現れたのはっ!
鼻血によって演出された殺害現場(笑)の掃除を終えて。
私はアイリスに飲むヨーグルトを出した。
アイリスは「何故これ?」という顔をしながらも、それを普通に飲む。
……まあ、そうだよねえ。
普通に飲んじゃうよねえ。
ちぇっ。
「で、というわけで付き合ってくれ」
いきなりそんなことを言われた。
「恋人としてなら」
とりあえずそう返した。
「なに馬鹿なことを言っているのだ。ふざけてないで……訓練に付き合え」
おや命令形になりましたよ。
まったく、やあねえ。
ってか脈絡がなさすぎて素で意味が分からんのですよ。
「いきなりすぎる……どういうことなの? 説明してよ」
「ふむ。説明しなかったか?」
アイリスは家に来て殺害現場(笑)を目撃して一般生徒陣営に特攻かけようとしただけだよ。そして私がそれを一生懸命止めたんだよ。
説明のせの字もないってば。
どうして説明したなんて勘違い出来るのさ。
「ふむ……あれだ。エレナがなあ、今日はスイを徹底的にしごく、というので――」
「しごく!」
「む?」
私の反応にアイリスが眉を寄せた。
……そんな訝しむような顔するなよぅ。
しごくなんて言われたら反応しちゃうのが緋色ちゃんなんだよ。分かってくれよ。
「……続き、どぞ」
「うむ……? まあ、それでな。私はどうしたらいい、と聞いたら緋色のところにでも突っ込んでくればいいと言ったのだ。だから私はここに来た」
エレナぁ……。
あの子絶対に私に面倒事を押し付けたよねえ?
「……私にも、予定というものがあるんだけど」
「なんだ?」
きょとん、と聞き返された。
「いや。修行っていうか、《顕現》を使いこなせるようにならないと……」
「ならそれに付き合おう」
「えー」
「なんだ、文句があるのだ」
「いやあ、そういうわけじゃないけどさあ」
実は、昨日気絶する前にライスケ先生に連絡を取っていたのだ。
別に愛の言葉とか送ったわけじゃないよ。
修行に良い場所ないっすかー、って聞いたんだよ。
それで、とある人を紹介してくれるらしいんだ。
なんでも《顕現》を使いこなしている人の一人で、いろんな世界を放浪している人なんだとか。
名前は……なんていったっけ?
イ……イなんとかさん。
確か名前は三文字くらいだった気がする。
で最後があ行だったね。
なんかライスケ先生の口ぶりから、結構先生と親しい人っぽかったけど……。
曰く、下手したら死ぬかもしれないけど、そっちのほうが丁度いいんじゃない? まあよほどのことがないなら死なないって。うん、多分、きっと、そうだろ。
と、素敵なほどに不確定な感じのことをおっしゃられまして。
そんな危険人物のところに行くのに、言っちゃなんだけど《顕現》もどきすら出来ないアイリスを連れていくのはなあ。
「……危ないんだけど?」
「問題ない。私だからな!」
意味の分からない自信だ。
「……むぅ」
しかし、この様子からして、引きさがりそうにない。
……まあ、いっかなあ?
死なない、よね?
危なかったら返せばいいんだし。
……うん。
まあいっか。
†
ライスケ先生が相手の人に約束を取り付けてくれたらしいので、集合場所である氷原教室に入る。
氷原のど真ん中に、一つ人影があった。
「――悪い、緋色。私は急用を思い出した」
その姿を見た瞬間、アイリスが身を翻す。
「え?」
アイリスの顔は、青を通り越して土色だ。
「ほう? まあ、待て、アイリスよ」
その時、教室の扉に奇妙な剣が突き立った。
刀身の色は白と黒が入り混じり、柄は仄かに金色に輝いている。剣には、水と、そして細い竜巻のようなものが巻きついていた。
えーっと?
氷原に立っていた人物に視線を向ける。
凄く綺麗な女の人だった。
歳は……よくわからない。
外見だけ見るなら私と同じくらいかな、とも思うけれど、雰囲気はすごく大人っぽいっていうか……なんて言えばいいのかな。
端的に言うと、多分、格が違う、ってことになるのかもしれない。
私の横で、アイリスが涙目になりながら振り返る。
「ひ、緋色、お前はなんという人のところに連れてきたのだ……」
「え?」
えっと、もしかして、お知り合いなのかな?
「……初めまして、だな。棘ヶ峰緋色。噂だけは聞いている。有望株だ、とな。今日はその噂を確かめる意味もあったし、ライスケから頼まれたのもあり、お前の面倒を見てやろう。私はイリア……そこにいる、アイリスの母だ」
――!
――!!
――!!!
重大すぎることなので三度驚きました。
「え、え!? アイリスの、お母さん!?」
ちょっ、待っ、若すぎじゃない!?
いやこの世界ならアリなのか!?
「早速お前の修行をつけてやる……と言いたいところだが」
ちろりとイリアさんがアイリスを見る。
「アイリス。何故お前がここにいるのだ? なんだ、お前も面倒を見て欲しいのか?」
にやりとイリアさんが笑う。
「い、いや……私は、そのっ! なんというか、そういうつもりでは!」
必死にアイリスが首を横に振るう。
「そう遠慮するな。なあに、たまには母の胸を貸してやろう」
嬉しそうに、イリアさんが言う。
……うわあい、悪魔の微笑みだぜ。
アイリスの姿は、もう見ているだけで哀れなほどだ。
「――――――《顕現》――――――」
空間が砕け散った。
そう錯覚するほどの衝撃が、私の身体を通り抜けた。
実際には、空気の流れ一つとして変わってはいないのに。
「……これが」
気付かぬうちに、私の声は震えていた。
よくよく考えれば、私は《顕現》というものを初めて見るのだ。
それらしいものは何度か見てきたが、完全な《顕現》ではない。
「これが……《顕現》」
ゆったりとした赤い衣が舞う。
まるで舞踏会に向かうお姫様が切るような豪奢なドレス。
その腰から、白と黒の帯が伸びる。
左肩のあたりに、細い水色の結晶柱が、右肩のあたりに翠色の結晶柱が三本ずつ浮かぶ。
さらに右手の中に、光すら吸い込むような漆黒の剣が一本現れる。
……綺麗、だった。
そのイリアさんの……《顕現》は。
怯えではなく。
恐れではなく。
これは……なんというべきか。
言葉には、とても出来ない。
ただただ……挫けそうだった。
こんなものを前に、どうして私なんかが立っていられよう?
そう思わずにはいられない。
心か、粉々に打ち砕かれる。優しく、柔らかく、それでも着実に、敗北していく。
……駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!
そんな自分の意識を塗り替える。
なにを考えている?
敗北?
いやだ。
こんな……こんな敗北を私が味わうなんて、私は認めない。
「――っ!」
《顕現》もどきの大鎌を取り出す。
「ほう?」
少し感心したようなイリアさんの声。
心臓は弾けそうだった。
声一つで、何度殺されかけるのだろう。
胸を抑えながら、大鎌を真横に構える。
「……!」
余裕なんてなかった。
切りかかる。
距離を無にして。
時間経過を超越して。
大鎌の刃はイリアさんの咽喉元に突き刺さ――らない。
イリアさんに触れた瞬間、大鎌にひびが入り……。
砕け散った。
「……え?」
「素人にしては上々。だが真の《顕現》を相手にするには児戯に劣る」
イリアさんが微笑んで、私の目を覗きこんだ。
「お前は見所がある……そうだな。今日中に《顕現》をものにしろ。でなければ、殺す。いいな?」
……え?
「アイリスもだ。無能な娘など持った覚えはない。いい加減お前も《顕現》をしろ。でなければ、縁を切るぞ?」
イリアさんのあまりにも傲慢で高圧的で絶対的な言葉に、私もアイリスも、ただ固まるしかなかった。
「なあに安心しろ。もちろん私は……全力でいってやろう。光栄に思え?」