次はもっと硬く、鋭くするだけだから。
だから届いた。
「もっと、もっと……!」
さらに大鎌をイリアさんに振るう。
千の刃をイリアさんは拳で砕く。
万の刃をイリアさんは生み出した剣で砕く。
億の刃をイリアさんは剣で相殺する。
「……なんだ、お前は」
イリアさんの頬には、一筋の汗が伝っていた。
「まともな《顕現》もしていないくせに……なぜここまでできる……」
得体のしれなものを見る目。
……それでいい。
誰かの定規で測れるような私じゃあない。
でも、まだ足りない。
もっと上まで。
「もっと……もっと」
大鎌が鼓動する。
肌を、生温いなにかが覆う。
「――!」
イリアさんが息を飲んだ。
「まずいな……ふむ。まあ及第点ということで、一度眠れ!」
イリアさんが、初めて動いた。
これまで一歩たりともその場から動かなかったイリアさんが。
そして――黒い剣が私の視界を覆う。
それは、数え切れぬほどの剣尖。
その真中に、剣を構えたイリアさんがいた。
「――――」
頭の後ろで、硝子の砕けるような音がした。
次の瞬間私は、地面に倒れ伏していた。
意識のスイッチが、突然切られたようだった。
気絶するのだと、はっきりと分かった。
でも、それに逆らう。
まだだ。
まだ、私は……!
「無理をするな。《顕現》こそ出来ずとも、お前は十分な力を見せた。それ以上は、今はいい」
言うイリアさんの背後で、巨大な黒い柱が立った。
「む……あちらもか」
イリアさんが振り返る。
気絶する直前、私はイリアさんの視線をたどった。
そこには――。
巨大な黒い獣が、いた。
†
「やれやれ」
足元に倒れているアイリスを見て、苦笑する。
「軽い挑発と重圧で我を失うとは……まだまだ未熟だ」
呟きながら、私は自分の左肩を見た。
――そこから先は、消滅していた。
「私など恐れるな……お前は、私を越える力を秘めているのだから」
笑んで、私は左腕を再生させる。
そのまま《顕現》を解いて、しゃがみこんでアイリスの頬を撫でた。
「未熟ではあるが……まあ、これだけのものを見せたのだから、一応、合格ということにしておいてやるか」
……なんだかんだ言って、やはり私も甘い、か。
しかし……ほんとうにとんでもない。
「まともな《顕現》すらせず、私の《顕現》を越えるか」
緋色も、アイリスも。
この子らは……一体どこまで行くのだろう。
「……エリスよ。やはりこの子らは、特別だ……いや」
違う、か。
特別などと聞こえのいいものではない。
これは……。
「隔絶、とでも言うのか」
才能なのか。
環境なのか。
それとも、他のなにかしらの要因があるのか。
この隔絶は、きっと、多くのものに影響を与える。
「……だからこその特別クラス、か」
我が子の力を、頼もしいとは思う。
だが、力には、必ず重いモノが付きまとう。
それを背負えるものか。
……くじけるなよ。
その為になら、私はどれほどこの子に嫌われても構わない。
強くなれ。
自分の力に押し潰されない強さを、手に入れてくれ。